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異世界恋愛短編

攻め落とせ! 三冠王!

【注意】

・ゆるい世界観

・天然・ポンコツ・ボケしかいない。

それでも許せる方はどうぞ


 生きる脅威、魔物と共存するグレイリーフ大陸で、人間は常に命の危険にさらされていた。


 畑を荒らし、家畜を襲い、また住む場所さえも奪う魔物は、もはや災害に等しい存在だった。


 そんなある年、グレイリーフ大陸に転機が訪れる。


 陸、海、空の頂点に立つ三体の古龍種の討伐に成功した若者が現れたのだ。


 陸海空を制したその若者はのちに『三冠王』と呼ばれるようになる。


 ◇


 グレイリーフ大陸の東側に位置する国、イーシス。そこは自然豊かで魔物も多く生息している、いわゆるド田舎の小国だ。


 そのイーシス国の城下町に英雄はいた。


「コンラート~、今日も来ているわよ~」

「へ~い」


 母親に呼ばれた青年、コンラートはエプロンと手袋を脱いで、家の表に出る。


 そこには、可愛らしい刺繍がされたケープを羽織った少女が待っていた。


 亜麻色の髪に、愛らしい桃色の瞳をした彼女は、コンラートが現れると嬉しそうにポケットから一通の手紙を取り出す。


「こ、これ……本日分です!」

「ああ、いつもありがとう」


 両手で持つ手紙をコンラートは受け取ると、少女は嬉しそうに笑う。その笑みを見る度にコンラートは複雑な気分になるのだ。


「あのさ、いつも悪いんだけど……オレは貴族の子とは結婚するつもりはないんだけど」

「はい! 存じ上げております!」

「いや、そうじゃなくてね……オレはしがない肉屋の跡取り息子で……」

「はい? 存じて上げておりますが?」


 不思議そうに首を傾げる彼女に、コンラートは静かに項垂れた。


 ◇


 グレイリーフの三冠王コンラートといえば、この国で知らぬ者はいない。

 敵を見定める観察眼。ずば抜けた戦闘センス。カリスマ的な指揮能力。弱冠という若さで三冠を手にしたコンラートだが、生まれも育ちも下町で、しがない肉屋の息子だった。


 事の始まりはコンラートが十五歳の時。この国の男児は魔物の脅威から国を守るために十五歳から三十歳までの間に一定期間、魔物討伐隊に所属する義務がある。


 所属中に亡くなる者も少なくないため、所属期間は選べる。長男は結婚し、跡継ぎを生んでから入隊する者が多い中、肉屋の跡取りであるはずのコンラートは「なら、早めに終わらせよう」と十五歳で入隊したのだ。


 ほそぼそと小型の魔物を狩っていたコンラートは、そのうち城下町の外に潜んでいた大型の魔物と対峙することになる。その魔物の名前はマンティコア。俗にいう魔獣である。


 そのマンティコアの討伐に成功したコンラートは、次に山にいる飛竜狩りを命じられた。産卵期で狂暴化している飛竜の群れを狩ったコンラートは、巣から失敬した卵をゆでながら思った。


(オレ、思ったよりも肉を捌く才能があったのでは?)


 そこからとんとん拍子で出世街道を走り抜けた。


 本来二年任期のはずが、その優秀さに国王直々に任期の延長を打診された為、コンラートは二十歳まで魔物討伐隊に所属することになる。その間に隣国の魔獣討伐に派遣されたり、突如人里に現れた古龍種を他国と連合して討伐することになったりしたこともあった。


 あれよこれよと戦場を駆け抜けていたら、気づけばコンラートは三冠王の名を手にし、一躍時の人となったのである。


 こうしてコンラートは任期を全うし、現在実家に戻って肉屋で働いていた。


 そんなある日。


「あ、あ、あのっ!」

「ん?」


 店の前に一人の少女が現れたのである。


 亜麻色の髪を丁寧に結わい、愛らしい桃色の瞳をした彼女は、刺繡入りケープを羽織っていた。


(貴族のお嬢さんか?)


 いくらおしゃれをしているとしても、彼女が身に付けている衣服は上質なものに見える。下町の娘ではないことは明らかだ。何度か貴族階級の人間に会う機会があったコンラートは、彼女がどこかのお嬢さん、もしくはその関係者だろうと思った。


「へい、らっしゃい」


 コンラートはいつも通りに接客に徹すると、彼女は小さく俯いてしまった。


(なんだ……?)


 小さな声で「えっと……その、えっと……」と同じ言葉を繰り返した後、黒板を指さした。


「こ、これください!」

「…………豚の頭だけど、持って帰れる? 結構重いよ」

「えっ⁉」


 彼女はぎょっとして黒板を見た後、顔を真っ赤に染めて再び俯いてしまった。


(もしかして……この子、お使いを頼まれた使用人か?)


 コンラートが実家に帰ってきてから、平民から貴族まで物見遊山気分で来店する客もいた。それを機に肉を買ってリピーターになる客も少なくないため、意外に貴族の使用人が買い物にくるのだ。


(黒板を見ないで指さしてたし……もしかして、怖がらせたか?)


 コンラートは強面でなければ、威圧するような態度をとったつもりもない。しかし、かつて同僚や上官から「時々お前から覇者の波動を感じる。控えろ」と言われることがあった。自分では分からないが、知らず知らずのうちに脅かしてしまったのかもしれない。


「もしかして、間違えた?」


 なるべく優しい声色で話しかけると、彼女は耳まで真っ赤に染まった顔を上げた。


「い、いえ! か、買います!」

(マジかよ)


 喉元まで出かけた本音を飲み込み、コンラートは豚の頭を包んで「まいどあり」と彼女に手渡すのだった。


 ◇


 そして、彼女は翌週も現れた。


「あ、あ、あ……あのっ!」

「へい、らっしゃい……ん?」


 亜麻色の髪、桃色の瞳。忘れもしない、豚の頭を買って帰ったあの少女だ。


 先週はこわごわとした様子で包んだ豚の頭を抱えていたのをコンラートはよく覚えていた。


「ああ、先週のお嬢さんか」


 そう口にすると彼女はぱっと目を輝かせ、何度も大きく頷いた。


「豚の頭はどうだった?」

「あ……ええっと……」


 彼女は再び俯いた後、何かを決意したかのように顔を上げた。


「や、屋敷の料理長の指導の下、解体、調理して、みんなで美味しくいただきました!」

「へ……?」


 コンラートは思わず素っ頓狂な声を上げる。


「もしかして、君が解体して調理したのか?」

「はい! 力がいる作業は料理長の力を借りましたが、頑張りました!」

(本当に頑張ったな~~~~~~~~~~~~~~~」


 豚の頭はだいぶグロテスクだ。肉屋のコンラートも最初は忌避感があったのに、まさか自分で解体するとは。


(見る限り年下だろ? 根性あんなぁ、この子。料理人見習いか?)


 今も、小さく俯いて指をもじもじさせているが、コンラートの中で彼女の評価が変わった瞬間だった。


「それで、今日は何を買いにきたの?」

「え……こ、これです!」


 そう言って、彼女は先週同様に何も見ないで黒板を指さした。


「…………本当にこれ買うのか?」


 彼女は改めて黒板を見た後、大きく頷く。


「……か、買います!」


 先週豚の頭を買って帰った彼女の言葉を信じ、コンラートは店の奥から黒板に書かれた品を連れてくる。



「……まいど」

「めぇ~」



 縄で繋がれた子羊が元気よく鳴くのだった。


 ◇


 次に彼女と会ったのは、その一か月後だった。


「こ、こんにちは……っ!」


 以前よりも表情が柔らかくなった彼女は、しっかりとコンラートの顔を見ていた。


「ああ、君か……」

「あ、ああ、あの……」

「ん?」


 彼女は言いにくそうに何度も口を開閉させた後、手で顔を覆って俯いた。


「先月購入した子羊ちゃんは、畜産農家さんのご指導の下、命を美味しくいただきました……っ!」

(本当によくやるな、この子⁉)


 まるで業務連絡のように感想を言っているが、いくら仕事でも生き物の命を奪う経験はつらいものがあるだろうに。罪悪感で苦しそうにしている彼女を見ていると、コンラートは少し心配になってしまう。


「それで、今日は何を買いにきたんだ?」

「あ……いえ、きょ、今日は……違うんです」

「ん?」


 彼女はポケットから一通の封筒を取り出すと、深呼吸をしてからコンラートに頭を下げた。


「わ、わわわ、私っ! ハミルトン侯爵家の者です! こちら、どうぞお納めください!」

「え、ああ」


 きっちり両手で差し出された手紙をコンラートは反射的に受け取ると、彼女は顔を上げた。その顔は、ゆで上がったかタコのように赤く染まっている。


「それでは! 私はこれで!」

「え……ああ、まいど?」


 脱兎のごとく立ち去る彼女を見送り、コンラートは渡された封筒を見つめる。


 花の意匠が箔押しされており、可愛らしくも上品なデザインだ。

 あて名はコンラートになっているが、肝心の名前は書いていない。


(読んでみるか)


 封筒の封を切ると、同じ柄の便せんが顔を出す。そこには可愛らしい女性の筆跡でこう書かれていた。


『コンラート様。

 二年前、魔物に襲われていたところを助けていただきました。その時からお慕いしております。』


 短くまとめられた文章に、コンラートは困惑した。


(やべぇ、心当たりが多過ぎていつのことか分からねぇ!)


 魔物に襲われている人を救助することなど日常茶飯事だったため、相手の顔を覚えられない。恩を感じてコンラートに惚れたという女性は多く、三冠王の名を得た後は、そのブランドを目的に近づく貴族や王族も現れたのだ。


(ハミルトン侯爵家ってどこだ? 偉い貴族っていうのは分かるが国は? 領地は?)


 おそらくあの少女は、ハミルトン侯爵家の使用人でお嬢様に手紙を渡すように頼まれたのだろう。


 魔物討伐隊にいた頃からコンラートに手紙を届けに来る使用人は後を絶たない。


 陸の王者、伏龍アースクレイドスを倒した時には各国から「うちの養子に!」「うちの子と結婚しない⁉」「土地も爵位もあげる!」と声がかかったが、実家を継ぐ必要があるコンラートは、王族や貴族の嫁を貰うなんて考えられなかった。


「どーっすかなぁ……いや、これをラブレターと受け取るにはまだ早いか」


 ファンレターともラブレターとも受け取れる文面を見つめながら、コンラートは頭を掻くのだった。


 こうして、彼女とのやり取りが二か月ほど続いた。


 はじめは短い文面で好意を伝え、討伐隊にいた頃の質問ばかりのファンレターのような内容だった。次第に文章量が増え始め、コンラートの好きなもの訊ねてきたり、彼女が買っていった肉の感想が書かれるようになり、今ではおすすめの調理方法や皮の上手な剥ぎ方、部位の切り分け方を相談するようになっていた。


(このハミルトン侯爵家のお嬢様は何モンだ⁉)


 さすがのコンラートも、動揺を隠しきれなくなっていた。


(一体、どこの世界に皮の剥ぎ方とか部位の切り分け方とか聞いてくるお嬢様がいるんだよ!)


 そう思いながらも彼は懇切丁寧な図解付きの手紙をしたため、彼女に渡すと返って来た手紙がこれである。


『いつもお慕いしております。先日頂いた助言を下に綺麗に皮を剥ぐことができました。剥いだ皮はベルトや鞄の持ち手に使うことになり、いつか出来上がったものをコンラート様にも見ていただきたいです。部位の切り分け方について丁寧な図と一緒に説明くださりありがとうございました。先日、お世話になっている畜産農家の方からも『つい数か月前まで泣きながら解体していたとは思えないほど、肉切り包丁を振り下ろす手に迷いがなくなりましたね』と褒めてくださることが増えました。これからも精進していきたいと思います』


(コイツ、確実に練度を上げてきてやがる!)


 地位と権力を盾にして愛を垂れ流す手紙は数多くもらったが、愛を定型文の挨拶にした手紙をもらったのは初めてだった。


(おいおい、なんだこのお嬢様は……? ファンレターにしたってこれはちょっと違うのでは?)


 ふと、コンラートは海の王者、海龍リヴァイイアスの討伐時に同舟した他国の兵士を思い出した。


(そういえば、憧れの人がやっている趣味を自分も始めたくなるって前に言ってたな……)


 彼は連合部隊の中でも変わり者で有名な男だった。恋や愛などとは違う言葉では表現しきれない思いを『エモい』と言い、憧れの存在を『推し』と呼んでいた。


『推しの趣味がアロマでさぁ~! 軽い気持ちで始めたら意外に奥深くてハマっちゃって! 自分でアロマオイル作るようになって、今ハーブを育てるところから始めてんだ!』


 うっかり趣味の域を超えそうな勢いだったが、好きというものは人にどんな影響を与えるか分からない。あのフローラルな香りを纏った彼は今も元気にしているだろうか。


(あの子の主人、陰で肉切り令嬢とか呼ばれてないといいが……)


 もし、社交界でそんな風に呼ばれていたら、少し責任を感じてしまう。


(しかし、あの子も大変だな。こんな破天荒なお嬢様の為にうちの店まで毎週来てくれるんだもんな)


 毎週手紙を届けてくれる彼女の名前をコンラートはまだ知らない。いつも手紙を渡した後、黒板に書いてあるオススメを買ってすぐ帰ってしまうのも理由の一つ。あと、彼女は恥ずかしがり屋なのか、もしくはコンラートが怖がらせてしまっているのか、話しかけると俯いてしまうのである。


(もうお得意様みたいな感じだもんな。もう少し仲良くなって世間話する仲になってもいいんじゃ……)


 そうすれば、この手紙の主のことも聞きやすくなる上に、彼女自身のことを知りたいという思いがあった。


(よし、飴ちゃんでも用意して帰りに渡してあげるか)


 コンラートは休憩時間にちょっといいお菓子屋へ足を運んだのだった。


 ◇


「あ、あの!」


 いつも通り、彼女はやって来た。彼女が手紙を渡した翌週は、黒板に書かれたオススメを買い、コンラートは返事の手紙と一緒に持って帰っていく。


「ああ、ハミルトン侯爵家の。今日もオススメ買うのか?」

「は、はい! お願いします!」

「まいどあり」


 コンラートは肉の包みの他に、先日買った小さな箱入りの飴を差し出したと、彼女は目を大きく見開いた。


「あ、あののっ! これ!」

「ああ、おまけ。お得意様だし、いつも重い肉を運んで帰って大変だろ?」


 コンラートが用意したのは、赤から桃色にグラデーションが入った飴玉だ。この飴を見つけた時、某知人が『推しの概念』と言って、推しの瞳の色に似た雑貨やモチーフを買いあさっていたのを思い出し、思わず手に取ったのだ。


「綺麗でしょ? そんな高いものでもないし、馬車の中で食べて」


 コンラートがそう言うと、ぱぁっと彼女の顔が明るくなる。こわごわとした様子で飴を受け取った。


「あ、ありがとう……ございます……」


 大事そうに抱えた彼女は、眉を下げて困ったように笑う。軽い下心があったとはいえ、そんな健気に笑いかけられると、コンラートも落ち着かなくなってしまった。


「気にしないで。いつもお使いお疲れ」

「おつ……?」


 彼女はきょとんとした後、いつも通りコンラートに頭を下げて帰っていった。


 そして、翌週。


「今週分です! お納めください!」

「あ、どうも……」


 彼女はいつも通り手紙をコンラートに手渡すと、すっと顔を上げた。


「あ、あっあああっ、あのっ!」

「ん?」

「あっ! 飴、ありがとうございました! 美味しかったです! 大事に大事に食べてます! では、また来週!」


 彼女はそう言うと、何も買わずに帰っていった。あっという間に姿が見えなくなり、コンラートは頭を掻いた。


「もしかして、気を遣わせちゃったかな……」


 ちょっといいお菓子屋の飴だったが、そんな感想をもらうようなものではない。いつも買った肉に対しても感想を残していくが、もしかして癖なのだろうか。


「っと、それよりも手紙だな……」


 前に渡した手紙には簡単に「いい鞄になるといいですね」とか「そんなに上達したんですね」とか当たり障りのないことを書いた気がする。


(自分で肉を捌くご令嬢だ。ちょっとやそっとじゃ、驚かねぇぞ)


 コンラートが封を切り、手紙を開いた。



『親愛なるコンラート様

 かねてからお慕いしております。

 先日コンラート様のお店で購入しましたお肉も美味しくいただきました。次回は燻製に挑戦したく存じます。

(中略)

 さて、こうして手紙のやり取りをさせていただき、しばらく経ちますが、交際を前提に友達になっていただけないでしょうか。良い返事をお待ちしております』



「…………?」


 コンラートは一度眉間を抑えた後、再び手紙に目を向ける。特に、最後の文章。



『交際を前提にお友達になっていただけないでしょうか。』



(このお嬢様、正気か⁉)


 まさか、今までの手紙はラブレターのつもりで書いていたのだろうか。となれば、あれは趣味ではなく花嫁修業の一環だったのかもしれない。


(いやいや、いくら肉が切れるようになったからって言って、貴族のお嫁さんはもらえないって!)


 古龍種討伐で一役買ったコンラートでも、身の程を弁えるくらいの謙虚さはある。コンラートはただの肉屋の跡取り息子で根っからの庶民思考なのだ。


 討伐隊に参加していた時に稼いだ金はあるが、決して一生遊んで暮らせるような金額ではない。少しずつ切り崩しながらお金を稼げば、子どもの世代に少し残してあげられるくらい。ドレスや宝石を買うような贅沢だってさせてあげられないし、苦労を掛けるに決まっている。ましてや、今でも魔物討伐で駆り出される時もあるのだ。


(努力をおしまない姿勢は好ましいが……いくらなんでも住む世界が違い過ぎる!)


 コンラートはどうやってお断りするか、必死に頭を悩ませるのだった。


 翌週、いつも通りに彼女はやってきた。


「こここここ、こんんにちは……」


 いつも以上に緊張した様子で声をかけていた少女に、コンラートは複雑な思いを抱える。


(きっと、絶対に返事をもらってこいって言われてるんだろうな……)


 しかし、すでに断ることを心に決めているコンラートは、一度咳払いする。


「あ……先週の手紙のことなんだが……」

「は、はいっ……」


 ぴしっと背筋を伸ばした彼女に向かって、コンラートは申し訳ない気持ちで口を開く。


「悪いけど、お付き合いはできないんだ」

「っ⁉」


 彼女は桃色の瞳が零れ落ちそうなくらい大きく見開き、そのまま固まってしまった。

 相当な主人想いなのか、その目には涙がうっすらと浮かんでいる。


「な、なぜですか……?」

「なんでって……。住む世界が違うっていうか……実家を継ぐから、贅沢もさせてあげられないし、苦労もたくさん掛けるだろうし。言うほど甲斐性があるわけでもないしさ。貴族のお嬢さんみたいな子はお嫁にできないというか……」

「………………」


 コンラートの言葉を聞いて、彼女は小さく俯いてしまった。


 もしかしたら、主人にどう伝えるか悩んでいるのかもしれない。


(しまったな……いつも通りに手紙に書けばよかったか?)


「…………ます」

「え?」


 声が小さすぎで語尾しか聞こえなかったコンラートが聞き返すと、彼女は勢いよく顔を上げる。桃色の瞳は涙で大きく揺れていた。


「明日も、来ます! よろしくお願いいたします!」

「え? ええっ⁉ ちょっと⁉」


 彼女はそう告げると、コンラートの制止する声も聞かずに走り去ってしまった。


 その場に残されたコンラートはぽかんと彼女がいなくなった方向を見つめる。


「また明日って……どういうこと……?」


 翌日、彼女は宣言通りやって来た。再びラブレターを添えて。


「こちら、本日分です!」


 いつものおどおどした雰囲気とは違い、迫真に満ちた様子で手紙をコンラートに突き出した。

 勢いに飲まれたコンラートは反射的に受け取ってしまう。


「え、あ、はい?」

「それじゃ!」


 そして彼女は脱兎のごとく走り去っていく。


 コンラートは封筒の封を切ると、中の手紙を要約すると『せめてただのお友達からでも!』という内容だった。


(意外に押しが強いな!)


 こうして、週一だった彼女の訪問は、毎日店にやってくるようになり、コンラートはひたすらに困惑する。手紙をもらうたびに「住む世界が違う」「貴族のお嬢さんとはお付き合いできない」と断っているのだが、「いえ、そんなことはないです! わりと庶民じみてます!」とか、「そんな大層な身分じゃないですから!」と手紙で返事が返ってくる。


(侯爵家が庶民じみてるっておかしいだろうよ……いや、ご令嬢に肉の解体させてたり、剥いだ皮を加工しようとしたり……ハミルトン侯爵家って特殊な家なのか?)


 ハミルトン侯爵家はもしかしたら変わり者集団なのかもしれない疑惑がコンラートの中で浮上する。


 今日もらった手紙には『肉の種類によって包丁を変えるようになり、マイ包丁の数が増えました。手入れをするのは大変ですが、綺麗にサッと肉が切れると嬉しくなります。最近のお気に入りは骨スキ包丁です。』と書かれているのを見ると、彼女は令嬢として変わり者の域を超えているかもしれない。


 そんなこんな断り続けること二週間が経過した。


「こ、これ……本日分です!」

「ああ、いつもありがとう」


 差し出してくる手紙をコンラートが受け取ると、彼女は嬉しそうの頬を緩めた。そんな彼女にコンラートは少し複雑だ。なんせいつもお断りの返事を持って帰らせているのだ。横柄な主人であれば、コンラートが断り続ける理由を彼女のせいにして八つ当たりするだろう。


 しかし、根気よくラブレターを書いてくる彼女の主に、コンラートは頭を痛めた。


「あのさ、いつも悪いんだけど……オレは貴族の子とは結婚するつもりはないんだけど」

「はい! 存じ上げております!」

「いや、そうじゃなくてね……オレはしがない肉屋の跡取り息子で……」

「はい? 存じて上げておりますが?」


 不思議そうに首を傾げる彼女に、コンラートは静かに項垂れた。


(つまり、分かっていて手紙を出してるってことか……?)


 貴族によっては、結婚相手を探すのに難儀している家も多いと聞いたことがある。もしかして彼女の主人は姉妹が多く結婚相手を自分で探しているのだろうか。


「それならいいんだけど……君、主人に怒られたりしてない? ちゃんと返事もらってきてるのかって」

「え、はい。ちゃんと返事をいただいてますし、例え、返事をいただかなくてもお嬢様が私を怒りませんので大丈夫です。それでは、明日またきます!」


 そして今日も颯爽と帰っていく。初めて会った時に比べ、はきはきとした話し方に変わり、走り方も様になってきてないだろうか。


「ラブレターを渡してきたのが、彼女だったら良かったんだけどなぁ……」


 おどおどとした態度は小動物を見ているような愛らしさがあったが、毎日会うようになって少しずつコンラートを見るようになってきた。


 以前、豚の頭や羊を捌いたと言っていたし、もしかしたら主人と一緒に作業をしてたのだろうか。


(健気で可愛いし、全身からいい子感が滲み出てるんだよな。いっそ、手紙の主があの子だったら……いや、あの小動物みたいな見た目で肉切り包丁を振り下ろしてたら、それはそれで恐ろしいが……)


 あの子が無骨な包丁を握りしめている姿が想像できない。


(さて、今日の分でも読むかな……)

「おっ、コンラートいるじゃん!」

「ん?」


 明るい調子で声をかけてきた相手に顔を向けると、笑顔が眩しい好青年がコンラートに手を振っていた。


 太陽のごとく輝くプラチナブロンドの髪。海を閉じ込めたような鮮やかなブルーの瞳。周辺諸国の王侯貴族達からイーシスの女殺しと言わしめた甘いマスクの青年はこの国、イーシスの第四王子、ザインだ。


 彼とは山で飛竜討伐に参加した時からの知人だ。


「また城を抜け出してきたのか、この不良王子」

「そう言うなって親友! 久しぶりの再会なんだしさ!」

「んで、店にやって来た理由は?」


 そう訊ねると、ザインの甘いマスクがたちまち情けない顔に変わった。


「また振られたっ! 慰めて、親友!」

「あのなぁ……」


 店先でするような話ではないので、店内に案内し、適当に用意したお茶と菓子を出した。


「何連敗中だよ。もう諦めろ」

「やだやだやだやだ! オレは彼女を諦めたくない!」

「一国の王子が我儘いうなよ」

「オレはオレのことを好きにならないあの子がいいんだ!」


 ザインは女殺しと言われながらも、言い寄られることが多い顔面と肩書のせいか、自分を好きにならない女性を好きになる困った男だった。


 空の王者、雷鳴竜マガゼウスの討伐前夜に『オレ、この戦いが終わったら、あの子にプロポーズするんだ』と意気込み、その後意中の子に告白をして見事玉砕した。


 彼の兄達は政略結婚だが、古龍種の脅威も去って、四番目の王子となると無理に政略結婚する必要もなくなり、ザインはまだ独り身。本人に意中の子がいるので周りは大人しく見守っている状況だった。


「相手はまだフリーなんだろ? そんなに結婚したいなら、相手の親を丸め込んだ方が早いんじゃねーの?」

「なるほど! その手があったか! 頭いいな、親友!」

「…………なるべく嫌われないように慎重に動けよ?」


 非人道的な行為はしないと信じているが、この男は少し変わっているので、釘を刺すつもりの言葉だった。


 しかし、ザインは曇りなき眼でこう言った。


「あっはっはっはっ! 何を言っているんだ、コンラート。私は、自分を好きにならない女が好きだ」


 本当に困った男だ、コイツは。


「ところでお前はどうなんだよ? 今も色んなところから求婚されてんじゃないの?」

「まあ、前よりは減ったが……」


 実は、ハミルトン侯爵家のお嬢さんの他にも熱烈なラブレターをもらうことがあった。

 その筆頭がこの国の公爵令嬢、ザインの従姉妹である。


 彼女はコンラートが初めて古龍種の討伐に成功した時から、その肩書を目的に求婚をしていた。彼女は金と権力で物を言わせる典型的な御貴族様だ。押しても引いても靡かないコンラートに痺れを切らした彼女は、とうとうコンラートの実家に圧力をかけた。さらに変な輩を雇って営業妨害まで始めたので『実家が潰れそうで大変なので、魔物討伐には参加できません』と国王陛下に報告してから、それはぴたりと止んだ。その後、公爵家から謝罪の手紙が届いたが、あまりにも馬鹿らしい内容に慰謝料として一年ほど定期的に肉を購入してもらうことにした。


 その後も頻繁に従者が彼女の手紙を届けにやってくるが、コンラートは絶対に受け取らなかった。


「なあ、ザイン。最近、社交界で『肉切り令嬢』とか呼ばれてるご令嬢とかいないか?」

「なんだよ、そのサイコホラーみたいな肩書。そんなご令嬢いるわけないだろ」

「ああ、そうか。なら良かった」


 どうやらハミルトン侯爵家のお嬢様は、ちゃんと社交界ではご令嬢をやっているらしい。その事実にほっとしていると、ザインはにやりと笑う。


「何々? 今度はどんな女に求婚されてるんだ?」

「あー……いや、ハミルトン侯爵家っていうところのお嬢さんなんだけどさ……」

「ハミルトン侯爵家?」


 ザインはぽかんとした顔で言った。


「確か……そのご令嬢はすでに婚約者がいて、来年結婚するはずだが?」

「………………は?」



 ◇



「セシリー、お帰りなさい。今日はどうだった?」


 ハミルトン侯爵家の令嬢、アンジェリカは帰って来たばかりの使用人、セシリーに声をかける。

 セシリーは桃色の瞳を曇らせ、小さく俯いた。


「今日もダメでしたっ! 一体私の何がいけないんでしょうか⁉」

「あらあら……」


 長く家に仕えてくれているセシリーは、アンジェリカと姉妹同然に育ってきた。少し臆病で心優しいセシリーは大陸の英雄とも言える三冠王、コンラートに恋をしたのである。


 まだ彼が三冠王の肩書を手にする前、魔獣が小型の魔物達を引き連れ、ハミルトン侯爵家の領地に住み着くようになった。そこでアンジェリカと共に王都へ避難していた道中で、魔物に襲われたのである。


 馬をやられ、馬車は破壊され、セシリーが身を呈してアンジェリカを守ろうとした時、コンラートが現れたのだ。


 いとも簡単に魔物の薙ぎ払ったコンラートはセシリーの頭を撫でてこう言った。


『魔物を前に、主人を守ろうとして偉かったな』


 この時、セシリーは十四歳。恋に落ちた瞬間だった。


 それから彼女はコンラートの活躍を耳にするたびに嬉しそうにアンジェリカに報告するようになり、古龍種討伐の凱旋パレードの時は、アンジェリカがお休みを上げたくらいだ。


 そんな彼に求婚する女性が後を絶たないという噂を耳にしてから、セシリーはどこか心あらずな状態だった。しかし、その求婚を全て断り、爵位も受け取らずに実家に帰ったと聞いて気持ちがまた浮上したセシリーに、アンジェリカはこう提案した。


『そんなに好きなら告白してくれば?』


 アンジェリカは現在、王都の貴族学校に通っており、来年卒業する。それを機に婚約者と結婚し、王都を離れてしまうのだ。


 もちろん、結婚先にセシリーもついていく予定だったが、コンラートに恋焦がれるセシリーの姿を見て、応援したくなったのだ。


 幸い、彼が求婚を断っている理由は、実家を継ぐため、貴族の娘は嫁がせられないということ。その点、セシリーはまだ望みがある。


『セシリー、私はあなたのことを妹のように思っているわ。あなたの恋を応援してあげたいの。でも、王都にいられるのは長くてあと一年しかないのよ。想いを伝えるのは今しかないわ』


 そう言ってアンジェリカはセシリーを送り出したが、何がどうしてそうなったのか、彼女は豚の頭を買って帰って来た。


 無理やり買わされたのかと問いただせば、彼女は「自分の意思で買いました! 責任もって調理します!」と料理長に教えてもらいながら調理していた。


 その翌週は小さな子羊を買って帰ってきたのだが、そこでようやく彼女は「緊張してお話が全然できなくて……」と白状した。


 そこでアンジェリカは手紙を書いたらどうかと提案し、それから文通のようなことをしているようだった。


 最近では自分で肉を切り分け、調理し、料理長が言うにはマイ包丁まで持っているらしい。


 しかし、コンラートはセシリーの手紙をラブレターではなく、ファンレターと受け取っている節があり、さらにいえば、二人の距離感は店員と客という域を出ることはなかった。思い切って交際を前提に友達になったらどうかとアンジェリカは提案してみることにした。


 しかし、「振られました!」と泣きながら帰って来た。


 なんでもコンラートは自分とは釣り合わないと言ってきたらしい。


『確かに私はコンラート様と釣り合うような子じゃないかもしれませんが、諦めきれません! もっとアタックしてきます!』


 毎日通い詰めて二週間。

 セシリーは落ち込み膝を抱えていた。


「どうしてでしょう、お嬢様……」

「うーん、でも手紙は受け取ってくれるんでしょ?」

「はい……私は貴族令嬢ではありませんし、嫁ぐ覚悟もあります! お肉だって上手に切り分けられるようになりました! でも、コンラート様は釣り合わないって言うんですぅうううう!」

「うーん……コンラート様は何が釣り合わないと思ってるのかしら?」


 こう見えてセシリーは思い切りがいいし、器量もいい、容姿だって悪くない。他家の使用人の男の子がひそかにアプローチしていたことだってアンジェリカは知っている。


 過去に第四王子がコンラートを無理やり社交界に参加させたことがあり、彼を近くで観察していたが、富や名声に囚われるような性格ではないことは確かだ。


 第四王子の従妹、アレクシア・ノーディス公爵令嬢から熱烈なアプローチを受け、それを袖にしていたのだ。


 アンジェリカはセシリーの姿を改めて確認する。


 綺麗にまとめられた髪、薄いながらも映える化粧。好きな男の人に会うために、上品かつ可愛らしいものを選んでいる。使用人とはいえ、侯爵家に仕えているのだ。それなりにお金もあり、平民層よりも裕福に見える出で立ちかもしれない。


「もしかして、セシリーのことを貴族だと思ってるのかしら……?」

「え……でも、手紙にはそんな身分じゃないって……」

「セシリー、会話でも言葉のニュアンスによって伝わらないこともあるわ。手紙でのやり取りならなおさら。明日、彼に手紙を出す前に、私に見せてくれない?」


 そうアンジェリカが言うと、セシリーは小さく頷いた。


「お嬢様になら……」


 その夜、セシリーはコンラートに渡す手紙を書いて、アンジェリカの部屋まで持ってきた。


 アンジェリカはそれを呼んで小さく首を傾げる。


(うーん……文頭と話の話題は独特だけど、貴族のお嬢様に間違えられるような文面には見えないけれど。お肉や包丁のお話だし……ん?)


 アンジェリカは最後まで読んだ後、再度読み直し、そして声を上げて笑った。



「もうやだ、セシリーったら! あなた、自分の名前を書き忘れてるじゃない!」



 ◇


 ザインがやって来た日の翌日、コンラートは頭を抱えていた。


(ハミルトン侯爵家のご令嬢が来年結婚する? それなのに交際を前提にお友達からって言ってきたのか?)


 まさか弄ばれていたのだろうか。求婚を断る以外、貴族の女性から恨みを買うようなことをした覚えはなかった。


(いたずらか? いや、手紙を届けにくるあの子からはそんな感じには見えなかったし……)

「こ、コンラート様!」


 不意に呼ばれ、ぎょっと店の外に顔を向けると彼女がいた。


 いつもよりも可愛く着飾り、化粧もした彼女は歴戦の戦士のような気迫を背負っている。


「え……らっしゃ……」

「私、ハミルトン侯爵家に仕えるセシリーと申します!」

「え、あ、はい。ご丁寧にどうも」


 そして、彼女はビシッと封筒を突き付けてきた。


「こちら、本日分! どうぞお納めください!」

「あ、はい……」

「それでは!」


 彼女、セシリーはそう言うとすぐさま立ち去って行った。


 まるで嵐のような登場に、コンラートは呆然としてしまう。


「あの子、セシリーって名前なのか……あっ⁉」


 封筒を見ると、いつもは書いていないあて名に彼女の名前が書いてあった。


『こちら、本日分! どうぞお納めください!』

「まさかっ……⁉」


 すぐさま封を切ったコンラートは手紙に目を通した。


『親愛なるコンラート様

 私、ハミルトン侯爵家に仕えているセシリーと申します。

 手紙に名前を書くことも、口で伝えることも失念していたことをお許しください。

 今までお渡ししていた手紙は全て私が書いたものです。

 二年前、私が仕えているアンジェリカお嬢様と共に領地から王都へ避難する道中で、コンラート様に命を助けられたその日から、お慕いしております。

 侯爵家に仕える身ではありますが、爵位も持たない平民の生まれです。どうか交際を前提にお友達になっていただけないでしょうか?』


 手紙を読み終えたコンラートは、また手紙を読み直し、そして封筒にかかれた名前を確認する。


 今まで書いていた手紙は、ハミルトン侯爵家のご令嬢ではなく、いつも手紙を届けていた彼女のもの。


 亜麻色の髪に、愛らしい桃色の瞳。最初はおどおどしていて小動物のような印象の少女。



「あの子、あんな可愛い顔して肉の解体してる上に、マイ包丁まで揃えてんの⁉」

「コンラート~~~~っ!」



 両手振りながらコンラートを呼ぶ男の姿が見えた。



「可愛いあの子と婚約が成立したぞ~~~~っ!」


 それは満面の笑みでやって来たザインだった。


「展開早くね⁉」


 ◇


(言えた! お嬢様、私、ちゃんと名前を言えました!)


 セシリーは頬がどんどん熱くなっていくのを感じながら、馬車が待っている場所まで走っていた。


 今まで振られ続ける理由をよく考えれば分かることだったのだ。


 彼は三冠王。国内の貴族だけでなく他国からも求婚されるような相手なのだ。令嬢達から送られるラブレターだって、使用人が届けているに決まっているし、自分が「ハミルトン侯爵家の者です」と伝えれば、セシリーの主人からの手紙だと勘違いするだろう。


(お嬢様が王都を離れるまであと半年弱! コンラート様にアプローチし続けるのよ!)


 セシリーに残された時間は少ない。それでもお友達からと言ったのは、ひとえにセシリーが男性との交友経験があまりないからだ。


 アンジェリカと姉妹同然に育ってきたセシリーは、他家に仕える女性を話す機会は多かったが、年の近い男性とはあまり口をきいたことがない。ハミルトン侯爵家に仕える使用人達もセシリーよりずっと年上だった。


 たとえ、この恋が成就しなかったとしても、セシリーはアンジェリカと共に王都を離れるだけ。そうなればほとんど王都に戻ることはないし、時が経つにつれて彼への想いも薄れていくだろう。


(どうしよう……返事が怖いわ! 振られても何度もアタックしたし、しつこい女だって思われてそう……)


 いっそう次の訪問は数日ほど空けた方がいいかもしれない。


 セシリーは走る足をさらに速めた。いつも逃げるように帰るおかげで、ここ数か月で駆け足が早くなったと思う。熱くなった頬にあたる風が少し心地いい。


 セシリーは馬車の近くまで来ると足を止め、呼吸を整えてから歩き出した。


(さあ、この後は荷物運びよ! 頑張らないと!)


 いつもセシリーは買い付けのついでに馬車に乗せてもらっている。最近、肉を運んだり、切ったり、焼いたりと力作業がばかりしているおかげで、筋力もついてきた。乗せてもらった分、しっかり働いて返さねば。


 乗って来た馬車を見つけると、セシリーは足を止めた。


 ハミルトン侯爵家の馬車の前に豪奢なドレスを纏った女性が立っているのである。


 太陽のように輝くプラチナブロンドの髪を綺麗に巻き、真っ黒なリボンで結っている。大輪の薔薇のようなドレスは、まるで相手を威嚇する鎧のようにも見えた。


 彼女はセシリーの存在に気付くと、射殺すような視線を送る。



「この泥棒猫めぇぇえええええええええええええ!」

(ええええええええええっ⁉ 何事ぉ⁉)



 令嬢とは思えないドスの利いた声で怒鳴られ、セシリーは声も出なかった。



「あなたですわねぇ! わたくしのコンラート様につき纏っている卑しい女はぁ!」

(ひえぇ⁉)



 彼女はズカズカとセシリーに近づくと、目じりのつり上がった海色の瞳で威嚇する。



「わたくしはノーディス公爵家のアレクシア! この馬車の紋章……あなた、ハミルトン侯爵家の者ですわね! 一体全体、どういう了見でわたくしのコンラート様に近づいているのかしら!」

(はわわわわっ! どうしよう!)


 ノーディス公爵家のアレクシアといえば、コンラートに執心している令嬢の筆頭だ。しかし、彼女はコンラートに何度も振られているとアンジェリカから聞いていた。


「わ、私はただ、コンラート様と仲良くなりたくて……」

「まあ! 使用人の分際でなんて図々しいのかしら! 三冠王のコンラート様に釣り合うはずがないのに!」


 ぐさりとセシリーの胸にアレクシアの言葉が突き刺さり、小さく俯く。


 釣り合うはずがない。それはコンラートにも言われた言葉だ。実際にコンラートは魔物どころか古龍種を討伐した大陸の英雄だ。そんな彼にただの平民の自分が釣り合うなんて思ってない。


「その点、わたくしは公爵家の生まれ! 彼の名声も、地位も、全て補うだけの権力と地位がありますわ! もちろん、多額の持参金も! まあ、コンラート様はわたくしの良さにまだ気付いてくださりませんが、そんなの時間が解決いたしますわ。悪いことは言わないわ。すぐにコンラート様を諦め、彼の店に近寄らないことね!」


 たしかにセシリーは地位や権力は持っているわけでもない。お金をたくさん持っているわけでもない。彼女と比べれば、自分は何も持っていない。


 しかし、何も持っていないからこそ、せめて彼のことを知ろうとしてきた。


 セシリーはスカートを握りしめ、顔を上げる。



「わ、わたし! コンラート様が好きです!」



 そう、自分はコンラートが好きだ。魔物から助けてもらったあの時から、彼のことを片時も忘れたことはない。


 毎日手紙を持ってくるセシリーを突っぱねることもできたろうに、そうしなかったのは、セシリーが主人に手紙を渡すよう頼まれていると思っていたからだろう。渡さなければ、きっと主人に叱られると思って。彼はとても優しい。魔物討伐隊にいた頃の彼に救われた人はたくさんいる。彼に特別な使命感がなかったとしても、他人の窮地に飛び出せる人間はそういないだろう。



「私は、命を助けていただいた時からコンラート様が好きです。憧れや恩を感じてるところもあります。彼のことは店先でちょっとお話したり、お手紙のやり取りをしたりした程度のことしか知りません。でも、もっと知りたいと思いました!」


 彼はただ人にはできない偉業を成し遂げたが、その実、彼は庶民的だ。正直、彼に会いに行くまで、彼を美化かしていたところがあったが、それでも好きなことには変わりなかった。


「古龍種を討伐した後、爵位を得れば大出世になるのにそれを選ばなかった理由を、ノーディス公爵令嬢はご存じですか? さっきコンラート様が自分を分かってくださらないと言いましたが、あなたはコンラート様を理解しようとしたのですか?」

「なっ」


 図星だったのだろう。アレクシアは反論してこなかった。


「富や名声を蹴ってまで実家のお肉屋さんを継ごうという強い思いを持つコンラート様も私は好きです! たとえ釣り合わないって言われても、お金も地位も権力もあるノーディス公爵令嬢がライバルでも私は諦められません!」

「あ、そりゃどうも……」


 背後から聞きなれた声が聞こえ、振り返ったセシリーは息を呑んだ。

 驚くまま声を出せないセシリーに代わり、口を開いたのはアレクシアである。


「コンラート様!」


 アレクシアは感極まった声を上げるが、彼女を見つめるコンラートの目は厳しかった。


「ノーディス公爵令嬢、なぜ、あなたがこんな下町にいらっしゃる?」


 いつになくコンラートの冷たい口調に、アレクシアが口を噤む。声をかけられていないセシリーも思わずどきりとしてしまう。


「ザイン殿下からお聞きしましたよ? 殿下と婚約が決まったそうですね。おめでとうございます」

「わ、わたくしはあんな人との婚約を認めていません! 私はコンラート様が……」


 そんなアレクシアの言葉を遮るように、コンラートは大きなため息をついた。


「ノーディス公爵令嬢……いい加減素直になったらどうです? あなた、ザイン殿下が好きなんでしょう?」

「へ?」


 コンラートの言葉に、セシリーは素っ頓狂な声を上げてアレクシアを見た。


 顔を真っ赤にしたアレクシアは、大きく目を見開いていた。


「なっ、なっ、なっ、なっ! 何をおっしゃってますの⁉ わ、わたくしはあ、あんな人っ! 全然好きじゃなくてよ!」

「認めてください……あなたがザインを好きなことを、あなたのお父様である公爵も、国王陛下もご存じです。でなければ、昨日の今日で婚約が決まるわけないでしょ!」

「なななななななななな⁉ なんてことなの!」


 頭を大きく抱え出したアレクシアの様子にセシリーはコンラートに耳打ちする。


「あ、あの……どういうことですか?」

「彼女は第四王子、ザイン殿下が好きなんだが……その相手が曲者で、自分を好きにならない女性が好きなんだ」

(それは一体、どういうことなの?)


 頭の理解が追いつかないセシリーをよそに、コンラートは項垂れるアレクシアに言った。


「ノーディス公爵令嬢、もう腹を括ってください」

「ダメよ! あの人と婚約だなんて……わたくしの恋心を殿下に知られたら、きっと私のことを好きじゃなくなってしまうわ! そうなればわたくし、すぐに捨てられる!」

「本当に二人そろって困った人だな! 巻き込まれるオレの身にもなれ!」


 そういうと、コンラートはまたため息を零した。


「分かりました。考え方を変えましょう……」

「考え方……?」

「そう。政略結婚はいわば家同士の契約。つまり、本人達の意志だけではどうにもならない。それはあなただけでなく、ザイン殿下も同じ条件です」

「ええっと…………それはつまり?」


 不安げに見つめるアレクシアに、コンラートはこう言った。



「たとえ、好きだと相手にバレたとしても、殿下の意志で婚約解消も破棄も簡単に出来ないってことですよ!」

「あなた、天才なの⁉」

「ついでに少し御耳を拝借」



 コンラートは彼女に何かを伝えると、アレクシアは目を輝かせた。


「まあ!」


 急に元気を取り戻した彼女は、近くに控えていた従者を呼ぶ。



「なるべく早い日取りで殿下とお茶の約束を取り付けてきなさい!」


 横暴とも言える振るまいだが、命じられた従者はどこか嬉しそうに頷いている。

 そして、アレクシアはセシリーに向き直ると、きゅっと眉間にしわを寄せた。


「そこのあなた!」

「は、はい!」


 セシリーが飛び上がるように返事をすると、アレクシアは何度か口を開閉させてから、つんと顔を逸らした。


「さ、さっきは悪かったわ! コンラート様とは仲良くね」

「え」

「それでは、ごきげんよう!」


 そう言って、アレクシアは自分の馬車に乗り込んだ。まるで小さな嵐のように去っていたアレクシアを見送り、セシリーはコンラートを見上げた。


「あ、あの……彼女は一体どうしたんですか……?」

「さっき第四王子が自分を好きにならない女が好きと言ったが、実は少し語弊があってな」

「ご、語弊?」


 コンラートは大きく頷いた。


「ザインは天邪鬼な女が好きらしい」

「あまのじゃく……ですか?」

「ああ、ザインは自分を嫌うノーディス公爵令嬢のことを好きらしいんだが、なぜ好きなのか理解していないみたいでさ。他国の知人に言わせれば本当は自分のことを好きなのに、あえて好きじゃないと言ってくるノーディス公爵令嬢のいじらしさをかわいいと思ってるんじゃないかってさ」

「じゃあ、コンラート様を好きと言ってたのは……」


 恐る恐る聞くと、彼は遠くを見つめながら言った。


「オレが絶対に彼女を好きにならないって分かってるから、オレを隠れ蓑にしてザインの気を引いてたんだよ」

「……うわぁ」


 実に面倒臭い上にコンラートからすればはた迷惑なことだっただろう。


「だから、さっき彼女に『無理に他の相手に言い寄らなくても、殿下を軽くあしらうだけでも喜ぶぞ』と助言したら、安心したらしい」

「よ、よかったですね?」

「ああ、これで面倒ごとが一つ減った。それでなんだが……」


 コンラートはポケットからとあるものを取り出す。

 それは、今日手渡したばかりの手紙だった。


「こればっかりはすぐ伝えないとなと思って、君を追いかけて来たんだ」


 まさか、すぐに返事を聞かされることになるとは思ってなかったセシリーは、その場で固まってしまう。


「まずは今まで勘違いをしててごめん。オレはてっきり君の主人からの手紙だと思っていた」

「あ……いえ! 私が名乗らなかったことが原因ですので!」

「それから、申し訳ないんだけど君を助けた時のことは覚えてないんだ……任務中での人命救助はわりとよくあることだったから……」


 気まずそうに俯く彼にセシリーは小さく首を振った。


「コンラート様はたくさんの方を救った英雄ですもの。覚えてなくて当然です」


 彼が自分のことを覚えていないのは残念だが、物語のようにいかないことも分かっている。


「それで、肝心のお友達の件なんだけど……」

「は、はい!」


 思わず背筋を正すと、コンラートは小さく笑う。



「お友達と言わずに、結婚を前提にお付き合いして欲しい」

「⁉」



 予想もしていなかった返事に言葉を失っていると、コンラートはどこか気恥ずかしそうに頭を掻いた。


「勘違いしていたとはいえ、文通していた仲だし、君の主人は来年、結婚するんだろ? そうなると、最悪君も王都を離れることになる。それなら友達からなんて悠長なこと言っていられない」


 コンラートはまっすぐセシリーを見つめ、さらに続けた。


「君の素直なところや、努力家なところをオレは好意的に思ってる。それに、オレを知りたいと言ってくれたことも嬉しいし、オレも君のことを知りたいと思っていた。オレと付き合ってもらえないだろうか」

「は、はい!」



 その後、コンラートと約半年ほどの交際期間を経て、セシリーはコンラートと結婚した。


 巷では三冠王を攻め落としたことから四冠の女王と呼ばれ、周囲に茶化されながらも幸せな家庭を築くのだった。


【おまけ】


セシリー「そういえば、なんでコンラート様は古龍種を狩った後、爵位をもらわなかったんですか?」

コンラート「んー、そもそも討伐隊に早く入隊したのも家を守るだったからな……」

セシリー「家ですか?」

コンラート「さっさと任期を済ませて家を継ごうと思ってたんだよ。本当だったら逃げてもいいマンティコアや飛竜をぶっ倒したのだって、その脅威が城下まで及ばないようにするため。地面をガンガン揺らす古龍種が出てきた時は、店がぼろくて倒壊しかけたから。大津波を引き起こす古龍種が出てきた時は、国の流通が滞って王都に品が入らなくなるから。嵐やら雷鳴やら呼び寄せる古龍種が出てきた時は、贔屓にしてる畜産農家の家畜が風で飛ばされたり、ストレスで品質が落ちて仕入れが大変だったし。オレは大事な家族や家、その周りを守ってただけで、そのついでに大陸が救われただけの話で、爵位に興味がなかったんだよな」

セシリー(本当ならついでで大陸は救えませんよ、コンラート様)

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