第二十話 危ない綱渡り
軽度性的表現あり。
苦手な方はご注意下さい。
滝本天が薄暗い廊下を目隠しされて辿り着いたのは、どこかの貴族の部屋だった。
あの日、あの林道から馬車で連れて来られたのは大きな屋敷で、長い玄関アプローチに白亜の壁が目立っていた。明らかに、この国の上位階級に属するだろうと思われる人間の住処。
馬車を降りた途端目隠しされて、両手も拘束され舌打ちした。
馬車の窓も真っ黒に封じられ、屋敷までの道を確認することもできなかった身には、屋敷の外観が自分の居所を探る手立てだったのに。
用意周到なのか、こういう犯罪に慣れた輩なのか、どっちにしろヤバい奴らなんだろう。
屋敷の主人が出かけているとかで、放り込まれた部屋に軟禁状態でいたが、食事はきちんと出されていた。とりあえず餓死させる気はないらしい、と安堵はしたが、拉致監禁する輩の出す食事に手をつけるのは正直嫌だった。
でも仕方がない。
先の為にも体力を落とすわけにはいかないと、無理やり口に入れた。
まだコンビニのパウチパンの方が信用できるのに、と思いながら。
それから一昼夜。
何度目かの食事を経てようやく部屋の外に出された今現在、窓の外には夕陽だか朝陽だか、判別できないオレンジ色の陽光が差していた。
閉じ込められた部屋の窓は、目打ちがされて外の様子を窺うことはできなかったから、時間の経過は食事の回数でしか確認できなかった。
おそらく今は夕方だ。
あの林道から丸一日は経っている。
連れられて来た部屋の中で、所在なく立たされながら考えた時。
『どうぞ。目隠しを取って』
落ち着いた、大人の女の声が響いて驚く。
(え、女? この犯罪を女が?)
躊躇っていると、後ろに立った男が目隠しを取った。
『初めまして、来訪者さん?』
自由になった視界には、豪奢なシャンデリアの下がる華美な内装と、少し先に座っている小柄な女の姿が目に入った。
青みがかった銀髪は幾本もの豪華な簪で結い上げられ、レースとフリルで飾られた薄ピンクのガウンに身を包んでいる。
(……いや、いいけど。年齢と服が合ってなくないか?)
内心毒づくのは、かなり年上に見えたからだ。自分の親と同世代ぐらい……少なくとも、三十近くは年上だろう。目の前のこの女のガウンは平尾によく似合いそうだ。
そこで思い出す。平尾に会う為にこの危ない話に乗ったのだと。
自分は今、綱渡りの状態なんだと自覚して。
『あら、いいお目々。来訪者には選ばれし、とか謳われる人物も多いそうだから、貴方もそういう一人かしら?』
(何だそりゃ。架空世界の勇者かなんかか?)
面白そうに探る目つきの女は、立ち上がりこちらに身を乗り出した。
わさわさと重そうに嵩張るフリルが、女の胸元でだぶついている。
細身の身体のくせに、胸だけはなんか入れてんのかと勘繰るほどボリュームがある。柔らかそうだが締まりのない谷間に目が吸い寄せられた。挟めるな、と意識の上澄みで考えて、とりあえず醜悪さに目を逸らす。
こちらのその反応に、女は嗤った。
初心いとでも思ったようだ。
『どうして何も喋らないの? ……ああ、もしかしてこちらの言葉がわからない? 来訪者だものね』
言っていることはわかる。たぶん、指の翻訳機とかいうやつのおかげだ。けれど、自分が逃げ出す時に協力してきた監督官とか言う奴には、こちらの言葉は全く通じなかった。
だったら言葉が通じないままにしておいた方が、何かと便利な場合もあるだろうとわからないフリを装っている。
女は面白くなさそうにしながら、こちらの顔を検分し出した。
『お顔は、……うん、まあまあ。来訪者なんて、と思っていたけれど、つまみ食いくらい許されるかしら。要はお兄さまのお顔を潰さなければよろしいのだし』
(何言ってんだ、この女)
内心でギョッと驚き慄く。
動揺が顔に出ないように、慌てて平静を装った。
『あのね、貴方選ばれたの。これから貴方に任される仕事は、誰にでもできることじゃないんですって。英雄になれるらしいわよ』
(はあ? 英雄??)
勇者やら英雄やら。
現代日本にいたら鼻で笑われる思想だ。
「……平尾に会わせろよ。会わせるって約束で、この話に乗ったんだ」
『あら、やっと喋った。でもやっぱり来訪者ね。何言ってるのかてんでわからないわ。こんな言葉も通じない状態でもいいのかしら? まあ、指示通りにするだけだけれど』
そう言いながら、女はガウンのポケットを探り、手の平に収まるサイズの小瓶を取り出す。
厳重にされた封を簡単に破り取り、蓋を開けた。
途端にむわりと小瓶の中から立ち上がる、甘ったるい纏わりつくような匂いが鼻腔をついた。
「………!?」
一瞬、強い目眩のようなものを感じて頭を振る。目の前に立つ女の姿が霞むようにブレた。
ブレて、違う姿が重なる。その姿に目を瞠る。
夕陽に映える、金色に透ける長い髪。
ゆるく波打って柔らかそうな髪が、誘うように甘くなびく。
透ける程白い肌が、恥じらうように桃色に頬を染めて、狂おしい程の色香を放っている。
手を伸ばせば、艶めかしくほっそりとした手がそれに応えてくれた。期待をもたせるように、指と指が絡む。
色素の薄い黄土色の瞳が、こちらを捉えて甘やかに微笑む。
透明感と凶悪な程の色香を放ち、さくらんぼ色の艶っぽい唇が華やかで柔らかな声を紡いだ。
“––––––たきもとくん”
限界だと思った。
絡んでいた手を強く引いて、腕の中に隠すように収める。
このまま抱き潰してしまいたい。
『……まあ、そう。好きな子が見えてるのね?』
腕の中から別の人物の声がした。
でももう止まらないと感じていた。
勢いに任せて、腕の中の人物の衣服を剥ぎにかかる。平尾の顔のまま、その人物はすぐにあられも無い姿になった。
荒い自分の息遣いを意識しながら、その身体に目が釘付けになる。
おかしい、と。
(おかしい。
胸に、傷跡がない)
これは違う。平尾じゃない人間。それなのに。
柔らかそうな、二つの膨らみに手が伸びてしまう。でも、躊躇ってもいる。
その手を掴まれ導かれる。
『いいのよ。手を止めないで? 思う存分、楽しんで? その代わり、私のお願い事も聞いてね? ねえ? お願い……、“ミヤ”って名前で––––––……』
ひそめた声で耳元に囁かれた言葉は、甘美な痛みを伴って心に澱のように沈澱し溶け込んだ。
みや。海夜。
何度心で呼んだかわからないその名前に、自分の深層が紐づけられたとは思いもせず、快楽の波に攫われた。
「はい、申し訳ないけど、そこまでね」
びしゃり、という音と共に、滝本は頭から冷たい何かを浴びせられて何度も瞬いた。
(え、なんだ? 何が起こった?)
前髪からいくつも雫が落ちて、頭から濡れそぼっているのだと自覚した。
『な、何っ、あなた誰っ!? どこから入ったのっ!?』
手に持っていた金属製の水差しを床に放り投げて、女が金切り声を投げた人物は大きく大きくため息をついた。
『うん、ごめん。オレも野暮なことはしたくないんだけどさ。この甘ったるい匂いは、どう考えても何か盛ってるよね?』
しゃがみ込んだ自身の膝に頬杖をつきながら、その人物は乾いた笑い声を上げた。
そのしゃがみ込んでいる人物とすぐ近くで目が合い、何でこんな近くに顔があるんだと自分の周囲を見回して、硬直した。息が止まったかと思った。
上質な絨毯の上であの銀髪の女と二人、半裸の状態でもつれ合っていた。
「……………ぁっっっ!!!」
一瞬で全身の血の気が引いた。
あまりの恐怖に、声にならない悲鳴を上げて飛び退く。
(やっべウソだろマジでっっっ!?
何でこんなことになってんだ、途中から記憶がすっぽ抜けてる!!!)
激しく鼓動を打つ心臓を押さえて、滝本は自分の下半身を見た。
ズボンは穿いていた。上半身は剥き出しだったけど。
(……ぶ、無事……? 無事なのか、これ……。わ、わかんねぇ……、事後なのか前なのか。頼むから、前であってほしい)
冗談でも“挟める”なんて考えるんじゃなかったと、激しく後悔した。そこに目がいくのが男の性なんだとしても、下心を利用されたのは確かだ。
『……まあ、この彼の反応が何よりの証拠なんだけどさ。同意ないんでしょ? 年下の男のコ誘うにも、も少しやり方考えようぜ、マダム』
動揺で吐き気を抑える滝本の耳に、うんざりしたような声が聞こえたのはその時だ。
色素薄い茶系の髪は、夕陽に透けると金色に見える。飄々と人を食ったような態度と、端麗、と呼ぶことしかできない顔立ちには見覚えがあった。
呆れたように銀髪女を説教していたその人物は、今度はこちらに同じ目を向けた。
「君もね、来たことない所なんだから気をつけろよ。ちったぁうちの妹の恐怖が理解できたんじゃないか? もう少し見てよっかなー、と思ったけど絵面が辛くて居た堪れないのと、一応後輩だし、助けてやるよ」
「……平尾先輩……っ!?」
平尾海夜の二学年上の兄、和夜。
同じ高校の先輩でもあった彼が、今ここに、この惨状に呆れ返って脱力した体で存在していた。
※
急いで服を整えて滝本は彼に向き直る。
半裸の状態で震えて動けずにいる銀髪女を、しゃがみ込んだまま観察している平尾の兄は、冷静な目をしていた。
そうしておもむろに、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出して、ガウンを体にかき集めている女を撮影し出す。
『はい、カシャー。証拠写真ね。あと何枚か撮らせてもらいますよー、マダム。身から出た錆だからね、大人しく受け入れてね』
口でシャッター音を真似ながら、連続して何枚も女の写真を撮る。それを避けるように女は急いで衣服を身に着けた。
平尾の兄は床に転がっていた小瓶を手袋をして拾い上げ、香りを確認するように鼻元に持って行く。
『やべぇ代物だよね? 回収ね』
その小瓶も写真に収めながら、平尾の兄は銀髪女を覗き込んだ。
『マダム、まだまだきれいなんだから、犯罪に手を染めんのやめた方がいいよ? でも滝本発見の報せしたから、もうそこまで検非違使来てるけど』
『な、何ですってっ!? そんな……っ、ご、護衛はっ、護衛は何をしているの!?』
『扉前にいた奴らが護衛なら、その辺で伸びてるごめん』
軽く言って立ち上がり、体を伸ばしてから平尾の兄はこちらの腕を取って立たせた。
「君はこっち。連れて来いってご指名」
「先輩、何で……っ、どうしてここに……っ?」
「妹に呼ばれたんで。春休みの楽しい旅行中だったのになー」
「……いえ、そうじゃなく……」
口ぶり程残念そうでもなく、髪をかき上げながら平尾の兄はボヤいた。
「オレは本来ここに関わりたくないの。でも妹ががっつり関わってるもんだから、何かあると呼び出されんだよな……。使い勝手いいとかほざきやがって、あの阿呆」
ここにはいない誰かに向けて文句を呟きながら、彼はこちらの指の機械を指差した。
「それ、翻訳機だって? 来訪者用の試作機。来訪者の行動管理と身分証明も兼ねてるから、追跡機能が付いてるんだと。良かったな? 悪いことする前で」
「……いや、はい、まぁ……。いやいや、先輩どっから何見てどう判断して……」
「ああ、さっきの? 知られたくないんでしょ、他の人間に。特にうちの妹」
図星を指されて、ぐぬと詰まる。
たぶん変な薬のせいなのだろうが、自分にはアレが平尾に見えていたと、言い訳するにもどう言えば。醜態の上、平尾のつもりで欲情したとバレるのも、更に彼女に軽蔑されそうで耐え難い。
答えられずに口を開け閉めしていると、平尾の兄は面倒そうに息をついた。
「この件の責任者には、ありのまま見た事実を報告する。そこの女の話も。でも妹に君の話できるわけねぇだろ。結婚決まってる人間に何てことしてくれんだ、全く」
未だ呆然としている銀髪女に視線を遣り、次いでこちらを睨む。
自分が平尾にやらかしたことを知っているらしい。
……当然か。平尾兄妹の仲の良さは、校内でも有名だった。
「………すみませんでした」
「オレに謝られても。それで妹の状態が改善すんなら、土下座でもして貰いたいぐらいだけどな」
「いくらでもします。………でも許されるわけないって、思ってもいます……」
後悔していると、伝える術はやはりないのだろうか。
平尾に会って、謝罪する。
それだけの為にこんな危ないことをしでかした。なのに結局、人に迷惑を掛けただけだったのは我ながら痛い。
肩を落とした滝本の様子に、平尾の兄は絆されたわけではないのだろうが、一瞬だけ考えるように首を傾げた。
「……君が妹のこと、気に入ってた話は知ってる。気の毒だとも思う。でも妹が選んだのは君じゃない。そこ、間違えないで」
「………はい………」
「あいつの婚約者と美鈴と貴一に殴られんのは、覚悟しとけ。特に幼馴染二人。すげぇキレてたよ?」
「……殴られる?」
「そうそう。それも伝えなきゃだわ、そういや」
平尾の兄が疲れたように首を鳴らしながら呟いた時、閉ざされた扉の外が急に騒がしくなった。大人数が集まってくる気配がしている。
「お、来たな」
扉に目を遣り、平尾の兄は銀髪女を覗き込んだ。
『マダム、お迎えだよ』
その言葉に、女はひっと息を飲み部屋の隅へと逃げ出す。彼女は夕陽の差し込む窓を開けようと、鍵に手を掛けた。外へ逃げるつもりか。
「往生際悪くてめんどくせー」
右手の何かを振りかぶり、ボールを投げる仕草で平尾の兄が擲ったそれは、鋭く重い音と共に女の顔横スレスレの壁に勢いよく突き立った。
金属音の余韻の尾を響かせるそれは、どう見ても刃物。……おそらく、サバイバルナイフと呼ばれる大型のナイフだ。
『…………っ』
腰が抜けたようにその場にへたり込んだ女と、平静なままの平尾の兄を見比べて、滝本は青ざめて引いた。
(こ……、この人、こんな過激な人だったっけ……っ?!)
高校の上級生だった平尾の兄は、人当たり良く卒なく何でもこなす優等生。の皮を被った冷めた人だった。
人の輪からつかず離れず、はみ出さない程度に要領良く人との距離を取る。けれど、特段仲の良い友人もいない。くだけた笑顔を見せるとしたら、妹とその幼馴染達ぐらいで、それを不満に思っている風もない。
大人だ、と密かに憧れたし、周囲の男子もそう思う人間は多かった。
『マダム、逃げたら悪い事してますって白状してるのと一緒だろ? 大人しくしとこうぜ』
言い終わった途端、扉が大きな音を立てて開き、制服の集団が雪崩れ込んできた。
窓際の女に捕縛の手がかかる。
『嫌よ、何で!! 私何もしてないわ!! 来訪者を預かれと言われたからそうしただけ! 検非違使には知り合いもいるのよ!! その人を呼んでよ!!』
無理やり立たされ髪を振り乱しながら、金切り声で女が叫んでいる。
『文句は皇子サマにどうぞ。人使い荒いったらないわ、アイツ。オレまだ着いたばっかだっつーの。後で覚えてろよ、あのクソガキ』
壁に突き刺さったナイフを抜き取りカバーに収めながら、平尾の兄は舌打ちせんばかりに呟いている。
「……皇子サマ? なんでそんなのが……先輩? そういえば、さっき殴られるの覚悟しとけって……」
ついさっき、平尾の兄は幼馴染二人と、婚約者の三人の存在を仄めかした。
幼馴染二人は日本にいるし、平尾の結婚相手もそうだと思っていた。だから、日本にいる奴らがどうやって? と思った。
でもよく考えたら異世界を行き来する彼女が、大学受験を取り止めてまで結婚する相手なら、日本人だと思う方が安直だ。
「ああ、アレね。君か一緒に来た女の子のどっちか、一人だけだけど日本に帰れる。交渉するのに時間取ったから、迎えに来るの遅くなったけど。まぁ、二人でよく話し合って? あと、皇子サマはこの国の皇子サマな? 妹の婚約者」
重い内容を軽く言い渡され、またしても自分の中で把握していた平尾の兄の印象が崩れた。
軽い。軽すぎる。
息も止まりそうな驚きは、嬉しいのかそうじゃないのか、よくわからなくて複雑だった。
お読みいただきありがとうございます♪
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