第三十話 不機嫌皇子の溺愛
二章完結です。
最後まで楽しんで頂けたら嬉しいです。
海夜の言葉を黙って聞いていた武尊は、一瞬頭が空白になったような微妙な表情をした。
それから、これ以上ないというように不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
「………………は?」
低い声音だった。
心底頭にきたと言わんばかりの目つきに、海夜は少々怯む。
「何だと?」
問いかけというより、尋問されているような空気に肩を竦める。彼が掛けてくれた外套を掴む手に力を込めて、説明の糸口を探した。
「………武尊は、この婚約は正しいと思う?」
質問に、彼の眉間の皺はますます深まる。
何を考えているのか窺えない隻眼の黒い瞳は、冷たい光を宿してこちらを見据えている。眦も険しく、彼は「どういう意味だ」と低く唸った。
「……わたし、あなたに無理をさせることは嫌。それなのに貴種の自覚が薄くて……、我儘であなたを縛りつけたわ」
肌に突き刺さる武尊の怒りの空気に、すぐにでも逃げ出したくなる気持ちを叱咤する。
(しっかりしなきゃダメ。
ここで、ちゃんと話をしなきゃ)
「黄花・サディルに近親婚は禁じられているでしょう? でもわたしがあなた以外嫌だと言い張ったから、あなたはわたしを受け入れてくれた。……なのに今度はわたし、ひとに触れなくてあなたに迷惑かけてる」
言葉にしたら実感が湧いて、益々落ち込みが深まる。武尊にとって、こんなことは迷惑以外の何者でもないだろう。
婚約に浮かれて黄國への移住を指折り数えて楽しみにしていたのに、心の根っこにあった不安を、あの事件が掘り起こしてしまった。
“想いが通じていない相手に、無理強いしている”
滝本の行いは、海夜自身が武尊にしていることと同じだったのだ。
だから、こんなにも深く深く傷ついてしまった。
想いを掛ければ同じだけ返してほしいと願ってしまう。身勝手すぎるその願いは、彼の負担になるだろう。
「……あなたに無理させるなら、せめてお妃としての役目はちゃんとしたかった……。わたしにあるのは、祖母から受け継いだ血筋だけなんだもの。……でも武尊が、自分が貴種であることに前向きじゃないことも、何となくわかってるの」
眉間に皺を寄せながら海夜の告白を黙って聞いていた武尊は、その言葉に考えるような難しい顔をしてため息をついた。
どういう意味のため息なんだろう。
こんな風にウジウジと悩んでいる海夜に呆れたため息だろうか。
「わたしがお妃の役目を果たせないなら、他の女性があなたの元に来るかもしれないでしょう? ……きちんと向き合ったら、それに耐えられなかった」
武尊が自分以外の“妻“と呼ばれる女性を迎えるのが嫌だった。
それが政略的なものでも、やっぱり嫌だ。
その上もしも、そこに恋愛感情なんてものが存在していたら、きっと認めることなんて到底できない。
「………だから、そうなる前に逃げるの。あなたが本当に好きになる女性から」
海夜の醜い本音を聞いた武尊は、鋭かった眦に疑問の色を浮かべた。眉間の皺はそのまま、大きく首を傾げる。
「何の話だ。他の女?」
だって、武尊の父親の國皇には複数のお妃がいた。皇妃の他に三影の母親の、羽咋家の女性。早くに亡くなったらしいが、羽咋家は公爵の位を持つ大貴族だ。政略だと察するには、余りある程権力のある家。
何も持たない海夜の補填に、そういう貴族のご令嬢が何人も候補に上がっている筈だ。
「善道公爵家と平群が候補から外れて、手を挙げる者など皆無だが」
海夜の侍衛官の薔珠とシャイマは、武尊の最有力のお妃候補だった。
海夜の側仕えとなることでその噂自体が消えたらしいが、まだまだ相応しい家門のご令嬢は山といる。何となく誤魔化されているようで気分が悪い。
「手が挙がらなくても、他薦だってあるでしょう?」
指摘すれば武尊はもう一度、今度は首に手を当て疲れたように項垂れて、深く大きく深ーくため息をついた。
…………何だろう。何だかとても馬鹿にされているような。
「…………あさってすぎて、どこから訂正すればいいのか悩ましい」
目元を片手で覆って疲れを抑えるように呟いている。
(はい? あさって?)
「……し、真剣に言ってるのに……っ」
「だから、その真剣さがあさってだと言っている」
目元から手を外し海夜の顔を見る武尊は、先程までの尖った空気はきれいに消えていた。
かわりに呆れたきった色で海夜を眺める。
「まず一つめ。無理はしていない。むしろおれの役目は役得だ」
(……ん、役得? ……って、なんの?)
「二つめ。黄花・サディルも貴種も亜種もどうでもいい。おまえでなければだめだ」
(…………んん? どうでもいい??)
指で数を示しながら言い切っていく武尊の言葉を、首を傾げて聞いてはいるが、海夜の理解が追いつく前にどんどん答えを提示されて、若干思考が停止気味だ。
「三つめ。他の女はいらない。おまえでなければだめだ」
再び同じ言葉を重ねられて、はっとようやく思考が動き出す。
停止していたぶん忙しなくて、スタートダッシュがおぼつかない。
「………あ。えぇ? …………でも、実務の後ろ盾にご側室、必要なんじゃって……。わたし、貴種でしかない、……から………」
「一から十まで想像のその妄想は、誰に吹き込まれた」
(……も、妄想……っ??)
「で、でも、國皇陛下には……」
「今の皇妃の前に、三影の母親の前皇妃がいたというだけだ。それも身罷られて久しい。皇妃がおれを産んだのは役目の中の一つだぞ。正式な妻として立后したのは十年ほど前のことで、前皇妃の死後、三年は経っていた。二人とも正式な妃という立場だ」
……そうなのか。武尊を産んだその時には、もう皇妃という立場にいたのかと思っていた。
初めて聞く話に少々驚く。
「そもそも元が女皇の国で、一夫多妻が許されると思うのか。他の貴族どもも同様だ。外に妾がいても、それを妻と呼ぶ者はいない」
「…………妾」
「必要ない。おまえが全て引き受けろ」
衝撃的な名称に慄いて呟くと、腕を組んで憮然と武尊が言い放つ。
その言葉にハッと我に返った。
「え。全て?」
「全て」
当然と頷く武尊に、その言葉の包含する意図が掴めなくてぽかんとする。
すると武尊は息をつき、改まるようにまっすぐに海夜を見つめた。強い視線に、小さく心臓が跳ねる。
「おそらくあれは、一目惚れというやつだ」
(…………………は? ………なに?)
唐突な言葉が理解できなくて眉間が寄る。
「己れが貴種であることは、確かに厭わしい。……おまえが言う通りに」
ぽつり、と付け足された言葉は、ちょっと自己嫌悪のような色が見えた。
海夜に伝わっていたことを自嘲するように。
「……だが三年前、日本で最初におまえに起こされた時……おまえの手がこの身に触れた時、どうでもよくなった。貴種も亜種も関係なく、この女は手に入れるべきだと」
「…………………は? あ、ぇ?」
疲れたように不機嫌に息をつきながら言う言葉だろうか。
聞き間違えたのかと、何度も瞬いてまじまじ武尊を見てしまう。真面目に返される視線に、どうやら真剣に言っているようだと理解はしたが、納得はいかない気がする。
「おれはおまえが傍に居るというから、生き直す気にもなった。おれを生かす気があるなら、離れるな」
「…………生かす………」
「三度手を離したんだ。四度目はない」
(…………………。………えぇ………??)
まるで海夜が悪いかのように言うけれど、三回ふり続けた当人が何を言うのだろう。
いや、最初の一回はお互い幼児で、自分ではどうにもできない状況だったけれど。
「誤解も正解もくそくらえだ。おれはおまえしかいらない」
不機嫌ながら真っ直ぐ目を見つめられて、説得するように淡々と囁やかれて、じわじわと理解が浸透し始める。
(……………………あれ。
これはもしかして、告白されているのかしら……。
…………愛、というものを)
彼の不機嫌さにまったくそんな気配を感じないのに、何だかものすごく大事だと言われているように聞こえる。
「……ごかい……」
“誤解”。
その単語に後頭部を殴られたような衝撃を受ける。
(……え? わたし、勘違いしていたの?
…………想われていないって??)
すれ違っていたということに気づけなくて、無口な人にここまで言わせたのか。
……まさかこんなことを考えていたなんて、海夜にはこれっぽっちも思いつかなかった。
なぜ今までひと言も、彼はそこに言及してこなかったのか疑問すぎる。
「……そういうことは……」
「早く言えと? 海夜には海夜の世界がある。おれ一人が束縛していいものじゃない。そう思って、色々手控えていたらこの体たらくだ。おまえに関して口を噤んでいると、余計な誤解を生むとわかったから遠慮はやめる。手加減もしない」
「………遠慮」
(今まで遠慮していたということ?)
何を、とは言わないまでも、海夜の内心の疑問は伝わったようだった。
「本当なら日本に帰すのも阻止して常に手元に置いておきたい所を、おまえの自由意志に任せている。さすがに和海さんに恨み言を言われるのは居た堪れない」
(ああ、なるほど。そういうこと……)
納得しかけて、ハッと武尊の言葉の内容に気づく。
気づいた途端、狼狽える程顔が熱くなった。
(か、か、か、……帰したくない、と言われたように聞こえたのですけどっ??)
「おまえがあまりにも率直に想いを寄せてくれるものだから、おれがそれに甘えていた部分は大いにある。そこは謝る。だが婚約破棄はないんじゃないか?」
(………謝った………! その上、拗ねた……)
驚くことばかりが続いて、再び思考が固まりかける。
ぽかん、と彼の顔を見返すことしかできない海夜の左手を、壊れ易い硝子細工を扱うように武尊は慎重に取った。
ふわりと甘い桜の香りが届いて、お互いの左手首にある“番の花”が浮かび上がったのだと理解する。
……そうだ。
この左手首に求婚の意味の花を刻んでくれたのは武尊だったのに、どうして彼の気持ちを疑ったりしたんだろう。
指先を握り込まれて、鳥肌が立たないことをぼんやりと不思議に思いながら、持ち上げられるその手を目で追う。
当然のように自然に、その指先を自分の口元に持って行った武尊は、ちゅ、とわざと音を立てて唇を押しつけた。
そうしてその行為に内心で悲鳴を上げている海夜のことなど、とっくに承知しているように唇を押しつけたまま微笑む。
それは何の計算も打算もない、素のままの武尊の、自然な微笑みのように見えた。初めて会った子供の頃の純粋さが、垣間見えるような。
憂いのない優しい笑顔が重なって見えるようだった。
その微笑みの中の、真摯な黒曜石の瞳が海夜を見つめる。
「––––––––あらためて、結婚を申し込む。一生共にいてくれるか?」
月が清かな夜のしじまに、滲み溶けていくような静かな囁きだった。
耳に届くと痺れる甘やかさが、毒のように全身にまわる。
唇が震えて、うまく声が出せない。
答えなんてわかりきっているけれど、ちゃんと答えたい。
でも先に答えたのは、頬を転がり落ちていく涙だった。
「…………はい。……はい、もちろん」
泣きながら笑顔なんて締まらない。
求婚を受けるなら綺麗に着飾って、優しい相手から一生に一度の甘い言葉を貰いたい、なんて少女の夢を幼馴染二人と語ったことを遠い意識に思い出す。
現実は薄い寝巻き一枚で、婚約だってもう決まっている相手。しかも意地悪。
でも海夜は、この人からこの言葉こそが欲しかったのだと思った。
涙が止まらなくなった海夜を、柔らかく腕の中に収めた彼は、安堵したように息をついた。
「……まったく。本当に花びらみたいな女だな、おまえは」
(? どういう意味?)
耳元で囁かれた言葉の意味を訊ねようと顔を上げると、涙を掬い取るように、頬に瞼にキスの雨が降る。
まだ触れることに尻込みする気持ちはあるけれど、もう鳥肌は立たない。嫌じゃない。
躊躇いがちに重ねられる唇に武尊の優しさを感じ取り、胸がきゅうと締め付けられるように切なくなった。
人を寄せられない海夜に無理をさせまいと、武尊は触れなくても“全く困らない”と言っていたのだ。
それがようやく理解できた。
この人はこうして誤解されることが沢山ある。それを解くつもりがないから、誤解しっぱなしの人々もいるだろう。
滝本に薬を飲ませ海夜を狙った人物は、そういう人々の中の一人なのかもしれない。
そんな彼を傍で支えたい。
誰がどんなことを言っても、海夜は武尊の絶対の味方でいる。
“一生一緒に”
良い時もそうじゃない時も、きっとずっと、一緒にいる。
抗い難い惜別が二人を別つまで。
そう思って海夜は、この人の傍で生きていくと決めたのだから。
⁂最後までお読みいただきありがとうございました。これにて第二章は完結です。お疲れ様でした笑。
両思いになっても何かとバタバタ…、でもカップルならあるあるのすれ違い劇、というイメージで書いていました。こじれる前に誤解が解けて良かったです笑。
世間で流行ってるタイプとは少し違う、師走なりの“婚約破棄”と“溺愛”の物語でしたが、お楽しみいただけた方がいらしたら嬉しいです。“溺愛”タグは最後の三話しか付けられませんでしたが…w。王道の婚約破棄も溺愛もザマァも大好きなので、王道もいつか書きたい。野望。
明日からは二章の番外編を少々。たぶん五〜七話くらいです。そのあとは、三章までの繋ぎの二.五章「それは彼女に聞いてくれ」という短い章があります。
お読みいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
二章完結です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お疲れ様でした笑。
最後はちゃんとロマンチック(当社比)。
番外編、二.五章も続けてお読みいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




