その04 粗暴
伯爵という階級が、外敵に備えるためのものだとはもう話したと思う。
彼らは内政や他家との交流よりも武芸に優れているのだ。
しばしば勘違いされていることだが、貴族と平民は実は肉体のあり方の時点で大いに異なる。
当たり前だけれど、貴族と平民では食べるものが違う、分量が違う、得られる栄養量が違う。
痩せて寸胴で背も低い私と、おっぱいが大きくて背も高いロドゥバを比べれば一目瞭然だ。
もちろん個人差はあるだろう。幼年学校に来ていたビーンくんみたいに、平民でも身体が大きくて強い子もいる。
逆に、トチェドは貴族にしては小さくて非力で。
そして、カルミノさんから聞いた情報とは似ても似つかぬ知的で聡い人間だ。
「何を仰いますか! トチェドさまは先代にとても良く似てごさる。顔とか、髪や目の色も」
「髪と瞳は、母も同じく黒髪黒瞳、なんの証にもなりません。
タハンさん、あなたは本当にボクが先代当主の息子だと考えているのですか?」
タハン、タハンね。トチェドはしっかりと名前を覚えていた。偉い。
「それとも旗頭となってくれるのであれば事実などどうでも良いと思ってやいませんか?」
「そんな事はござらん! 拙者はトチェド様に忠誠を誓い、剣を捧げる所存にごさる!」
「はい、その言葉確かに聞き届けました」
あっさりと受け入れるトチェド。
もはや主導権がどちらにあるかは明らかだった。
「では。トチェド様。タガサット領の惨状を」
「話を逸らさないで下さい」
「は? 何を申してごさるのか」
「質問に答えて下さい。まあ、その態度そのものが答えでもありますが」
「え、質問……?」
自分の話題に戻れると安心した所で、再び腰を折られるタハン。
しかもこれ、『自分の無能を棚上げしていないか』という問いに答えろっていう言葉だよね。
「ローと目つぶしと小手打ちで、絶対に相手のやりたい動きをさせない。おばあちゃん先生の護身術みたいなやり方ですね」
「エーコちゃんと同じ感想だよ」「お姉さんも同じこと考えてた」
そして、格闘ではなく話し合いで出鼻をくじかれ続けた場合、どうなるかは想像に易い。
「うるさいうるさい! 話を逸らしているのはどちらでござるか!!」
「怒鳴れば良いと思っ―――」
「話を聞け! 頭でっかちのクソガキめ!!」
話し合いの時間は。終わった。
激昂したタハンが皆まで言わせず怒声でやり込めようとしている。
「トチェド大丈夫? ……私ならあんなに怒鳴られたら怖くて泣きそう」
「鼻で笑ってますよ、度胸の塊ですね」
「やっぱりあの女バラしていい?」
ニカお姉さまが立ち上がり、大胆に修道服の裾を捲った。美しい脚線美が白日のもとに晒され、太腿の革ベルトに下げられた短剣に手が伸びる。
ええと、もしかしていつも下げてらっしゃいますか? それ。
「それが貴女の忠義という訳で―――」
「もう喋るな!」
ここまで届くタハンの怒声、叩きつけるような暴力の気配。
「いけない!」
「だめですわ!!」
エーコちゃんが、バネ人形みたいに飛び上がった。同時に下から絹を引き裂くような悲鳴、ロドゥバだ。
ニカお姉さまが短剣を振り上げたまま硬直する。
私とへアルトは理由も分からず下を覗き込んで悲鳴を上げた。
タハンの顔面に小さな修道女がへばりついていた。地面には倒れたトチェド、立ち上がろうともがいている。
「何だ貴様! クソ! 離すでござる!!」
「クソは! お前だヨ!! バカー!」
待機していたボゥお姉さまやニカお姉さまより早く、トチェドが殴られた瞬間にはヌーヨドが飛びかかっていたのだ。
細い腕で握ったスプーンを、ガツガツと頭に叩きつける。
「ヌーヨド!」「ダメだ! 離れて!」
トチェド自身は殴られることを想定していたのだろう。鼻血を垂らしながら起き上がる。
ロドゥバかチオットの悲鳴。ボゥお姉さまが駆け寄る。
「ふざけるなッ!!」
ヌーヨドを引き剥がすタハン、その形相は怪物のように歪んでいた。
ヌーヨドを見る目は怒りと嫌悪で燃え上がる。
「『ゴブリン』だと……薄汚い化け物め!」
「ギャブっ!」
タハンがヌーヨドを地面に叩きつける。いや、飛び込んできたボゥお姉さまが何とかキャッチ。
それでも大人に思い切り叩き付けられたのだ。怪我をしていないことを祈るしか無い。
「何でござるかこの修道院は! 『災い魔』だけでなく化け物まで!」
短剣を引き抜いたタハン、だがヌーヨドを庇う位置にトチェドが割り込む。
「帰って下さい、あなたに誠意は存在しない。口先だけの約束、足りないこらえ性、子供への暴力…………あなたなんぞに剣を捧げられたくはありません。反吐が出る」
「それは拙者の言葉にござる。口先だけのガキめが……下手に出ていれば付け上がりおって」
握りしめた短剣が不吉な輝きを見せる。
怖い、見ていられない。私は肩を抱いて目を逸らす。それでもエーコちゃんの実況は続く。
「今日のところは一度引くが、後悔をさせてやるでござる。必ず。拙者にそんな口を利いた事を」
「あなたは最低だと思っていましたが、さらに下を行きましたね」
タハンは短剣を鞘に収めると、修道院の方向に唾を吐いた。
胸がムカつくような嫌悪感と悲しさで、私はうずくまった。怖くて、すごく嫌な気持ちだ。
直接立ち向かった訳では無いのに、ひどく打ちのめされた気分だった。




