春を待つ
この人の視点で番外編を書くとは思わなかった。
嫁のための巣づくり。
皇子視点です。
「キアリズ殿下に早急にご確認を頂きたく、奏上に参りました」
中宮の執務室に現れた作業着姿の眼鏡の男は、緊張の為か大量の汗をかいていた。
心なしか顔色が悪い。
そこまで緊張することか、と日頃の自分の態度を考えるが、改める気はさらさらない。
「許す。何を確認したい」
予定にはなかった面会だが、この出立ちを見れば何者かはすぐにわかる。
歴史遺物修理官だ。
おそらく、研究者であり技術者でもあるのだろう。
「あ、あ、ありがとうございます。早速ですが、お、奥宮の修理現場に、その、予定外の人数の者たちが集まっているのですが、あ、アレは何事でしょうか?」
額を流れる汗を拭いながら、それでも職務に忠実にものを言う。そういう者は嫌いではない。
「扉の修理のついでに、あの部屋全体の改装を行うことになった。その下見に来た者たちだろう。おそらく貴官と同業の者が殆どだ。仲良くやってくれ」
少し前に、愚者によって破壊された寝室の扉の修理に、目の前の研究者兼技術官は奥宮への参勤を許可されていた。
いよいよ本日から、扉を外しての本格的な修理が始まると聞いていたが、その前に何者かが許可なく部屋に立ち入っていると思ったらしい。
「か、かか、改装っ?! ほ、ほ、本気でいらっしゃいますかっ!?」
場所も考えずに大きく上げられた声に、自分の側近の虎・磋須木が、咎めるように咳払いする。
慌てて口元を両手で押さえる修理官に、そんなに驚くことかと不思議に思う。
「本格的な工事は年明けになるが。不都合が?」
これからあの部屋で過ごす人間のことを考えれば、あの部屋の古びた装備は不便なはずだ。
快適に過ごさせるためには、改装が多少なりとも必要だろう。
そう口にしたら、周囲の人間が勝手に動き出した。
はじめは異母弟とここにいる側近が。それからその妻と姉が。
部屋の主人の好みを把握している側仕えたちが内装について意見を出せば、警護を司る者から安全を確保する為の装備の案が出される。
そうしてどんどん話が広がり、最終的には全部屋の改装にまで話が及んで大がかりとなった。春までに改装を終わらせる為には、今から準備をしてぎりぎり間に合うか。
「ふ、ふふ、ふ、不都合と申しますか……っ、あ、あの部屋は、部屋そのものが歴史遺物で……っ! あ、あそこだけではなく、お、奥宮全体が貴重な歴史遺物なのです! そ、それを簡単にか、改装とは……っ、ぶ、文化財課にそのような通達はなかったものと記憶しております!」
「決定したのが一昨日ゆえ、通達は早くて昨日の夕方だったかもしれない。貴官の様子を見れば、まだ通達も届いていないか」
それで慌てて確認に来たか。
「で、殿下。お、おそれながら申し上げますと、歴史遺物は現状維持が一番保存できるのです。修理が必要な部分のみ修理し、補強が必要ならば補強する。お、同じように、つ、土の下にある物は、掘り起こさずにおくのが、一番の保存なのです」
「––––––奥宮は土の下にある物ではなく、まして、現状維持が永遠にできる歴史遺物でもない。人が住み、生活をする場だが。中に住む者の生活環境向上の為の改装も、他人に許可を得なければならないか」
職務に忠実であるのはいいが、そればかりに気を取られて肝心なことを置き去りにされては困る。扉の修理も、元は部屋にいる者を守るため。
根本的なことを忘れて目先に捉われると本質を見失う。
何の感慨もなく事実を言えば、目の前の男はすくみ上がるように肩を縮め、平伏せんばかりに頭を下げた。
「もももっ、申し訳ありませんっ! 出過ぎた口を……っ!!」
あまりにも過敏に小さくなる男に、こちらの方が訝しくなってしまう。
どこか具合でも悪いのか。
そう思っていると、執務椅子に座る自分の後ろに控えた側近が、少々吹き出した。
ここは笑うところか?
呆れて睨みつけてやると、素知らぬ風に目を逸らす。
「頭を上げろ。咎めたわけではない。貴官のような者も、皇宮には必要だ。でなければ、損得だけで動く輩に奥宮は滅茶苦茶にされていた」
息をつきながらそう言うと、眼鏡の男はおそるおそる顔を上げた。
「奥宮が歴史的に見て、貴重な建築物であることは理解している。そこに金銭的価値を見出す者と、歴史的価値を見る者とでは、動き方に雲泥の差がある」
扉の修理の為に必要な資材の発注と調達をし、扉が造られた年代と様式と製造方法を確認し、新たに最新の鍵を取り付ける技術を持ち、且つそれを外部に漏らすことのない技術官など数えるほどもいない。
歴史遺物修理官は技術の腕だけでなく、歴史知識の他に、時代ごとの建材の知識、その建材が使われた歴史的背景にまで精通していなければならない。
それが“復元”と云われる技術だからだそうだ。
復元ができる者は、その物の価値を知っているということ。
それを国の宝と見るか、個人利益のための宝と見るかで、選ぶ職業形態も変わり、精神的あり方も変わる。
歴史遺物として、個人の利益を超えた所で皇宮に勤められる者は、皇家にとって貴重だ。
「改装に参加する者たちは、在野の研究者が殆どだ。貴官のように、国の禄を食む者たちではない。滅多なことはなかろうが、監視も兼ねて、文化財課に出動を要請するだろう。それ故、仲良く頼むと言った」
「……は、はい……」
ずり落ちそうになる眼鏡を直しながら男は返事をしたが、消え入りそうなのはまだこちらに緊張しているのか。
「奥宮全体が歴史遺物だと言ったな。それは奥宮に限らず、皇城そのものがそうだと言えるだろう。この先転換が訪れる度、各国使者の玄関口となるのが皇城だ。その時、歴史ある国としての堂々たる姿を見せられるか否かは、貴官らの仕事ぶりにかかっている。胸を張って仕事にかかれ。期待している。以上だ」
そう締めると虎が動いた。
修理官の横に立ち、促すように扉を見る。
戸惑うようにこちらと虎を見て、男は諦めのため息をついた。
三回吸い直すといい、と馬鹿みたいな迷信を内心で男に向けて呟く。
「……ご、ご期待にお応え出来るよう、励みます。突然の謁見をお許し頂き、ありがとうございました。失礼致します」
頭を下げて扉の向こうに消える修理官の足音が遠退くと、虎は遠慮なく吹き出した。
「皇子、純粋な危機感で陳情に来た官に、あまり厳しく威嚇なさらないでください」
「威嚇。どこが」
心外だ。
嗜めるように言われて、尚気分が悪い。
「私や三影さまのような官ばかりではありませんよ。四道伯ですら、あなたの威嚇には黙り込むではありませんか」
「あれは自業自得の言動を繰り返すからだ」
「姫君があなたの厳しい言動を、全て吸収されてしまわれるので、鈍くなられるのもわかりますが。まぁ、あなたが厳しいだけの方ではないと、あの方はご存知ですから」
「うるさい」
妙に絡んでくる。
鬱陶しい。
「今の官も、あなたの本来の本質はわかったでしょうが、最初のオドオドした態度が他の者からのあなたの印象ですよ。お気をつけください」
「評価など知るか」
誤解も正解も、煩わしい。
身近な存在が知っていればいいだけのことを、遠い存在にまで知らしめる必要を感じない。
「……まあ今まででしたら、それも関係ないと割り切れましたが、これからは。そうも参りません、皇太子殿下」
「本気で追い出すぞ」
揶揄うような物言いに、眉間が寄る。
大役を引き受けたことに後悔はない。
だが、本当にこれで良かったのかと、疑問は持ち続けるだろう。生涯。
「年が明けたら忙しくなりますね。軍の再編成に、姫君の部屋の改装に。……ああ、でも」
……しかし、その生涯を共にすると追いかけて来た存在がいることは、おかしな安堵をもたらした。
「今年からは姫君もご一緒に、桜の花をご覧になれますね」
一度言葉を切った虎が、含むことなく素直な笑顔を見せて同意を求めてくる。
温室の桜を知ってから、毎年見ていた桜の花。
散る花びらを、雪のようだと思った。
春が訪れているのに、永遠の冬に、閉じ込められているような。
それなのに、掴みどころなくひらりと逃げるその花びらのような女が、何の因果か自分の元へ来るのだという。
ふわりと匂いやかな、春の訪れと共に。
「部屋の改装を、お気に召して頂けるとよろしいですが。春が待ち遠しく感じます」
当事者よりも浮き足立つ側近に、わかるような、わからないような。
軽い足取りで執務の為の資料を取りに行く側近に、呆れた気分になりながら背にある窓に目をやる。
冬が始まったばかりの鈍重な雲が重なる空に、白い物がチラつき始めている。
……花びらのような。
そんな言葉が浮かび、我ながら呆れる。
冬の空に、花びらか。
こちらに振り向き、暢気な笑顔を向けてくる琥珀の瞳を思い描き、肘掛けに頬杖をつく。
「……“待ち遠しい”……か」
これが、春を待つ、という心境か。
生まれて初めて味わう感覚は、身の置き所をみつけるのに苦労しそうな、おかしな感覚だった。
けれど不愉快ではない。
きっとそれが、あの花びら女が自分の中の冬を遠ざけた証拠なのだろう。
––––––––春を待つ。
ただそれだけのことが、確かに今の自分の中の、新たな一面の一つだと感じていた。
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