その03 邪神
朝食の後、ニカお姉さまもボゥお姉さまも忙しそうで、私たちは手持ち無沙汰になっていた。
普段通りの掃除やらもあるけれど、そんな雰囲気ではない。
「何か手伝えることありますか?」
「これはちょっとやめといた方がいいとお姉さん思うな。あ、イウノ、さっきの事は忘れてね? お姉さんちょっと気が立ってたの」
いつも通りの明るく朗らかな笑みで、ウインクしながら両手を合わせるニカお姉さま。
私は、それが仮面だと知ってしまった。
「難しい仕事ですか?」
「うーん、穴を掘るだけなんだけど、ちょっと昨日は良くない夜だったみたい……少しばかり破損が酷いのよね」
「…………はそん?」
嫌な予感がした。ニカお姉さまは申し訳無さそうにしながら小声で続ける。
「昨晩ガッマが返り討ちにした『ゴブリン』の死骸よ」
「『黄昏の邪神』ですか?」
「そうね。だから今からボゥと二人で墓穴を掘るの。埋葬したら院長先生に鎮魂をお願いしないとね」
夜は邪神とその眷属の時間である。月のある夜はその勢力も弱まるし、昨晩のように丸い月の下ではほとんど活動しない。
しかし、どうやら昨晩は曇天だったようで、邪神の眷属が悪さをしたようだった。
『邪神』は夜空に紛れて地上を見下ろす四柱の敵対者である。
それらは『黄昏の愚か星』『戦争の赤い星』『狂乱のほうき星』『侵食する暗い星』という通称で呼ばれる。
魔王天冥が名を焼かれた様に、彼らの名前は不吉故に伏せられている。
邪悪なるものの名前は、口にするだけで闇を引き寄せてしまうと言われている。
四柱の邪神はそれぞれ欲望、戦争、狂気、恐怖を司る。最も身近な怪物は『黄昏の愚か星』の眷属。
それは、生き物なら当たり前の『もっと生きたい』という想いへの歪んだ答え。
『死にぞこない』である。
『黄昏』の眷属は死体に取り憑き、動き回り、他の生物に襲いかかる。
多くは野ざらしの死体に入り込むため、戦争中は大暴れしたらしい。
ねんごろに弔って埋葬した死体は取り憑かれないので、どこの村でも聖職者は欠かせない。
誰だって、亡くした家族が夜中に動いて人を襲うなんて見たくないだろう。
「修道院の外には出てほしくないから、どうしようかしら。今日はリノインが起きてるから、そっちでお話を聞くのもいいかもね」
「はい」
図書室に向かうと、ちょうど院長先生が出てくる所だった。腰を叩きながら魔女の笑み。
「疲れた顔してンな。戦時中みたいさね」
「比べちゃダメですよ。私たちはまだ二日程度なんですから」
「日数の問題じゃねェからな」
戦時中、院長先生はいくつなんだろうが。少なくとも、『天冥戦乱』は経験しているはずだ。
その前にも、さらに前にも戦争はあった。
「戦争中って、もっと暗いものじゃあなかったたんですか?」
「いいや、そりゃあ偏見さね。もちろん平時に比べれば不安も多かった。制限も多い、鬱屈したものもあったとも。
だけどな、あるいはだからこそガキどもは元気に遊び回るし、制限の中で楽しみや喜びを探したのさ。
人間は喜びなくては生きていけない。暗いばかりじゃァ心が先にダメになっちまわァな」
「…………」
院長先生が頭を撫でた。子供扱いを嫌がるほど、私は子供ではない。
でも、子供扱いされる程度には子供だった。
「なんで戦争があるんですか?」
「難しい質問さね」
院長先生は魔女の笑み。だがそこには、いつものような愉快さや皮肉は一切なく、酷く寂しそうな笑みであった。
「正しい答えはアタシにも分からンよ。それは逆に言えば『どうすれば戦争をなくせるか』ということになる」
「…………」
「少なくとも、アタシは戦争をなくせなかった」
院長先生は何でも知っていて、魔女の笑みを浮かべては何でも出来て、無敵の存在だ。
そんな風に思っていた訳では無いけれど、院長先生が分からない。出来なかった。そう言われるのは少なからずショックだった。
私は、悄然としながら図書室に向かった。色んな事がうまく行かない。うまく出来ない。
聖パトリルクス修道院の歯車が上手く噛み合っていないような気がした。
そして、図書室でもそうだった。
「もう、ボクには構わないでください!」
「え、あっ……」
トチェドのこんな大きな声を聞いたのは、先日の湯浴みの時以来だ。
しかし、先日とは大きく異なる。
トチェドは明らかに怒っていた。強い拒絶をチオットに叩きつけていた。
対するチオットは萎縮し切り、涙を浮かべて硬直している。
状況を見るだに、写本をするトチェドの隣に座ろうとしたチオットがなにかを口にして、トチェドがそれに反発したようだ。
突然のことだったのだろう。司書先生も、そして別の席にいたロドゥバとヌーヨドもポカンとしていた。
トチェドは憤然と立ち上がり、チオットに一瞥もくれずに出口まで早足でやって来る。
「トチェド」
何を言って引き留めようとしたのか、私にも分からない。
ただ、トチェドは私をチラリとだけ見て脇をすり抜けて行った。
ドアが閉められる。取り残された私たちは唖然としたまま動けずに、チオットのすすり泣く声を聞いていた。




