第三話 隻眼の軍人
旅行者で賑わう税関の街は夜も華やかだった。
付近で強盗団による物盗り被害があっても、前日に春の鳥星が上がるという怪異があっても人々は夜を謳歌する。
街を守るために環状に築かれた壁は古代からの名残で、壁を含めた市街そのものが遺跡と呼べる歴史があった。
壁の一部は老朽化で取り壊される予定もあるが、街へ入るには壁に数箇所備えられた門を通過せねばならない。税関の警護も兼ねるため、毎日深夜零時に門の錠は下ろされる。
その壁門が閉ざされる直前、秘密裡に国境警備隊本陣の門をくぐる一団があった。
数騎、単騎に分かれ、時間もずらして。
※
国境警備隊本陣内にはいくつかの施設がある。
国軍であると誇示する、広く設備も整った訓練場。警備隊員の寮である警衛舎。民間人に開放され、陳情や相談事の窓口となる警営所。
そして、指揮官含めた幹部達が主に戦略作戦を練るための指令本部。
その司令本部内の貴賓室の扉を叩き、虎は返事を待つ。
「入れ」
簡潔な応えに即座に応じて入室し、年若い主人を前に一言だけ報告した。
「失礼致します。上将、揃いました」
「ご苦労。全員無事だな」
確認のための質問に、虎は「はい」と律儀に返事をする。
「壁門の錠が下りるまで三時間。道中の成果報告は明日でいい。順次街を歩かせ、地理を体に叩き込ませろ」
「は。隠密兵からの報告も上がっております」
革の薄いファイルを差し出すと、受け取った主人は黒革眼帯の隻眼を眇めた。
背の中ほどの長さの癖のない黒髪を無造作に一つに束ね、髪色と同じ黒曜石のような隻眼は鋭くファイルを睨みつける。
「阿呆の尻拭いをさせられる羽目にならなければいいが」
一つため息をつく姿が相変わらず綺麗な人だと、束ねた自身の薄金髪を背に追いやり、虎は気を引き締め直す。
「阿呆は言い過ぎかと。仮にも一国の王族です」
「おれは何も言っていないが。邪推か」
「上将の普段の言動から推測した固有名詞かと考えましたが、違いましたか」
「訊くな」
長椅子に腰を据えた主人の背後に控える。ファイルを開き、目を通した主人は浅く息をついた。
「……何が出ても、阿呆相手だと納得するしかないのが残念だな」
うんざりとファイルを閉じて返して来る。
返されたということは極秘であっても確認許可が出たのだと理解し、ファイルを開いた。
ざっと目を通し無言でファイルを小脇に抱え直すと、主人は組んだ足に頬杖をついた。
「……意見はないのか」
「貴人のお考えに突っこんでも仕方がないかと」
「皮肉か。あれを貴人というのは」
「皮肉です。あなたと同列に考えるには、あまりにお粗末です」
はっきり答えると、六歳年下の主人は再び隻眼を眇めて「おまえのは身内贔屓だ」と切り捨てる。
報告書の人物と虎が主君と仰ぐこの年若い青年が比較にならないのは、過去の功績を見ても歴とした事実だ。
立場も人類の古代種である貴種という生まれも、報告書の人物と重なれども全く違う。内心の虎の声などわかりきっているだろうに、主人には黙殺されるが。
気を取り直すように、主人は膝上の頬杖を解き身を起こした。
「地方視察の最終地で強盗団の捕物とはな。きな臭い場所だと思ってはいたが、悪事の質も他とは違う。古代からの要衝地なだけあるな」
「地方独立自治のような状態が長く続いてしまいましたからね。この四年でだいぶ風通しは良くなりましたが」
「土台が腐っていれば風通しも何もない。そもそも首長の世襲は腐敗の温床になり易い。利権に癒着、諸々だ」
主人のその発言に、少々面食らう。
「……あなたがそれを仰る」
「他に言える者が?」
会話を切り上げるように長椅子から立ち上がり、執務机に広げられた地図を一瞥して主人は虎を振り返った。
「窺見達はそのまま任務を続行。二日後の作戦遂行後に皇都へ戻れと伝えろ。検非違使隊は明朝会議を行う」
「承知しました。……二日後、ですか」
初耳の日程に若干驚いて主人を見ると、彼は腕に取り付けた小型のタブレット端末を起動させ、執務机の上の大型タブレットと同期させている。
それを起点に机上の宙に映し出された映像は、現在滞在中の税関の街全体の立体地図だ。
その左側、国境沿いに真北に向かって作られた、街を囲む壁の西を主人は指で示した。
赤い光が点滅している。
「明後日、ここに強盗団を誘導する。餌は検非違使隊が道中撒いてきた筈だ。上手く食いつくかは明日の皆の働き次第だが、気候条件は明後日が最善だ」
地図の上に映し出された気象情報に目をやり、首を傾げた。
「この数字では明後日が最善の気象であるとは読み取れませんが、何か根拠が?」
「明日の夜、雨が降る。長時間ではないが、強盗団が動く条件には十分な雨量だ。明け方に霧が出る」
言い切った主人にもう一度気象データを見ると、確かに夜中に湿度が上がる部分はある。
だがそれは、日の当たらない夜であるからこその数字にも見えるし、確率も低い数字だ。
それでも主人が言い切る根拠は、虎には見えず、彼には見える何かが働いている。
思い当たるのは一つだった。
「精霊からの情報ですか」
未来予測を数字でしか測れない自分たち亜種では、こうした部分で貴種には敵わない。
それが亜種の劣等感にならず貴種への尊敬に繋がっているのは、貴種が利己的に亜種との違いを見せつける行為を行わないからだ。
貴種というだけで今現在の世界では希少種。その上この年若い主人には、更に希少な能力が幸か不幸か備わってしまっている。
「少々の力添えは頼んだ」
興味なさそうに答えながら立体地図を消して、主人は窓の外の星空に視線を移す。
「これで摘める芽があれば大きいが」
「下手をすれば外交問題に発展しかねませんからね。早朝の行動制限令でどう動いてくるか。警備隊の動きは筒抜けでしょうし」
民間人の居住地近くでの作戦行動の場合、最優先は住民の安全確保だ。
「普通に頭が回れば捨て置くだろう。末端はいくらでも調達できる」
「末端とはいえ住民には十分脅威です。税関近くでこれほど派手に荒らされては、旅行者の足も遠のいてしまう。それは地域住民にとっては死活問題でしょう」
「まずは尻尾を確実に切り落とす。少しずつ出る膿を、その都度洗浄して行くことでしか傷の深部に辿り着けない」
「御意」
「……そういう物言いはやめろ。気色悪い」
最大の敬意でもって返事をすれば、嫌そうに無表情で切り捨てられる。
虎が側仕えになって、もう十四年。
時折こんな風に跳ね除けられるのは、甘えられている証拠だと前向きに捉えている。
「……もう一つ」
思い出したようにおもむろに、主人は首をこちらに巡らせた。
「この作戦行動を無事に完遂させたら、おまえは先に皇都に戻れ」
「は。承知致しかねますが」
「さらっと断るな。上から極秘で指令が来ている。単独の方がやり易い。おまえが一緒だと目立つ。帰れ」
三段論法で結論づけて命じられるが、それで引き下がっていたらこの主人の側近はやっていられない。武人なのに、筋肉量に比較して上背ばかりが目立つ体つきは自覚しているが。
だが目立つというならば、自分の比ではなく目立つ顔立ちをしている主人に言われたくはなかった。
「上将お一人でも相当目立たれるのでは」
「そこにおまえが加われば、極秘でも何でもなくなる」
「内容をお聞きしても?」
側近を遠ざけるなら、それなりの理由がある筈だ。そこを納得しなければ傍を離れることなどできない。わかっている筈だが。
聞き分けない側近に彼は首を鳴らすような仕草で首元に手を当て、項垂れてため息をついている。
そうして気怠げに窓の外を指差した。
「昨夕の鳥星」
「はい。国中で騒がれたようですね。観測できる季節ではないと」
「そうだ。普通は天体よりも別の何かを考える。だがこの国の国民はあの時間、あの方角、緯度経度、光点の数値で鳥星を連想する。下地があって結構なことだが、天文部門と数理研究所はあれを天体ではないと結論づけた」
「妥当かと思います」
「では何なのか? という疑問が残った上で、指揮権が神殿に移ったそうだ」
「……聞かなければ良かったと、今思いました」
心の底から後悔した。神殿とはまた、この主人とは水と油だ。
腕を組んで顔を上げた主人の隻眼には、皮肉げな光がある。
「調査命令だそうだぞ。おれに」
若干怒りのこもった声に、ひえ、と笑顔を引き攣らせる。
喜怒哀楽がほとんど表情に出ない主人が、こうもあからさまに感情を出すのは珍しい。
「神殿でしたら三影さまがいらっしゃるでしょう」
「飛び越えて上が直接おれに言ってきた。今頃激怒してるんじゃないか」
「……目に見えるようです……が、上、というと……」
神殿の言うことなど全く耳に入れない主人が、嫌々でも命令を受け入れているのは、余程無視できない人間の指示だということだ。
それはごく少数に限られる。
「全くありがたくないことに、皇命だそうだ。“守護者”で指名すると言ってきたぞ、今更」
皇命。
しかも守護者とは。
主人が無視できない言葉で囲い込む辺り確信犯だ。この人のことをよく知っている。
“守護者“の役目は事実上解かれているといっていい。その“今更“を再認識させるということは、それなりの理由があるということだが、……それは。
「……“極秘“扱い……」
「今おまえが考えたことと同じことを、神殿が考えたということだ」
混乱を整理しきれずに呟くと、主人は憮然と肯定した。
息を詰めて主人の顔を見る。
主人に与えられた“守護者”の役目と関連する“極秘”といったらひとつだけだ。今更も何もなく、真っ先に行動に移さなければならない筈。
「……貴方はそちらを優先なさった方がよろしいのでは? 強盗団の捕縛でしたら我々だけでも何とかなります」
「現時点では御大将としての任が優先だ。守護者が必要かどうかもわからない。そんな状態で任務を放り出すのは愚かしい」
「そんなことは誰も考えません」
「おれ自身がそう考える」
何も言えずに押し黙ると、主人は組んでいた腕をほどいて目を逸らした。
「………他言無用。もう行け」
それは、これ以上話すことはないという意思表示だった。
何を説得されても聞く耳はないということ。
柔軟に他人の言に耳を傾ける人だが、守護者の役目に関しては、一人で結論を出し頑なに固持する。
それが守護者を拝命する時の条件だったと聞いてはいるが、長い付き合いの虎としては心配な面でもあった。
※
夜明け前の暗がりに朝靄が立ち上る。
薄闇にこれだけ濃い霧では、土地勘のある者か、相当夜目が効く者でなければ歩くこともままならない。
指示通りの動きを取りながら、虎は前を行く主人を見た。
夜戦用の夜行型遠望鏡を片目に装着して作戦を始動したが、これは暗闇にこそ能力を発揮する物で、真白い霧のただ中では無用の長物だった。
それを承知で起用したのは、これに使われている通信手段が最近ようやく軍事実用化に至った最新技術であるからだ。
貴種達が古代から通信手段として使っているそれは、ある鉱物の共鳴現象の一種を利用した、特殊な波長を音に変換する通信技術。
その鉱物からはそれぞれ個別の波長しか拾えないため、変換機に個々の波長のパターンを同調させる必要があるが、それが外部からの干渉を防ぐ障壁となるため通信内容の傍受の危険がない。暗号や隠語を用いずとも、軍事会議や機密会議が遠方からも行える。
国の情報資源は、常に他国の諜報機関による攻撃に晒されている。
この技術を使えば、音声通話による盗聴の危険は限りなく低くなる筈だ。利用の範囲が狭く限定的ではあるが、情報を盗まれる危険が減った功績は大きい。
いずれ音声以外の情報もやり取りできるようになるだろう。
主人曰くの“原始的”だというそれは、貴光石と呼ばれるマルチエネルギー資源によりもたらされる。
未だ正体がよくわかっていないにも関わらず、世界中の幅広い分野で幅広く使われているため、研究開発が止まる事はない。
あまりにも使い勝手がいいものだから、不都合な点が見つかっても、それを理由に利用をやめる事は今更あり得ないだろう。
貴光石は貴種と縁の深い鉱物で、それを利用し生活を豊かにしていたのが貴種という種族だ。亜種はその真似をして発展してきた。
今回の通信技術も、貴種達が貴光石にただ触り、その向こうにいる相手と会話をしていることからヒントを得ていた。
そうして早速実戦型の機械の中に組み込まれたのだ。
《オード班より報告。目標地点到着。指示を待つ》
イヤホンから聞こえた音声に、主人が音もなくインカムマイクを口元まで下ろし答えた。
「了解。そのまま予定時刻まで待機」
別動班の待機ポイントへの到着報告だ。続いて各班からも次々と報告が入る。
電気信号を使う通常の通信と違い、ノイズが一切入らない。くっきりとした音質に、実用段階の試用に移行したのも納得がいく。
最後の班からの報告を受け終わり、主人が立ち止まる。
自分達の待機ポイントに到着したのだ。
相変わらずの薄暗がりに、広がる白い霧。外套のフードを被っていても前髪から雫が落ちる。
虎の腕に括り付けた小型タブレットが微かに蠕動した。目を落とし確認して簡潔に報告する。
「囮部隊の到着報告が入りました」
「壁門前にて待機。この時をもって実戦始動」
虎の報告に主人は即座に応じた。
「強盗団がこちらに向かっていると窺見の報告があった。作戦成功は囮の隊にかかっているが、仕込みにあまり時間を取れなかった部分が不安要素ではあるな」
「作戦立案が五日前と考えれば、強盗団に気取られるギリギリの範囲だったのでは」
「夜明けまで約三十分、壁門の錠が上がるまで一時間。この様子だと尻尾は切られたようだな」
淡々と口にする主人の様子に、虎は昨日の朝の作戦会議を思い出していた。
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