その08 図鑑
「おやおや、ヒヒヒ。馬子にも衣装だな」
「もう、トリシス。口が良くないわ〜」
お茶の時間に皆で中庭に集まると、開口一番院長先生がヌーヨドの修道服を褒めた。
顔は緑色だが、すっかりシスターの仲間入りだ。
「あ、ロドゥバ。さっきの肌着なんだけど」
「ああ、あのボロならもう着ないものですのでお気になさらず」
「ありがとロデュバ!」
「ドゥ! ドゥですわ! 発音が! 違いますわ!!」
「ロデュバ」
「ドゥ!」
口の形が違うんだから、発音しづらい言葉もあるだろう。それでも顔を赤くして繰り返させるロドゥバに私は笑いを堪えた。
「あら〜『ロデュバ』、下賤な『亜人』なんぞとおしゃべりして口が腐りませんか?」
「わたくしは高貴な貴族なのでしもべの軽口を許す度量はありますわ…………けれど、ヘアルト」
「ご、ごめんなさいお嬢様……」
おお、珍しくやり返した上に威圧だけで勝った。名前をわざと間違えられたのがそんなに嫌だった?
「ええと、ロデュ……ロドッバ……ごめんヨ」
「はあーーー」
物凄く大きなため息を吐いて、ロドゥバはヌーヨドの頭をぎこちなく撫でた。
「子供に無理を言っても仕方ありませんわ。好きにお呼びなさい」
「ありがとロデュバ!」
「はあーーー」
「あのアルフという男は困った奴ね。お姉さん呆れて物も言えないわ。見栄だかなんだか知らないけれど、確実に勝つなら相手の三倍用意するべきよ。
五人相手にガッマさんと二人でなんとかするつもりなんでしょう? 無謀よね」
「応援は、結局呼んでないんですか?」
「それとあの、荷物持ちの子も戦力に数えてたみたい」
「えぇ……」
プリプリと怒りながらも落ち着かないニカお姉さま。
『ゴブリン』の対処を『自警団』に任せてしまった以上は手出しを控えているのだろうが、対処に心配があるのだろう。
「最悪、お姉さんが手を貸すことになるかな」
そんな風に言いながらもニカお姉さまはウキウキして見えた。気のせいじゃあなければだけど。
午後の授業は、数学初心者のための算数講座が行われていた。
生徒はロドゥバ、ヘアルト、エーコちゃん。
私たち三人は図形問題を作るという宿題を出されていたが、今日に限ってはそれはキャンセルだ。
ヌーヨドに最低限の文字を覚えてもらう必要がある。算数の授業をしている反対の隅で、私は木板とペンを用意した。
ちなみにペンと読んでいるその道具は短い棒状の木の枝の先端を尖らせただけの道具だ。
ペン先部分にインクを付けて木板に書くのだ。
「これがヌーヨドの名前だよ」
「変なグネグネ」
「文字だよ、記号を並べて言葉として読むの。覚えれば本が読めるよ」
「本……虫の本もあるヨ?」
「虫……?」
そういえば朝は、石をひっくり返してダンゴムシをつまみ出していた。
虫が好きなんだろうか。好きなもののためならやる気が出るというもの。
「ちょっと聞いてくるね、木板になにか書いてていいよ」
さっと図書室に移動して、司書先生から虫に関する本を二冊ほど借りる。
絵本と、絵の入った図鑑。
「なにか書いてる?」
「コロコロ!」
グーで握ったペンで、丸を書くヌーヨド。小さい子そのままだ。私はまずペンを握り、その持ち方を示してみせた。
「ご飯の時にロドゥバが言っていたでしょ? スプーンの持ち方をしてみて」
「こうヨ?」「そう」
私は絵本を開いた。色とりどりの虫、数ページのお話。
「はな?」「虫よ?」「ええ〜」
どうやらヌーヨドは写実的な方がお好みらしい。図鑑を開くと目を輝かせた。
「むし! すごい! 本物みたいヨ!」
白黒の絵だが、それでもヌーヨドは大興奮だった。かぶりつくように絵を眺めている。汚されると困るので、その手からこっそりとペンを抜き取る。
「なにかいてるヨ? なに!?」
「名前と、種類、季節と居場所、特性かな……」
「むし……こんなにたくさんいるのヨ……? ぜんぶ名前あるのヨ……?」
羊皮紙で30ページ位の図鑑は、各ページに四段ずつ虫の絵が書いてある。
百種類程度、よく見かける虫ばかり。それでもヌーヨドには驚くほどに多く、きらめいて見えるようだった。
私は請われるままに文字を指差しながら読んであげた。幼年学校のたくさんの子供達を相手にしているときとは違って、一対一での読み聞かせは少なからず気恥ずかしくて、少し悲しかった。
弟が生きていたら、五歳ぐらいだ。
きっとこんな風に好奇心旺盛で、読み聞かせをしたらすごく喜んだだろう。
「どうしたィゥノ?」
「なんでもない」
そうとも、これはヌーヨドには関係のないこと。
勉強の時間が終わった後、私とヌーヨドはニカお姉さまに呼び出された。
お姉さまは大きめの木板に絵を書いていた。重なった二重円、神様のシンボル。そこから伸びる線は旧街道だ。
「悪いんだけれど、『割れ目』の場所を教えて欲しいの。ここが修道院、森を抜けて、踏みしめられた道があったのは知ってる?」
「知ってるヨ、この線からが森か?」
淀みなく答えるヌーヨドに、私は不安な気持ちになった。このままでいいのか。この先をさせていいのか。
ダメな気がする。これは、やってはいけない気がする。
「ニカお姉さま、その……」
「やめとく?」
私の考えを、お姉さまはすぐに汲んでくれた。
ヌーヨドに『群れ』の住処を言わせるのは、彼女の家族を差し出させるのと同じことだ。
ヌーヨドは野生の『ゴブリン』の生活が合わずに逃げてきた。そこまではいい。
だが、野生の『ゴブリン』たちを追い立てる役割を負わせるのは間違っていると思う。
「ヌーヨド、言わなくていい。あなたの家族に危険が及ぶよ」
私の言葉に、ヌーヨドは一瞬キョトンとし、すぐに頭を振った。
「あいつらはバカ、悪いやつらだヨ。ヨドは奪わなくても生きてけるって教えてくれたヨ。
そのヨドを殺したやつらだ。あの『群れ』はおれの『群れ』じゃないヨ」
『ホブ・ゴブリン』は家族への依存度が低い。
本に書いてあったのを私は思い出していた。




