アタリもハズレも
“武術指南“前のお話。
来訪者の女の子を放置してしまっていたので、掬い上げるために書いたもの。
詩織にも海夜にも、それぞれ懺悔することがあるな、と思いまして。
よって、ヤマとオチがない状態ですが、気楽に書けました。
最後はやっぱり、“皇子、最低“となるかもww
晩餐会で知り合った来訪者の少女、鴻上詩織。
彼女会いたいと海夜が希望して、短時間という制限付きで再会は実現した。
「この度は私どもの養女へ格別のご高配を賜り、恐悦至極に存じます。ご令嬢におかれましては、体調のすぐれぬ日々も続いたと聞き及び、心配申し上げておりました。心よりお見舞い申し上げます」
詩織嬢に付き添ってきた子爵夫人の養母と奥宮への謁見資格のある、縁故だという伯爵家令嬢が揃って頭を下げる中、詩織嬢は二人に倣うように慌てて頭を下げた。
「もう少し優雅に」と養母に小声で注意されて、ちょこんとスカートをつまむ手の指先を一生懸命揃えようとしている。それを意識しすぎて今度は背がギクシャクとぎこちなくなり、自分でもどうしようもないと赤面している。
その姿が可愛らしくて、海夜は微笑んだ。
「お招きに応じて下さってありがとうございます。わたしは詩織さんと、もっとお話ししたかっただけなんです。楽にして下さい」
奥宮ではあるが、この部屋は人の目が届き易い公的な場に近く、かつ精霊除けが施された場所だ。この部屋を指定したのは皇子だが、三人とも奥宮の雰囲気に呑まれて挙動が硬い。
それはそうか。海夜だって、ここが王族が住むベルサイユ宮殿の応接室の一つだと言われたら緊張する。
けれど、少しでもいいから力を抜いて欲しい。
「お茶を頂きましょう? 奥宮以外の方々とお話しするのは久しぶりなので、楽しみにしていたんです」
そうして庭園に張り出したコンサバトリーへ三人を案内する。
タイルの床は滑り易くて、足に怪我がある身としては一歩目で転ばないか緊張した。すると海夜の侍衛官、薔珠・黄花・サディルが手を引いてくれる。
「ありがとう、薔珠」
お礼を伝えると涼やかな目元を甘く緩ませて、綺羅綺羅しい笑顔が返る。その笑顔に続く三人が胸をときめかせたのがわかった。
薔珠は女性にしてはかなり長身で、すらりと長い手足も健康的で美しい。人への気遣いも上手で、その優れて整った容貌も相まってすぐに奧宮の侍女内で人気になった。
護衛官の制服を華麗に着こなして歩く姿に、奥宮の廊下で黄色い声が上がったのは一度や二度ではない。
茶会の準備がされたガーデンテーブルのソファにエスコートしてくれた薔珠は、一礼すると颯爽と相棒のシャイマ・平群と共に隅に控える。
「詩織さん、改めてお久しぶりです。お手紙をありがとうございました。お元気でいらっしゃいましたか?」
この面会を希望したのは海夜だが、きっかけは詩織からの手紙だった。
晩餐会の翌日から、謝罪申し入れの手紙やら贈り物やらが毎日のようにあちこちから届いていたが、その中に日本名のままの差出人、“鴻上詩織”をみつけて謝罪をしたい旨の内容を確認した。謝罪はどうでも、詩織とはちゃんと話したいと思っていた。
目の前に座った詩織に笑いかけると彼女ははにかんだように顎を引き、けれどすぐに頷く。
「はい。……ええと、海夜さまの、方が、……えと、具合が、悪かった、って聞いて……」
「詩織さん、もう少し口調を改められて」
伯爵令嬢が慌てて詩織の口調を嗜める。
来訪者である詩織にとって、この国の言葉はまだ覚えたてだ。貴族の言い回しなんて耳に馴染みがない筈。生まれ育った日本でだって、まだ未成年なのだから。
祖母のような人に言葉遣いを徹底的に仕込まれた海夜や兄が特殊なだけで、普通の中学生だった彼女に言葉遣い云々と指摘しても日本語でも難しい。
元々詩織と話したくてここに呼んだのだから、言葉遣いなんて気にせずに楽しくおしゃべりしたい。
「詩織さんはこちらの言葉はまだお勉強中でしょう? わたしも特殊な方法で通じるようにして貰っているだけなので、もしよければ日本語でお話ししましょう?」
侍衛官達も侍女達も、日本語を普通に解する。話してはいけない奥宮内のことなど、うっかり口を滑らせそうになったら止めてくれる。
そう考えて、左手の金の小鈴を優しく撫でた。
意を得たように鳴る鈴に満足して詩織を見ると、彼女はきちんと出来ない自分に落ち込んで項垂れている。
『そんなに落ち込まないで? わたしは精霊を介してでしか言葉を理解できないのだから、貴族の言葉までわかるあなたは凄く努力家なんだと思うわ。自信持って?』
自分を下げて相手を上げる方法は好きではないけれど、歴とした事実なので詩織の努力は本当に凄いと思う。
でも彼女は自嘲するように力なく笑った。
『……あたしのこの国での原動力はすごく不純で、海夜さまには信じられないって思われちゃうぐらい汚いんです……。……あたし、とにかく群衆にはなりたくなくて。こんな、未だに普段着がガウンだなんて未開の異世界なら現代人のあたしの知識が必勝だし、絶対誰からも一目置かれて必要とされる、そんなチートな人生楽勝って思ってました』
“モブ“は言葉としてわかるけれど……、“チート“って何だったかしらと首を捻る。何となく、美鈴と貴一がゲームの話で盛り上がっている時に出てきた言葉だった気がする。
『……その為にも上流階級って思ったから、一生懸命言葉を覚えました……。でも上流って難しい。頭のてっぺんから爪先まで、ずーっと見られてる。息抜きもできない。せっかく高校受験から逃げられたと思ったのに、自分を押し殺して生きてるみたい』
隣の養母に気を遣い言葉を選んではいるけれど、性格なのか押し留めていたものが溢れたのか、素直に自分の心情を吐露している。
『わかってます、受験すら逃げられたなんて喜んでる人間がチート人生なんて夢のまた夢だって。じゃあせめて素敵な恋をしてみたいって思ったけど、それもダメそう……』
………ん?
それはもしかして、あの無表情の朴念仁への気持ちだろうか。それは諦めるのは早い気がする。
『あたしは主人公にも転生悪役令嬢にもなれない、半端なモブだったんです……。それがこの間のことでしっかりわかりました。……沢山酷いこと言って、ごめんなさい……。あたし、人を傷つけようと思ったことなんて一度もないんです。……あたしのせいで人が死んだりしたらどうしようって、凄く怖かった。そんなことする為にここに来たのかって……』
『……あ、あっ、泣かないで!』
ひとしきり自分のことを話した後、詩織は俯いてしゃくり上げ始めた。ポツポツとテーブルクロスの上に落ちる雫に慌てて立ち上がり、詩織の元へ歩み寄る。
『辛いことを話したくて呼んだんじゃないの。もっと楽しく、お友達のようにお話ししたかったのよ。でも、わたしが湖に落ちたせいで余計な責任を感じさせてしまったなら、本当にごめんなさい』
涙が止まらない詩織の前に、目線を合わせるようにしゃがんで手を取る。
『………ねえ、詩織さん。わたしって、ずるくない?』
目をしっかり合わせてそう言うと、詩織はきょとんと驚いたように何度も瞬きを繰り返した。
『わたし、脳天気でちょっとズレてるって周りから言われるのだけど、本当にそうだわってあの時よくわかったの。だって同じ日本から来ている来訪者の女の子がいるって聞いて、舞い上がってしまったのよ』
何度も反省しているけれど、やはりあの時の自分は酒の力もあって細かいことに気が回っていなかった。
『わたしはルーツがちょっと特殊で、この目が証明する生まれなのですって。でも、自分ではそんなの全然自覚できなくて失敗ばっかり。いずれ来訪者には会わせて貰う約束だったけど、すぐに会える人がいるって聞いて、何にも考えずにあなたに突進してしまったの。……ごめんなさい』
同じ日本出身者。
きっと苦労も色々分かり合える筈だと思った。
けれど現実は、もっとずっと厳しかった。
『突然見知らぬ所に来て言葉も通じなくて、明日のこともわからなくて不安で怖かった。でも皇都には日本人が何人もいるって聞いて、前向きになれたの。同じ境遇の人がいるって、孤独にならずに済むんだもの。とても慰められたわ。でもそれは、そんな風に共感していいことじゃなかった』
海夜には“家に帰れるかもしれない“という希望がある。
“もしかしたら帰れるかもしれない“自分と、“もう絶対に帰れない“来訪者達を同一線上で考えてはいけないと、頭が回らなかった。
『……辛さの感じ方は各々違うし……、精霊に言葉を通訳して貰っているのもダメよね。普通に来訪者としてこの国に来た人なら、教室に通って一から言葉を習うのでしょう? 詩織さんがそうだものね』
来訪者の人々は、生涯大きな喪失感を抱えて生きていかなければならない。
日本という所に置いて来た家族、人生の全て。それがどれだけの絶望か。もう会えないということが、どれだけ痛みの伴う事実なのか。
海夜だって、もう会えないかもしれない、と覚悟は決めているつもりだ。
でもそれは二度と会えないと“諦める覚悟”とは、あまりにも違う。海夜は来訪者の人々に会う資格なんて、最初からなかったのだ。
『あの時詩織さんに“がっかり“って言われて、本当にそうだわって思ったの。何の努力もしていない、わたし自身にがっかりって』
この国にとって、貴種皇家の血筋は重要なのかもしれない。
でも、海夜個人に施される対応は、来訪者の人々から見たら、ずるい、の一言だろう。
……それを抵抗することもせずに受け入れている自分は、なんてずるいのだと、あの時衝撃を受けた。甘んじて受けて入れている理由は、皇子と虎から皇家を大事に思う者たちの為に威厳を保て、と言われたから。
でも理由はそれだけだ。
元々が庶民である海夜には、威厳なんてなくてもいいもの。けれど立場を受け入れている……家に帰るまで、と期限を決めて。
甘え以外の何があるのだろう。
涙が止まって、こちらの懺悔を聞いてくれている詩織に、ニコリと笑いかける。
『お茶が冷めてしまったわね。淹れ直してもらいましょうか』
これでこの話は終わりにしたつもりだった。
けれど詩織は、軽い調子で海夜へと言った。
『でもそれって、ガチャでしょ?』
はい?
『………はい?』
心の中の言葉がそのまま疑問となって口に上った。
『ガチャ。自分で選べないってこと。海夜さまが、そういう扱いを受ける家族のところに生まれたってだけ。なんかずるいの、それ? 確かに親とか友達とか、もう会えないんだって、暫くはメソメソしたけど。でも、アタリガチャ引いたのよ、あたし。年に五〜六人しか引けない、この国に来る為の切符のガチャ。それって、めちゃレアだって気づいたら興奮したわ』
『……え、えぇ……?』
『正直日本じゃ陰キャ寄りだったし、ここで陽キャっぽくなれたらいいなって軽く考えてチート目指したんだけど。甘かったよね。キアリズ殿下、チートっていうか、ホントに人間? て感じだもん。だったらああいう人と恋愛して、他の子に羨ましがられる優越感もいいかなって、乙女ゲームの転生悪役令嬢目指したけど、それは悪役令嬢そのものが存在してたし。あんな叶姉妹かよっていう体つきのお姉さんたちと張り合うのも馬鹿らしいし。じゃあ主人公が一番自分寄りで相応って思ったら、海夜さま出てきてそれ以上の人現わるって感じ』
一気に捲し立てられて、口を挟む隙もない。
戸惑って瞬きしている後ろで、薔珠が気まずそうに軽くむせ込み、シャイマが遠慮なく吹き出した。
『なかなか愉快な娘さんだな』と薔珠が呟くので、それは確かにそうだわ、と笑ってしまう。
『だからあたしはあたしなりの道を探します! 大丈夫。あたし含め、今教室に通ってる来訪者の中に日本に帰りたくて魂抜けてる人、いないから安心して。最初はみんな、やっぱりメソメソするの。しょうがないよね。生まれた所のがいいって思っちゃうのって、キソー本能っていうんだっけ? でも、ご縁があって来たんだよ、よく来てくれたねって、何度も歓迎されると嬉しくなっちゃう。自分でも役に立てるの? って。そうするといつまでもメソメソしてらんない。海夜さまも言ってくれたじゃない? いいことを探そうって』
ああ、帰巣本能ね。
家に帰りたいという欲求はそこから来るのかもしれない、確かに。
『でもホームシックって、突然襲ってくるから避けらんない。特に食べ物が合わないなーて感じてる、生理前とか生理痛の時とか。あれ、ホントやだ。醤油! 味噌! って叫びたくなるのよね。日本の文化入り込んでるから、そんなに調味料違わないのに、うち、醤油も味噌も自家製の農家だったから、あの風味には負けちゃう。そういう時はメソメソしてるけど、生理終わるとケロッとなるの、我ながら笑える。それももうこれから一生なんだなって思うと、ちょっとうんざりはするかな』
えへ、と笑う詩織は、もう色々と割り切って、心の整理もついていると言わんばかりだった。
そんな強がりに騙されるほど単純ではないけれど、彼女自身がそう考えて前向きに頑張ろうとしていることはしっかり伝わって、海夜は何となく安心した。
『……お料理の味って、おうちの味があるものね。うちは祖母がお料理下手だったから、祖父が作っていたものが家の味だけど、母も下手なのよ』
そう告白したら今度は薔珠が盛大に吹き出した。シャイマは困った体で眉間に力を入れている。元皇族である祖母への敬意を保つ為に、吹き出さないよう必死な様子だ。
海夜の言葉に、詩織は気の毒そうに笑った。
『じゃあおじいさんのご飯で育ったの?』
『高学年からはわたしと母と、祖父がローテーションで。時々兄が加わって。母の作る日は、みんなちょっと口数少なかったかしら……。食べられないわけじゃないけど、何かが足りない感じ』
たぶん、祖母も母も味見をしない人だったのだと思う。
いや、卵焼きを上手く出来なかった祖母は、その前段階の人だったけれど。おそらく火加減ができていなかった。
『海夜さま、お料理できる人なの? すごくない?』
『え? 調理実習程度のことよ? 手間のかかることは、祖父の担当だったから』
『何が得意?』
『お味噌汁と肉じゃが。あと唐揚げとか天ぷらとかの揚げ物かしら』
『あはっ、ガチでやる人の答え』
可笑しそうに笑った詩織は、すぐに『それ、食べたいな……』とポツリと零すように呟いた。
『いいわよ。厨房の使用許可が取れたら』
『えっ、ホントに!?』
二つ返事で快諾すると、詩織は意外だったのか驚いたように声を上げた。
それから暫くは他愛ない世間話や、来訪者の教室の様子などを教えて貰って時間が過ぎた。
『姫、そろそろお時間になります』
会話が少し途切れた所で、懐中時計に目を落としながらシャイマが刻を知らせてくれる。
そうだった。奥宮に人を入れるなら時間制限を設けろ、とあの意地悪皇子が言ったのだった。
残念だが、今日はこの辺りでお開きということになりそうだ。
『詩織さん、今日は本当にありがとう。すごく楽しかった。またお話ししていただけると嬉しいわ。その時は、厨房の使用許可をもぎ取っておくわね』
『ご安心ください、詩織嬢。殿下が何か言うのは目に見えておりますので、先んじて我らが姫君の望みが叶うように動きます。お二人の逢瀬は叶いますよ』
自信たっぷりに請け合う薔珠の言葉に、シャイマも影でひっそりと力強く頷いている。海夜の侍衛官は頼もしいなあと、この時心から思った。
“逢瀬“って言い方は、ちょっとアレだけれど。
薔珠に笑いかけられて、詩織は見る間に真っ赤になった。
『……あたし、宝○歌劇、好きなんです。男役そのものの人目の前にいて、もう最初っから心臓バクバクなんですけど……』
薔珠の視線から隠れるように俯いて、小さな声でポショポショと囁く声は、とにかく可愛らしかった。
『宝○……。えぇと、あのベルサイユの……』
有名な女性歌劇団だ。何人もの名女優を輩出した、押しも押されぬ一流歌劇団。
海夜が思い浮かぶ演目といったら、通り一辺倒に耳にしたことがある作品ぐらいだが、何十年にも渡って受け継がれる、かの歌劇団の代表作と言ってもいいぐらいの名作だった。
『オス○ル様は不滅です』
キッパリはっきり力強く言い切った詩織に苦笑する。そうして思い出すように彼女は手を打った。
『海夜さまが歌ってくれた“虹の彼方に“って、オズの魔○使いの歌だったのね。宝○好きなのにベル○ラばっかり見てたから、知識として入ってなかった。あの後、他の来訪者に訊いたら教えてくれました』
『…………忘れてください………』
努めて忘れようと過ごしてきて、ようやく最近、自分の中で落ち着いてきた出来事を掘り起こされる発言にうずくまりたくなる。
結局自分自身がどんなに頑張って忘れようとしても、あの場に沢山の人がいて、海夜の酒による失敗を記憶している人がいる限り、こうして不意に思い出させられるのだ。
『オス○ル様は王妃の近衛だったから、海夜さまの護衛をなさっているのも重なって、なお素敵……』
両手を祈るように組んで薔珠を見つめる詩織は、もう完全に恋する乙女の目だ。
薔珠も慣れたもので、凛々しく笑い返すだけにとどめているが、横でシャイマが呆れた目で見ていることにも気づいているだろう。
(……ん、待って。今スルーしてはいけないことを言っていた気がする)
『薔珠は確かにわたしに付けて貰った侍衛官ではあるけれど、皇妃さまはちゃんといらっしゃるでしょう? だから、重ねてしまってはいけないのではないかしら』
『え? でも将来はそうなるんでしょ?』
……ああ、そういう話。
確かにそういう契約は、あの皇子と交わしてはいるけれど。
この場にいる人たちに、その契約をわざわざ話すことでもないけれど。
『……ええと。あんまり難しい話は、わたしにはわからないから』
この話に関わるのは、思惑が含まれた政治的な話が主だ。海夜が家に帰るまでの仮の契約関係、と話せない限り、簡単に肯定も否定もできない。
微妙にはぐらかした笑みで誤魔化そうとすると、詩織は不思議そうに首を傾げた。
『……海夜さまって、もしかしてすっごい鈍い人? 殿下のあの態度見てもそう言えるって、ある意味すごいんだけど』
(……ん? 態度? そんなもの、あった?)
パチリ、と大きく瞬きする傍らで、薔珠とシャイマが頷いたのが目の端に入ったが、海夜はあんまり深く考えるのはやめよう、と思うのだった。
※
その日の夜、日本へ帰るための仲介先との進捗状況を聞く為に、皇子と待ち合わせている部屋で詩織の話にも少し触れた。
「ああ、子爵家の奥宮訪問の際に報告は受けた。侍衛官と侍女たちが居るから心配はしていなかったが。……おかしなことでも言ったのか」
「今日あったことを話しているだけなのに、そういう穿った見方は良くないと思うわ」
どうして人と会った話をしただけでそんな風に言われるのか。
これが詩織の言うガチャの結果なのだとしたら、海夜はハズレを引いた気分になってしまう。
若干頰をふくらませると、皇子は喉の奥で笑ったようだった。
「それで? 話したいと言っていたことは、話せたのか」
夜に見るこの人はなんとなく眠そうに気怠げで、昼間感じるような嫌味な雰囲気はなりを潜める。
こういう落ち着いた雰囲気が常だったら、海夜だって憎まれ口を叩くことなく、素直に会話できるのに、とつい人のせいにしてしまって自戒する。
人は鏡だ。
「ええ。あの時のこと、責任感じてしまっていたみたいだったし、もう少し早く手紙に気づいていれば良かったわ」
「……あの来訪者の小娘に、肩入れするな? ひどいことを言われたと三影から聞いたが」
「来訪者の方って、たぶんみんな傷ついてるわ。慰め合うか、反発し合うかのどっちか。わたしはああいうの慣れっこだし、……あの言葉が本心じゃないのも彼女を見てればわかるもの。……ありがとう、会わせてくれて」
「今回が特別なだけだ。謝罪を申し入れた者どもに会うつもりはないんだろう?」
「謝罪抜きにしてくれるなら、とは思うけれど……そもそもどうして謝罪? 詩織さんはちょっとトラブルがあったからわかるのだけど……、お茶に入れたお酒の話?」
「……おまえは鈍いままでいるのが、平和な気がするな」
「もうっ、どうしてあなたにまでそんな風に言われなきゃいけないのよっ」
皇子の言葉に憤慨して顎を逸らし気味にすると、彼は「ふぅん?」と長椅子の背に片腕を掛けてもたれ掛かり、探るような目をこちらに向けた。皮肉げに口の端に笑みを寄せて。
「誰に言われた、他に」
「え。……えぇと……」
(そこ突っ込む!?)
内心大慌てで冷や汗が出る。
なんとなく、詩織とのあの会話は口にしづらい。
「だ、誰って、言わなきゃいけないの?」
「別に。普通に答えればいいだけだ。強制はしない」
あれ、こういう時って大抵、“答えたくなければ答えなくていい“と言われるものじゃないの?
聞き間違い? 答えろっていう、命令の言い換えバージョン??
「……き、強制じゃないなら、内緒」
混乱させられて、でも負けるもんか、と意地を張ってそう言うと、軽く吹き出される。
もう、どこまでも失礼。
「侍衛官どもに後で報告はさせるが、有益な時間を過ごせたのなら良かったな。他の来訪者との面会も、何人か考えてはいるが」
そうだった。海夜は皇都に来たばかりの頃、来訪者たちと話せる機会が欲しいと、侍女を通じてお願いしてあった。
晩餐会やら体調を崩すやらで有耶無耶になっていたその話を、今回の詩織嬢との面会で思い出した皇子は、改めて海夜と来訪者たちとの対話の機会を考えてくれているらしい。
けれど、海夜はもう、それは願わないと決めていた。
「……ありがとう。……でも、もういいの」
「? 話さなくとも、構わないということか?」
「……うん。わたしって、日本人の色合いじゃないもの。説明したら、却って混乱させてしまうでしょ?」
「………」
色素の薄い薄茶色の髪、どんなに日に焼けても沈着することのなかった肌、そして極め付けの、透き通る琥珀色の瞳。
この国に来るまではまだ濃い色合いだったものが、日本人としては一般的ではない色に変化した。
元の色でも弾かれていたものが、こんな琥珀色の目で純日本人ですと主張しても、信じられるだろうか。何より、自分が来訪者の立場に立てる人間ではないと、詩織との一件で痛感した。
「家に帰れるのがいつになるかはわからないけれど、祖母が生きていたこの国を、きちんと見ておくことの方が大事だと思ったの。勉強すること山ほどあるんだもの。わたし、知らなかったことを知るのは好きよ」
何を考えているのか、無表情のまま黙り込んだ皇子に笑いかける。
「いつも気を遣って貰って、ありがとう。家に帰れるまで、よろしくお願いします」
かしこまって言った後、海夜は今度は声に出して笑った。皇子がなんともいえない、奇妙な表情をしたからだ。
困惑したような、迷惑そうな。
「迷惑って、言っていいのに」
くすくすと、含み笑いが止まらない海夜に、皇子は面倒そうに目を逸らし、ぶっきらぼうに「……そうは思っていない」と呟いている。
じゃあ海夜がここにいることをどう思っているんだろうとは、思い浮かんでも口には出せない。契約上の関係に、契約以上のものを持ち込む人には見えないから。
それを飛び越えたら、きっと海夜は無数に傷を負うだろう。
海夜の引いたガチャが、ハズレなのかアタリなのか……きっと考えてしまう。
「……そろそろ戻るわね。明日も早いのでしょう? 今日も三影くんの報告を聞かせてくれて、ありがとう。おやすみなさ……」
立ち上がりかけた海夜の手を、皇子がふわりと柔らかく掴んだ。
そのままエスコートするように手を引かれて、怪我をしている足に負担なく立ち上がれる。
(びっくりした……。立ち上がるのをサポートしてくれただけよね。すごく手つき優しかったから、驚いちゃった)
うん、本当の根っこは優しい人なのだろうと思う。けれど、表には出さないからわかりにく……。
そこまで考えた所で、海夜は息を飲んだ。
海夜の手を引いた皇子の手が、そっと海夜の指に、一瞬だけ絡んだのだ。
偶然? と思うような仕草。
けれどしっかりと五本の指が海夜の指を絡め取った。
その行為に、聞こえない程の小ささで心臓が脈打った。
何かの予感を、孕むような。
胸元を何となくさする海夜に、「……おやすみ」と皇子は手の仕草の名残などなかったように背を向ける。
「……おやすみなさい」
絡められた左手を胸に握り込んで、海夜は傷つきたくないなぁ、とぼんやりと考えてしまうのだった。
お読みいただきありがとうございます♪
口より先に手が出るタイプの男性は、現実にはやばかろう、と思います…。
この二人は“小さな恋のメロディ“から始まってるから、いいか、と無理矢理納得…。




