もののふラプソディー ~刻のゆがみ~エピソード2
今朝のオフィスは誰もがバタバタと落ち着く事がなかった。弱小企業である聖也の会社にとって、大きな案件が舞い込んできたのだ。そして、とうとうこの日は取引先とのプレゼンを迎える日なのだ。役員は取引先の情報を再度チェックし、聖也たち営業は資料の再チェック。女子社員はオフィスの片付け作業に右往左往としている。あらかじめ準備をせず疎かにしていまうから、弱小企業と言われてしまっても仕方のない事なのだ。
そうこうしているうちに、お客様が来られたようだ。高そうなスーツ姿の男と品のある秘書のような女の2人組だった。役員たちは何度も頭を下げて作り笑顔で2人を出迎えている。丁重に応接室へと案内し、いつもより濃い目の化粧をした女性事務がお茶を差し出すが、そのぎこちない動作に聖也はつい笑ってしまった。大手薬品企業からのオファーだけに、我々、弱小広告代理店はこのチャンスを物にしようと躍起になっているのは分かるのだが、どうも端から見ていると空回りしているようにも見えてしまう。
緊張の中で始まったプレゼンも、すでに1時間が経とうしていた。心配をしていた聖也たちであったが、応接室のドアが開いた奥からは、笑顔の役員たちが揃って外まで見送っている。表情から察するに、無事にプレゼンは済んだようだ。社員一同で頭を下げながら客人を見送っていると、聖也の前でその男は足を止めた。聖也は恐る恐る頭を上げると、真っ直ぐ前を向いたままにも関わらず、聖也を見下ろすように男からの視線を感じたのだった。聖也に何かを言うのでもなく、しばらくしたらまた歩き出して行ってしまった。
聖也 (あの男…いったい何なんだぁ…)
聖也の勘でもある嗅覚は何かを感じ取った。
数日後、先日行われたプレゼンは見事成功し、本格的に作業へと取り掛かった。そして、クライアントの意向と我社の意向を融合させた、最高の企画が完成したのだ。役員たちも品質の良さにホッと胸を撫で下ろしていた。
そんなある日、聖也は出勤して間も無く部長に呼び出された。眉間にシワを寄せた部長からはあからさまに嫌な予感しかしなかった。聖也はゆっくり後退りをし、その場から逃げようと試みた。
小木部長 「おいっ!話も聞かずに何逃げてんだ!」
聖也 「えっ…いや、何か部長からは嫌な予感しかしないので…つい、足が勝手に!」
小木部長 「そう言うなよ桐生…。もうお前にしか頼めないんだ。」
聖也 「ほら当たった!俺の勘は鋭いんですよ部長!気乗りしませんが話しだけは聞きますよ…で、いったいどうしたんです?」
小木部長 「いやぁ、先日うちに来たクライアントがいただろ、薬品会社の。大々的にネットに広告出したのはいいんだけど、要望と違うとかクレーム入れてきたんだよ。もちろん、事前に確認まで取れていたのにだ!」
聖也 「えっ!?」
小木部長 「全面的に作り直すか、返金するかの選択を迫られている…。そこでだ。是非とも桐生くんにクライアントに出向いて打開策を見出だしてほしいんだ!」
聖也 「そんなの無理ですよ…」
小木部長 「じゃ、頼んだよ!」
想定を遥かに越える無茶振りに、聖也はため息しか出なかった。そんなテンションの低い聖也に、離れたデスクからこちらを覗く麻依の表情からも同情が感じ取れた。
麻依 「それで、どうするの?何か良い案はあるの?無いんだったら部長にはっきり断りなさいよ!そもそも聖也のクライアントでもないんだからさ!」
聖也 「分かってるさ…。でも、初めてあのクライアントの男に会った時、何か引っ掛かるというか、俺の存在を意識しているような雰囲気を感じたんだよ…思い過ごしならいいんだけど、もう一度だけ会ってみる価値はあるのかなぁって…」
麻依 「ふ~ん、またそんな思い過ごしで振り回されても知らないわよ!」
麻依の心配をよそに、聖也はあの男に会いに行く事を決めた。勿論、聖也の単なる思い過ごしならそれに越した事はないのだが、どうも聖也の脳裏には、あの男の何か言いたげな横顔がチラつき、気になって仕方なかったのだ。
翌日、聖也はクライアントに会うべく書類をまとめ、アポの時刻に会社を訪れた。東京湾を一望できる高立地なビルにその会社はあった。こんな素晴らしい眺めの中で仕事が出来る羨ましさの反面、こんな一流企業が何故うちのような弱小代理店にオファーしたのか不思議に思えた。待合室から会議室へと案内され、聖也はあの男が現れるのを待った。
『ガチャ!』
しばらくすると、扉の向こうから現れたのは、まさしく聖也が違和感を感じたあの男であった。黒の高級スーツに身を包み、ゆっくり聖也の前へ近付いてきた。
鏑木 「はじめまして、代表の鏑木です。」
聖也 「あっ、はじめまして、営業の桐生と申します。この度は弊社に手落ちがございましたようで大変ご迷惑をお掛けしております事を深くお詫び申し上げます。」
名刺交換を済ませ、聖也は早速、先手で頭を下げた。
鏑木 「いえ、あまり気になさらないで下さい。こちにも非はあったのですから。」
以外な返答に拍子抜けしまった。聖也はもう少し頭ごなしに文句を言われる事を想定してきたのだが、その鏑木という男は少し笑み混じりで挨拶をしてきたのだ。聖也は恐る恐る話を初め、問題点や相違する箇所を聞こうとした。しかし鏑木は、聖也の話を聞いているのか、どこか上の空の様子さえ伺えるのだった。
聖也 「あの…、ここまでで何か問題はありますでしょうか?」
鏑木 「・・・」
目を閉じ黙ったままの鏑木が、一瞬、頷いたと同時に目を開け、まるで別人にでもなったかのような目付きに切り替わったのを聖也は見逃さなかった。
聖也 「…鏑木様…!?」
鏑木 「その件については、もう良い…。それよりも、本題へと入ろうではないか!」
聖也 「本題…?」
鏑木 「私はあなた個人と取引がしたいのだ…せいきち!」
聖也 「せいきち…?なぜ、その名をっ!?」
鏑木 「せいきち、まだ儂が誰か分からんのか?藤十郎…儂の名は鏑木藤十郎だ!」
鏑木藤十郎…、その名を聞いた聖也は、確かに聞き覚えのある名であったとともに、記憶の奥底に眠っていた、あの江戸の世で刃を交え命懸けで戦った事を思い出した。
聖也 「鏑木…藤十郎…、確かお前は江戸城下で旗本として幕府に支えていた徳川家臣だったな!お前の家来であった三田新之助と共に、俺はお前とその裏で操る黒幕の玄武と戦った。その鏑木藤十郎が何故ここにいるんだ!」
鏑木 「儂はお前に敗れ、そして玄武にも裏切られた。望みであったソハヤノツルギを前にして、儂の魂は哀れに打ち砕かれた。その恨みは数百年もの間…消える事はなかった。儂の魂は漆黒の闇夜を踠き苦しみながら彷徨い続け、そしてある時、僅な光を見付けたのだ。儂は必死にその光を求め走り続けた。ようやくその光に辿り着くと、そこには信じられん世界が広がっていた。それがこの現代の世界だ。江戸の世しか知らない儂にとって、目の前に広がる光景が何なのか、受け入れるには難しかった。しかし、儂は何かに導かれるようにこの世界を浮遊し、そしてある男に出会った。鏑木英二だ。」
聖也 「鏑木英二?まさかっ!」
鏑木 「そうだ、儂の子孫だ。儂は英二に憑依し、この世界の事情を全て悟った。まさか江戸の世から400年先の日本だったとはな…驚いたよ。だが、それは儂にとってはある意味好都合でもあった。もはや儂を阻止する者はいないのだからな。それからは英二に憑依しながら、ソハヤノツルギの行方を追った。その時だ!儂の目の前を忘れる事の出来ぬ憎き姿が横切っていったのだ。」
聖也 「・・・」
鏑木 「そうだお前だ、せいきち。たしかお主は400年先の未来から来たと申していたのを思い出してな。まさかここで会えるとは、不思議な事もあるもんだ。そこでだ…、どうだ、儂と手を組んではみぬか?」
聖也 「手を組むだと!?」
鏑木 「あぁ。どうやらこの時代の日本は、どうも平和呆けしている奴等しかおらん!儂はなぁ、もう一度手に入れた身体でこの日本の頂点に君臨し、天下統一を手中に納めたいのだ!今なら、あの新君家康公を越える天下人となれる!その為には儂一人では時間が掛かり過ぎる。そこでお主を家臣…いや、同志として迎え入れようと考えたのだ。どうだ…せいきちも男なら天下人としてこの日本の頂点に立ちたいとは思わんか?お主とならそれも不可能ではないだろう。えぇ?」
聖也 「・・・」
鏑木 「何を迷っておる?こんな好機は他にないだろう?それとも、このままサラリーマンというつまらない人生を送り続けるのか?」
聖也 「その話、断ると言ったら…?」
鏑木 「断る?それがお前の答えか?」
聖也 「・・・」
鏑木 「ふっ、愚かな奴だ。あの時は新之助もおり、儂の力が及ばなかった。が、今は今違う!数百年もの間、闇を彷徨い、恨み、憎しみを重ね続けた儂は底知れぬ力を手に入れたのだ。まずは手始めに、お前をあの世の闇に送ってくれようぞっ!」
先程までの鏑木英二の面影はなくなり、完全に英二の身体は藤十郎に支配されていた。上半身からはゆらゆらと黒い影が立ち上ぼり、会社帰りの公園で聖也を襲ってきた"瀬川"と同じだった。しかし、あの時は麻衣に憑依した"お菊"が助けてくれ難を逃れる事ができたが、今は麻衣も居なければソハヤノツルギも持っていない。自信はないが、戦う術は自分の拳しかない状況であった。しかし、それでも聖也は拳を構え、藤十郎の攻撃に立ち向かっていった。
何度も何度も藤十郎を止めるべく、殴り掛かっていったが、藤十郎が憑依した鏑木英二の動きは人間離れした瞬間移動のように躱され一発も喰らわせる事は出来なかった。それどころか、聖也をもて遊ぶかのように笑みさえ浮かばせていた。
鏑木 「では次はこちらの番だ!」
鏑木は動きを止めたかと思うと、一瞬にして聖也の目の前に現れ下腹に強烈な一撃を放ったのだ。
聖也 「ぐはっっ!」
聖也は勢いで数メートル弾き飛ばされ、たったの一発で倒れ込んでしまった。立ち上がろうにも身体に力が入らず、苦しさと恐怖で全身が震えていた。藤十郎はそんな聖也の髪を掴み上げると容赦なく殴り続けた。そして、ニヤリと笑った藤十郎は聖也の胸ぐらを掴みガラス張りの窓壁に打ち付けたのだった。
『バリーンッ!!』
強化ガラスを突き破り、聖也はそのままビルから放り出され数十メートルの高さから外へと落ちていった。朦朧とした意識の中、聖也は冷静にも、この高さから落とされたら命はないと感じる事が出来ていた。砕けたガラスの破片が太陽の光に照らされ、落ちていく聖也と共にキラキラと輝いている。聖也はこのまま死んでしまうのだと目を瞑り死を受け入れた。
聖也 (あれっ?こんな高さから落ちたのに、死ぬ時って痛くないんだな…)
不思議な感覚を覚えた時、聖也は微かに風が体をすり抜けて行くのに気が付いた。耳を澄ませば、聞き慣れた街のざわめきも聞こえてくる。何がどうなっているのか、聖也は少しずつ目を開けてみた。聖也の目の前には青い空と、先程、藤十郎に突き落とされたであろうビルの部屋が見えていた。
聖也 (えっ?俺は助かったのか?)
『どうやら間に合ったようですね、せいきちさん!』
聖也の身体はコンクリートの地面スレスレの所で宙に浮いて止まっていた。そして、すぐ側では、両手の手のひらをこちらに向けて立っている麻衣がいたのだ。聖也はまたギリギリの所で麻衣に…いや、お菊殿に助けられたのだった。
麻衣(お菊) 「危ない所でした…。油断は禁物ですよ、せいきちさん!」
聖也 「すまない、まさかアイツが刻の歪みを抜けて現代に来ているとは想定外だったよ。完全に油断しまくってた。素手で勝てる訳ないよなぁ。」
麻衣(お菊) 「まったく…私が後を着けて来なければとっくに殺られてましたわ。はい、コレを!」
聖也 「これは!」
麻衣(お菊) 「これかはちゃんと持ち歩いて下さいね。いつどこで歪みを抜けてきた猛者共に会うか分からないのですから。」
お菊は聖也にソハヤノツルギを手渡した。現代で過ごしていると日本刀を持ち歩く習慣がないせいか、お菊との約束をつい忘れてしまっていたのであった。鞘に特殊な札を貼られたソハヤノツルギは、普通の人間には見えないようになっており、またいつどこで襲われる可能性があるか分からないので、聖也は素直にお菊の忠告を受け入れるしか方法はなかった。
麻衣(お菊) 「さあ、アイツの所へ行きましょう!」
聖也 「だな!英二から藤十郎の影をぶった斬ってやるよ!」
聖也とお菊は階段を駆け上り、鏑木のいる部屋へと向かった。しかし、先程までいた部屋に鏑木の姿はなかった。辺りを見渡すと、床に座り込んだ女子社員が震えていた。
聖也 「大丈夫ですか?」
女子社員 「…はい。」
聖也 「鏑木は…社長はどこへ?」
女子社員 「凄い形相で、外へ出て行かれました…私…あんな怖い顔をした社長を見たの初めてで…」
聖也がここへ戻ってくる間に、鏑木藤十郎は姿を消していた。どこへ行ったのかは分からないが、おおよその検討は付いていた。藤十郎はあの時、ソハヤノツルギを探していると言っていたからだ。必ずソハヤノツルギを求め、家康公の所縁のある場所に向かっているのだと確信していた。そして必ず嫌でもまた聖也の前へと姿を表す事となる。そのソハヤノツルギは聖也がこの手にしているのだから。
聖也 「お菊殿!今からアイツを止めに行くぞっ!」
聖也はお菊と共に新たな戦いの火蓋を切ったのだった。
エピソード2
終わり