その04 原因
「この虫見てみたいヨ! 頭に大きなツノ! 強そうヨ!」
私たちがどれくらいの時間思考停止したいたのか、とにかく私とロドゥバと司書先生が正気に戻ったのは、ヌーヨドの歓声のお陰だった。
「ひぐっ、ひっく……ぐす……っ」
「え、ええとチオットちゃん……?」
「泣かないで〜、本が濡れちゃうよぉ〜」
「と、とりあえず何がありましたの? 突然怒ったにしても、理由があると思いますわ、」
こないだも言われたけど、こういう所が本当に司書先生。
ロドゥバの建設的意見を聞きながら、とりあえず私はチオットを抱きしめて背中をさすった。
「わ、わから……分からない、の……トチェドが、トチェドが……急に……」
メソメソと泣くチオット。きっとチオットは本気で、少しも分からないのだ。
私は、トチェドの怒りの原因になりかねない事がいくつか思いついた。そして、昨晩のことがとどめだったのではないかと考えると血の気が引いていた。
「でもさあ、あんなに怒ってるトッチーはじめて見たよ〜?」
私もだ。だからってここでそうやって追い打ちをかけてもチオットは泣きじゃくるばかりである。
「わたくしは高貴な侯爵令嬢なので平民の不敬は決して許しませんが、トチェドさんはその……庶子であり、身分には寛大ではございませんこと?」
ロドゥバなりの慰めに苦笑い、それだとトチェドのフォローになっちゃう。
「ええと、チオットちゃん。トチェドが嫌がるような事をした記憶ってない……?」
「ぜ、全然……少しも……ぐすっ」
私は深呼吸した。
これはアレだ。トチェドは積もり積もった鬱憤がある。確実にある。
「トチェドが優しいから、諦めたり許してくれてるだけとかは?」
「え……? その……私……何か頼んだりは……」
つまり、無意識でやっているのね。
私はロドゥバを見た。ロドゥバも何か察したようで……いや、首を傾げている。
ちなみに司書先生はすでに私に任せて通常業務に戻っていた。
こういう時は院長先生かニカお姉さまかトチェドなんだけど……ニカお姉さまは今日は何だか怖いしな。
「昨晩の事とかは?」
「???」
「ああ……貴族ながらに美しい体型とはかけ離れた平坦さのトチェドさんが、チオットさんのその修道服の上からでも分かる傑出した肉体美に……嫉妬を?」
惜しい! というか、トチェドとチオットの関係というか、トチェドの性別についてロドゥバが知らない以上は、この推理は案外冴えている。
私は男の子の気持ちなんて分からない。
でもトチェドがチオットのことを悪しからず思っているのは見て分かる。
好きな子にベタベタされる。とは?
ヌーヨドや他の子供に懐かれるのとは違うだろう。恋愛には疎いので全くイメージが湧かないぞ。
「もっと感覚的な事かもよ、言葉で説明しにくいような」
「例えば何ですの?」
「距離感が近過ぎるとか」
「あうぅ……」
腕の中でチオットが震えた。そう言われると思う所があるのだろ合う。
チオットは人見知りでひっこみ思案、よく知らない相手には高い壁があるせいか、懐いた相手にはベッタリになる。
どこにでも着いてくるし、目が合ったらすり寄ってくるし、隙があれば抱き着いてくる。
距離感がゼロ過ぎて戸惑う部分もあった。
「距離感がないのは遠慮したいですわね」
「ロデュバ、いやヨ?」
「子供が甘えるのとは訳が違いましてよ」
「あうあぅ……」
チオットのダメージが蓄積している。そろそろ話を変えないといけない。
「分からない事を話すよりも、トチェド本人に聞いてみるのは……」
「食事の時や授業時に隣に座る程度ならともかくとして、用もないのにトイレまで同行したり、無闇に手を繫ぎたがったり抱きついたりは、人間性を疑いましてよ」
「うぅぁ……うわぁぁ〜〜ん!!」
致命傷だったようだ。
泣きながら飛び出して行くチオット。しかし私も口にしなかったとはいえ、似たようなことを考えていた。一概にはロドゥバを責められない。
「あー……やっぱり貴族だと、そういうの無いの?」
「当然ですわ。他人と触れ合うなど品のない」
「貴族だと家族間ですらボディランゲージは稀だね〜、あいさつ代わりに肩に触ろう物ならば叱責されちゃうよ」
そんな事を言いながらも、ロドゥバはヌーヨドの頭を撫でていた。私の視線に気付いたのか、赤くなってそっぽを向く。
「ヌーヨドはロドゥバが好き?」
「すきヨ! やさしい! ィゥノもすき!」
私は満足して頷いた。それ以上は必要ない。
他人に甘える事も、甘えられる事もなかったロドゥバが、無条件で甘えてくるヌーヨドに感化されているのは確実だろう。
私にはそれが良い変化だと思えるが、しかし指摘してはいけない類のそれだとも思う。
あんなに『人間以外のヒト』を嫌がっていたロドゥバ。今のロドゥバは彼女の理想である貴族像とはズレているはずだった。
ならば、そのすり合わせが済むまでは放っておくべきだろう。
懸念はヘアルトかな。
「チオットもトチェドが好きだから、やっぱりトチェドに話を聞くのが先かな」
「そうだね〜」
「ロドゥバも、ヌーヨドに疲れたら言ってね」
「何をおっしゃいますの?」
「子育ても友達も、確かに付きまとわれ過ぎたら疲れちゃうよ。よく知ってる」
しばし、ロドゥバは冷たく私を見つめた。だがすぐにその視線は氷解し、本人が意識しているか分からないけど、かすかな笑みが口元に浮かぶ。
「平民ごときに頼るのはプライドに関わりますが……これは貴族の勤めではございませんので、考えておきますわ」




