第二十八話 選択の時
溺愛むずかしい…。
※改稿時にEPタイトル変更しました。
(……契約? 契約って、なんだ?)
左右異色の瞳を晒したまま、無感情にこちらを眺める黒い皇子の口から、予想もしない言葉が飛び出た。
(しかも、血? 血を飲む? 何だよ、そのグロテスクな契約)
理解できないまでも、その行為の異常性に眉間が寄るぐらいには、自分は常識人だ。
こちらの微妙な反応などお構いなしに、皇子は右手首の内側を示して続けた。
「解毒には至らなくとも、中和はできるだろう。貴種の血は貴種以外には高い薬効がある」
「……いや、お前の立場上の問題があるだろ。簡単に血をやっていいとは思えない。皇太子だぞ。将来的な問題がありそう、お前にも滝本にも」
呆れたように口を挟むのは平尾の兄だ。
その後ろからは、“血を飲む”というただならぬ単語に反応した三本木が、恐る恐る顔を出し皇子を窺っている。
そして、平尾の兄は軽く言い放つ。
「オレがやるよ。血筋的にはいいだろ、オレの血でも」
(いやいや、何言ってんすか、この人!)
腕まくりした平尾の兄に、天はぎょっとする。
血を飲む、という行為自体に抵抗があるこちらの意を汲んで、抗議してくれたのかと思ったのに斜め上だった。やっぱりこの人も平尾と同じ思考性の人だ。
「っちょっと、血を飲むとかそっちがオレはやなんですけどっ。どういうことっすか!」
両手両足を拘束されたまま声を張り上げれば、一斉にこちらに視線が向く。
「あぁ……、まあそうだよな。いきなり他人の血を飲めって、オレでもやだわ」
「悪くない提案だと思うが。何が不満だ」
「貴種亜種の概念ない世界の人間に、貴種の血って言ってわかるわけねぇだろ。オレらの背景、すっ飛ばして説明するからこうなるんだぞ。お前、頭いいんだろ?」
指摘してこちらを見た平尾の兄は、簡単に説明してくれた。
貴種と呼ばれる人間、亜種との違い。
特殊性が高いから、日本では若干苦労したことなど。
「貴種自体が少ないんだと、今の世の中。しかもうちの一族、貴種の中でも特殊。そういう血だから、貰えるもんは貰っとけ。たぶん損はない」
よな? と平尾の兄は皇子を振り返る。
無表情のまま皇子は首を傾げた。
「薬効としてだけならば、おそらく。おまえの血の場合、どんな効果があるかは未知数だが」
特殊な中でさらに特殊。
そんな人物と同じ校舎内に存在していたのか。手が自由なら頭を抱えていた。
「おまえよりおれの方が適任だろう。日本で主従の関係を貫けるか? 貴種との契約とは、そういうものだぞ」
…………は?
「……しゅじゅう?」
皇子が放った衝撃的な単語に、聞き間違いかと思い鸚鵡返しに呟くと、二人は揃ってこちらを見下ろした。
「貴種の血にある薬効は簡単にやれるものではない。それ故、貴種の血を与えられる亜種には、貴種に従う契約が課せられる」
「聞いた話、命じて右向け右ができるらしいぞ。知らんけど」
「できるが、やる阿呆はいない。今どき、そんな契約自体嫌う貴種の方が多い」
「あぁ、まぁなぁ……。ダセェもんな、そういうの」
納得して頷く平尾の兄は、腕を組んでにやりと笑った。
「でもそうなった場合、どっちの言葉に従いたい?」
どっちもいやだ。
「血を飲む以前の問題じゃないっすか!! 主従とか、ありえねぇっ!」
日本で育って教育を受けて、自分自身を大事にしろ、と刷り込まれている現代日本人には受け入れ難い思想だ。
即座に反抗すると平尾の兄は気の毒そうに、そしてちょっと可笑しそうに笑った。
「だよな」
「だが選択肢はない。ベルセルクルは謎の多い薬物だ。古い物だが実際にその薬効を目にした者はいない。はからずも被験体となった来訪者に、人権は認められないだろう」
「……皇族の関係者っつってもか」
感情の揺れのない皇子の言葉に、平尾の兄はゆるんだ空気をさっさと収めて顔を引き締めた。
…………被験体。
……つまり、実験体。
「この国は人体実験なんて認めてる、未開国か?」
「認めていない。だが、不可抗力の被験体をのさばらせておくほど暢気な国柄でもない。ベルセルクルは危険に過ぎる」
皮肉げに口の端で笑う平尾の兄と、一歩も引かない皇子は数瞬対峙するように睨み合う。
ややあって、先に息をついたのは兄の方だ。諦めた理解の色が、その目に浮かんでいる。
「……だからお前が適任ってか。どうしてそう、荷物背負い込むかね。オレに投げときゃいいのに」
「いずれは来訪する。先手を打つだけだ」
「ババかもしんねぇのに」
「その時はその時だ。おまえの妹が巻き込まれないよう、よく見張っておけ」
「そん時はお前も連れてくからな。……こんな国、クソ喰らえだ」
淡々と抑揚なく話す皇子に、平尾の兄は大きく舌打ちして吐き捨てる。汚い言葉だったが皇子は一瞬だけ、……ほんの瞬きの一瞬だけ、その秀麗な顔に静かな笑みを見せた。
それはこちらが不意打ちを喰らう、鮮やかな印象に残る不思議な笑みだった。
嬉しいとか可笑しいとか、そういう意味がこもっているようで、けれど諦めてもいる退廃的なもの悲しさが透ける。
三本木も目撃したのだろう。
平尾の兄の背後から覗き込み、驚いた顔のまま固まっている。
「–––––––––本人の意思確認をしたい所だが、どちらにしろ選択肢はない。国の内部にこの男の件が知れれば、被験体として連行されるだろう。皇女の友人だとしても、それだけでは盾としては弱い。……御大将の従者の肩書きを選ぶしか、人間らしい生き方の道はない」
……従者。
今どき、職業としては考えもつかない肩書きだ。
「……今選ぶしかないのか? ……考える時間が欲しいってのは、通らないのか」
長い人生の、選択の時。
こんな短時間で人生の全てを決めてしまうなんて、思いもしなかった。
「ベルセルクル使用者の話は今の所、軍の一部の者しか知らない。軍内ならばおれの力でどうにでもなる。貴種の血でベルセルクルの特性が抑えられると知れれば、それ以上の研究を止めることもできるだろう。解毒薬のみに焦点を当てた研究の方が、世界にとって余程有意義だ」
つまり、今しかないということに変わりはないらしい。
天は深く深くため息をついた。
こんな恋敵と言ってもいい男に頼るしかないのが、業腹以外の何者でもない。情けなさに我ながら自分を殴りたくなる。
「言っておくが、不本意はお互い様だ」
無感情の声が降ってきて、やっぱりやな奴だなと思う。そもそもなんでこんなに平然としていられるのか、そこが全くわからなくてつい無神経に口を開いていた。
「……あんた、何なの? オレにかまけてるけど、オレだったら大事な女の子傷つけた男なんて、絶対助けない。その辺で野垂れ死んでも心も痛まない。むしろザマァ……っ」
言いかけた言葉は、最後まで言えることなく遮られた。横たわったままの顔の横に、深々と短刀が突き刺さっていたからだ。
かまいたちのような傷が頬に走って、この目の前の黒い男が、こちらの顔スレスレにナイフを突き立てたのだと理解した。
「わー、武尊くーん。落ち着いてぇ」
空々しさ満載の、平尾の兄の嗜める声が聞こえた。その声も無視して、唸るような低音の声がびりびりと腹と喉元に刃を突き立てるように響く。
「–––––––––貴様が彼女にしたことを、生涯許すことはない」
目の前にある無表情で無感情の、目だけが死神のようにぎらつく秀麗な顔は、もしかして自分かここに落ちて来た時から、ずっと怒っていたのだろうか。底光りする怒りの感情のみがそこに見えて、知らず息を飲んだ。
だからこそ訊いておきたいと思った。
ここまで彼女のことで腹を立てるなら。
「……っ根本的なこと、確認するけどっ」
顔を逸らした皇子相手に、腹立ち紛れに叫ぶ。
「あんた、ちゃんと平尾のこと大事に想ってんのかっ?」
火の玉ストレートをぶつけてやった。
「……………………個人的な質問すぎて、答える気も起きない」
見逃しされた。
(はあ? なんで見逃しだよ? ばかか??)
「答えがあるなら答えろって言ってんだよっ」
「––––––––––血を飲み日本に帰るか。飲まずに実験体となるか。どちらがいい」
淡々と落とされる言葉とぎらつく目に睨まれて、悔しいがぐぅと口を閉じるしかない。
「……っ究極の選択だろ……っ」
「いや飲んどけ? 別に契約したからって、こいつが無茶振りするわけじゃねぇし。日本に帰って、同名のキーワード耳にしないとも限らないんだぜ? それで暴れたら犯罪者だろ」
日本に帰る。その言葉に、そっちの問題もあったと気づく。
帰るのは天で決定なのか。三本木は本当に帰る気はないのか。
疲れたように立っている後輩の女子を見ると、気づいた彼女はようやく近づいてきた。
「……ホントに帰らないのか」
「先輩こそ、帰れるの嬉しくないんですか? 受験も終わって、自由の身ですよ?」
「……そうだけど……」
……ここでこんな経験をした後で、普通の大学生活なんて送れるだろうか。
何より、三本木は本当に日本に未練がないのか。あの時、あんな泣きそうな顔をしたのは何だったんだ。
「罪悪感とか、やめて下さいね? 清々してるんです、ホントに」
「仕方ないだろ。そういうの感じるのは」
「私はここで自分の居場所見つけるんです。応援して下さい!」
笑顔だ。
三本木はどこまでも、笑顔で終わらせようとしている。
「皆が同じではない。おまえは帰りたいと思える人間関係を、これまで生きた時間の中で築いて来れたんだろう。それを誇って日本に帰ればいい」
突き立てたままの短刀を引き抜き、皇子が平坦に言う。そうしてふいに、思い出したように訊ねて来る。
「ここでのこと、全て記憶しておく覚悟はあるか」
言われた意味がわからずに首を傾げると、短刀の刃を指先で確認しながら皇子は言った。
「全てを忘れて気楽に生きるか。全てを飲み込み孤独も覚悟に生きるか」
思わず眉根を寄せた。
質問の意図を図りかねたからだ。
「いずれこちらに来るという前提で、人生を過ごせるのか。これから築く人間関係も立場も、全ては夢と消える砂上の楼閣だ。それは虚しさと孤独を生むだろう。耐えられるか」
……それは今まさに天が考えたことだった。
何を成しても誰とどう関わっても、こちらに来てしまえば全て消えて無くなる。何の意味もないだろう。
「……無理だって言ったら? 記憶でも消してくれんの?」
「望むなら。暗示で操作し、ここに来る前の状態にしてやろう」
どこまで優秀か知らないが、皇子は簡単にそんなことを言う。
確かに、思い出したくもなかったことを思い出させたり、暗示とかいう芸当がこの皇子にはできるのだろう。
でも、ここに来る前の状態?
あの、嫉妬に狂いそうだった自分に? 戻る?
納得できずとも平尾への長年の想いに、平尾自身が頷いてくれる形で決着を着けた。そうして笑ってくれたあの平尾の笑顔を、忘れてしまうのか。そんなのは、もっと納得いかない。
握った拳に力が入った。
(孤独に耐える。
そんな大層な覚悟はない。けど……)
「……経験は宝だ。ここで経験したこと、なくしてしまうつもりはない」
そう答えると、皇子はほんの少し表情を動かした。意外そうな、微かな感情がその色違いの瞳の中に見えた気がした。
臍のあたりに力を込めて、その顔を睨みつける。
「これからオレが成すこと、全部が消えるものじゃない。オレ自身の経験になる。関わった人達の中にも、何かしらは残るだろ」
こちらへ来るのが何年後なのか、その頃の自分は、今思い描いている自分に近づけているのか。わからない。だけどそれでいい。
人々の記憶に残りたいわけじゃない。
ただ、自分を見失わず望むようにいられたらそれでいい。……それが、いい。
その中で出会った人々に忘れられなければ、それで十分だ。
そう答えると皇子は目を眇め、手の中の短刀に視線を落とした。
「……気は合わないと思うんだが、おかしいな。同意だ」
「オレだって合うなんて思わねぇよ」
脊髄反射で返して気づく。
(“同意”……?
忘れてしまえとは思ってないってことか?)
「ならば尚更、ベルセルクルは抑え込め。自分の意志を明け渡すな」
感情らしきものが見えたのは錯覚かと思う程、元の平坦な声で告げ、皇子は短刀を自分の右手首の内側に当てがった。
契約、とかいうものが交わされるらしい。
それを見て、“主従”という立場が固定される前に、言うべきことを言っておこうと決める。
「オレはっ、……平尾を諦める。諦めるって決めた……、平尾の為に。あんなにあんたに惚れてる彼女見たら、オレが口挟むのは迷惑でしかないだろ……っ。だから大事にしろ、絶対……っ」
泣かせたら、主だろうと何だろうと殴る。
聞こえているのだろうに、皇子は淡々とこちらの顔の上で短刀を操る。
「–––––––キーワードを聞かせる。血を口にしたらすぐさま飲み込み、キーワード自体を意識の底に押し込めろ。動揺を抑え込み、二度とその名の者に攻撃を加えるな」
短刀の刃先ですい、と皇子が軽く皮膚の上を引くと、すぐに真っ赤な鮮血が線状に盛り上がり迸る。
平尾の兄が三本木を鉄格子の向こうに避難させたのを見届け、皇子は滴る血液をこちらの口元に落とした。
そして、口にした言葉に耳を疑う。
「––––––––おれを殺せるのは、“海夜”だけだ」
ぽつりと、静かに落とされた言葉だった。
「一生、会うつもりはなかった。だが再会してしまった今は、もう手離せない」
ぱたぱたと口元に落とされる血液と、見下ろしてくる秀麗な顔を見ながら、天は皇子の言葉を反芻する。
(………平尾だけが殺せる?
手離せない……? って、何だ?
結局こいつも平尾に惚れてるってことか?)
天の個人的な質問に答えた、ということだろうか。
(………わかり辛っ)
態度や言動からでは何も推し量れない。
くそ、と思った。
気に食わないのに焼きついた、さっきのあの、もの悲しい不思議な笑み。たった一瞬目にしたその笑みが、平尾の言葉を思い出させた。
“誤解されやすいけど、優しい人”
どこか寂しそうに笑った彼女は、きっとこの男がどんな風に彼女を想っているのか知らないのだろう。
淡白だ、こんな奴のどこがいいんだ、絶対オレのが平尾を好きだ。
そう思っていた、さっきまでの自分がガキっぽく思えて色褪せた。
想いの深度なんて馬鹿馬鹿しいことは言わない。どっちがどれだけ想ってるかなんて、浅はかな想像でしかない。
口の中に広がる鉄錆臭の中に、微かな甘さがあって驚く。これが違う人類というやつなのか。
それともベルセルクルとかいう物の効果が、またあの甘ったるさを連れて来たのか。
ごくりと口の中の赤い液体を飲み下し、身体の内側から湧き上がる欲求を抑え込む。
えいえん。
えいえんの。えいえんに。
違う。ちがうんだ。彼女をえいえんになんてさせない。
えいえんのだいじなひとだ。
でもそう思っているのは自分だけじゃない。
気づいてしまえば確かに、この男は優しいのだろうと感想も持つ。
気に食わなくても、許せない相手であっても、こんな風に庇護してしまう人間の心根が優しくない筈がない。
(でもなぁ……)
手足の鎖が千切れんばかりに激しく音を立てている。暢気な思考の意識とは真逆に、身体が暴れ出そうと踠いているのだ。
これは確かに抑え込まなきゃ平尾に会えない、と青ざめる。永遠になんて、冗談でも言っていられなくなるだろう。
身体の自由を取り戻そうとする意識の向こうに、無表情にこちらを見ている皇子の顔が目に入った。
(……もうちょっとすっぱり諦めのつく相手だったなら、すげー気が楽だったのになぁ……)
嫌味な程有能なくせに、性格が手の施しようがない程歪んでいる、なのに優しい?
最悪だ。
そんな男に惚れている彼女の、男の趣味を疑いたくなる。
モヤモヤと複雑な心境と暴れ出そうとする身体。これからの自分の一生を思って叫び、自分の中との戦いに身を委ねた。
※
腕の中にすっぽり収まる、華奢な身体の温かさと柔らかさ。そんなものに心底安堵した。
緊急事態で咄嗟に抱き込むしかなかったが、心配したような反発はなく、むしろこちらの怪我に顔色をなくした彼女はどこにも変わりはないように見えた。
けれど違ったのだろう。
外から見えるだけが全てではない。
そんなことは百も承知しているのに、彼女に関して目が曇る、と身近な人間に指摘される通りのことが、その日起こった。
満月の清かな青い光に、薄物のゆったりした夜着の中の華奢なシルエットが透けて見える。
世間一般が女として理想的とする体つきの知人ばかりが周囲にいるせいか、自分にはその魅力が薄すぎるとでも思っているらしい海夜は、自覚なく薄着で出歩く。
ガウンの胸元にしっかりくっきり谷間と呼ばれるものができる体つきのくせに、やめてくれと何度目を逸らしたか知れない。目に毒だと言っても信じられないらしい。
彼女の心身不調の為に暫くは近づくことも触れることも出来ないというなら、逆にこちらには都合が良かった。
触れてしまえばどうなるか。
よくわからない。はかることができない。
そんな危うさがある自分に向かって、薄い夜着の裾を夜風に揺らしながら海夜は言った。
「–––––––––あのね、触ってもいい? 武尊」
お読みいただきありがとうございます♪
ブックマーク等大変嬉しいです。
ありがとうございます。




