第二話 可憐な闖入者
相変わらずの主人公たちです。
初夏と呼べる程深い春。
海夜が黄國に永住の為の界渡りをして、一ヶ月半が過ぎた。
そろそろ雨季が始まる頃だと聞くと、最近のグズつきがちな空模様も納得する。今にも雨垂れが落ちてきそうな色の空を見上げて、一つ浅く息をついた。
「どうか?」
「あ、いえ。雨が降りそうで心配だと思って。この後の授業は乗馬なので」
「この時期の課外活動はどうしても予定通りとはいきにくいですね」
授業中に違う話題を持ち出した海夜に嫌な顔もせず頷いてくれるのは、家庭教師の一人として今現在の世界の地理歴史を教えてくれる女性だ。
「水取先生は午後は士官学校の授業ですか?」
「ええ。全学年共通の教練日程も近いので、訓練地の地形図作成を行なう予定です」
訓練のために地図を作るなんて、かなり大掛かりで重要な訓練なのでは。
優秀な学者として軍に引き抜かれたという彼女は、軍部の地図作成業務と士官学校の教官を兼務している。その合間に海夜の家庭教師を引き受けてくれていて、とても多忙そうだ。
「わたしの授業を受け持っていて、大変ではありませんか?」
「そのようなことはございませんよ」
「でも訓練に参加されるのでしょう?」
「私は座学教官ですから参加はしません。各々の地形図作成力で能力値を判定することが私の役目です」
それはそうか。
軍に在籍しているとはいえ、元は学者だという彼女が火力武器の使用もする訓練現場に出ることはないだろう。軍人ではなく一般人と同等であり、しかも年明け早々に皇太子として指名を受けた人物の、少年時代の家庭教師だった女性だ。
普通の教官とは少し違った立ち位置の筈。
貴族出身だという彼女は濃い金髪に鈍銀色の瞳。
小ぶりな四角い眼鏡をかけた姿は学者然として少々堅い雰囲気があるが、きっちり結い上げられた髪や手元の爪は清潔感があるし、姿勢も美しい。少しふっくらと柔らかそうな体型は堅い雰囲気を和らげて、話しやすいお姉さんという風情だ。
桜の季節の頃にすれ違う程度で挨拶を交わしたが、こんな風に関わるとは思わなかった。
彼女を海夜の家庭教師の一人として推薦したのは、件の皇太子であり海夜の婚約者、武尊・キアリズ・黄花・サディルだった。
そして武尊の方はどうあれ、水取女史にとって彼はただの教え子ではなかったということを彼女の態度から察した海夜は、改めて教諭として紹介された時若干動揺した。
暫くはどういう態度でいればいいのか戸惑って挙動不審にもなったが、すぐにそれも消えた。
わかりやすく丁寧な指導で質問もしやすい。生徒の理解度に合わせて言葉を選び、身につけた知識の実践応用まで教示してくれる。
特に史学に於いては公正公平で客観的視点が必要になる。皇族に個人的思想を挟んで教育する教師では、色々障りがあるのは庶民育ちの海夜でもわかる。
その点で彼女は本当に優秀だ。
事実をありのまま、皇家に都合の悪い出来事も時系列に沿ってきちんと教える。その上地理にも明るい。
地理を把握してこそ歴史が理解できる、とこの国の元皇女だった祖母からも教えられていた身としては、彼女の指導姿勢はありがたい。
武尊は海夜により良い環境を選んで与えてくれている。口には出さないがそれを感じる。
大事に思ってくれているんだと。
だから、二人の過去について気にするのはやめようと思った。
(……三影くんは何もないって言ってたけど)
武尊の異母弟の三影も彼女の教え子で、二人を知る彼の言うことが一番信用できるのだろう。
……けれど。
(子どもの視点でのそういうのって、わかってなかったりするし)
男女の機微を感じ取れる子どもは一握りじゃないだろうか。特にあの鉄面皮の色々なんて。近しい間柄の人間にだって秘密事が山ほどありそうだ。
そう。
山ほどありそうだから過去を詮索するのはやめようと思った。そこに現れた水取女史によって、冴えなくていい女の勘が冴えたとしても。
海夜にとって女性の影が見え隠れすれば簡単に疑う程度には、婚約者の貞操観念への信用度は低い。だから自衛のためにも深く考えないことにした。
「はい、お疲れ様でございました。小テストの結果は上々です。さすがですね」
赤ペンを置きニッコリと微笑み掛けられて、考えていたことを素早く心の奥底に隠す。
「では本日はここまでで。次回は課外授業にいたしましょうか? 乗馬の練習も兼ねて」
「いいんですか?」
「皇太子殿下のご許可を頂ければ、ぜひ。この黄國の皇都、花王は都市自体が歴史遺産ですから。どこを訪ねても歴史があります」
楽しそうに勧める笑顔を見て、この方は本当に歴史が好きなんだわ、と可愛らしく思う。
同時にそういう人の過去の私事にやきもちを妬く、自分の心の狭さを恥じた。
過去がどうでも、海夜はこの水取女史が好きだ。落ち着いた大人の女性でありながら、好きなものに対しては常に一生懸命で応援したくなる。
それに何より。
「私も休日には夫と二人でよく歴史探訪をいたしますが、やはり現地に立つと何故そのような出来事が起こったのか、地理を通じて知ることができます。学習にはお勧めですわ」
少し頬を染めて話す水取女史は、恋する女性の顔だ。
そう。
海夜が妬いて申し訳なかったと感じたのは、彼女が既婚者であり夫を心から慕っている様子を知ったからだ。
この恋する乙女の顔を見て、思わず謝ったこともある。とても不思議そうな顔をされたけれど。
「次回は招宴の後になりますね。楽しんでいらしてくださいませ」
「はい。本日も為になる授業をありがとうございました。次回も楽しみにしています」
教科書を持って立ち上がった女史と、お互いに宮廷式の礼をして、授業終了となったところに来客の知らせが入った。
「姫さま、キアリズ殿下がお見えです。授業中なら改めるとのことですが」
「武尊が?」
侍女の眞苑の言葉に少々驚いた。
海夜の婚約者は軍部の総司令官の御大将として常に忙しく、今年に入ってからは皇太子の立場での執務も増えて激務に追われている。
昼間に皇族の住まいである奥宮に戻ることは殆どないのに、どうしたのだろう。
「あら、授業ならたった今終了したところですわ。待ち構えていたかのようですわね」
揶揄うように微笑まれてちょっと恥ずかしくなる。
取次に出ていく眞苑を見送りながら水取女史は思いついたように手を合わせた。
「でも課外授業のご許可も頂きたかったので、丁度よろしゅうございました」
「それは自分で話すので大丈夫です」
裏もなくにこやかな女史の言葉に反射で返して、自分の発言の理不尽さに気づく。
海夜は成人年齢で外出に誰の許可を取る必要もない。ただ立場上どうしても護衛の問題が発生する。そのため軍の全権を担う人物に外出の許可を確認しなければならないわけだが、その人物が婚約者なので“皇太子に許可を取る”となってしまうのだ。
教師として当たり前のことを言った女史に、海夜はおかしな反応をしてしまった。まるで武尊と会話をしてほしくないように。
明らかにやきもち由来の発言だと自分でもよくわかり、驚いたように目を瞬いている女史に気まずくて笑顔のまま固まる。
一瞬後には女史が海夜のその様子に軽く吹き出して、変な空気は流された。
「……………すみません…………」
恥ずかしくて赤面しながら素直に謝る。
過去は気にしない、なんて決めてもこの態たらく。
本当にどうしようもない。
「皇太子殿下は素敵でいらっしゃいますもの、皇女殿下のご懸念はご尤もですわ」
くすくすと笑われて縮こまるしかないが、推測の過去にやきもちを妬いた、と白状もできない。
こんな風に居た堪れなくなるのも全てはあの男に元凶があると思えてきて、不当だとわかっていても腹が立ってきた。
理不尽。わかってる。
恋ってこんなに人をみっともなくさせる。
でも好き。
だから腹が立つ。
「いいえ、先生。ぜんぶ武尊が悪いんです」
「悪口が聞こえたが、空耳か?」
理不尽極まる責任転嫁に応えた声があり、眉間が寄った。
「悪口じゃないわ」
書斎の扉口に立つ長身の人物を振り向いて口を尖らせる。
武人らしく詰襟だが飾り気のないのモノトーンの服で、右眼の黒革眼帯も相変わらず。柄頭に緑の琥珀を飾った長剣を腰に佩いて、秀麗な顔はニコリともしない無愛想さだ。
海夜の暴言に片眉を上げる姿は女の子の憧れを絵に描いたようなのに、中身が残念すぎて結婚相手候補だった女性たちに敬遠されていた。
艶やかな黒髪と黒曜石色の瞳で涼やかに立つ彼に海夜は秒でときめくけれど、その顔立ちが元凶だと思うと憎まれ口も叩きたくなる。
「武尊が格好良すぎるのが悪いんだもの」
「会話をする気があるか?」
意味がわからないと首を傾げながらも、水取女史の存在に気づいた武尊は「まだ授業中か」と平坦に確認した。
「いえ、もう退出するところでした。本日はこれで。皇女殿下からお願い事がありましたら、是非お聞き届け下さいませ」
含み笑いして退出する女史に、居た堪れなくてあらぬ方向に視線を流す。
それを見送って武尊はこちらに振り向いた。
「……お願い事?」
「えぇと……、それはまた今度。それより、どうしたの? こんな時間に奥宮に戻るなんて」
「…………午後の予定に変更ができたから知らせに来た」
「変更? わざわざそれを言いに? …………もしかして、乗馬の授業がダメになったの?」
この世界の必須だと習い始めた乗馬は楽しい授業の一つだった。
何より楽しみな理由は指導教官がこの婚約者だということがある。
せっかく同じ世界に存在しているのに会える時間は少なくて、まともに会話できない日もある。忙しいなら仕方ない、邪魔になりたくない、と本音を隠す海夜を侍女や侍衛官たちが気にしてそういう運びになった。
運動教科ならこの婚約者が適任の上、仕事として彼の予定に組み込むことができ、無理なく共有時間が持てると。
でも。
微妙な沈黙にどうやら海夜の指摘通りらしいと悟ると、周囲がどれだけ気を回しても意味がないんじゃないかとため息を感じた。
だって、乗馬の授業が始まってまだ十回にも満たないのに、予定が変更になったのは今回でもう三度目なのだ。いくらなんでも忙しすぎやしないだろうか。身体が保つのか、そっちの方が心配になる。
不満と心配の気持ちは眉間に表れたのか、彼の指がそっとそれをほぐすように撫でた。そのまま指の背で頬を撫でられて、くすぐったさについ頬が緩む。
「謝る。………すまない」
珍しく殊勝な言葉に顔を上げると、無表情の隻眼の瞳に申し訳なさそうな光がチラリと走るのが見えた。
こんなの絆されるに決まっている。
小さく胸がときめいたのを感じて、自分はなんて馬鹿なんだろうと思いながら頬の彼の手に指を絡める。
「そう思うなら、昼食は一緒にとって」
「そのつもりで戻った」
「……妥協しただけなのよ?」
「わかってる」
すかさず返された言葉に頬を膨らませると、可笑しそうに苦笑される。
本当にどうしようもない。
約束を守れないことを気にかけて直接謝りに来てくれた。それだけのことを喜んで根本的なことに目隠しをする。
だいぶ前から自覚しているこの“惚れた弱味”的な自分の思考回路。
彼のどうしようもないところも肯定してしまうこの花畑な頭は、たぶん良くないのだろう。
※
「良くないですね」
ずばりと切り捨てるのは新任の侍衛官のひとり、ユーゼリカ・倮須平少尉だ。
武尊の都合がつかなくても乗馬の授業はある。軍人である侍衛官たちは優秀な騎手でもあるから、武尊の代役を勤めてくれる。
基礎向上のため馬場を出て、皇城の中宮にほど近い林道で海夜の乗る栗毛の馬を引きながら、彼女は渋い顔をした。
「殿下を心から尊敬しておりますが、姫君とのお約束を破られるのは良くないですし、それを簡単に許されるのもいけません」
「……やっぱり?」
あっさり事実を指摘されて苦笑する。
海夜自身も自覚している“惚れた弱味”現象は、周囲から見ても困ったものであるようだ。
「キアリズ殿下も気にされていらっしゃるでしょう。側近の磋須木卿から平謝りされましたから」
「磋須木卿は苦労性でらっしゃる」
補佐のために騎乗して後ろから付いてくるのは、同じく侍衛官のオード・眞爾大尉と武尊の父方の従姉妹である薔珠・黄花・サディルだ。
武尊を庇うような物言いを聞き咎め、倮須平少尉は眉間を寄せた。
「しかし、これで三度目ですよ? 如何に姫君がお心広くとも、怒るタイミングを逃してはこれから先苦労するのでは」
「殿下の第一優先は姫君だ。それ故現在の体制変化に敏感になってらっしゃる。少しすれば落ち着くだろうが、……本末転倒であることにご本人も気づいてらっしゃるかどうか……」
息をついて薔珠がボヤくのを倮須平少尉も大きく頷く。
「姫君のご性格は殿下が一番ご存知でしょうに。ご自身のために怒ることが苦手な方を放置されるのは如何でしょう」
「そこは同感だ。だから我らがやあやあ言わねばならぬ」
頷きあう二人に苦笑して、眞爾大尉は気を取り直すように背筋を伸ばした。
「殿下は我が国の大黒柱ですから、憂いなく日々お過ごしになれるよう私たちが姫君のお側をしっかり守らねば」
「我らが殿下の代わりになれると?」
胸を張った眞爾大尉を厳しくつっこむ薔珠に笑い、海夜も反省する。
「みんなの言う通りね。わたしがもっとしっかりしていれば、武尊が責められることも減るのだし」
「殿下の耳は我らの諫言など素通りですからお気になさる必要はないでしょう。ですが、もっとご主張をされてもいいとは思います」
薔珠のしっかりした意見にその通りだとため息を飲み込む。
“皇子”である武尊にまだ慣れない、と言ったらみんなどう思うだろう。
この国で彼はなくてはならない存在だ。
そういう人の時間を自分に割いてほしいと言ってもいいのか、いまいち自信がない。
そう考えた時、先を行く広い背中がぴたりと止まったのが目に入る。
鹿毛の馬に乗り先導していた同じく新任の侍衛官、響紀・誉古継中尉だ。
自ら会話に加わることはない無口な彼が、何かに警戒するようにこちらに振り向いた。
「人影が見えます。ご注意を」
中宮の林を歩く人物なら宮廷関係者だ。身分は保証されている。
それを警戒するということは、不審な出立ちの人物だということか。
「姫君、失礼を」
軽い身のこなしで倮須平少尉が海夜の馬に飛び乗り、抱え込むように後ろから手綱を取られる。
足を止めた誉古継中尉に合流して彼の視線の先を注視すれば、確かに林道を頼りない足取りで歩いてくる人影をひとつ確認できた。
「ドレス姿……、女性ですね」
「道路管理は軍の管轄だ。悪路ゆえ立ち入り禁止の立て札もある筈だが」
「貴族女性なの? 迷われたのではない?」
「わかりません。確認してまいります」
灰色の雨雲が覆う重い空のせいで、木々が生い茂る林道は夕方のように薄暗い。性別に戸惑うのは、女性ならこの薄暗い道をひとりで歩くことを躊躇う筈だと考えるからだ。おまけに最近の悪天候で道自体の状態が悪く、この林道は使用禁止になっている。
雨季が終われば道の補修が始まるので、悪路の練習になると海夜たちは許可を得て入ったところだった。
眞爾大尉が馬を降りようとした時、人影が路面に足を取られて転ぶのが見えた。そのまま起き上がる気配のない人物に、眞爾大尉が慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか? どこかお怪我を?」
声を掛けられて、もぞりと気だるそうに動きはするが起き上がる気配はない。
「薔珠、お願い」
「は」
貴族女性では軍人男性に萎縮するのかもしれないと、中身はともかく外見は美しい女性である薔珠を見ると、彼女は心得ていると言うように頷き下馬して女性の様子を見に行く。
ややあって助け起こされた女性は、ふらつきながら海夜たちの元まで連れて来られた。
オーガンジーの重なりと花の刺繍も美しい黄色のドレスを纏い、身につけたアクセサリー類の宝石もイミテーションではない。
間違いなく貴族女性。しかもまだ年若い。海夜より年下に見える淑女だ。
定規で引いたかのように真っ直ぐな長い髪は見事な銀色で目を引く。それに印象的なアイスブルーの瞳。転んだせいでドレスは薄汚れ、手には血が滲んでいる。
こんな少女が薄暗い道をひとりで来たのか。怖かったのではないだろうか。ぶるぶる震える肩を見て気の毒になり、侍衛官たちと共に下馬して少女の顔を覗き込む。
「大丈夫? お怪我の手当てをしましょう。お名前と家名をお伺いしても……」
「………けて」
「え?」
「……助けて。助けて下さい。お願い……」
俯いていた顔を上げて必死に言い募る彼女は、それがやっとだったかのようにふっとそのまま気絶した。
支えていた薔珠が戸惑い、彼女の体を掬うように抱え上げる。
「………どういたしましょうか」
ポツポツと雨垂れが落ち始めた林道に、誰のものかわからないこの場の全員の気持ちを代弁する呟きが落とされたのだった。
お読みいただきありがとうございます♪
次回更新は11/9(土)の予定です。
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