第十話 おかしなふたり
その日の午後早く、海夜は馬車に揺られて大きな煉瓦建ての屋敷へとやって来た。
散歩も兼ねて歩いて行きたいと例の如く口にしたら、やはり例の如く武尊に無言で目を眇められ圧をかけられたので、大人しく口を閉ざした。警護の問題もあるので仕方がないのだろうけれど、春先の植物を見ながら歩きたかっただけなのに。
案内された部屋の、大きなバルコニーに出て景色を確認すると、部屋の真裏は湖に面していた。
春浅い午後の陽光に、屋敷の煉瓦の壁は茶色というより薄紅色に光って見えた。手入れの行き届いた庭園の階段の先に、小さな船着場も見える。船遊びができるように設計されているらしい。
両隣を見れば窓が並ぶ小さな塔が建ち、煉瓦の薄紅色と相まって、湖側からは可愛らしい花のように見える並びだろう。健康を害した過去の皇女の為の静養所というだけあって、可愛らしい設計で造られている。
屋敷を囲む林の葉ずれと、湖の清かな波音しか聞こえてこない、自然に囲まれた静かな場所だった。それは、自宅を思い起こさせる雰囲気でもある。
田舎だったけれど自然だけはたっぷりとあって、兄と幼馴染二人と、山の中を飛び回って遊んだ懐かしい記憶を思い起こさせる。
胸に深く息を吸い込んでゆっくりと吐くと、何だかスッキリした気分になってきた。
「姫さま、外套をお預かり致しますわ。まだお外をご覧になられるのでしたら、こちらにお茶をお持ち致します」
「いいえ、大丈夫。少し景色を見ていただけだから」
侍女の眞苑に声を掛けられて、部屋の中へと戻る。
「この後お顔合わせがあるそうですので、身支度の為に少々お身体に触りますが、よろしいですか?」
白玖音が髪飾りと櫛を手に気遣わしげに確認してくるので、大丈夫だと告げると衣装部屋に連れて行かれ、あっという間に飾り立てられる。
「嫌だと思われたらご無理なさらず、すぐに仰って下さいませね?」
「平気よ。眞苑と白玖音がわたしに嫌なことをしないって知っているもの」
とはいえ、ガウンの着脱時は流石に粟肌だってしまって、何とか朝晩の身支度を済ませている状態だ。二人に気を遣わせるのも申し訳ないので、一人で着脱できるガウンやドレスを選んで自分でこなしても、それにも限界がある。
首元の痕、というものを見ると吐き気がするので鏡を見ることもこわかったのが、今は綺麗に消えていますよと二人に後押しされて、おそるおそる鏡を見られるようになったのは今朝からだ。
傷の治りが早い体質でよかった、と自分の体質に心から感謝した。
その首に、小振りだが上質な宝石がいくつも下がる、細い鎖を編んだような繊細な首飾りを飾られて不思議に思う。
そういえば何の為に着飾って、誰と顔合わせをするのだろう。
「お終いです。はぁ、毎回会心の出来ですが、今回も会心でございますわ」
髪を巻き終えた眞苑がコテをしまいながら感嘆の息をついて褒めてくれるので、苦笑しながら「ありがとう」と返しておくが、肝心の目的を聞いていない。
「顔合わせって、どなたと会うのかしら? 何も聞いていないのだけど」
鏡越しに二人に問いかけると、二人は顔を見合わせて悪戯っぽく笑った。
その含み笑いは、いい意味にも悪い意味にもどちらとも取れる中間のもので、暢気に首を傾げることしかできない。
「誰カオラヌカ。朴念仁ガ来ルゾヨ。オウ、姫、ヨウ出来テオルナ。眩ユイホド美シイノウ。馬子ニモ衣装ジャ」
衣装部屋へと顔を出した薄青金の四本足に笑顔を向ける。
同じ馬車に乗って一緒に部屋まで来たこの受肉精霊は、先ほどまで扉前に陣取ってお腹を出してだらしなく寝そべっていたのに、今はそんな緩さもきれいに隠して褒めちぎってくれる。目を細めて嬉しそうに言う所など、武尊とどちらが婚約者なのかわからない。
いや、この様子は孫を褒めそやす祖父のようだ。
「そんな言葉、よく知っているわね?」
若干呆れた苦笑が口に上って、側に来た精霊の首元を撫でる。
「我ハ来訪者ガ好キナノジャ。アノ日、其方ノ呼ビ声ニ応エタノモソレガ理由ジャ」
「わたしが来訪者だから?」
「ソウジャ。貴種ノ来訪者ナゾ、珍シイ事コノ上ナイ。シカモ黄花・サディルジャゾ? コンナ美味ソウナ娘、中々見ヌカラノ」
「食べたいの?」
「食ウテモ良イノカ? 痛マセヌゾ? 我ハ上手イカラノゥ。スグニ天ノ国へイカセテヤルニ」
自慢げに含み笑いをしながら胸を張る精霊に面食らう。
食べられるのに、痛くないなんてことある?
精霊がどんな風に人間を食べるのか知らないけれど、苦痛がない筈ないだろうと思うので、それはいやだなぁと曖昧に笑うしかない。
「何の話だ」
そこへ突如割って入った声の主の姿を、衣装部屋の扉に見つけて肩を竦ませる。
「……ちょっ……! 着替えの最中だったらどうするつもり……っ」
非常識!!
咎めると、眼帯を付けた秀麗な顔の婚約者は、無表情に開けっ放しの扉を二度ノックした。
開け放してあったくせに何を言う、と言わんばかりだ。
「無事に着いて何よりだ。準備ができているなら行くぞ」
いつも通りの態度と表情で促されて、慌てて立ち上がる。
「行くって、どこへ?」
侍女の二人が裾を直してくれて、何とか武尊の前に立つ。
一応、どんな感じ? という意味でガウンのスカートを両手で広げて見せるが、案の定、彼は首を傾げるだけで芳しい反応を返さない。
腰のあたりに象徴的に施された金糸とビーズの刺繍は、ぐるりと帯のように腰を飾り、大袈裟ではないが華やかさがある。体型がそっくり出るそのデザインは、クラシカルスタイルと呼ばれるものらしい。
最近の流行の形だそうだ。
それというのも、海夜が昨年黄國に滞在していた約一カ月間、祖母の若い頃の物だという、五十年以上も前の歴史遺物とも呼べる衣装を手直しして使用していたことがきっかけらしい。
貴族の若いご令嬢を中心に古い形がむしろ目新しく感じられる、と少しずつそのスタイルを取り入れる風潮が見られていたようだ。外界を見ることができなかったので、海夜には全く知る由もなかった。
(リバイバルというか、日本でもよくある流行の再循環というもの?)
祖母の世代の人々が懐かしいと感じるデザインに、今どきの雰囲気を付け加えるスタイルが去年の秋頃からじわじわと人気になって、今年に入った途端一気に庶民にまで広まったという。
ドレスやガウン等の異世界の服飾のことなんてさっぱり分からないが、ずっとここで生きて来た武尊になら少しはわかるのかと思ったのに、……察してしまう、この顔。
(動き易さ重視なんでしょ、どうせ。期待しない、期待しない。期待したらがっかりするもの)
そう思い直して、スカートから手を離した瞬間だった。
「––––––あぁ。何を身につけていても美しく似合うから、安心しろ」
今気づいた、という口ぶりのあっさりした言葉に、耳を疑う。
思わず見上げてその顔を凝視すると、なんだと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。
(…………えぇ? わたし、鼓膜ちゃんと治ったわよね??
幻聴みたいな言葉が聞こえた気が……、……あれ? これってわたしの願望???)
いやでも、これまでだってガウンの形が目に入ってる風なことは言っていた。
……思うことは、あったということだろうか。
「………今までもそう思ってたの、もしかして……?」
「今まで?」
「晩餐会とか、色々……着飾ったとき……」
何だかもの凄く恥ずかしいことを訊いている気がする。
そして、何だろうこの会話、とも思う。
質問に武尊は簡単に頷いた。まるで、当たり前だろう、と言うように。
「他の者から散々聞かされただろう美辞麗句を、何度も聞かされるのはうんざりするだろうと思ったんだが」
(…………この、朴念仁!)
嬉しい筈なのに、笑顔が引き攣る。
(……天然っ? 天然なの!? こんな顔してっ)
おそらく顔は関係ない。わかってる。
でも、散々気を揉んできただけに、八つ当たりのような気持ちも湧く。
「わ、わたしだって、女子なんですっ。着飾って褒められれば、何度だって嬉しいわ。特にそれがあなたから言われたら、たぶん踊っちゃうくらい嬉しい」
「踊るのはやめろ」
再び眉間を寄せて鋭く突っ込んでくる。
だって本当なのに。何なら今すぐにスカートを翻させて、くるくる回りたいくらいの気分だ。
顔が真っ赤に染まっているのが自分でもわかる。いや、顔どころか全身熱いから、おそらく露出している色々なところが赤い。自分の視界に入るデコルテが思い切り朱に染まっていて、それが目に入ったらますます顔が熱くなる。
恥ずかしすぎる、と両手で頬を押さえて俯くと、頭上から思わずのように洩れたらしい、武尊の吹き出す声が聞こえた。
「わ、笑わないで……っ」
「……悪い」
軽く謝られて、これは本心じゃないとすぐにわかる。
「おまえは褒められたいタイプには見えなかったんだが。……まぁ、これからは善処する」
「武尊に褒められたいの。あなたの言葉が一番なんだもの」
「……ふうん?」
また余裕綽々の答え。
ずるい。これは言わされた。
ううぅ、と悔しがっていると、背後で呆れた声が上がる。
「其方ラ、オカシナ二人ジャノ」
「盗み聞きをするな」
「其方ラガ勝手ニ始メタンジャガ」
そうだった、聞いてる存在がいた。
さすがに侍女二人は静かに席を外してくれていたが、空気を読まない存在そのものがここにはいるのだった。
精霊除けがないこの屋敷では、こういうことが頻繁にあるだろう。精霊はわりとどこにでも入り込む。意識体に近い生物だけあって、物理的な壁を通り抜ける者も、中には存在するのだ。
それはここに居る受肉精霊のように、我の強い意志を持つ者達が代表だが、“精霊使い”と呼ばれる人間に使役される者達もそういったことをすると、祖母からは聞かされている。
そういう精霊達は、警戒してね、と。
でも本人に悪気はないからとても厄介なのよ、と頰に手を当てて困ったように笑っていた祖母の顔を思い出す。
とりあえず精霊が割って入ってくれたことで話の流れが変わったので、気になっていたことを武尊に訊ねた。
「そういえば顔合わせって、どなたと会うの? こちらにいらっしゃる方?」
静養に訪れた場所でまで着飾るとは思っていなかったので、これは覚悟した方がいいのかと身構えると、武尊は精霊をあしらって答えた。
「この屋敷を管理する者達と、おまえの警護につく者達だ。警護担当官達は、この春からの稼働に合わせて編成した新しい集団だが、おまえとの相性の良い者はその中から侍衛官に上げる」
(侍衛官……)
海夜の侍衛官は、薔珠の他に今はいない。
薔珠の相方だった人物の席は、未だ空席のままだ。
「じゃあ、その方達もこれからここで過ごすの?」
「おまえに直接干渉はしない。おまえが無理だと思う者は近づけないから、遠慮なく言え」
「でも、警護の方々なんでしょう?」
「警護対象の意に沿うか沿わないかは相性も大きい。逆に慮りすぎる者でも不適格だ。今回の隊は、身分を問わない出身者で構成されている。実力のみで引き抜いた者が殆どだ。合う合わないは必ず出る」
そういうものなのか。
職に就くという経験をしていない分、世間知らずだという自覚はかなりある。
周囲に居た人間も高校までの経験しかないから、知識レベルや生活レベルが似たり寄ったりだった。価値観にそれ程差がない人間ばかりで、多様性を知らない。
ここはそれとは真逆に、目の色も髪の色も肌の色も違う人間がごろごろ存在する場所だ。
そして海夜は、彼らの主人とする人物の婚約者。
(……うん、やっぱり気を引き締めよう)
そう考えた所で、薄青金の精霊が立ち上がった。
「ナラバ我モ行コウカノ。姫ノ護衛トアラバ、我ガオラネバ。目ニ叶ウ者ガオルカノゥ?」
ふさりとした尻尾をふりふり、モンローウォークでお尻を振って先を歩いていってしまう。心なしか楽しそうなのは、間違いじゃない筈だ。
変わった子、とちょっと思う。
「でも、顔合わせがそれだけなら、ここまで着飾る必要あったのかしら」
ヘアメイクに装飾品までばっちりきめて護衛官達に紹介されるというのは、少々気合が入りすぎじゃないだろうか。
不思議に思って呟くと、武尊は思い出したように頷いた。
「もう一つ顔合わせがある。白玖音達はそちらに合わせたんだろう」
(……ん?
もうひとつ?)
何度か瞬きを繰り返して武尊を見上げると、彼は何でもないことのように言葉の爆弾を落とした。
「ここでの静養最終日だったそうだから、ちょうどよかった。皇妃とその娘が会いたいそうだ。皆の顔合わせのあと、そちらに行くぞ」
え。
思わず息を飲んで固まってしまった。
「……それ、きいてない……」
「言い忘れていた」
(うそぉ)
しれっと流そうとする武尊を唖然と見上げて、どうしてこう次から次へと問題が降り注ぐのかと、頭を抱えたくなるのだった。
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