第二十四話 再会
『………吐き気がする』
『………眩暈がする』
バタンっと勢いよく閉まる扉を見送りながら、主人も皇女の兄も、憔悴したように額を抑えて力なく呻いた。
笑いを堪えすぎて、虎は腹筋が痛い。
『……おまえの妹のあさってすぎる思考回路を、いい加減どうにかしろ……』
『祖母ちゃんと母さんに言えや……。……とりあえず美鈴はシメる』
主人の唸るような言葉に、頭を抱えて呻いていた皇女の兄は、決意するように右の拳を固めている。
『あれ、違うんですか?』
若干残念そうな声が聞こえて虎はようやく立ち上がるが、こみ上げる笑いを収めきれない。
確認するように首を傾げているのは、来訪者の少女だった。やや丸顔の童顔は年齢なりで若々しい。
『逆に何でそう見えんの? うちの妹、奇天烈が過ぎてどうすりゃいいんだ……』
『あの思考は一種のホラーだろう。奇天烈で済むか』
疲労の滲むげんなりとした表情で少女に答えた皇女の兄に、主人が珍しく険しい表情で意見している。皇女のとんちんかんな妄想が、ひどく堪えたらしい。
二人の疑問に答えたのは、来訪者の少女だった。
『女子の願望だと思います。美形男子はみんなで愛でたい、一人のものになって欲しくない、でも甘い言葉も囁いて欲しい。その相手が同性なら許せるというのが、主な理由らしいです。中には相手にはなりたくないけど、推しのイチャ現場の部屋の壁になって見ていたい、という強者もいるそうで』
『も、それ以上は。オレはよくてもコイツは無理だから』
少女の澱みない説明に、皇女の兄は力なく笑いながら青ざめて鳥肌を立てている。
主人は普段通りの無表情だが、微かに眉間に皺は寄っている。理解不能という所だろう。
『……ほう。おまえはいいのか』
『オレは女の子の冗談を笑って流せるけど、お前は海夜の冗談しか流せないだろ』
『種類によるが。先程のは訳がわからない』
皇女の兄の言にそれは確かにと内心頷く。
主人は冗談を流せないわけではないが、無反応なので冗談が通じないと思われがちだ。
こちらの顔色で何かを察知した主人が目を眇めて睨んで来るが、素知らぬふりで目を逸らし、皇女の兄へ目礼した。
「兄君さまには此度の件でお疲れでしょうに、ご迷惑をお掛けします」
主人が労いを掛けないので、せめて虎だけはと思い礼を言う。
皇女の兄は軽く笑って、背伸びをするように長椅子にもたれた。
「仕方ないっす。無事嫁に出すまでは。祖母との約束あるし、親も気ぃ揉んでるし、コイツはこんなだし」
親指で示すのは主人だが、その主人は片眉を上げるだけで特に何も言わない。
「しかし、何であんな事言い出すんだ。美鈴の影響がでかいとしても、婚約者が同性愛者だとか普通思わないだろ。親が拗らせたのに付き合ってたから、そっち方面壊滅的に鈍いとは思ってたけど、あれはやべぇ」
頭痛でも抑えるようにこめかみの辺りをほぐして、皇女の兄は深く息をついた。そうして主人を睨みつける。
「お前、何やった」
「何も。こちらが訊きたい」
兄の鋭い問いに、主人がひと言で返し、しばし睨み合うように両者に沈黙が流れる。
何か、といえばあったような気もするが、それを指摘すれば後で嫌味の雨が降るだろう。とりあえず平和を好んで虎は口を閉ざす。
見守ることを選んだ虎とは逆に口を挟むのは、まだまだ若い来訪者の少女だ。
空気は読むが、好奇心も抑えられない。
『翻訳機って便利ですね。そこの眼帯の人が皇子さまっていうのは、この部屋に来るまでに何となく周りの人の呼び方で察したんですけど、平尾先輩が結婚予定っていうのは初耳です』
話を理解するまでに時間がかかっていたようだ。本当ですか、と重ねて訊ねる声は疑うというより好奇心に満ちている。
『……妹から何も聞いてない?』
『ざっとだけ。お祖母さまがこっちの方で、お父さんが特殊だから遺伝の関係でこっちに来ちゃうって』
要約し過ぎている気がするが、合ってはいるので皇女の兄も訂正する気はないらしい。
だが、何かを言いたげに主人を見るのは、虎と同様だ。
「扱いきれない情報は身を滅ぼす。まずはこちらに慣れることが先だろう。その辺は海夜も心得ている。……見事に利用されたがな」
疲れたように息をつき、肘掛けに頬杖をつき直す主人の腕の小型タブレットから微かな電子音が響く。それに目を遣り、数瞬考えた主人は立ち上がった。
「席を外す。目的の人間が到着したら、その娘を連れて行け」
「あいつ、どうすんだ」
書斎の扉を暗に示されて、主人は少々目を眇めた。
「……会わせないと、いつまでも煩いんだろう」
「将来の禍根になりそうだな」
先程の皇女の様子を思い出し、意地悪に含み笑いをしながら頷く皇女の兄に、主人は鬱陶しそうな視線を投げる。
「じきに薔珠が戻る。受肉精霊と薔珠、二者を伴うことが条件だ」
「はいよ。結局お前は海夜に弱いよな」
付け加えられた言葉に、小さく舌打ちして主人はこちらを見た。
「行くぞ、虎」
皇女の兄へ礼をして部屋を出ると、主人は腕のタブレットを操作しながら指示を出してくる。
「ギジィ所長からの急ぎの報告だ。執務室で通話する。資料の用意を」
「は。検非違使隊から引き抜いた者の接見予定は? 調整いたしますか?」
昼過ぎに主人が呼んだ近衛隊員の、歩哨の交代時間はもう僅かだ。
行方不明だった来訪者が確保された今、近衛隊員からの証言を急ぐ理由はない。何なら既に、内通者も確保されているかもしれない。
「……来訪者の直接の証言を、保障するのに必要だろう。呼んでおけ」
保障。
意外な言葉に、まじまじと主人を見てしまう。
「なんだ」
「いえ。………温情ですか」
つい訊ねてしまうのは、当該人物の皇女への仕打ちを許していないと思っていたからだ。
不機嫌そうな無表情でこちらを鋭く見てくるが、結局この人は弱い立場の者の不利益を、それとなく軽減しようと動く。
「––––––いずれは国民。納税者だからな」
どこかで聞いた台詞だ。
白々と虎の言葉に答えて歩き出す、その背を見ながらふと笑みが湧く。
兄妹と関わることが、主人の人間らしい感情を刺激する。
それは虎個人にとっても、国の将来にとっても良いことだと、嬉しく感じるのだ。
※
到着しましたよ、と白髪混じりの初老の男性から告げられ、珊瑚が平尾の兄と共に案内されたのは、広い玄関ホール横の部屋だった。
可愛らしい内装なのは、この国のお姫さまの為の屋敷だかららしい。外観も如何にも乙女チックな洋館、といった風情だったけれど、内装も女子心をくすぐる可愛らしさだ。
二本足で歩くネズミがいる、夢の国を思わせる。
実際この世界は夢の国みたいだ、と思う。
空気には光の粒みたいなキラキラしたものが混ざって光り、色も日本にいる時より鮮やかに見える気がする。視力悪いはずなのに。
近未来かと思わせる科学力があるのに、精霊なんてスピリチュアルな存在を、当たり前に受け入れて暮らしている。
日本と通じる気風の国だけれど、超自然的現象を国全体で現実だと受け入れるなんて、珊瑚の感覚ではあり得ない。
そういう国で、世界で、これから生きていく。戸惑うより先に、楽しみの好奇心が勝る。
(……お盆と命日のお墓参りはできなくなっちゃうけど……、ごめんね、ママ、ばあば)
ふと湧く罪悪感は、一生胸にしまっておくものだ。幸い、二人の形見の指輪は肌身離さず持ち歩いていた。ここにも一緒に来ている。だから思い残すことはない。
唯一あるとしたら、それは……。
扉が開く音がして物思いに耽っていた珊瑚がそちらに目をやると、焦茶色の髪の青年が、両脇を軍服姿の男性に固められてこちらへ歩いてくる所だった。
所持品検査等をしてから屋敷に入れます、と言われていたからそれが済んだのだろう。
青年の顔を見ると、確かに滝本だ。少々薄汚れて疲れた顔つきはしているけれど、怪我をしている様子はない。安心して肩の力が抜けた。
部屋内を興味深そうに見回しながら目の前まで来たその人物は、ようやくこちらに気づいて声を上げた。
「……サンサンっ? お前もなんかやらかしたのか……っ!?」
(人の顔を見た第一声がこれって、殴ってもいいかな)
真剣に考えた時、代理のように平尾の兄が彼の額を指で弾いた。
「心配してる後輩に向かって、言うことじゃねえなぁ?」
頭を下げてその場を辞す軍人二人に、鷹揚に手だけで応えながら、平尾の兄は滝本へ笑って凄んで見せた。
弾かれた額をさすり、「いって……」とぼやいている滝本は本当に元気そうだ。いっそ呆れるぐらい。
「まあ、よかったです。滝本先輩がぴんぴんしてて。どこにいたのか知らないですけど、平尾先輩も心配してたし」
「平尾……。え、お前会ったの!?」
「さっき会いました。あと、これからのこととか絡んでくるから勝手に決めちゃいましたけど、ここには私が残りますんで、滝本先輩は日本に帰って下さいね」
直球に切り込んで伝えると、滝本は唖然と口を開けた。
「最初に言っといたじゃないですか。私は帰りませんよって。ホントに未練ないんです。こっちで自分にできること探す方が興味ある」
「……いや、え、っちょ……、えぇ……」
混乱したように短い前髪をかきまぜて、目を白黒させている滝本に、見かねたのは平尾の兄だった。
短く息をついて腕を組み、まっすぐ彼を見る目には呆れと哀れみと両方が混ざっていた。
「一応、君の希望も聞いとく。帰りたいか、そうじゃないか。平等にしとかないとな」
「そうでしょうけど……」
頭を抱えて蹲らんばかりに困惑しているのがわかって、仕方ないなあと苦笑が漏れる。
「もしかして私に悪いとか、一人だけなんて、って思ってるなら、それホントにお門違いですから。むしろ迷惑」
「……お前なぁ……、オレだってお前のことは心配してんだぞ。家庭が複雑だってのは、何となく噂で聞いてるし」
同じ中学から進学した生徒は多くはなかったのに、珊瑚の家庭事情はふんわりと学年中に広まっていた。珊瑚と関わりがあれば、学年違いであっても知っていておかしくはない程度に。
それを心配していたというのなら、珊瑚の選択も理解できる筈だ。
「じゃあ尚更ここに残る権利、私にください。今の私に残された唯一の希望なんです」
明るく笑って言い切る。
本当のことだから、無理はしていない。
けれど、目の前に滝本がいるとちょっと気張らなければ、と思うのは、珊瑚にとっての心残りがこの人だからだ。
母を亡くしたばかりで、血が繋がっているだけの知らない人達と一緒に暮らして、とにかく気落ちして心細かった時に出会った先輩。
新入生のオリエンテーションで体育館がわからなくて、泣きべそをかきそうになっていた時に、優しく声を掛けてくれた。
”一年生? 迷子になったの? 体育館だけ離れてるから、わかりにくいよな。連れてってやるから、ついておいで“
桜が咲いてて、お日様を背にした滝本は、珊瑚にとっては頼もしくて優しい、物語の王子様みたいな人だった。
恋に落ちるのなんか、簡単だった。
生まれて初めての恋だった。
そんなことを思い出したら、つい唇が震えてしまって慌てて引き結ぶ。
それを見逃さなかったらしい滝本は、眉間にきつく皺を寄せた。
「……サンサン、おま……」
訝しそうに滝本が何かを言い募ろうとした時、部屋の外から慌てたような足音が聞こえてきた。勢い、そのまま大きく扉が開く。
『姫君、お待ちをっ!』
制止する声を背にしながら、息を上げて現れたのは平尾海夜その人だった。
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