その09 わたくしの聖なる責務
授業が終わり自由時間に、私とロドゥバは厨房に行った。気分を落ち着ける薬湯を淹れるためだ。
当然のように付いてくるヌーヨドと、責任を感じている顔のエーコちゃん。
付いてこようとしたチオットはトチェドが引っ張り出し、野次馬のヘアルトは追い出された。
「別に深刻な話をする訳ではありませんわよ」
「そうだとしても、知らぬ存ぜぬは気が咎めます」
エーコちゃんの頑固さはよく知っていた。それに内密の話でもないので、別に問題はないだろう。
「では本日の議題は、ロドゥバの考える貴族像です!」
「ですヨ!」
ロドゥバの膝の上でヌーヨドはごきげんだ。ちなみに彼女に魔法の才覚があったのかはよくわからない。
『キラキラしてるヨ!』以上の言葉が引き出せなかったからだ。
「昨晩の話を覚えてる?」
「手紙の書き方ですの?」
「ううん、その前。『平民に知識は必要か』に、ロドゥバはどう思っていたの?」
昨日の答えは『一概に不要とは言えない』だった。
貴族としてのロドゥバは今まで、平民に知識など無用だと考えていたはずだ。そして、ロドゥバは『煙たがられるのも貴族には必要だ』とも。
「知識階級と労働階級では行う仕事が違いますわ。労働者は余計なことを考えるよりも手を動かし、優秀な命令に従う方が効率的ですの」
当たり前のようにスラスラと返答。反感はあるが、言いたいことも分かる。
「狩りでも同じですね。集団は統率者の手足になり、統率者の意を汲んで動きます。手足が勝手に動いては、できる事もできなくなる」
「船頭多くして船山に登るってやつだね」
エーコちゃんと私の答えに、ロドゥバは満足そうに頷いた。
「それは理想論ですわ。
理想通りならば指導者が必要な知識を身に付けている間に、労働者は技術を磨き適材適所で歯車のように完璧な労働環境を築き上げるでしょう。
けれど現実問題として、全ての労働環境に指導者が居るわけではないし、全ての指導者が優秀ではないのです。
そして、お世辞にも優秀とは呼べない指導者に当たった労働者は不幸ですわ」
今度は、反論の一つもできない。
そして私の知る限り、『優秀な』指導者なんて決して多くない。
「その点わたくしは幸せでしたわ」
「そうなの?」
「この修道院で、わたくしの教育係は優秀でしたもの」
不意打ちは完璧な角度で私の羞恥心を撃ち抜いた。私ったらどの面下げて「そうなの?」とか言っちゃったの!?
私に一杯食わせて、ロドゥバは満足そうに笑みを浮かべた。
「我々貴族の誇りは、貴族の責務が神から与えられた神聖不可侵なものであるという事ですわ。
唯一にして偉大なる神が『神聖ホリィクラウン法国』にお授けになった王権授与特権。各国の王が平民を統括するために分割した領土と貴族の責務。
……………………………………お分かりになります?」
「分かるよ」
院長先生の話は、複数の神話と、唯一にして偉大なる神が『存在しないかもしれない』というほのめかしは、ロドゥバをぐらつかせていた。
あそこで院長先生が断言をしなかったのは、ロドゥバを慮ってのことだったのかもしれない。
「貴族は漫然と生きるだけの平民とは違う、生まれながらに背負わされた、偉大にして聖なる責務を全うせねばならないのでしてよ」
「それは、知らなかったな」
逆に貴族こそ、漫然と与えられた権威にあぐらをかいていると信じて疑わなかった。
だが、ロドゥバの言う通りならば貴族は。は常に率先して学び、『優秀な指導者』に成らねばならない責務がある事になる。
「平民を差別するのは、その聖なる責務とやらのせいですか?」
「そうでもありますし、別の理由もありますわ」
エーコちゃんの棘のある言い方に、ロドゥバは穏やかに答えた。
「わたくし、平民に侮られてはならないと教育されて来ましたわ」
「今もそう思ってる?」
「そもそも相手は関係なく侮られることに我慢がならないと思っていますわ!」
いかにもロドゥバだ。私は頷き、エーコちゃんも納得の顔。
「ヘアルトは?」
「不出来なしもべですので目をこぼしておりますけれど、いつかケチョンケチョンのギッタンギッタンにしてギャフンと言わせてやりますわ……!」
あ、実は根に持ってたのね。
「貴族は平民を見張らねばならない。危険なことをする子供を叱るように、目を光らせなければならないのですわ。
厳しい監督の目がある事で、愚かな平民が犯罪などの悪行に走ることを未然に防ぐことが出来るのです。
優しく甘い監視など侮られるだけ。必要なのは冷たく厳しい、恐れられる監視なのです」
これにも、私は同意できる部分があった。甘い顔をしてなめられては、いたずらっ子がやんちゃをやめない。
「でも、ヌーヨドには優しいよね」
「やさしいヨ」
「厳しくせねばならない年になったら、厳しくしますわ!」
「先輩は私にも優しいですよね? こっそりご飯におまけをしてくれますし」
ほう、それは知らなかった。
「それは、その……エーコは体が小さいから、もっと食べるべきだからですわ!」
膝の上のヌーヨドで顔を隠すロドゥバ。
ニヤニヤするエーコちゃん。多分私も同じ顔をしている。
「…………ええ、そうです。わたくしは『天冥戦乱』の歴史と。幼年学校の諍いで学びましたわ」
今度は引っかからなかった。
「村同士の諍いをテストで発散させたことですか?」
「それもありますが、わたくしならば子供に手をあげようとした相手など、問答無用で厳罰に処しますわ」
エーコちゃんの眉が上がる。看過できないと、その目が鋭くなった。
「ヘアルトが唆したんだよ」
「ああ……」
納得されちゃうヘアルト。
「長々と話していて……見えてきましたわ」
ロドゥバは憤懣やる方ないという顔で私を睨んだ。はて、睨まれるようなことはしただろうか? 心当たりならいくらでもあるけど。
「『天冥戦乱』で『自警団』の暴走を許したのは、監視の目が足りていなかったから。
対してティカイルクス伯爵がレイさんと良好な関係を保てたのは、平民だ傭兵だと侮らずにコミュニケーションを密にしたからでしょう」
ん? いま何か変なこと言わなかった?
「わたくしの目指すのは、監視と対話を行える貴族、あるいは……それを促す存在。
わたくしは、貴族の監査官を目指しますわ」




