第二話 事件はいつだって唐突に
この章から読んでいただいても大丈夫なように、このエピソードは人物たちの紹介も含めています。
(––––––大事件です。どうしよう)
優美なティーカップを優雅に持ち上げて、目の前の人物達に上品に笑顔を向けながら、内心で海夜は冷や汗を掻く。
「海夜姫さま、お聞きになりまして? 新しく来た来訪者の方のお話。我が家の縁故の詩織嬢と歳が近いというので、彼女も会うのを楽しみにしておりましたのよ。そうしたらあんな騒ぎですもの、驚きましたわ。ねえ詩織さん?」
「はい。男女の、ち、痴情? のもつれって、あの、私は初めて見て……」
「痴情というよりは、一方的な片想いだったってお話よ。でも、凄いですわよねぇ、未成年の女性が男性に殴りかかるなんて」
あぁもう、耳を塞げるものなら塞いでしまいたい。
その未成年の女性は高校の後輩であり、殴られた男性は同じく、高校の同級生なのだから––––––。
※※
来訪者––––––。
それは、この黄國という国に年に数人現れる、異世界からの迷い人を指す。
目の前に座っている少女、鴻上詩織嬢も来訪者であり、そして自分……平尾海夜もそうだった。
この国は日本という異世界からの来訪者達を、縁あって自分達の元へ来てくれたのだととても大事に扱ってくれる。
特に海夜は特殊な生まれの背景も手伝い、去年の秋の終わりに、すったもんだの末この国の第一皇子と婚約した。その特殊な生まれの一つである父方の遺伝で、海夜は異空間を渡れる能力を所持している為、黄國と日本を行き来している。
(……扱いきれてないけど)
皇子との婚約成立後、あと数ヶ月であっても高校は卒業するように、という家族の希望で一旦日本へと帰った。
そうして無事に卒業式を終えた春休み中のある日、大学合格の報告に幼馴染の二人が学校まで行くというので見納めについて行った。そこである事件に巻き込まれ、制御のできない界渡りの穴が開いて……そのままここに落ちたらしい。事件の元となった同級生と、偶然居合わせた下級生が一緒に穴に落ちたのが見えた気はしたが、目が覚めたら懐かしい黄國の自分の私室だったのだ。
それから二人の行方が気になって、来訪者の情報が早い詩織をお茶に誘った。
子爵家の養子である詩織は、去年の晩餐会で知り合い、色々あったがお互いの胸の内を明かして以来、時々他愛無く故郷の話をしたりして親交を交わして来た年下の友人だ。その詩織の話では、昨日から新しく若い男女の来訪者が、この世界の基本を学ぶ来訪者専用の教室に訪れ出したという。
……つまりもの凄く端的に言うと、海夜の界渡りに無関係の二人を巻き込んだ。
これが冷や汗が出る話でなくて何だというのか。穴に吸い込まれたのが見えた気はしたけれど、見間違いであってほしかったのに。
(––––––どうしよう……、他人の人生を狂わせてしまった。しかも、二人も)
来訪者は一度訪れてしまったら、二度と帰れない。そんな誰が決めたのかわからない、おかしな決まりがある。
足元から冷気が上るような震えがくる。ティーカップをソーサーに戻す手も震えて、カチカチと陶器同士が擦れて音を立てる。
異変に気づいた詩織が、「海夜さま?」と首を傾げた。
その声にすぐに反応してガーデンソファの足元に跪いたのは、海夜の護衛兼相談役を役目とする侍衛官、薔珠・黄花・サディルだ。
皇弟の善道・ジディ・黄花・サディルを父に持つ彼女は、海夜の婚約者である武尊の父方の従兄弟で、軍人として彼からの信頼も篤い。五十年以上昔、この国の皇女だった祖母の縁で黄國へ引き寄せられた海夜には、薔珠も遠い親戚に当たる。
「姫君、お顔の色が優れません。本日はここまでに致しましょう」
「……でも、無理を言って来て頂いたのに……」
話を聞きたくて、お誘いの手紙を詩織に宛てたのは昨日の夕方だ。
急な話だったのに、詩織は快く応じてくれた。午前中の早い時間にも関わらず、奥宮への謁見資格のある縁故の伯爵令嬢と二人で登城してくれたのだ。
『海夜さま、具合が悪いなら無理しないで下さい。お手紙にしてお知らせします。昨日来た人達のことが気になるのでしょ?』
詩織が意を汲んだように日本語で提案してくれるのは、黄國の言葉がまだ不自由なこともあるが、皇族が特定の人間を気にかけることを伯爵令嬢の耳に入れない為だ。
皇宮は魔窟で、どんな些細な弱味が足元を掬う材料になるか知れたものではない。
日本で平凡な中学生として、悪役令嬢モノと呼ばれる小説漫画を愛読していたらしい詩織は、政治的思惑は疎いものの、何となくそういうものらしいと察する勘の良さがあった。
藁にも縋る気持ちで顔を上げると、詩織は嬉しそうに笑った。何かの役に立てることが、彼女なりのこの国で生きるモチベーションになっている。
「じゃあ、お手紙、書きます。この後も来訪者の、授業、あるので、……えと、帰ったら、すぐ。ええと、薔珠さま宛て、が、いいのですか?」
「いいえ、わたし宛ですぐに手元に来るようにお願いしておくわ。ありがとう、詩織さん。すごく嬉しい」
そう言うと詩織は花が綻ぶように、心から嬉しそうに笑った。
かわいい。こんな状況でなければもっとゆっくり話したかったのに。
伯爵令嬢と共にだいぶ慣れた仕草で礼をすると、二人は部屋を辞して行った。
それを見送って自分のものではないような、大きなため息をついて後悔する。
(だめだめ、幸せ逃げちゃう)
胸元に手を置いて小さく三回息を吸い直していると、二人を見送って扉を閉めた薔珠が戻ってきた。
「姫君、お部屋へ戻られますか? 息抜きに温室を回っていくこともできますが」
気を遣うように声をかけてくれる薔珠に首を振って、決意するように言う。
「三影くんの所に行きたいの。できれば武尊には内緒で」
「……は、……三影殿下の元へ、ですか」
薔珠が戸惑うのも無理はない。
武尊の異母弟で、神官でもある三影の勤め先は、神殿の敷地内にある。そして、海夜は神殿へは足を踏み入れられない。
この国の皇女であった祖母が、異世界である日本へ亡命しなければならなかった原因。
五十三年前に黄花・サディル皇家一族皆殺し、という凄惨な事件を起こした、黄花・サディルの先祖であり精霊に喰われて悪鬼と化した四百年前の人物、天馬。その天馬が神殿内の特殊な鉱石を辿って、皇家の貴種女性である海夜の命を奪おうとするからだ。
近づきすぎなければ危うくはない程度に力を削られているけれど、それでも用心するに越したことはないと、海夜の神殿への立ち入りには待ったが掛かっていた。
「神殿はなりません。特に、殿下の許可なしでは近づくこともなりませんよ」
侍衛官として、海夜の身辺警護に心血を注ぐ薔珠は当然反対する。
でも海夜は一刻も早く、来訪者となってしまった二人を、どうにか日本に帰せる術を見つけたい。
「……じゃあ、三影くんと夜に話せるかしら? 父か兄に連絡したいの」
海夜が他の来訪者と違い、異世界を渡れるのは父親の遺伝だ。物心つく前に行方不明になった父が戻って来たのは、海夜が十六歳の時だった。
諸事情あり、十八歳時点でそのことを忘れていた海夜は、去年の秋にここに落ちて過去のわだかまりを解きほぐした時、父親が実は人間ではなかったことも思い出した。
星の数ほどあるという、異世界を渡り歩いている人外の生物。その一族の出身のひと。人間と同じ姿でいること自体が詐欺だと幼馴染たちが言う、そんな人が父親だったのだ。初めて知った時はトンデモ過ぎて、意識が飛びかけた。
ずっと人間だと思って生きて来たのに、この世界の精霊という生物の方が、自分に近い種族だったのだ。
違和感なく受け入れている、同じ両親を持つ兄に引いていたら、「オレより、アレを選んだあの母に引けよ」と尤もなことを言われた。
確かに。
とにかく、そんな背景を持つ身で界渡りについて頼れる存在といったら、父と兄以外にいない。
「三影殿下へご連絡しておきます。……ですが姫君、思い詰めておられませんか? 新規の来訪者の件でお困りでしたら、キアリズ殿下にご相談申し上げてもよろしいのでは?」
小首を傾げて覗き込むように目線を合わせて提案してくれる薔珠は、心配してくれている。
けれど、問題がありまくるから武尊には話せない。
「……わたしの知っている人が、来訪者として来てしまっている可能性があるの。……わたしのせいで」
「……それは、姫君の予定外の界渡りの話でしょうか」
さすが薔珠だ。
話が早くて助かる。
戸惑いながらも深刻に受け止めてくれたらしい薔珠は、ひそめた声でさらに重ねてきた。
「………恐れながら、重ねて質問致します。ご無礼を、承知で。………姫君のお首の痣は、もしや、その来訪者が関わる話でしょうか?」
(うぁっっ!!!)
内心で悲鳴を上げて、指摘された首元を勢いよく両手で抑える。冷や汗が出そうだ。
明らかなこちらの反応に、薔珠はやはり、と息をついた。
「………み、み、見える……?」
「いえ。侍女殿方が選ばれたお衣装で、上手く隠れております。私は姫君の身辺警護を預かる身として、侍女のお二人から身の異変の報告を受けました」
(身の異変て)
そんな大袈裟なことではないけれど、海夜にとって大きな衝撃であったことは確かだ。
コレが世間一般でなんと呼ばれているものなのか、さすがに無知な自分でも知っている。
それを指摘されれば顔が熱くなるし、でも不可抗力でもあったものだから背筋に冷たい冷や汗は流れるし。
暑くて寒い。我ながら忙しい。
「キアリズ殿下の仕業では、ないのですね?」
真面目な顔でとんでもないことを口にする薔珠に、火照った顔のまま捥げそうな勢いで首を振る。風を切る音が聞こえるんじゃないか、という程強く強く否定した。
結婚もしていないのに、婚約者に不埒な振る舞いをしたと、武尊の名誉を傷つけることだけは避けたかった。
実際は過去に不埒なこともあった気はするけれど、こんな風に海夜が困る結果を残したりはしないのが武尊だ。だから、誤解のないようにきちんと否定しておかなければ。
けれどそうなると、誰の仕業なのかという所に話が及ぶ。
そうして海夜は、だったら武尊の仕業だと思われた方が救われると、深く深く落ち込んでしまうのだ。
だって。
「………武尊に、誤解されたみたいなの……。誤解なんて、されたくないのに……っ」
「……っ、姫君……」
久しぶりに会えた大好きな人に、開口一番不貞を疑われるようなことを尋ねられれば、それはもう落ち込む。傷つく勢いで落ち込む。
どうしてこんなことになっているのか、自分自身が一番混乱していて、弱気なことを言ったらそのまま涙が出た。
薔珠が慌ててその涙を拭ってくれる。
「まずは何があったのか、お話し頂けますか? 姫君の界渡りのご予定は、まだ先であったと記憶しております。それも併せてお話し頂ければ、私がお手伝いできることもあるかと」
穏やかに薔珠が提案してくれた言葉に、落ち着きを取り戻して大きく息を吸い直した。
そうして海夜は、予定外の界渡りの経緯をポツポツと話し始めた。
※※※
執務机の上に分厚く重ねられた報告書の一つを、疲れたように机上に投げた主人に虎は苦笑する。
「お疲れ様でございます。一息つかれますか?」
そう言って茶器に手を掛けると、虎の主人である第一皇子は無言で頷いた。
珍しい。
いつもならば無言で無視されるのに。
「平群の残党を洗っているだけが、一体何を掴まされているのやら。埒があかない。軍部の膿も皇宮の膿も、民間に流れ出して時間が経てば、絞るにもそれなりの手間が要る」
去年の秋に明るみとなった、大貴族の謀反の企み。
大きな犠牲と傷を残したその事件は、世間的には宮廷貴族の汚職事件として扱われ、一時は大きく騒がれたが程なく沈静化した。失ったものが大きい事件ではあったが得たものも大きく、価値があった。
その内の一つが、現在の世界では希少種と云われる人類の一種、貴種である第一皇子の皇位継承指名の受諾。
そして、もう一つ。
主人の中の、皇宮内掃除のやる気を上げた点だ。
「平群は大きな勢力でしたからね。各所への影響は甚大でしょう。綴国侯爵家が皇子の下へ付いたとあっては、身の振り方を考えている者も多いのでは?」
「綴国は未だ侮れない。後継が阿ったとしても、当主は健在だ。蟄居幽閉では如何様にも動ける」
それを狙って蟄居という処分に留めたのだろう主人に、虎はとりあえず意見を差し挟むのは控える。
「……璃珠は、相変わらずか」
主人がポツリと零す名は、彼の父方の従姉妹の名だ。
彼女は平群の謀反の企みが明るみになった時、その首謀者と一緒に逃亡を図り、捕縛された。
直接的な関わりは少ないと見られているが、尋問においてはふわりゆらりと笑顔を浮かべるだけ。日がな一日、勾留されている検非違使隊本部の勾留所で本を読んだり、日記をつけたりして過ごしているらしい。國皇の姪という立場を慮り、待遇は悪くはないらしい。
あれから三ヶ月以上経つというのに、璃珠の嫌疑は晴れず、本人の抗議もないまま時間だけが過ぎた。
いつもなら拙速に物事に当たる主人が、彼女の件で未だに動こうとしないのは、大きな釣り針であることを知っているからだ。
彼女の後ろには、魔女が控えていると。
「……まったく。どうせなら魔女本人が捕縛されればよかったものを」
うんざりしたように呟く主人に、それについても虎は意見は控える。
お茶を注いだカップを主人の前に置くと、彼は大きくため息をついた。これでは幸せが逃げてしまう、と虎は危惧して真面目な声で告げる。
「……息を三回吸い直すとよろしいかと」
「煩い」
にべもない。
五十三年ぶりにこの国に戻る予定の、正統な皇家の末裔。
そして、この春めでたく主人との婚約発表を控える皇女からのありがたい人生の訓戒を、主人はひと言で切り捨てる。
「姫君におかれましては、お元気そうで安心致しました。予定外の界渡りであったようですが」
「……また騒ぎでも起こしたんだろう。どこにいても騒がしい」
呆れたように言うのは、主人が本当に今回の界渡りを予想外だと思っているからだろう。
虎の妻と姉は、皇女付きの高位侍女であり、彼女の身に起こっている異変を何となくで耳にしている。
そうして、虎の主人がそこはかとなく尖った空気を周囲に振りまいているのは、その異変も原因の一つではなかろうかと、子供の頃からの付き合いである虎は思うのだった。
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