その08 名実
将来のことについて、ほとんどの平民は自分の親の仕事を継ぐつもりでいるだろう。
女の子ならば、同じ村の同年代の誰かに嫁入りすることを考える。
私も弟のことが無ければ農民として生きて、同世代の誰かと結婚し、子供を育てていたと思う。
街に住むならば、もう少し選択肢は増えるのかもしれない。
商家に入って丁稚になるか、職人に弟子入りするか、よく知らないけど他にもあるかもしれない。
では、貴族ならばどうなのだろうか?
前に読んだ小説だと、貴族の嫡男は親の跡を継ぎ、次男以降は騎士団に入って武芸を磨く。
戦功を上げれば領土を貰える可能性もあるし、戦争がなくとも腕に憶えがあればそれだけで名声となり得るからだ。
女の子の場合は平民と大差ない。結婚して、夫の仕事を手伝う。
もちろん貴族の嫁ぎ先は貴族だ。だからこそ男女ともに貴族学校でマナーや教養を叩き込まれるのであろう。
そしてロドゥバはそれ故に、貴族学校で平民が貴族に混じって授業を受けることに拒絶反応を示したのではなかろうか。
平民と貴族では住む世界が違うのだから、と。
身分というのは、絶対的な隔たりだ。きっと貴族学校で勉強をしても、平民は平民だ。
どれだけ成績優秀でも、貴族たちには冷笑されて道化のように扱われてしまうのだろう。
平民が貴族になるなんて、おとぎ話でしか有り得ない。
…………そう、元貴族の修道女は貴族ではない。完全に平民側の存在だ。
どれだけ切望しようとも、ロドゥバは貴族社会に戻れない。可能性があるとするならば、親に頼み込んでもう一度貴族学校に入学をする必要がある。
退学したロドゥバが、再入学出来るのか。
そもそもロドゥバのご両親はどう考えているのか。
分からない。分からないからこそ。
ロドゥバはもう、戻れないと考えた方がいい。
貴族社会との縁は切れて、ロドゥバの未来は修道女はとして聖パトリルクス修道院で骨を埋める他はなくなっていた。
ロドゥバは馬鹿だけれど、無能ではない。考えなしの刹那主義者ではない。
であるならば、己の将来が真っ暗だってことくらい。
「ロドゥバ」
「わたくしを笑いに来ましたの?」
棘のある言い方で、全身から目に見える程の拒絶の意を放つロドゥバ。
私は言葉なく立ち尽くした。伝えるべきことが思いつかない。
「違う。あのね」
「ならば現実を突きつけにいらしたのですわね?」
ロドゥバには明日がない。どこにも行けない。そんな悲しい言葉を私は言いたくなかった。
だって、そうだろう?
私は教師になるために、学ぶために聖パトリルクス修道院の門戸を叩いた。
ロドゥバにとって修道院は監獄かもしれないけれども、それでも学ぶことは出来る。道を選ぶことは出来る。
ここは、聖パトリルクス修道院は、学び舎であり、避難所であるべきだと私は思う。
ロドゥバは弾かれて来たのではない、模索するためにここに居るのだと思いたい。
「厨房に行こう、温かい飲み物を飲んで少し気を落ち着かせて」
「結構! 平民の飲み物など口にできたものではありませんわ」
手酷い拒絶、それはロドゥバ自身がひどく傷ついているからだろう。
雨に震える手負いの獣のように、近付く全てを敵視して、噛み付くぞとばかりに威嚇して。
思い出せ。対話と、理解だ。
私たちに必要なもの。対立を防ぐもの。
だから私も意を決した。
「ロドゥバがなりたいのは、生き方としての貴族なの? それども名目としての、立場上の貴族なの?」
ロドゥバは馬鹿だが無能ではない。
こんな詭弁、一笑に付される危険があった。
名実ともに。それがロドゥバの求める貴族像だろう。でも貴族学校を退学し、親からも見放された今現在、ロドゥバが貴族としての生活に戻るのは絶望的だろう。
ならばと、ならばせめて。
詭弁でもいいから、次善の道を示すことは出来やしないだろうか。
まやかしだとしても、光なくして人は暗闇を歩けない。
「それは、どういう意味ですの?」
「ティカイルクス子爵みたいに、統治せずに悪政を敷いて、私たち平民の苦労の上にあぐらをかいてる奴も貴族だよ」
「わたくしはそんな!」
知ってるよ。
「私が貴族嫌いなのは、ティカイルクス子爵が無茶な税収をしたせいで苦しんだから。生まれたばかりの弟を亡くしたからだよ」
「それは……でも、わたくしは」
自分でも表情が固くなっている実感がある。虐げられた平民の恨みや憎しみを、きっとロドゥバは知らないのだろう。
だから、私程度に怯むのだ。
「違うのなら、地位とか財産だけの存在じゃないなら……ロドゥバ、あなたが貴族らしく生きるのに、貴族である必要はないんじゃないの?」
「………………は?」
私のトンチに困惑するロドゥバ。それはそうだ。普通に考えて、何を言われているのかちょっと意味がわからないだろう。
「自分で言ってたじゃない。相談役になる魔法使いの話。
それってつまり、『貴族を監督し過ちを正す』役って事でしょう?」
「いいえ、そうではなく……相談役は、知恵が必要な場合に何かを教える程度の……」
まあ、そうだろうなとは思っていたよ。
でも、ここで諦める必要はない。ロドゥバには理解してもらわなきゃならない.
名目上の貴族でなくなったら、もう貴族でありえないのか?
「よくわからないから、とりあえずロドゥバのなりたい貴族像を教えてよ」
「…………あなたには」
固く冷たい声。
駄目か。私は臍を噛んだ。ロドゥバを軟化するのは、ちょっと難しかったか。
「敵いませんわ」
駄目じゃなかった。ロドゥバは泣き笑いのような表情で、嘆息した。
「まだ授業中ですので、後に致しましょう。院長先生に謝りませんといけませんわ」
広間に戻るロドゥバ、その足が止まる。
扉を少し開けて、申し訳無さそうに見上げるエーコちゃん。
「エーコ、あなたは間違っておりませんわ。気に病む必要はなくってよ」
そう言っ躊躇いがちに頭を撫でるロドゥバの手付きは、驚くほどに優しかった。




