その04 警告者
その晩は何事もなく過ぎた。
翌朝、朝のお仕事の為に家畜小屋に飛び込んで、私は眉をひそめた。毛布を四枚とも使って高いびきのアルフさん。隅で震える男の子。
二人の関係を私は知らないけれど、正直アルフさんは好きになれない、子供に優しくできない大人は嫌い。今度からこっそりと呼び捨てにします。
「おい嬢ちゃん、周辺に尖った杭だけの簡単な罠を張った。囲いと畑への道を外れンなよ」
「あ、おはようございます。昨晩はありがとうございます」
充血した目で不機嫌そうに話しかけてきたガッマさんに、私は頭を下げた。
この調子だとこの人が一人で罠を設置して不寝番までしていたとしてもおかしくはない。
「こっちも仕事だ」
「卵は好きです? あ、でも今日は少ないなぁ」
「知らねェ野郎が三人もいっからな、緊張してンだろ……暖かいなら残飯でいいぜ」
見た目と口調は悪いが、ガッマさんは案外喋っていて怖くない。私は汚れた藁を片付けて羊や山羊を放牧に出す。
空は白んできている。ガッマさんの仕掛けた罠は巧妙に隠されているのか、注意して見ないと見当たらない。
柵の周りに紐が張られ、躓いた先に尖った杭がある。確かに簡素な罠だが、引っかかったら大怪我だ。
私は動物たちを柵に誘導した。次は家畜小屋の掃除……という所で私は硬直した。
柵の端に緑色の物体がある。鮮やかな緑ではなく、灰色がかった暗い緑だ。
それは子供くらいの大きさで、頭が大きく痩せていた。顔の側面に付いた両目、ピンクの角が顎の下に並んでいる。
手には石。湿気た土の付いた拳よりも大きな石から、丁寧に土を取り除いていた。
感情を感じさせない両目が細められ、異様に大きな口の端が持ち上がる。
「ご、ご、ご…………」
「ハサミ! 石の下! 尻にハサミある虫がいる! ニョロニョロ! ニョロニョロもいっぱい!」
「ガッマさ〜ん!!」
私は悲鳴を上げた。弾かれたように緑色がこっちを見る。誰が見ても。ゴブリン』だ。キンキンと甲高い声でなにか言っている。
手は握り拳より大きな石、柵の向こうにいるから投げつけられたら一方的に攻撃される!?
背中は向けられない。背中が汗でびっしょりだ。いや、汗だくだからではなく、背中を向けたら石を投げつけられかねない。
ガッマさんが来る気配はない。『ゴブリン』は手にした石を背後に投げ捨てた。投げ捨てた?
「見ろ! 丸くなる虫! コロコロ転がる! コロコロ!」
「ええと……?」
『ゴブリン』は満面の笑みで、いや、顔の造作が全然違うのに満面の笑みだと分かる笑顔で手のひらを突き付けてきた。
感情を感じさせないってさっき言ったよね? 嘘でした。びっくりするくらい表情豊かだ。
そしてその手に何があるのか。ダンゴムシである。
ダンゴムシ?
ご存知だろうか? 小指の先くらいの大きさの甲虫で、触ると丸くなる。
転がして遊んだり、器に貯めたりと子供に大人気の虫である。
「ダンゴムシ……?」
「あ!」
『ゴブリン』は私の返事に驚いた。びっくりして文字通り飛び上がる。
腰にボロ布を巻いただけの半裸で、肋骨が浮いている。武器らしいものは持っていない。なんだコイツは、私は理解が追いつかない。
「きいて! ここ、襲われるヨ!」
「…………何に?」
「おれの群れ! バカばっか! 人間襲ってあれ奪うてヨ!」
『ゴブリン』が指さしたのは羊だ。私はゾッとした。すでに『ゴブリン』は聖パトリルクス修道院を認識していて、しかも襲う計画を立てている?
「なんで……?」
「肉ともこもこ、欲しいヨ」
食べ物と毛皮か。これから冬になるのだから、それは欲しいだろう。
「じゃなくて、なんであなたはそれを教えてくれるの?」
『ゴブリン』は首を傾げた。反対側にも傾ける。
「おれ、バカきらいヨ」
んんん?
「おれの群れ、バカしかいない。次考えない。襲う、奪う、今はできてもいつかできなくなるヨ。その時、群れが襲われる、奪われる」
「あなたは、どうしたいの?」
「しごとくれ」
「…………はい?」
思わぬ言葉、しごと。仕事が欲しいの? 奪ったり盗んだりじゃなくて、仕事?
「しごとすれば温かいねどこと毎日のメシかあると教わったヨ。しごとをくれ」
「ええと…………」
つまりこの『ゴブリン』は略奪者が嫌になって手に職付けたいってことか。
私は困惑した。これが『役立つ・ゴブリン』てやつ? でも、どうすればいいんだろう。
「嬢ちゃん、そいつァ俺が見張る。大人呼ンで来い」
「うひゃっ!?」
いつの間にやら忍び寄っていたガッマさんに声をかけられて私は飛び上がった。
振り向くとガッマさんは抜き身の短剣を構えていた。
「少し待て『ゴブリン』。ここのボスを呼ぶ。
早くしろ嬢ちゃん、アルフが起きたら問答無用で殺されンぞ」
そうは言うけど、ガッマさんも『自警団』で、『人間以外のヒト』を排除しようとしているんじゃないの?
「…………ガッマさんはいいんですか?」
「そいつァ『働き者』だ。話も通じてる。襲っても来なかった。無駄に殺す必要はねェだろ?」
私は納得した。そして安心して後を任せて院長先生を呼びに行く。
でもその前に、私は振り返って『ホブ・ゴブリン』に声をかけた。
「私の名前はイウノ、あなたは?」
「ヌーヨド!」
『ゴブリン』の名前って、面白い響きね。




