花びらの行方、その始末
本編直後のお話。
覚えてる、覚えてない。男女差あるある。
「武尊に鏡を返さなきゃと思っていたの」
兄に打たれた頬に軽く湿布を貼られた武尊を見上げて、海夜は気になっていたことを告げた。
海夜の私室の応接室で、呼び戻した磋須木の侍女達を待つ間のこと。
思い出したように首に掛けた鎖を引きずり出すと、彼は意外そうに片眉を上げる。
鎖から外されて自分の手の上に置かれた鏡を暫く眺め、武尊は微かに笑った気がした。
「………鳥星を上げたのはこいつか」
小さく呟かれた言葉を拾ったのは三影だった。
「……一ヶ月前のアレ? そうなの?」
「黄が眠ったままの状態で鳥星が上がったことが不思議だったが。海夜の存在を知らせる為にあんな真似をした、忠義な精霊は何者かと思っていたが……、こいつが辛うじて生き繋いでいたなら理解できる」
「やっぱり、生きてるの? 黄もそう言っていたけど」
武尊の手の中を覗き込み、鏡、と声を掛けてみるけれど反応はない。
「黄のように眠っている訳ではなさそうだから、その内応えるんじゃないか。––––––それで。いいのか」
窺うようにこちらを見て確認する武尊は、若干皮肉げに笑っていた。
何が? と、暢気な笑顔で首を傾げると、手の中の鏡をつまむように持ち、同じように首を傾げる。
「おれに返す、という話だ」
「だって、元々武尊が持っていたじゃない。わたしは預かっていたようなものよ」
「……へぇ」
否やも何もない。
当然そうすべきだと思っていたのに、深く含みのある言い方で武尊は皮肉げに口の端で笑った。
「何も覚えていないようだから、思い出す前に受け取っておく」
「え?」
凄く嫌な予感がした。
だって、何だか悪い顔をしている気がする。
(え、これって何? 目の錯覚?)
困惑して武尊がいち早く手の中に握り込んだ鏡と、彼の顔を交互に見比べると、三影が心底呆れたため息をついた。
「思い出したばっかりで、記憶の整理も済んでない人相手にひどくない? ねえさん、名誉の為に鏡は手元に置いた方がいいよ」
「殿下の素行がよろしくないのは、主に鏡の方の入れ知恵もあると伺っております」
「あー、アレか。覗き」
(?
はい? 覗き? とは?)
三影と薔珠と兄と、三人三様に鏡を返さなくてもいい理由を述べてくれるが、意味がわからない。
「え?」
再び間抜けな顔で問い返してしまって、その顔に武尊が「……ふっ」と小さく吹き出した。
何も覚えていない海夜が、おかしくてならなかったらしい。
「……ちょっ、何なの、みんなわかってるのに、どうして……っ! ……覗きって何のことよ……っ!」
そこはかとなく犯罪の匂いのする強烈な言葉に、憤慨しながらも引くのだが。
吹き出した武尊を横目に、呆れながら兄が教えてくれる。
「二年前に日本に来た時、何で見ず知らずの親戚に命賭けられんのかって訊いたらコイツ、“見ず知らずじゃなくて、ずっと見てた”っつったの覚えてねぇの、おまえ? 黄を通してこっちの情報、鏡が見せてたんだと。だからこっちの名前も知ってたろ、この兄弟」
……………!
……えぇ……? そんなこと、あった……?
「覗いていた訳じゃない。こいつが勝手に見せていたんだ。受け継げる貴種がおれだけだったから、気づいていたのもおれだけだ」
「でも時々俺には見せてくれたよ、兄貴。だから夜花さまのお顔も知ってるよ」
余計な一言だったらしく、三影は武尊に無言で脛を蹴られて、あまりの痛みに声もなく蹲った。
「………まさか、薔珠も見たことあった、なんてことは……」
「ございません」
潔白を主張するように食い気味に一言で否定した薔珠は、それでも一応、従兄弟であり主君でもある二人を庇おうと思ったらしい。
「ご兄弟だけの秘密とのことでしたので。そもそも日本の皇家のご存在は、一般にはあまり知られてはおりません。貴族内に於いてでさえ、ご存在の有無を知らされていない者も未だ多くおります。五十年間隔の扉が封鎖されない限り、黄花・サディルにとってはこの国の貴族は危険な者もおりますから。故に、お二人は口を閉ざしていたと聞き及んでおります。それをご兄弟から情報として引きずり出したのは、陛下と我が父です」
(………うわぁ)
薔珠が最後に付け足した言葉に、見るからに嫌そうな汚いものを飲み込んだ顔をしたのは、足の痛みから回復した三影だ。
当の武尊は飄々としながら、「あれはハメられたんだ」とボヤいている。
「アレ、今思い出しても腹が立つ。兄貴一人引きずり出す為に、半年計画のトーナメントで御前試合とか。そんな小狡いことする暇あったら内政に力入れてよ、全く。ホントに狸じじいなんだから」
「おかげで良いものは見られました。御前試合での優勝があったので、軍も殿下に従った所が大きいかと」
三影と薔珠が話す内容は武尊についてだというのに、本人にとっては心底どうでもよさそうで、むしろ白々と笑みを浮かべる兄を目を眇めて警戒している。
「……どうでもいいけどとりあえず謝っとけ、そこのアホ二人。ストーカーしてたことに変わりねぇって、自覚しろ?」
(はっ。そうか。
そういえばずっと見てたって、そういうことよね。
だから、“やっと会えた”で、“ずっと見てた小僧”なのか。
……わぁ、そう考えると………)
ご縁ってやっぱり運命って言葉に置き換えられるのね、と思ったのに口に上った言葉は別の言葉だった。
「殴りたい」
「殴っとけ。理由ありすぎるだろ」
兄の水を打った返事に、心の声が漏れてしまっていたことに気づく。
(いやいや、そんなことしないわ。
殴りたくはあるけれど、鏡がこちらの事を見せてくれていたおかげで武尊達がこちらの存在に気づいてくれていたのなら、それは感謝すべきこと……)
と思っておく。
どんな場面を見られていたのか、物凄く気にはなるけど。
「黄を信じてるから!」
黄に限って、変な場面は見せていない。
そう信じる。
でないと本当に殴ってしまう。
「にこやかに意味わかんねぇこと言うな」
反応を予想していたかのように、兄は疲れたように深く息をついた。
「そういえば、鏡を返すのはいいけど、鏡の中にある物は戻して貰ってもいい?」
武尊が握り込んでいる鏡を示してお願いした。
小首を傾げながら武尊は手を開いて鏡を差し出す。
カチリ、と軽い音をさせて開いた鏡の中の、海夜の大事な思い出を取り出して、そっと手の中に包み込む。
大切な、宝石のような、きらめく思い出の。
たった一枚の花びら。
嬉しくなってちょっと照れてしまって、はにかんで微笑むと武尊はかすかに眉間に力を入れた。
「何だ、それ?」
!?
予想外すぎる言葉を投げられて、衝撃的な驚き以外に感じることができなかった。
びっくりしたままの顔で彼の顔を見ると、いつも通りの無表情が見返してくる。
「……お、覚えてないの……?」
「何を」
やはり、全く何の悪気もない答えが返って、力が抜けそうになる。
(えええぇ……っ、うそぉ……!?)
舞い散るこれを受け止めて、笑いかけながら手の平に乗せてくれたのは目の前のこの人と同じ人物だというのに。
(………同じ人よね?
違う人ではないと思うのだけど。
……ええ? 別人だったのかしら……?)
そこではっと気づく。
花びらだけを見せられて、これが何かを悟れる程武尊だって超人ではない。
説明不足で彼を責められる筈がないのに、期待しすぎた。
これはこちらの落ち度だ。
「これ、落ちて来る所を武尊が受け止めて、わたしにくれたものよ。……呪をかけてくれて」
“来年もこの桜を見られるように”
その言葉に込められた願いは、今思い出しても胸が震える。
花びらは今も時を止めたまま、鮮やかに色を留めてこの手の中にある。
あの時、淡かった武尊への恋心を真っ直ぐに自覚した。
鏡の中に閉じ込めて、全てを忘れてしまっている間も、海夜の傍を離れずに守ってくれていた。
大切な、宝物––––––。
……だというのに。
武尊は微妙に小首を傾げて、眉間に皺を寄せた。
「……覚えがない」
「………………!」
記憶を復習ったようだが、思い当たらなかったようだ。
そりゃあ、海夜一人の甘ずっぱい思い出だと言われればそれまでだが、それでも。
それでも、花びらを捕まえたことぐらいは覚えていて欲しかった。
「……本当に、何にも……っ?」
「桜が咲いていたことは覚えている」
「………美鈴が話してたジンクスも? ……覚えていないの?」
「……ジンクス」
呟いて記憶を復習ってくれているが、芳しい反応はなさそうだ。
顎に手を当てて首を傾げているが、本当に思い出せないらしい。
一緒にいられたのは、たったの五日間。
目まぐるしく色々なことが起こった五日間だった。最後には海夜の心臓が一度止まってしまうぐらい、酷いことも起こった。
些細な日常の出来事なんて記憶の片隅に追いやられてしまうのも、わからなくはない。
それに、この花びらに特別な想いを持っているのも海夜一人だ。
だから、責めるのはお門違い。わかっている。押し付けちゃいけない。
………わかっているけど。
「……桜にまつわる話はいくつか聞いたな。桜の下に○体が埋まっているとか」
ちがう。
根本的な所が違う。そうじゃない。
貼りついた笑顔が引き攣る。
美鈴は何てことをこのデリカシーなし男に教えたんだろう、と全く関係ない所に恨み言を言いそうになって、違う違うと頭を振る。
「そういう怖いことは覚えているのに、覚えててほしいこと忘れちゃうっていうのが、あなたらしいわ……」
いっそ感心してついそんな風に呟くと、聞いていた兄が爆笑した。
「これが理想と現実だろ。よくわかったか、海夜」
「お兄ちゃんに言われたくないわ」
兄の本性を知らなかった頃の幼い美鈴が、おままごとで兄からシロツメクサの指輪を貰った、と喜んでいたのを覚えている。
それを美鈴の母親が押し花にしてくれたと見せた美鈴へ、「何だそれ枯れた花?」と言い放った兄に幻滅したのは、美鈴だけではない。
どんなに顔良くてもあいつにだけは恋心抱けない、と美鈴が傷つけられた少女の頃を根に持っていることを、海夜はしっかり知っている。
「花の木の下に○体が埋まっているという話の方が、インパクトがあり過ぎるだろう」
「日本では有名な話だけど、創作よ? ………もういいけど」
ぷい、と顎をそむけると、三影と薔珠に苦笑された。
全部聞かれていたことに羞恥心も湧くが、何だかもうどうでもよくなってきた。
ロマンチックな展開を期待したわけじゃない。
むしろそれはこの人に対して認識甘すぎるわ、と自分で否定できる筈なのに、どこかで期待していた少女な自分に嫌気が差す。
(期待しなければ、がっかりしない!)
今日からこれが合言葉だ。
でなきゃ、これから一生一緒にいる筈のこの人に、がっかりし続けてしまう気がする。
我ながら酷いことを考えているとは自覚しないままご機嫌ななめでいると、無表情のまま武尊が髪をぐるぐるとかき混ぜてきた。
「………ちょっと……。髪ぐしゃぐしゃになっちゃうわ」
されるがままにしているけれど、まだ機嫌は直っていないのに。
「……覚えていなくて悪い。………まぁ、思い出す努力はしてみる」
その言葉に、思わずびっくりして口が開いてしまう。
(謝った……! おまけに、努力なんて譲歩することまで……!)
「鏡の代わりにそれを容れられる物を、何か見つけておいてやる。……なんだ」
びっくりしたままでいると隣に立つ兄に目をやって、武尊は不審そうに眉根を寄せる。
びっくりしたままその兄を見上げると、兄は薄ら寒く笑った口元で目だけが嫌そうに武尊を見ていた。
「オレ、お前のそういうトコ嫌い」
「は? 喧嘩売ってるのか、さっきから」
「わぁ、待って。兄貴と和兄だとガチになるから! 殺し合いでもするつもりっ?」
「殿下と兄君の試合でしたら、ぜひ見学したいです!」
近接格闘術の中でも、最近になってナイフの扱いを始めたと兄から聞いていたけれど、確かに武尊と喧嘩になったらシャレでは済まなくなりそうだ。
慌てて止めに入る三影をよそに、薔珠は完全な野次馬根性で二人を煽ろうとする。
もう何だかごちゃごちゃだ。色々どうでもよくなる。
長年こちらの様子を窺われていたということも、花びらの件を覚えていないということも。
だって、大事だと思った人はみんなここに居て、仲良く(?)話ができている。
その事実だけで嬉しい。
この手の中にある花びらに武尊がかけてくれた願いの、ほんとうの形を見ている気がして。
……この花びらと同じ色の、もう一人が居てくれたらもっと嬉しかった……。
「何笑ってんだ、海夜。お前、もっと怒れ」
兄が武尊と睨み合いながらもこちらの様子に気づき、注意してくる。
わかっている。
兄が海夜の為に怒っていること。
ここが本当に海夜が生きていくに値する場所なのか、それを受け入れる人々の反応も測りながら。
物心つく前から兄の後をついて歩く雛鳥だったから、兄が自分を心配するのも刷り込みのようなものなのだと思う。
けれど、もう大丈夫。
自分で決めた場所で、自分が選んだ生き方をしていく。
(だからお兄ちゃんも、自由に。
黄花・サディルなんて、気にしちゃダメよ?)
「––––––みんな仲良くて、嬉しいの」
えへ、と笑って言うと、盛大なため息がいくつも返される。
ホント。どうしようもなくって、ごめんなさい。
でも、幸せなの。
だから、一緒に笑って?
特大のため息をついた兄は、今ひとつ納得いかないまでも、もう何も言う気になれないらしかった。
その後日本へ一旦帰ったが、黄國へ戻る頃、高校卒業祝いだと兄から贈られたペンダントが海夜の首に掛けられた。
兄が贈ってくれたペンダントトップのロケットの中には、武尊が贈ってくれた宝石のような花びらが一枚、納められている。
それを見て武尊が無言で片眉を上げたけれど、そこに一瞬だけ見えた感情を、海夜はきっと一生忘れないだろうと思った。
––––––––お兄ちゃんに、ヤキモチ妬いたみたいだったのよ?
お読みいただきありがとうございます♪
ブックマーク等大変嬉しいです。
ありがとうございます。




