その05 悪心
さて、考えるべき事は三つ。
一つ目、チオットとトチェドの仲直りのこと。
二つ目、ニカお姉さまのこと。
三つ目、なぜ戦争が起きるかということ。
考えることがあるのはいい。手持ち無沙汰にならない。
ヌーヨドをロドゥバが見ていてくれる今だからこそ、考えたり尋ねたりができるというもの。
しかし、戦争については考えても答えは出ない。
ニカお姉さまのことは、他の誰でもなく本人に聞くしか無いだろう。
というか、チオットとトチェドについて相談できるのもニカお姉さまが筆頭だ。
図書室を出ると、裏門側にニカお姉さまと院長の姿があった。
「行ってきな」
「…………いいんですか?」
「昨晩も手ェ出したンだろ? 出来る事があンのに動けねェのは嫌だわなァ」
「ありがとうございます」
ニカお姉さまは、ガッマさんたちを案内してヌーヨドの群れの居るという『割れ目』に向かうのだ。
『ゴブリン』たちを討伐に、言い方を変えれば殺しに行く。
酷く不愉快な気持ちになって、私は腹の奥に重いものを抱えたまま動けなくなった。
ニカお姉さまになんと言えばいいのだろう。
気を付けて。
行かないで。
どちらも言えない、私はどうにも動けなかった。苦しく、悲しかった。
「イウノ」
ニカお姉さまが私に気付いて手を振ったけれど、私は応えることが出来なかった。
ニカお姉さまは少しだけ複雑そうに微笑むと、身を翻して階段に向かった。部屋に戻って準備をするのだろう。
対して院長先生が頭を掻きながら私の方に歩いてくる。酷く面倒くさそうに、だが、魔女の笑みは絶やさずに。
「言って後悔する位ならそもそも言うなっての。そう思うよなァ?」
「…………ニカお姉さまの過去の話ですか?」
院長先生は頷いた。ニカお姉さまが人を殺した。そのことについて、お姉さまは口にしたことを後悔しているのだという。
私は息を吸いながら考えた。本当だったらどうする? どうなる? 私とニカお姉さまの関係は変わるのか?
「答え合わせを聞く気はあるかい?」
「ええと……」
私が今、何が嫌なのか。
それはニカお姉さまの過去のことではなく、今現在のことなのだ。
「院長先生、私はニカお姉さまが『ゴブリン』の討伐に参加する事が嫌なんです。
何故ニカお姉さまが行かなければならないんです? そもそも……なんで武器を持って追い立てなければ行けないんですか?」
自分でも、酷く意地悪でわがままな質問だと思った。
だが、聞かずには居られなかった。
「そいつは難儀な感情さね……一応聞かせてもらうが、あいつが人殺しだって話は聞かなくていいのかい?」
「今のニカお姉さまを私は知っていて大好きなので、ちょっとビックリしましたがどうでもいいです。
むしろぎこちなくなっちゃって謝りたいくらいです」
そうとも、過去は過去。今は今だ。
チオットは『タピルス』でもチオットだし、ボゥお姉さまは『亜人狩部隊』だったとしてもボゥお姉さまだ。
だから、私は今の私がよく知るニカお姉さまを信じるだけだ。
「ひっひっひ、そりゃァいいや。イウノお前……いつの間にやら大きくなったね」
「背は最近伸びてませんけど……?」
私の頭を院長先生はポンポンと叩いた。いや、そういう意味ではないんだろうけどさ。
「いいかイウノ。聖典によると偉大なる神はこの世界を作り給うた後に六色の世界龍を生み出された。
しかし完全な世界は世界外の混沌からの侵略の手によって崩されたとされてンよな」
「邪神ですね?」
「そうだが、そりゃ嘘さね」
私は瞬きした。いきなり何の話を始めたのか、脈絡も何も分からない。
しも嘘? 聖典に書いてある事を嘘と断言したの?
「ええと?」
「アタシゃ禁書扱いになった初期の聖典を読ンだのさ。
それによると邪神は最初からこの世界の存在だ。昔の人間が自分たちを正当化し、権力を掴むために、邪神どもを外から来た敵対者にしたかっただけさ。
その証拠に、完璧で完全な善人なんて存在しない。
世界もヒトも、善と悪の両方で出来上がってンだよ。
どれだけ外面がよくとも、必ず欲望がある。悪心を抱く。そして同様に、どんな悪人でも、必ず優しさがある。愛がある…………分かるかい?」
「分かります」
私がお金に負けたように、憎悪と偏見にまみれていたように、弱い部分はきっと誰にでもある。それは納得が行く。理解できる
そして、高慢で差別主義で口うるさいロドゥバでも、仕事は真面目だしヌーヨドに優しいところもちゃんとあるのだ。
「邪神は夜に潜むように、人の心の闇にも潜む。アタシの心にもイウノの心にも潜んでる。
イウノ、お前は自分の中の『戦争の赤い星』が怖くて仕方ないのさ。そして、誰もがそうであると信じてる。
逆にニカは、誰かの中の『戦争の赤い星』を全く信用していないのさね」
院長先生の説明に、私の中にあったもやもやがパッと晴れた。悩んでいたことの答えがすっと胃に落ちたのを感じる。
私とニカお姉さまと、みんな同じなのだ。
自分と他人の中の悪意や暴力を信用できないから、身を守るために備えねばならない。
「だから戦争はなくならないし、ニカお姉さまは『ゴブリン』から修道院を守りに行くんですね」
「そういう事さね」
タイミングよく、腰に短剣を差して小さな荷物を持ったニカお姉さまが出てきた。
私は手を振り、大きく叫んだ。
「ニカお姉さま! 怪我しないでくださいね!!」
ニカお姉さまは一瞬驚いて目を見開くも、ニヤッと笑って力こぶを作ってみせた。




