その08 暴露
私にとっては大変都合が悪いが、ロドゥバの態度から見てトチェドの推論は正しそうだった。
残念だ。大変残念で仕方がない。
私にとってはロドゥバは傲慢で邪悪な『貴族様』であった方がいいのだ。
だって私はロドゥバが嫌いなのだから。
夕飯と朗読会を終え、子供たちの広間を消灯した私たちは、戸締まりも済ませて自室に戻る。
普段の修道院には常夜灯はない。まだ月が大きいので、比較的明るいのだが、それでも夜は暗い。
子供たちのいる一週間だけ、中庭とトイレに常夜灯が設置されている。夜中にトイレに行きたくなって真っ暗で行けないのも困るし、暗いトイレでは落ちる危険があるからだ。
消灯から半刻後、|兎の半刻(午後9時)の修道院は恐ろしいほどに暗く、静かである。
明かりの届かぬ建物の影には異様に暗い陰が凝り、黒よりなお黒い絶黒を形作る。
その闇に目を向けるのは賢明ではない。夜は邪神の眷属の時間である。
六色の世界龍の一頭『冬を呼ぶものイスワーン』は月と冥府の守護者だ。今晩はまだ月があるだけいい方だ。イスワーンの加護がある。
新月の晩にはどこにでも死霊が跋扈し、邪悪な怪物が活性化するという。
どんなに平和な場所でも、夜は危険な時間なのだ。それを勘違いして、命を落とす者は古今東西数多にある。
そして、同時に。夜は人を詩人に変えるようだ。
あるいは、思考を続ける事で恐怖から心を守っているだけなのかもしれないが。
微かな物音、靴に布を巻いて足音が立たないように工夫している。しかし夜の静けさの中で衣擦れの音は思いの外大きく響く。
ゆっくりと木戸を開けて女が一人顔を出す。ウィンプルを付けていない。明るいハシバミ色のショートカットが揺れた。
木戸を閉めて、忍び足で広間に向かう女。常夜灯の灯りでその横顔が見えた。
もう十分だろう。私は茂みから音を立てて立ち上がった。
「ヘアルト」
「ひえっ!?」
驚きの声をあげる元メイド、誰もいないはずの場所で、突然声をかけられたのだ。当然の反応だろう。
「だ、だ、誰かと思ったらイウノさんじゃァございませんか、こんな真夜中にどう致しました?」
「それはこっちのセリフだよ、灯りも持たずにどうしたの?」
ヘアルトは、見咎められないためににランタンを付けていなかった。
「と、トイレですよトイレ。夜中に急に催しまして」
「そっちはトイレじゃなくて子供たちの寝床だけど」
ヘアルトが目を泳がせる。
「そういうイウノさんはどうされましたか!?」
「言ってなかったっけ? 不逞の輩が子供たちに近付かないように見張りがいるんだけど?」
「え゙」
嘘だ。そんなのを置いたことはない。
今日が初めてであり、そして同時に捕まったのもヘアルトが初めてだ。
「そ、それは、良くない方がおられるものですね。子供に邪念を抱くだなんて……」
語るに落ちたな。私は嘆息した。だがこのままでは埒が明かない。トドメを頼むべく、私は合図を送った。
私とヘアルトの話を聞いていたもう一人の人物に。彼女が、この腐れメイドに引導を渡してくれる。
「…………観念なさいヘアルト。イウノは貴女の悪癖を承知の上で、謝罪の機会を設けてくれていたのですわ」
「げげェッ、お嬢様ァ!!?」
私同様に潜伏していたロドゥバが立ち上がる。夕飯の後、事情を説明して同行してもらったのだ。
「は! イウノさん。よもやこの高慢な差別主義者の言う事を真に受けた訳ではありませんよね?
いいですか、この女は平民の参加するお茶会には出ないし、平民教師の授業はボイコットするような真正差別主義者のなのですよ!」
「え? 本気で? ドン引きなんだけど」
「本当も本当! 平民を連れて歩くなんて恥知らずとか言っちゃうレベルで! 平民差別が過ぎて何度も呼び出されるも無視しまくったせいで放校になった間抜けなのですよ!」
私がロドゥバを見て、背筋が凍った。自己弁護に忙しいヘアルトは気が付いていない。
まさかロドゥバがいつもみたいに顔を真っ赤にして怒ったりせずに、仮面みたいに青ざめて無表情でいるなんて。
それでも私は意を決して尋ねた。これは、尋ねなければならないことだった。
「ロドゥバ、教えてくれたっけ? この卑怯者が何をしたのか」
「馬鹿に……馬鹿にしないでくださいまし……」
ロドゥバは震える声で低く応えた。よく見るとその全身も小刻みに震えている。
あ、これは危険なやつだ。私はすぐに行動した。ヘアルトに飛びついて押し倒したのである。
「ぐえっ!?」
「ロドゥバ! 殺しちゃだめ!」
「え? ええ!? し、しませんわよそんな事!」
正気に戻って真っ赤な顔で否定するロドゥバ。でも近くに武器や花瓶があったら間違いなく手加減無しで殴る顔をしていた。
私は安堵の息を吐いた。そしてヘアルトの腕を拘束しながら話しかけた。
「ロドゥバに何を聞いても答えないんだよね」
「うう、嘘でしょう? 痛い痛い痛い」
前に授業でおばあちゃん先生に教えてもらった通り、腕を背中側に引っ張っての拘束。すごく痛そう。
だが、それでも手加減できない。
ロドゥバは何も話さない。ヘアルトが何をしたのか、何をしたいのか。それ自体が自分の恥だというかのように。
そして私は失敗した。悔しくてたまらない。心の底からの大失敗だ。悪い言葉が出そう!
「あーあチクショウ、時間を戻すか記憶を無くす魔法ってないのかな」
「はあ? この平民は何を突然おっしゃりますの?」
「痛い痛い、ちょっイウノさん……それ、折れそうやめてッ」
「ロドゥバの弱み、聞かなかったことにできないかって」
ロドゥバの顔は見ものだった。




