第七話 意地悪なのに
オード・眞爾はこの日、人生で初めて腕の骨を折る大怪我を負った。
「お前、骨弱ぇな。でも簡単な手術で済んでよかったじゃん」
医務室を出た所で同期の志麻・ハングズリが追ってきた。お互いに顔から足まで絆創膏と包帯だらけだ。
「あたしの腕の傷、抉れてんだよね。縫って貰ってはあるけど完全にくっつくのに十日以上かかるって」
「そうか、大変だな」
(俺は全治一ヶ月だ)
何かと突っかかってくる彼女には辟易させられるが、この少しずれた辺りは肩の力が抜ける。
「とりあえず夕飯だな。明日には懐かしの皇都だぜ〜」
「たかだか四日の出張任務だろ。上将は数ヶ月も地方視察で、ようやくの帰都だって聞いたぞ」
「そうだ、上将。女連れ帰ったらしいぜ」
「女?」
そぐわない単語だ。
成人前に軍の頂点、御大将に着任した第一皇子は、当時軍内でもその実力を疑われていた。
しかし、四年経った今では押しも押されぬ指揮官だ。
私事は一切明かされず、成人して公式行事に出席する事も増えたが浮いた噂は聞かない。
そんな人が任務地で、スキャンダルに近いことをやらかすだろうか。
「本陣中その噂だらけだよ。ご側近の方と数時間お姿が見えない時間があって、その間に見つけてきたって」
「お役目で席を外されたって聞いたぞ。その関係の人間じゃないのか」
「さぁね。直接その女を見たわけじゃないし、ホントに女なのかもわかんねぇし」
「だったら臣下として下衆な噂に乗るなよ。邪推で上将の名誉を傷つけるのは不敬だぞ」
見かねて注意するが、それが本当なら皆の興味も頷ける。
皇族の結婚については、国民の最大の関心事の一つだからだ。
現在の皇家には皇女が一人と、皇子が二人。
後継が指名されていないことも相まって、様々な憶測も流れてくる。
これでもし第一皇子に相手が現れたとなったら、国中がどんな騒ぎになるかは目に見えた。
美形一族と名高い皇家に誇りを持つ国民が少なくない現状、相手の容姿にもかなりの関心がいくだろう。
はっきり言って、気の毒だと思う。
そんなことを考えていると、人が集まっている場所に遭遇した。
警備隊員の制服を着た者達が、回廊の壁沿いに輪を作っている。
通り過ぎ様に何をしているのか横目にすると、年若い女性を囲んで質問攻めにしているようだ。
なぜ軍の宿舎に民間人がいるのかと疑問に思った時、志麻が口にした噂話が頭に浮かぶ。
志麻も同じことを思ったのか、ニヤリとこちらに嫌な笑顔を向けた。
「邪推じゃなかったじゃん?」
「仮にそうだとしても、上将が連れて来た女性をあんな風に囲むのはヤバイだろ」
そうして踵を戻し、集団に割って入る。
「君達、一人に多数で大人げないな」
「はい散って、夕食の時間になるよ、食堂混むよー」
国境警備隊を成している大半は、皇都軍の下士官だ。
軍部の縦割り規律からいえば、士官である自分達の言葉に逆らうのはご法度である。
「少尉殿方、軍施設内に民間人がいた為、少々質問しておりました」
警備隊員達は理由を口にしたがそれは建前だろう。明らかに好奇心が顔に表れている。
「まずは上官への報告が先だろう。それを怠った時点で規律違反となるが、理解しているか」
正論を口にすると彼らはぐっと詰まった。
だがそこで意外な所から声が上がる。
「ごめんなさい。わたしが医務室の場所を訊いたから、人が集まってしまったんです」
志麻と二人で背に庇った少女が、むしろ警備隊員達を庇うように言った。
青褪めた顔でこちらを見上げている。
「……美……っ!」
彼女の顔を正面に見た志麻が、驚いて声を上げた。
その驚き方は大袈裟だと思うが、確かに滅多に見ない鮮烈な印象を残す美形だ。
少女のような幼さがありながら、大人への過渡期が絶妙に配置されている。
だがどんなに美人だろうと、第一皇子が連れて来た当人だとしたら惑わされる訳にはいかない。
気を取り直して彼女に向き直り、圧迫感を与えないように質問する。
「どこか具合が?」
「頭痛がするので鎮痛剤が欲しくて。どなたも周囲に見えなかったので、気楽に出てきてしまいました。ご迷惑をお掛けしてごめんなさい……」
最後の方は消え入るような声だった。困ったことになったと、自分でも思ったらしい。
「鎮痛剤ならあたしが貰ったやつあげるけど。医務室、まだ治療待ちの奴らが居て時間かかるよ」
「志麻、処方薬を気軽にやるな。何かあったらどうする」
「市販のと変わらない成分だから傷には気休め程度っつってたし、あのヤブ。だったら頭痛い子が使った方が、医療費の適正消費に貢献できるぜ検非違使殿。さて、どうする娘さん?」
志麻の軽すぎる提案を咎めるが、志麻は少女に選択権を持たせる。
戸惑うように瞬きした後、彼女は首を振った。
「いいえ。そのお薬はあなたに処方された物で、わたしが頂いて良い物ではないので。気休めでも痛みが和らげばいいですね」
そう言って青白い顔色のまま、にこりと微笑む。
今度はこちらが瞬きをする番だった。
提案を拒まれたのに嫌な気がしない。
それはたぶん彼女の纏う柔らかな雰囲気と、気遣いを感じる言葉のお陰だ。
志麻は毒気を抜かれたようにポカンと口を開け、声に出して笑った。
「いい子だね! なら、あたしがあんたの分の鎮痛剤貰ってきてやるよ」
「いえ、医務室の先生もお忙しいでしょうし、部屋に戻って休みます」
「じゃあ部屋まで送ってあげるよ。どこにあんの?」
「……それが、部屋を出て医務室の場所を聞きながらここまで来たので、……ここがどこか、自分の部屋がどこかもわからなくて……」
思わず志麻と顔を見合わせた。
組んだ指を恥じるようにモジモジ動かし、俯いた頬には少し朱が差している。
困っていたのは騒ぎになったことだけではないようだ。
その時警備隊の女性隊員が何かに気づき、彼女を支えるように脇に立った。
よく見ると足に怪我を負っていて、立っているのも辛そうだ。
「その足じゃここまで来るのも大変だったでしょ。どの辺りにいたのか見当もつかない?」
「……こことは少し、雰囲気が違った気がします。奥を抜けて来たので……」
「じゃあ司令本部の方から来てるの? 確かに、客室はあちらに集中してるけど幹部用の客室だし、許可がなきゃ入れない所よ」
「そもそも噂じゃ君、大占の所の子らしいじゃん? そんな子が何でここに?」
警備隊員達が好奇心のままに質問攻めにするのを防がなくては。と思うのは、自分が骨の髄まで公僕だからだ。
「君達、不躾な質問は控えなさい」
「ですが部屋の場所も分からないのでは、質問するしかないのでは」
「個人情報に触れることが滞在部屋の情報に繋がるのか」
「そうは言いませんが……。じゃあ、これは。部屋は殿下のお部屋の近くかい?」
いやそれは、個人情報中の個人情報だ。
眉間に皺が寄るのを志麻が嗤っているが構っていられない。
注意しようと口を開けた時、見た目よりもハッキリと物を言う少女が答えた。
「殿下……、あの人のことですか。知りません」
“あの人”……。
殿下を“あの人”呼ばわり。
度胸があるのか重大さをよく理解していないのか。どちらにしろ、あまり深く考えてはいないようだ。
オードと同じ感想らしい警備隊員達が若干騒つく。
「ええと、殿下を“あの人”呼ばわりはやめた方がいいわ」
「そうですか……、気をつけます。親戚だと聞いたので」
(親戚?)
聞き間違いかと思う単語が彼女の口から出て、志麻と顔を見合わせる。
さっきから気にはなっていた。彼女の話す言葉と口の動きに、若干のタイムラグがある。
よくよく耳を澄ますと声が二重になって聞こえた。奥に聞こえる言語は馴染みがないが、皇都で触れた来訪者の言葉に酷似している。
ではこの少女が来訪者だとして、こんな風に同時通訳が為されているのは誰の仕業なのか。
精霊による仕掛けだとしたらそんなことができる人間は限られるし、来訪者に精霊が違和感なく馴染むこと自体が珍しい。
そう考え、改めて少女の顔を見るとその大きな瞳に目が吸い寄せられた。
透き通る大粒の琥珀––––––炎が揺らめくような、金や橙の不思議な光を宿した。
志麻と二人、息を飲む。
皇家のお膝元である皇都で公僕として働く自分達は、厳しい試験を突破する為猛勉強してきた。
少し知識を身につけた者ならば、この瞳の色が何を表す色なのか知らぬ筈がない。
これはまずい。
彼女はこんな所を、ひとりで気軽に出歩いていていい人物ではない。
冷や汗が出る思いで志麻を見ると、鏡を見るように同じ表情をしている。同じことを察したらしい。
とにかく上に報告をと思った時、唐突に掛けられた声に、少女を除くその場の全員が肩を竦めた。
「何をしている」
全員で一斉に振り向いたそこに立つ秀麗な姿に、自然と頭が垂れる。
「そこの娘を捜しに来ただけだ。構うな」
皆の反応にそう言いながら、黒髪隻眼の皇子はこちらへと歩いてきた。
普段はきっちりと留めている高位武官の上着の襟を、今は胸元まで緩めてある。執務の合間に休憩でも取っていたような姿だった。
「怪我人が歩き回るな。何をしているんだ」
少女の前に立った一言目が叱責だ。
皆がひえ、と引いたのが空気でわかる。
この秀麗な顔でこんな風に責められたら、並の神経では竦んでしまう。
だが少女は並の神経ではなかったようだ。皇子の顔を真っ直ぐに見て反論している。
「痛み止めが欲しくて医務室に行きたかったの。突然ここに連れて来られて、手持ちが何もなかったんだもの」
「医務室なら司令本部内にもある。わざわざ離れた警衛舎に、足を引きずって来る必要はない」
「………! ……散歩も兼ねてるのよ……」
「………迷子か」
彼女は皇子の言葉に衝撃を受けた顔をした後、負け惜しみのように呟く。
その呟きを拾って皇子は息をついた。そうして皆に顔を向ける。
「この場の者には迷惑を掛けた。謝罪と共に礼を言う。ここで見聞きしたことは本陣内の守秘義務と同等だと理解して、解散してくれ」
要するに口外するなということだ。
淡々と皇子はこちらに視線を寄越した。
「貴官らは検非違使隊だな。眞爾少尉とハングズリ准尉か。怪我の具合はどうか」
名を呼ばれて覚えられていたことに驚くが、それと同時に感動も湧く。
「は。多少深い物もありますが、ご心配には及びません。いい経験となりました。招集に深く感謝致します」
「自分も同じくであります。大規模作戦への参加は今回が初めてでしたが、チームプレイの重要さをしかと学ばせて頂きました」
いつもはムスリと黙り込んでいる志麻が饒舌だ。
煌びやかな戦歴を持つ御大将に、名を覚えられていたことがかなり嬉しかったのだろう。
それは自分も同じだ。
だからその、だらしないにやけ顔をどうにかしろと言いたい。
「本作戦はご苦労だった。よく養生し、次に備えろ」
「は、ありがとうございます」
志麻と二人で胸に手を当て、頭を下げる。
少女に向き直った皇子は、プルプルと足を震わせている彼女に少々呆れ気味で声を掛けている。
「行くぞ。歩けるか」
「…………歩くわ」
「……歩けないのか」
意地になる少女の言葉の、その向こうの本音を読み取って皇子は呟く。
動こうとする少女に手を差し出そうとした皇子に、彼女はキッと鋭い視線を向けてその手を制した。
「荷物扱いしないで。自分で歩けるから」
「…………」
そうして壁伝いに歩き出した姿は、お世辞にもしっかりした足取りとはいえず覚束ない。
「……これで転ばれたら寝覚めが悪いんだが」
暫く腕を組んでその後ろ姿を見送っていた皇子は、深くため息をついて彼女に追いついた。
そうして有無を言わさずに抱え上げている。
「何なの、荷物扱いしないでって言ってるのに!」
「どこへ向かえばいいのか分かりもしないでよく言うな?」
「……! っだ、だからって声もかけずに失礼だわ!」
「声をかけたら嫌がるだろう」
「当たり前でしょっ?」
「いいから運ばれておけ。楽だろう?」
「そういう問題じゃないわ!」
「どういう問題だ」
「み、見られてる……!」
「……それは、出るなと言われた部屋を勝手に出た罰だと思って甘んじて受けろ」
「っ……意地悪……っ!! 横暴っ、性格悪い!」
「痛くも痒くもないが」
軍部の中で静かに異彩を放つ鉄面皮の皇子を見送るのに、これ程似合わない光景もない。
何とも賑やかに立ち去っていく二人の背を見送って、志麻は「殿下のお姫さま抱っこ……、羨ましい……」と柄にもないことを言っている。
あのお姫さまを見つけた時は冷や汗をかいたが、今はただ若いカップルを見送る爺になった気分だった。
※
頑張って抵抗したが解放される気配はない。
運ばれるに任せる羽目になったけれど、降ろされた部屋の中を見回して海夜は首を傾げた。
見覚えがない。
「ここはおれが執務に使っている部屋だ」
「……何で」
自分の部屋ではない所に連れて来られるとは思いもしなかった。
けれど皇子とかいうこの人は、全く気にせずにいる。
「おまえを一人にすると碌でもない。美津里殿が来るまでここで過ごせ」
「……言い方」
「黄が慌てて呼びに来たので何事かと思えば、迷子とは」
「? オウ?」
聞きなれない名に首を傾げれば、彼は微妙に嫌そうな顔をした。
殆ど無表情の癖に負の表情だけはわかり易いって、造作がいいだけに腹が立つ。
「……鈴だ」
「すず……あ、監視させてるのっ?」
返ってきた答えにすぐに思い当たって、自分の左手首の金鎖に手をやる。
「警護ならさせている。監視と感じるかどうかは、受け止め方次第だ」
飄々と詭弁を弄するその顔に、もう脱力するしかない。
(性格悪ぅ……)
「立っていないで、その辺に座っていろ」
示された長椅子にありがたく座らせて貰うと、身体が鉛のように重いことを自覚した。
怪我のある足で歩きすぎたかもしれない。
「扉は開けてある。不名誉なことはないから安心しろ」
「……当たり前でしょう」
“不名誉“と言われて何のことか一瞬わからなかったが、すぐに女性としての名誉のことだと気づき冗談じゃないと顔を背けた。
今日初めて会った男性に、不名誉な出来事と言われて容認なんてできる訳がない。
異性に不慣れな分、若干緊張はするが。
「……海夜? 体調でも悪いのか」
先程まで暴れていた勢いが急に下がって不審に思ったのか、皇子は首を傾げて顔を覗き込もうとする。
「……傷が痛むだけよ」
それよりも、と気を取り直して背筋を正す。
「わたしの名前、どうして知っているの? やっぱり何か隠しているの?」
「名前なら美津里殿から聞いた。隠しているのではなく黙っているだけだ。おいおい話す」
「やっぱり、意地悪なのね……」
ため息をついて長椅子の背に凭れると、ふんわりとした丁度いい硬さが背中に心地いい。
「一気に話しても理解が追いつかない。おまえが居た所では、精霊の存在など夢物語の一部だろう?」
海夜の長い髪に絡みついて遊んでいる小さな精霊を指摘され、それもそうか、と今更納得する。
この国に来てからトンデモな出来事が多すぎて失念していたが、日本では精霊なんて姿を見たこともなかった。
「それが普通に存在するだけでも違和感がある筈だ。まずは環境に慣れろ」
当初こそ精霊の存在に戸惑ったけれど、今はだいぶ馴染んで来た。
でも慣れたかと訊かれれば、まだよくわからない。
ただ頭に浮かんだのは、不思議な人だという、この目の前の皇子に対する感想だった。
「……あなたって、変な人。意地悪なのに優しいのかもって、ちょっと考えちゃったわ。よく、わからない人ね……」
疲れたように呟くと、その声を拾った皇子は器用に片眉を上げた。
「どんな評価だろうが特に気にはならない。茶でも淹れてやるから、そこで休んでいろ」
「え……、あなたが淹れてくれるの?」
「悪いか」
「……皇子さまって、そんなことできるの」
「おれ以外の皇族はやらない。おれは軍の訓練で野外に出ることもある。自分のことは基本、自分でやる」
そういうものか。
皇族も軍隊もよくわからないから、無理矢理納得するしかない。
テーブルに置かれたお茶は、フルーツ系の甘い香りがして気分が和らいだ。香りの通り、ほんのりとした甘みが口に広がる。
「……美味しい」
「昼食に殆ど手をつけていないと報告を受けた。食欲がなくとも水分は摂れ」
どうやら気を遣ってくれたらしい。
あれだけ意地悪を言っていたのに変なの、と思うがここは素直に頷いておく。
「おれは執務に戻る。何かあれば呼べ」
「……皆お仕事を終わらせている時間なのに、まだ働くの?」
「おれが手を止めた分だけ滞る部署もある。それは避けたい」
働いたことはないけれど、この人のペースに巻き込まれる人は大変だろうな、と何となく虎の顔を思い浮かべた。
机へ踵を返す皇子に、慌てて海夜は声をかけた。
「待って、ええと……」
「なんだ」
「何て呼べばいいの?」
「…………キアリズだ。呼び捨てだろうが何だろうが、好きに呼べ」
キアリズ。
そういえばそう名乗っていたっけ。
今まで知り合った人は皆、漢字の音の名前だっただけに少し違和感があったが、そういう名前なのか、と思うだけだった。
「じゃあ、キアリズ皇子。ええと、昼間とさっきと、助けて頂いてありがとうございました」
拙くともお礼ぐらいは笑顔で伝えたい。
そう思って口にした言葉に、皇子は意外だと言いたげな顔をした。
やっぱり何だか腹立たしい。
執務に向かう姿を、淹れて貰ったお茶を飲みながら眺めていると急激に睡魔が訪れる。
胸に落ちた凝りのような不安は取りきれないまま、海夜は吸い込まれるように眠りに落ちていった。
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