第十六話 精霊のもたらした報せ
何かが起こっている。
そう確信して、虎は目の前に置かれた籠の中の黒い生き物を見つめた。
皇女が慌ててこの生き物を腕にして主人の執務室に駆け込んできたのは、集まった異変の情報を、主人と各部署の責任者が分析する会議の最中のことだった。
会議は一旦中断となったが、受肉精霊の珍しさ、おまけに使役精霊とあっては捨て置けず、情報の共有も兼ねて責任者達はその場に留まった。今もクッションの敷かれた籠の中で、ぐったりと横たわる黒い生き物を皆で観察している。
「受肉精霊ではあるようですが、使役精霊というのは? 何故わかるんでしょうか……?」
「姫君の隣の受肉精霊がそう言うんだが」
「何カ文句ガアルカエ?」
ひそめた声で話す内容が聞こえたのか、薄青金の精霊は皇女の隣で耳を立て、寝そべっていた身体を起こす。目を眇めるのは威嚇か警戒か。
視線を当てられた検非違使隊長と危機管理室長が、途端に背筋を正す。
「いえ、何も」
二人揃って慌てて首を振る。
虎から見たらずっと年上の二人だが、精霊には馴染みがないらしい。対応に困惑してさっと目を逸らす二人に、生物研究所長が肩を揺らして喉の奥で笑った。
この人は、多少なりとも精霊に免疫があるようだ。國皇と同年代で学友だとも聞くこの人は、穏やかな風貌で雰囲気も柔らかい。
「突っかかっちゃだめよ」
嗜めるように皇女に声を掛けられて、受肉精霊は一応大人しく引き下がった。だが、彼らに含むような笑みを見せることはやめない。
これは警戒している。精霊に関して疑念を持つ者は、それを身近にする人間にも疑いを持つからだ。
この精霊は皇女を護衛する目的で受肉を受け入れている。皇女への疑念を持つ人間には、鋭く気を向けるだろう。
「ごめんなさい、失礼を申し上げて」
受肉精霊の警戒を解くように首元を撫でながら、皇女が困り顔で彼らへ謝罪する。それに逆に彼らが慌てるのを見て、虎は少々苦笑した。
「皇女殿下が謝られることではっ」
「そうです、我らの経験値が低いだけですのでっ」
「受肉精霊自体を初めて目にするものですから、こちらにも失礼がありました。申し訳ありません」
三人三様に謝罪する様子に、驚いたように目を瞬いていた皇女は、ふと気を緩ませて笑った。
「お仕事中に乱入して無礼をしたのはわたしです。皆さま、お時間を取ってこちらにいらしているのに。……後でしっかり叱られると思います」
誰に、とは言わないまでも皇女の苦笑する表情に、皆がそれが誰かを悟って納得する。
同じ人物を思い描く空気に皆で笑い出しそうになった時、皇女が背にしていた執務室の続き部屋の扉が開いた。現れた人物に、緩んだ空気が引き締まる。
「おれの悪口か?」
一瞬で変わった室内の雰囲気に、何かを察した主人が意地悪く口の端だけで笑う。
三人の部下が勢いよく首を横に振る中、皇女だけが暢気に笑顔を見せた。
「意地悪言わないで。三影くんはなんて?」
片眉を上げてその言葉を受けた主人は、意地悪は心外だとでも思っているのだろう。別室で対話していた異母弟との会話の結論を、ため息混じりに明かす。
「受肉精霊が言うのだから、精霊だろうという結論だ。神殿の者と三影が確認に来る。そのまま神殿預かりになるだろう」
「そう……。……わたしは、精霊だと思うけれど、……武尊は?」
「精霊だろう。そいつに咬まれてここまで昏倒しているのも根拠だ。精霊に干渉できるのは精霊だけだからな」
主人が精霊を殺せるのは、精霊を武器として使えるからだ。
「使役精霊というのは? それも何か根拠があるものですか?」
検非違使隊長が訝しげに訊ねる言葉に、主人は薄青金の精霊へと目を移し首を傾げて訊ねる。
「皆に示せる根拠はあるか」
「無イ。我ノ目デ見エルモノヲ、ソナタラ人間ハ見ヌデアロウ? ……アア、ダガ姫ナラバ見エル。彼奴ノ核ノ歪ミト変色ガ」
「え? わたし?」
「ソウジャ。我ラノ核ハタダ円ク白イ。自分ノ為ニ生キテオルダケジャカラノ。他ノ者ノ思惑ガ入リ込メバ、ソノ者ノ色ト思想ガ核ニ反映サレル。見ヨ。歪ニ曲ガリ、澱ンダ色ヲ」
座り直した受肉精霊が顎をしゃくって示す、執務机の上の籠を、皇女の視線が追う。
その目は金色に光って見えたが、窓からの陽光を吸い込んだ作用だけではないようだった。
じっと無言で目を凝らす様子に、爛と瞳に光が灯ったように見える。
「……胸の奥の方に見える物のこと?」
「ヤハリ見エルカ。円クナカロ?」
満足そうに息をついた薄青金の精霊に頷いて、皇女は小首を傾げた。
「でこぼこしてるわ。所々、角みたいに尖ってる。色も、白と赤黒い色が混ざりきれなくて、マーブル状で、……苦しそうだわ」
可哀想だと言いたげな感想に、今度は主人が息をついた。
「便利な目だが、何者か判らない存在に同情はするな」
そう言って、黒い受肉精霊の横たわる籠を覗き込む。
「そろそろ目を覚まして欲しいものだな。これでは何も訊けない。虎、水を持って来い」
「は? ……は」
突然の指示に戸惑うが、何か考えがあるのだろうと虎は黙って従う。
壁際に備えられた小机の上から、水がたっぷり入った水差しを主人に渡すと、皇女達も不思議そうに首を傾げた。
「それをどうするの?」
「猫には水だろう」
言いながら籠に近づいた主人は、躊躇いなくその籠の中へと水差しの水を勢いよく注ぎ入れた。
いや、注いだとは生温い表現だ。たっぷり入っていた水を、意識のない受肉精霊に向けて全量ひっくり返したのだ。
案の定、勢いよく水の落ちる音がして、籠の中で黒い生き物が飛び上がるように目を覚ました。
何者かは知らないが気の毒に、耳の中にまで水が入ったのか頭を強く振って呆然としている。
(………ひどい。
この人はどうしてこう、対応に困ることをするのか……)
思わず顔を半分覆って居た堪れなさを自重する。
主人をよくわかっている自分でもこう思うのだから、他の人間は言うに及ばずだろう。大きく息を飲んだ面々の顔を見れば、確認しなくともわかる。
薄青金の精霊だけが、そんな主人を肯定するように黒い生き物をせせら嗤っていた。
「使役精霊ガ主以外ノ前デ油断スルカラゾヨ」
「………猫のケンカは水をかけて仲裁って、祖父から聞いたことはあったけど……」
皇女が唖然とした様子で目を見開き呟くのが聞こえたが、歪曲して解した主人に呆れたのは当然だ。
「……性格悪すぎる……」
眉間に力を入れて、抗議するような呟きは殆ど独り言だろう。その呟きに主人はちらりと皇女を見るが、特に何も言わなかった。天地逆に持っていた水差しを執務机に置き、再び籠に目を戻す。
「目が覚めたか」
人間に話しかけるように言葉を掛けたのは、籠の中で半身起き上がり、周囲を警戒するように見回している黒い生き物へだった。
全身ずぶ濡れの状態で主人を見上げ、身体を硬くしている。
「受肉して既に長そうだが、肉体への物質的接触に慣れていないのか。鈍いな。使役精霊というのは虚偽なんじゃないのか」
「我モ姫モ、虚偽ナド言ワヌ」
こちらは皇女のように呟きではない。遠慮なく薄青金の精霊は声を上げる。失礼な、と言いたげに。
「同胞はああ言うが、自分が使役されている自覚はあるか。ここへ何をしに来た?」
感情の窺えない平坦な声で尋問する主人に、黒い生き物の方は困惑するように籠の中で座り直し、主人に向けて一言だけ言った。
「……にゃあ」
濡れそぼった体が気の毒な、小さい猫。
そうとしか見えない光景に、一瞬だけ場に沈黙が落ちる。
同席している高官三人が、これはやはり受肉精霊ではなく猫だったのではないかと首を傾げた時、主人が口の端だけで意地悪く笑ったのが見えた。
「下手な演技だな。そうしろと主人に命じられているのか。猫ならばもう少し猫らしくしろ。濡れそぼって毛繕いもしない猫がいるか」
主人から尤もな指摘が出て、黒い生き物はハッとしたように自分の身体を見下ろし、慌てたように毛繕いを始める。
その様子に生物研究所長が吹き出し、残りの二人は息を飲んで黒い生き物を見た。
「……本当に受肉精霊なのですか……」
人間達の反応に黒い生き物は小さく舌打ちし、籠の中から飛び降りようとした。
それを制したのは、目の前にいる主人だ。腰後ろに携帯していた短刀を素早く引き抜き、黒い生き物の傍らに勢いよく突き立てる。刃は鈍い音を立ててクッションを貫通し、中の羽根が何枚か周囲に舞った。
それを見て、同席者皆が体を竦める。
「許可なく動くな。滅多なことをしたら承知しない」
温度のない声音に、壁際で様子を見ていた皇女が薄青金の精霊の首にしがみつくのが見えた。主人の突然の行動に驚いたのだろう。
「………コノ刃デ私ヲ殺スカ、“殺戮者”」
開き直ったように黒い生き物が口を開いた。
受肉精霊で間違いはないようだが、最後に付け足された言葉には、主人へ向けた嫌味と嫌悪が込められ、お世辞にも友好的な態度とはいえない。主人からの仕打ちを思えば仕方がないだろうが。
とはいえ、元々あまりよろしくない目的で使役されているだろうことは、容易に想像がつく。
精霊を使役すること自体は違法ではないが、一般的な事柄に使われることは少ないからだ。精霊使いの使役の失敗で明らかになる事件事故は、大抵物騒なことが多い。
「貴様次第だが。死を知りたいか」
貴種の精霊使いの能力の一つである“殺戮者”と呼ばれても、主人は顔色を変えない。
亜種の中にも精霊使いは存在するが、皇女の“受肉者”と皇女の兄の“解放者”、それに主人の“殺戮者”は、貴種にのみ顕れる能力だった。それは“天質”という言葉で表されることもある。
それぞれ精霊への干渉能力という意味では同じだが、“受肉者”と“解放者”は対であり血族であることが多い。そして、この二者は受肉に関してのみ精霊に干渉するが、“殺戮者”は生命活動への干渉能力を有する。
それは文字通り、“命を奪う”ということだ。
精霊使い同士の争いによって精霊の摩擦が起こり、そこに人間が巻き込まれて凄惨な事件事故に繋がる。それが精霊使役の失敗の代表例だが、精霊を武器として操作できる者は少ない。精霊を使って人間を傷つけることはできても、精霊自身を攻撃できる者は少ないからだ。
その失敗を起こすことなく、完全なコントロール下に置ける者が攻撃型の精霊使いと呼ばれる。そういう者は少なく、各国の貴重な戦力になっているらしい。
その数少ない攻撃型の精霊使いでも精霊を殺すことはできず、それができる者は貴種の中にあっても特殊で、異能に分類される。
主人のこの異能に気づいたのは、皇妃が最初だったと聞く。一番身近にいた母親なのだから当然だが、だからこそ皇妃は主人の身の安全の為に、三年以上もの間あちこちを転々と逃亡し続けた。
黄國にとっての“殺戮者”は過去の汚点につながる存在であり、国の歴史を学んだ者ならば、それが危険な者だと排除する方向に動くからだ。
「役目ヲ終エタ後ナラバ、イツデモ受ケ入レル。ソノ時ハオマエモ道連レニシテヤロウ」
「同胞に簡単に捕まる身で、よくぞ言えたな。人間の傍に永く居過ぎて、精霊の気配に疎くなったか。主人の程度が知れるな」
「オ前ノヨウナ者ガ我ガ主サマヲ語ルナド許サヌ。偉大ナル我ガ主サマハ、高貴ナル血筋ノ貴種サマデアルゾ」
貴種。
この精霊の主人だという人間が。
既に主人が誘導尋問を始めていたことに、周囲の人間が遅ればせながら気づいた。
遠巻きに観察していた高官三人が、静かに耳をそば立てたのを感じ、虎も油断せずに主人と黒い精霊のやり取りに集中する。
「貴種ならここにもいる。目の前と、あちらと」
自分を示した後、壁際で薄青金の精霊にしがみついたまま微動だにせず息を詰めている皇女を示して、主人は酷薄に口元だけで笑んだ。
「殺戮者ナド要ラン。用ガアルノハソコノ貴種女ダケダ」
「ほう。貴種女に用か。興味深いな」
そう言うと、口元の笑みはそのまま、壁際の皇女を振り返る。
「海夜。おまえに用だそうだ」
まさか、皇女をこの何者かわからない精霊に近づけるつもりだろうか。虎は内心驚いて主人の顔を凝視した。
皇女も自分に水が向くとは思っていなかったのだろう。戸惑って主人を見返し、緩慢な仕草で立ち上がる。
だが、近づこうと足を踏み出し掛けた皇女に、主人は待ったをかけた。
「そこでいい。青いの。間に立て」
「使イ方ガ雑ジャノウ。言ワレンデモ、姫ノ護衛ハ我ガ役目」
のそりと首を低く垂らしながら動く薄青金の精霊に、皇女が胸の前で両手を組んで不安を押し込めているのが見えた。
「それで? 何を語る?」
面白そうに口元の笑みを消さずにいるが、片手にした短刀は未だ精霊の傍らに突き刺したまま、低い温度で白々見据える目も警戒を解いていない。
それでも黒い精霊は目的の人物に視線をヒタと当て、皇女を上から下まで眺めて頷いた。何かに納得したような満足したような仕草は、値踏みと呼ばれる視線に似ていた。
濡れネズミのような細い身体で座り直した黒い精霊は、ニマリと深い笑みを口元に刻む。
そうして、主人と薄青金の精霊に護られるようにして立つ皇女へ向けて、瓏々と口上した。
「黄花・サディルノ姫ヨ。永ノ時ヲ経テ、ヨクゾ異界ヨリ帰還シタ。コレヨリ先ハ、我ガ国ガソノ身ヲ保護スル。貴種王家ノ女ハ貴重。貴種王家ヲ存続サセル責務ヲ持ツ者同士、我ガ主ハ、黄花・サディルノ姫トノ婚姻ヲ希望シテイル。姫ヨ、コノ申シ入レヲアリガタク受ケヨ。先祖ガ苦キ思イヲシテ繋イダ命、シカト繋グ為、我ガ主トノ婚姻ニ臨ムガ良イ。我ガ主ハ貴女ヲ正妃ニト所望シテイル」
黒い精霊の口から居丈高に発せられた内容に、皇女はじめ、その場は時が止まったように静まり返ったのだった。
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