その10 私の心の中の見張り
「あ、イウノ。ごめんね、ちょっと問題があったからガッマたちと街まで行ってくるわ。
と言っても、みんな無事だしお姉さんも怪我はしてないから……そうね、事務的な問題というか。
まあとにかく、お姉さんに言えることはヌーヨドちゃんは正しい選択をしたってことかな!
一応、暗くなる前に門はしっかり閉じてちょうだい。
今日は戻れないかもしれないと思うけど、遊んでくる訳じゃ無いからね!」
|龍の半刻(午後3時)頃に修道院に戻ったニカお姉さまは、それだけ伝えると慌ただしく行ってしまった。
まあ、安否の確認はできているのだから、一日外泊する位なら問題ないだろう。
『問題』については少しだけ予想がつく。
野生の『ゴブリン』を逃がしたか、『割れ目』に居たのが全員という確信がないから、安全を約束できないのだろう。
「例のヨド氏の遺品もあったんだろうよ。家族がいるなら届けたいのが人の心ってもんさね」
そんな風に院長先生は言っていた。
ヨドさんは、ヌーヨドに人倫を説いた人物だ。
彼か彼女かは分からないが、その人がヌーヨドを説得してくれたお陰で聖パトリルクス修道院に被害がなかった。私たちにとってもある種の恩人であったと言える。
トチェドの手紙は、私は見せてもらわなかった。どんな事が書いてあるのか分からないけれど、少なくともプライベートなことだし、私が知るべきでない秘密が書かれている可能性も捨てきれない。
ただ、トチェドが怒った理由だけは、本人から説明があった。
「チオットさんにも直接謝りましたけれど、あれは個人的に苛立っていたことへの八つ当たりです。
あ、いやその……チオットさん本人に思う所もあったのですが」
暖炉の付いた広間。私の淹れた暖かく落ち着く薬湯。私とチオット、エーコちゃんとロドゥバ、野次馬のヘアルトと、何となくみんな居るから一緒に来たヌーヨドは私の膝の上。
「ボクはご存知かもしれませんが庶子で、相続権もほとんど無いような、みそっかすでした。
でも、その……伯爵だったボクの父と、その息子が魔物討伐で戦死していまして」
「そんな凶悪な相手に、領主自ら剣を取ったのですか?」
「貴族として模範を示すために、武芸に自信のある貴族はしばしばそういったパフォーマンスを致しますわ」
エーコちゃんの質問にロドゥバが答える。まあ、領主自ら最前線に立ってくれたら領民は安心するし尊敬もするだろう。
ティカイルクス子爵は絶対にやらないだろうが。
「ヘタレのロドゥバには真似できませんね」
「へアルトにヘタレ扱いされるほど、腐っていないと思いますが?」
エーコちゃんて、へアルトに厳しいよね。
「正直、ほとんど話したことのない父親が死んでもショックでも何でもなかったんですが…………領土を継いだ叔父がボクを警戒して、それまでの生活が全部奪われて、ボクは聖パトリルクス修道院に入れられました」
だから『ゴブリン』討伐に精神的に不安定になっていた。周りには上手く隠していたけれど、トチェド自身でも驚くほどにストレスだったようで。
「……嫌、だった?」
「最初は嫌でしたよ。でも、すぐに馴れました。それどころか今はここでの生活がかけがえのないものだと感じています」
チオットの問いに、トチェドは恥ずかしげもなく答える。
「だけど、ボクはここにいつまでも居られるわけではありません。
どれほど親しくなっても、数年以内、もしかしたらすぐにでも連れ戻されるかも知れない。
そもそも、仕事は免除されているし、皆さんとは貴族と平民という壁もある。
いつも作り笑顔で適当に過ごしておけば、居なくなっても寂しくないような、そんな人間関係を作れる…………はずだったんですけど、ね」
トチェドは寂しそうに笑った。胸が締め付けられるような、悲しい笑顔だった。
その表情に苦しくなるのは、私が勝手にトチェドと仲良くしていると思っていたからか、あるいはそんな悲しい考えを持っているなんて想像したこともなかったからか。
「それは、トチェドが領主として迎えられるからですの? 特定の平民と親しくなってしまえば、貴族の務めを果たすのが難しくなるのですから」
「いや、単純に怖いんですよ……親しい人たちと、突然離れ離れになるのが。ボクはこれまで、こんなにも人を好きになった事はありません。もっと好きになるのも恐ろしい」
それで、子犬のように懐いてくるチオットを突き放した。
「それでトチェド先輩は、奪われることを受け入れるんですか?」
「そのつもりでした。そのつもりでした……が」
挑発的なエーコちゃんに、トチェドは頭を振った。その表情を見て、エーコちゃんが満足そうに頷く。
「ボクは抗おうと思います」
「いざとなれば、修道院に逃げ込めばいいのですわ!」
「ヌーヨドみたいにヨ!」
トチェドが男の子だったら、それは難しいかもしれない。
だけど……椅子の下で手を繋ぐトチェドとチオットを応援しない理由はない。
私の中の暴力への忌避感は相変わらずだ。だけど、理不尽に立ち向かうために戦わなきゃならない。立ち向かう意志は私の中にもしっかりある。
バランスなのかな、と思う。
もしも暴力が必要になった時に、私が理不尽を振るう側であってはならない。
自分を律するのだ。私の中の『戦争の赤い星』に目を光らせ続けなければならない。
守るための力が、奪うための力にならないために。
聖パトリルクス修道院が、今日も、明日も平和であるために。




