その02 仮面
「ぜんっぜん眠れませんでしたわ」
「ボクもです……うう、助けて」
翌朝、日が昇る前から私たちは起き出していた。
「あらあら、貴族様方は繊細なご様子で。手前も石壁が冷たくであまりよく眠れませんでしたが」
いびき、歯ぎしりに加えて寝相の悪いヘアルトと、突然夜中に笑いだしたりするヌーヨドにはさまれて、ロドゥバは笑っちゃ悪いがお気の毒だった。
反対側の三人は比較的静かで、時々トチェドがモゾモゾしたいた程度である。
「今日の当番はヘアルトですの?」
「ロドゥバですよ」
「今日は当番はおやすみって言ってたよ」
「助けて……」
凝り固まった身体を伸ばしながら起きる私たち三人。幸せそうによだれを垂らして眠るヌーヨドに、ロドゥバが毛布をかけ直す。
「起きますか?」
寝起きを感じさせない声で、エーコちゃん。いつの間に起きたのやら。
「起きるよ。何か手伝えるならやりたいし」
「わたくしも、もうこんな狭い寝床は懲り懲りですわ」
「たすけて……」
ちなみにトチェドはチオットの抱き枕になっていた。はだけた脚を腰に絡めて、顔はトチェドの首筋に埋めている。てこでも動かない姿勢。
「助けなくてもよろしくて?」
「寝てる時のチオットは凶暴だからなぁ」
手足を掴んで引き剥がそうとするも、普段はありえない万力のような力。
笑いながらエーコちゃんと二人がかりで手足を外すも、立ち上がろうとしたトチェドの腰にむしゃぶりつく。
「だっ、だめッ!」
「代わりを差し出すしかなさそう。ヌーヨドでいいかな?」
「いいんですの……?」
ヌーヨドを転がしてチオットの隣へ。まったく起きない二人をくっつけて、トチェドを引き起こす。
「た、助かりました……」
修道院の壁の外にある家畜小屋のお世話はボゥお姉さまに任せて、私とエーコちゃんは水汲みや朝食の準備となった。
あの後は特別なこともなかったと聞いて、私たちは安心した。
石をぶつけられて鎖骨と肋骨を折られたアルフは、まだ寝ていないといけないらしいが、生命に別状はなく元気に高いびき。
それより驚いたのがガッマさんだ。
「クソッ、だから嫌だったンだ」
「もしかしてガッマさん、若い?」
見た目汚いしダミ声だし、おじさんだとばかり思って居たけれど、汚れを落としてさっぱりしたガッマさんはまだ二十代に見えた。
「顔がガキっぽいからハッタリが効かねェンだよ」
「あらあら? でもお姉さんはサッパリしてて好きよ。汚くて臭いより断然いいわ」
私もニカお姉さまに賛成だ。ガッマさんは悪い人ではないが、正直言って臭いには閉口していた。
「で、ガッマさんよ、この後はどうすンだい?」
「食い終わったら一度街に戻って俺の依頼主……『自警団』の幹部に応援を頼む。
『この修道院は『ワタリガラス』の親分と懇意だ』ッつうのが依頼主の言い分だ」
「そこのアホとは態度が違うね」
朝ご飯は、寝たきりのアルフに合わせて雑炊だ。例の荷物持ちの子が食べさせてあげている。
「だからこそ、一目置かれたかったンだろうよ。馬鹿が。
とにかくそのボケナスの失点もある。後は、こちらでやる」
「森の案内とかは必用ないのかい?」
院長先生の言葉に、ガッマさんは失笑した。
「正直こっちの手勢もチンピラとゴロツキだけで頼りねェ。だからって修道院にいるような女に手を借りるのは気が引ける」
「そうなの?」
「どれだけ腕が立つにしても、血腥ェ事とはオサラバしたンだろ? 表のも後で処理すっから気にすンな」
「……………………」
これでこの話はおしまいだった。
食後、ガッマさんは街に戻った。ふと見ると、ニカお姉さまが不満そうに唇を尖らせていた。
いつもニコニコ朗らかなニカお姉さま。めったに見ない表情に驚く私に、お姉さまは肩をすくめた。
「好きで居るとは限らないのにね」
「……ニカお姉さまは、修道院がお嫌いなんですか?」
私の問いに、ニカお姉さま朗らかに笑った。ああ、私は前から思っていたことに確信した。
ニカお姉さまのこの笑顔は、仮面なのだ。本心を隠すために、朗らかに微笑んでいるのだ。
「好きだよ。お姉さんは聖パトリルクス修道院が大好き……だけどね」
私の表情から、ニカお姉さまは察したようだった。いつもの笑顔が消え、代わりにびっくりする程野性的な、あるいは攻撃的な笑みが浮かんだ。
「たまには気晴らしも必要じゃないかな? なーんて、お姉さん思っちゃうんだよね」
それは私の知っている『ニカお姉さま』が絶対に見せない類の顔。
狼狽する私に、ニカお姉さまはさらに別の顔を見せた。獲物を見つけた猫のような、危険な微笑み。
「そんな顔しないでよイウノ。知らなかった? そもそもニカトール・デウランスは貴族学校で人を殺して修道院に入れられたのよ?」
「え?」
意地悪く笑うニカお姉さま、その目の奥でチラチラ揺れる暗い炎。
嘘ではない。直感的にそう感じた。だけれど私はすがるように尋ねた。
「嘘ですよね?」
「嘘よ」
返ってきたのはいつもの、朗らかな明るい笑み。仮面の表情。
嘘という言葉が、嘘なのだ。




