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【三章連載中!】花びら姫の恋  作者: 師走 瑠璃
【第二章】不機嫌皇子の溺愛
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第二十九話 触ってもいい?

「ママ、我が子はママのあいじょうをうたがっている」

と師走が我が子に言われた出来事が二章の元ネタです。


次回で完結です。


※改稿時にEPタイトル変更しました。



 それが起こったのは、ベルセルクルの一件の翌日だった。

 一連の薬物騒動の後始末や新規来訪者達の今後、近衛隊と検非違使隊の責任者達からの報告、隣国の使者の到着報告に、繭を作って眠り込んだ“揚羽あげは”の様子にその他諸々。

 普段の執務の合間に挟み込まれる緊急事案に忙殺され、前日に貧血で倒れた海夜の様子を見に行けたのは、夜半を回る頃だった。

 もう寝んでいるだろうと、静かに訪れた寝室にはもぬけの殻の寝台だけがある。

 不思議に思い部屋内を見回せば、広いバルコニーへ続く扉のカーテンが開いている。隙間から覗くと、湖を眺める海夜の後ろ姿が目に入った。

 相変わらず、薄い夜着のまま無防備に外をうろつきたがる。早春の夜風は、貧血を起こしている身体には毒以外の何者でもないのに。

 休むよう促そうと扉を開けると、耳にかすかな歌声が届いた。聴き覚えがある曲だ。



 “虹の彼方に”



 記憶も朧げになる、ほんの幼い子供の頃。母親だと思い込んでいた皇妃が、繰り返し歌っていたことを薄らと思い出す。


 “虹の向こうに魔法の国があるんよ、武尊。母さんから見たらここが魔法の国やけど、武尊からは日本が魔法の国やんな? 虹を見つけに行こうか? お星さまにお願いするとええよ”


 今よりずっと幼い顔立ちだった皇妃は、あの頃既に、普通に歩けない程衰弱していた。


 “いつかお父さまがお迎えに来てくれはる。そしたら親子三人で一緒に暮らそうなぁ”

 

 こけた頬ではしゃぐように笑う皇妃に、なんと答えたのかは覚えていない。

 ただやはり、貴種になど関わるべき女ではなかったと、そう思いはする。

 そして、ここにもひとり。

 関わらせるべきではないと、理性が囁きかける女がいる。

 久しぶりに聴く歌声を途切らせるのが惜しくて、気配を抑えたままバルコニーに置かれたガーデンソファの長椅子に座る。

 ゆるりとした時間の中に、たゆたうような懐かしい旋律が流れ、湖を眺める海夜の横顔を撫でるようにさやかな光が照らしている。


 (ああ、今夜は満月か)


 春の朧な月は、柔らかく昼間のような明るさを辺りに注いでいるが、夜の静けさは昼の賑わいをただ遠くに眺めるばかりだ。

 ふいに歌声がやみ、彼女には珍しく深いため息のようなものをつく気配があった。


 「––––––––どうした、もう終わりか」


 昼間の喧騒の余韻を夜のしじまに沈めたい身としては、今この時に聴いていた歌声は贅沢な程だったのに。

 突然声を掛けたことに海夜は小さく肩を竦ませ、こちらに振り向いた。


 「武尊」


 驚いた顔が、すぐに笑顔に綻ぶ。

 屈託ないその笑顔にほだされたのを自覚しながら、組んだ足に頬杖をつくと海夜は首を傾げた。


 「いつから居たの? 黙って聴いているなんて人が悪いわ」

 「つい今し方だ。様子を見に来た。体調はどうだ」

 「少しふらつくけど普通に歩けるし、もう心配ないわ。……でも、来てくれてありがとう」


 はにかんで微笑む様子に、ああ、顔を見に来たことが嬉しいのか、と何となく理解する。

 率直な愛情表現が心地良いと感じる存在は、唯一海夜だけだ。

 精霊との契約で血の海に沈みかけた彼女を見て、このまま目を覚まさなければ共に逝くだけだと、当然に思った。

 この身を取り巻くしがらみも都合も、海夜がいなければ何の意味もない。この身の存在にも意味がなくなる。この先もそれは変わらない。

 疑問にも感じない思考に沈んでいると、ふと月光が翳った。

 顔を上げると、目の前に海夜が立っていた。


 「…………兄から聞いたわ。……滝本くんのこと、……ありがとう」

 「あの男に使用された薬物は軍の管理の物だ。部下の不始末をつけただけで、おまえが礼を言うのはおかしい」

 「……ええ、そうね……。でも、彼の行動もここに来てしまったことも、わたしに原因があるなら、やっぱりそれはわたしがお礼を言うべきなのよ……、それから、ごめんなさいも」


 ゆらり、泣きそうに揺れる琥珀の瞳に、少し苛立つような気分が湧く。

 なぜ、他の男のことで泣きそうになるのかと問いたい。


 「武尊に怪我なんて、させたくなかった」


 後悔するように俯いて呟かれた言葉に、理解が追いつくのが数瞬遅れた。

 ……そういえば顳顬こめかみの辺りに小さな創傷を負ったか。だが怪我の内にも入らない小さな傷だ。

 

 「すぐに治るものを、そこまで気にする必要はない」

 「……薔珠だって、あんな怪我をして……」

 「薔珠もおれも、おまえの盾になることが役目だ」


 殊に、自分に与えられた“皇家の守護者”という役目は、皇家の為に全てを捧げよというものだ。今現在の皇家の体現者は、海夜ひとり。

 名も実も伴うその役目を利用して、今現在もこの湖の館に同伴している。彼女の傍にべったりと付いて居ても、周囲に文句を言わせない役目がこの“守護者”というものだから。

 けれど、海夜の顔色は冴えない。


 「……わたし……、っだから……」


 胸の辺りで強く手を組み締めて、海夜は一瞬泣きそうに声を震わせた。

 だが直後に上げた顔は柔らかく、何かを飲み込んで納得したような表情をしていた。

 どこまでも透き通る水のような、清廉な美しさをたたえながら、瞳の中には誘うような色が灯る。

 満月の光を背景にこちらを見る海夜の身体のシルエットが、薄い夜着の中に透けて浮かび上がり、思わず目をみはった。

 華奢なくせにまろやかな曲線で構成された肢体は、薄物の布一枚で目隠しされているだけで、こちらの視線と意識を釘づけにする。

 それは、艶かしいと感じさせる空気でもあった。


 「––––––––あのね、触ってもいい? 武尊」


 決意するように訊ねる声は、少し震えていた。

 意識して他人に触れることなど、まだできる筈もないのに何がしたいのか。

 理解できないが、それを口にした海夜から視線を外せなくなったのは確かだ。婚約者の予想外の言動に、らしくもなく動揺している。

 頬杖をついた姿勢のまま動けないこちらに、海夜はおそるおそる手を伸ばした。

 震える指先が頬杖の右手に辿り着くのを、ばかみたいに停止した思考で眺めながら、ふと気づく。

 

 そういえば、今回界渡りをしてからの海夜は、左手首の内側を確かめようとして来ない。

 そこに自分が証しに刻んだつがいの花を、見たがらないと。

 利き手は左手だから、有事の為に空けておきたいと考えてはいる。だが海夜は、こちらが右手も利き手同様に使えると知っている筈だ。

 素直な愛情を示す彼女の行動としては、番の花を確認しないのは、若干違和感があると今更気づいた。

 ひとに触れることができなかったからか。

 だが番の花は手首を近づけるだけでも、その姿を確認することができる。


 疑問に感じたのはほんの僅かで、海夜の指がこちらの右手を取ったことに気づいた。途端にその指先に意識が向いて、番の花の件はどうでもよくなる。

 震えたまま、素手を触れる細い指先は少し冷たい。夜風に晒されていた上、緊張しているのだろう。

 けれどこちらはそのやわさに驚く。

 こんなに頼りなく、柔らかく、甘やかだっただろうかと。


 「……………触れた」


 吐息のように海夜は囁いた。

 指先から腕を逆に伝って彼女の表情に視線を這わせると、咲きめた花が恥じらうように笑っている。

 そのまま指同士を絡めて視線を落とし、ふふ、と今度は声に出して笑う。


 「……昨日抱きしめられた時、懐かしい気持ちがして落ち着いていられたから、確かめたかったの」

 「……………ああ」


 怪我をさせる危険性にヒヤリとして、咄嗟に抱き込んだ時のことを言っているのだと思い至り、肩すかしのような脱力感を覚える。

 彼女と自分の間には、“触る”という単語ひとつ取っても、これ程大きな齟齬がある。

 この感情を何と呼ぶのか、わかるようでわかりたくもないと思いながら右手を取り戻そうとした時、彼女が更に予想外の行動に出た。


 絡めていた指をほどき、静かにこちらの手の平を自身の頬に当てがったのだ。

 その手に細く柔い手を重ねて、すり、と頬をすり寄せると、そのまま手の平に唇を寄せる。

 夜風に晒されていた表面の冷たさの奥に、柔らかく温かい存在が感じられる。

 しっとり吸いつくきめ細かな肌がこの手の中にあるのだと気づいた時、彼女が吐息をこぼした。


 「……………大きな手。………あったかい」




 触れてしまえばどうなるか。

 わからないと思っていた。はかることができないと。


 ––––––ちがう。

 本当はわかっていた。 

 わかっていて蓋をしていた。

 

 触れてしまえば、とめることは難しいと。



 ※



 男性を誘うなんて、海夜にはどうすればいいのかわからないから、当たって砕けてみようと思い実行した。

 一大決心の海夜の、頑張って艶っぽい空気にしようとする努力なんて見透かすように、武尊はいつも通り。

 淡々と飄々と海夜のすることを眺めている。

 彼にとって女の子に触られることなんて、日常茶飯事なのかもしれない。


 直接触った素手の感触に、大好きな人なのに鳥肌が全身を駆け抜けて息を詰めた。

 とにかく必死に押し隠す。

 それでこちらの意図が伝わってくれたら良かったのに、武尊は全く気づいてくれない。

 失敗だった、やっぱり朴念仁だわ、と残念に思いどうしようか考えた時、武尊の手の大きさが目に入った。

 この手で剣を振い、沢山の無辜の国民を守っている。

 そう思ったら急に愛しさが込み上げ、自然に行動していた。


 そして今、海夜は武尊の腕の中に閉じ込められて、きつく抱きしめられている。

 薄い夜着一枚で夜風に冷えていた身体は、武尊の温もりに温められる。


 「……あったかいわ」

 「おまえが冷えすぎなんだ」


 即座に耳元で囁かれて、鳥肌立っていた肌に別の感覚が起こる。


 「––––––こうしてるとあったかいから、……いいの」

 「……………いいように捉えるぞ」


 (いいの)


 無言の海夜をどう思ったのか、武尊は耳朶を甘噛みし、頬に瞼に口づけを繰り返す。


 “時間をかければ、きっと回復する”


 そんな風に言える気持ちの余裕は、海夜にはもうない。

 だって、この人が海夜の身を案じてくれるのは、役目上のこと。婚約も、海夜が押して押して押し続けたから渋々折れてくれた。

 海夜が武尊しかいらないと言ったから。

 貴種女性として生まれながら、それは無責任以外の何者でもない。そんな海夜のわがままを、武尊は受け入れてくれた。嬉しかった。

 ………それなのに、今度はひとに触ることができないなんて。

 どこまで自分は武尊の足を引っ張るんだろう。このままぼんやりと彼に甘え続けていいのか。近い将来、海夜は見たくない“側室”という存在を見ることになるかもしれない。それが一人とは限らない。複数かもしれない。


 武尊のその他大勢のひとりの中で、正妃という立場は海夜だけだ。沢山の思惑の中、そんなちっぽけな矜持だけで立っていられるだろうか。

 せめて、正妃としての一番大事な仕事はこなしたい。その為にはひとに……、武尊に触れないなんてダメだと考えた。

 武尊が海夜の為に体を張り、怪我をするのが役目上当たり前だというのなら、海夜だって正妃の役目のために体を張らなければ。

 そう決めて、彼の前に立ち直し、自分から彼に手を伸ばした。

 でも触れた途端からぞわぞわと寒気がして鳥肌がやまない。大好きな人に触り、触ってくれているのに、心が凍りついている。

 紗のカーテンの向こう側から、無感情にこの行動を眺める自分を感じる。

 

 どうしてなんだろう。

 海夜は納得しているのに。自分が想うだけなら、誰にも迷惑をかけないと。

 海夜が想うだけでいい。

 一方的だけど、ただ好きだから。

 気持ちを押しつけて、受け入れて貰えたと浮かれて、彼の本音から目を逸らして。



 “なんでオレじゃ、ダメだったの?”



 光が走るように脳裏に浮かんだ言葉に、海夜は目をみはった。

 それは数日前、海夜が心身不調を起こす原因となった、滝本とのやりとりの中の彼の言葉だ。

 信用していたクラスメイトに突然踏みにじられて、目に見えない深い傷を心に負った。

 あの時海夜は、応えられなかったことがそんなに悪いことなのかと滝本に問いかけた。彼は無言だったけれど、きっと答えなんてなかっただろう。

 気持ちが噛み合わないことに、善悪なんてない。あるのは交わらない線だけ。掛け違えたボタンのように、不恰好な姿に気づいてしまうだけなんだ。

 そして海夜は今、滝本と同じことをしようとしている。

 武尊に対して、自分が想うだけでいいのだと大人ぶったことを考えながら、こっちを向いてと乱暴に心を叩き続けている。


 他のひとを見ないでと。

 必死に。




 「––––––––海夜、何を考えている」


 


 深く潜っていた水底に、小石が落ちたような声がして息を飲む。

 武尊の腕に閉じ込められたまま、ぼんやりとしていた。

 ぱちりと大きく一つ瞬きして彼の顔を見ると、無表情で無感動な、なのに綺麗な顔がそこにある。


 (ああ、いけない。

 こっちが誘ったのに、思考に沈み込んでた。失礼極まりないわ)


 「………何でもないの。ごめんなさい」

 

 武尊の落ち着いた声が不思議だったけれど、それ以上に不思議だったのは、衣服に乱れが全くないことだった。

 ただ抱きしめられていただけのように。


 「…………病み上がりが、無理するな」

 「無理なんてしてない。武尊に触りたかっただけよ」

 「……こんなに鳥肌を立てて?」


 海夜を包むように背に回していた腕を解いた武尊は、海夜の左腕を取って袖を捲った。

 盛大に皮膚が盛り上がり、武尊の体温で温もっていた筈なのに、氷のように冷たくなっている自身の手を慌てて背の後ろに隠す。


 「……っ夜風が寒いだけっ。寝室に戻れば……っ」

 「…………そこで続けろと? ふざけているのか」


 少し怒ったような口調で言い捨てて、武尊は眉間に皺を寄せる。


 「触れる触れない以前だ。おまえに婚前交渉を求めるつもりはない。身体を養生しろ」


 そう言って彼は、右肩に掛けていた薄手の外套を海夜の頭から被せて、呆れたように踵を返した。

 海夜の誘いに乗ったと見せたのは、子供の遊びに付き合ってやったのだというように軽くあしらう。


 (は? わたしには求めない? ……じゃあ)


 「………じゃあ、誰になら求めるの」

 

 頭から被せられた外套を握りしめて、海夜は掠れた声で呟いた。

 不思議そうに振り向いた武尊の眉間が寄っている。何を訊かれたのか把握しきれないとでもいうように。

 そのもどかしさに、武尊の心も自分の心も把握しきれない海夜は、叫ぶように吐き出していた。


 「……っわたしは、武尊が好き。他の人のことなんか考えられないくらい、大好き。一生、あなた以外に恋することなんてないんだわって、そう思ってるわっ」


 あけすけに言いすぎただろうか。

 武尊の眉間の皺がなくなって、あっけに取られたように目を見開いている。唐突な愛の告白に肩透かしを喰らうのも当然だ。こんなに鳥肌を立てて彼を拒絶しておいて、何を言うのかと呆れもするだろう。


 「……だから、一旦、この婚約は考え直した方がいいかもしれないと思っているの」


 ずっと考えないように、見ないようにしていたことを勢い口にすると、武尊は今度こそ呆れ返った表情で海夜を見返した。


 「………………は? 何だと?」


 清かな月の光の下で、武尊の呆れた声だけが響いていた。

 

 


お読みいただきありがとうございます♪


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