第三十六話 初恋泥棒への仕返し大作戦〜決行〜
最後にほんのちょっぴり皇子視点があります。
結局、薔珠大尉を引き込む算段なんて虎には思いつかず、率直に「皇子を口説く手伝いを」と言い掛けて彼女に軽蔑の目で見られた。
いえ私は既婚者で、と妻からの連絡をそのまま見せて納得して貰ったが。
それを見て「……殿下の仰った失態は、これでカバーできるかもしれません」と、薔珠大尉にしては妙なことを言っている。皇女の傍にいたせいで思考がそちらに傾いているのか。
反女皇・反貴種勢力の大物の一つ、綴国侯爵家の検分を終え、三日ぶりに帰城した皇城は空気が澱んでいた。どうしたことかと思っていたが、羽咋がやらかした、という噂はすぐに耳に入った。
どの家門も皇権への色気はある。
皇家と縁を繋いでおけば、男皇の時代であっても外祖父として権勢を誇ることができる。
それを防ぐ為のシステムでもあった女皇時代は終わり、次代は貴種ではない。
そんな世情の中、羽咋は現皇家へいち早く忠誠を誓った家門の一つだ。國皇の側近として羽咋家の当主は剛腕を奮ってきた。
國皇が政治に興味を示さなかった時期にも、皇弟の善道公と執政長官との三人で、政治を執り仕切ってきた実力者だ。
だからこそ、羽咋の当主は主人を危険視する。
「無能」と主人が切って捨てたのは、そんな羽咋出身の年若い侍女に対してだった。
皇女の私室に修理官が入るという報せに、主人がようやく反応した。書記官として中宮に勤める羽咋の次男の秘密裏の手配だと、薔珠大尉が突き止めてきたのだ。
私室の物は殆ど年代物で歴史的価値が高い。
歴史遺物修理官という特別職の手でなければ直せない。そもそもなぜ修理官の手が要るのか。
奥宮のことなので、主人の方へ情報が回ってきた。
何が破壊されたのか確認に訪れた主人は、部屋の主が不在であるのにそこにいるだけの新米侍女に向かって、厳しすぎる言葉を放った。
「……殿下、新人の侍女です。もう少し広い心で……」
羽咋公の姪である璦蘭嬢の話を最後まで聞くことなく、破壊された扉の把手に目をやった主人は、薔珠大尉の嗜める声も無視する。
「言い訳しかできない無能を、この部屋に置いておくことも不愉快だが」
「皇子、それ以上は」
虎も何とか新人侍女の擁護を試みようとするが、無駄だった。
彼は扉を見上げ腕を組むと、無表情のまま首を傾げた。
「海夜が呪を掛けたようだが、力ずくで破壊するとはな。ここで交わされた会話を、海夜ならこいつに再生させることも可能だろう。その時もう一度呼ぶ。貴種を侮ったことを後悔して下がれ」
言い捨てられた言葉に、年若い新人侍女は身体を大きく竦ませた。
小刻みに震え青ざめた顔色のまま、まだ言い募ろうとする所を薔珠大尉に止められ、引きずるように部屋の外へ出される。大きな泣き声が聞こえたが、主人は一切構わなかった。
「……若干気の毒な気も致しますね」
「関係ない。羽咋への牽制になればそれでいい」
またしても、こういう発言だ。
どうあっても、どんな最悪の結末になっても全て、自分に非難が向くように仕向ける。痛みなど感じないとばかりに。
「……ご自身のことも、お考えになって下さい」
忠言はどうせ聞き流されるだけだろう。
だが皇女が戻ってきた今、主人の方こそ自覚しなければならないことが山程あるのだ。
その時、年代物の扉の向こうから小さな物音がした。
虎の耳にも聞こえるぐらいだ。気配に聡い主人には確実に聞こえただろう。
把手が壊れて扉の体を成していないそれを、勢いよく主人が開け放つ。ばん、と響いた音に、中の物音の主がびっくりしたように身体を竦ませたのが見えた。
「……っ、海……っ!」
名を呼びかけられそうになり、そこにいた人物は小さく悲鳴をあげて「……黄っ」と呟くと風に攫われるように掻き消えた。
扉が開け放たれた音が余韻のように部屋に残る中、一瞬で消えた皇女に主人が不可解そうに首を傾げる。
「……何故逃げられるんだ?」
それこそが磋須木の姉と虎の妻、それに兄妹が目論んだ主人への仕返しの作戦。
訳知り顔で虎は、薔珠大尉と目を見合わせ合うのだった。
※
その後数日間、何度かすれ違いがあり、今度こそ皇女が主人に捕まるのでは、と思うような場面もあったが何とか切り抜け。
手助けする中で、虎は皇女の兄と初対面の会話を交わした。
「あいつさぁ、強情っぱりで大変でしょ、虎さん。オレが殴るのしょうがなくね? 海夜を傍に寄せらんねぇのに、見える所に居なきゃ引っ張ってきたがるって、どんだけツンだよ。デレがねえのが気に入らねぇって言っといて」
「……あの、虎“さん“というのは、ちょっと……。呼び捨てで構いませんので」
「海夜がそう呼んでるから倣ってみた。だって年上でしょ、おたく。年上呼び捨てにできるだけの立場なんて、オレにはないからね! そう考えると武尊はマジで不憫。大事にしてやってよ、とばあちゃんの代理で言っとく。オレ自身は殴るけどね!」
そう宣言してからりと笑う。
裏表のない、気持ちのいい人物。
それがこの青年への印象だった。
そう言っているそばから、薔珠大尉に庇われて皇女が主人の執務室へ飛び込んできた。早く早く、と急かして兄を呼び寄せると、二人で鈴に呼びかけ足元から消えていく。
完全に消える前に皇女は「……ごめんなさいって、伝えて」と薔珠大尉に言伝を頼んだ。
同時に執務室の扉が勢いよく開き、主人が大股で入室してきた。
消える直前の言葉が聞こえたのだろう。
小さく舌打ちすると唸るように文句を言っている。
「……謝るぐらいなら、逃げるな」
深くため息をついて疲れたように執務椅子に身を預けた主人に、「三回、息を吸い直すとよろしいかと」と提案して足を踏みつけられた。
※※
逃げられる意味がわからない、と武尊は内心苛ついたまま中宮から奥宮までの渡り廊下を歩く。
海夜がここに戻ってきた時は正直またか、とうんざりしたが、逃げられっぱなしの現状に戸惑っているのは事実だ。
あいつ、何しに戻ってきたんだ? と首を傾げる。
(“何をしに”?)
考えることはひどく面倒で、放棄したくなる。
……記憶は戻っているようだった。
あれだけ精霊を駆使して逃げ回っているのだから当然だろう。
だが記憶を封じるきっかけになった、こちらの暗示について文句を言うつもりはないらしい。
そこがまずわからない。やはりどこかがずれているのか。単なる阿呆なのか。
自分の名ではない感覚の“武尊”という名が、あの兄妹に呼ばれると不思議と腹の辺りに落ち着く納得感がある。
“懐かしい“と感じるような。そんな感情など感じなくなって久しいのに。
けれどあの二人に“武尊”と呼ばれる度に、自分の中に何かが戻ってくるような感覚がある。一体何なのか。
廊下の窓に面した休息所で、話し声が聞こえた気がしてそちらに目をやる。
案の定、最近逃げられてばかりいる海夜と、一緒にいるのは異母弟の三影だ。その姿を見て反射的に走り出すのも、最近の自分にはお決まりの行動だった。
こちらに気づいた海夜が、ハッと息を飲んで一目散に逃げ出す。手を伸ばしたすぐ先で宙に溶けた海夜に、ああまたか、と諦めに似た感覚を飲み込む。
どれだけ手を伸ばしても、届くことなどないのだと思い知らされるのが、あの女だった。
「第一皇子と正体不明の美少女が皇宮内で追いかけっこしてるって、結構な噂になってるの知ってる?」
「……何を話していたんだ?」
三影の揶揄うような質問には答えず、質問で返す。
何やら楽しそうに話し込んでいたのは見ればわかったが、こちらには困ったような顔をして謝罪ばかり口にするくせに、何なんだ、とは思う。
こちらのその態度に、三影は呆れたようなわざとらしい息をついた。
「兄貴のそれは、未必の故意だからね。いい加減にしなよ」
意外な言葉に内心で嫌な顔をしてしまう。
「……犯罪教唆のように言うな。何の話だ」
「兄貴の傍にいて、ねえさんが何も思わないって本気で思ってたわけじゃないよね? そうなるように仕向けてた、そうなるのがわかってて放置してたって、思われても仕方がないことしてた自覚はあるんだよね?」
「そんなわけがないだろう。おまえの中のおれは何者だ」
「だったら犯罪そのものだ。ねえさんのじゃない、兄貴の犯罪だよ。ありえないでしょ。三回おんなじ人を好きになって二回ふられて、でもまた口説きに来たって。何回でも砕けるから大丈夫って。それでもダメなら大人しく帰るって言ってたよ。まあ実際、明日帰るらしいけど」
顎を逸らして捲し立てた異母弟の言葉を、一瞬聞き逃した気がした。
明日。
「……それは聞いてないな」
まともに言葉を交わさない、顔を合わすことすらしない。
そんな状態で何が口説くということになるのか。
何も成さずに諦めて帰る、という所が疑問でならない。
「迷ってるって言ってたけどね。今日は医療室で診察の日だから来たんだって。明日帰ることになりそうだから、挨拶に顔を見せてくれてたんだ。……今は医療室にいると思うよ。行けば?」
確かに、診察中ならば逃げることもできないだろう。
それだけ聞ければ十分だと、踵を返す。
逃げてばかりいるのはどちらなのか、この際どうでも良かった。まさかまた界渡りしてくるとは思いもしなかったから、油断していたのだ。
そうだ、あの女は目を離した途端どこかへ吹かれて飛んでいってしまう、花びらのようなやつだったと。
大きくため息が出た。
“三回吸うといいのよ“と馬鹿みたいな迷信を、大真面目に言っていた顔を思い出して苦笑いが浮かぶ。
医療室の扉を躊躇わず大きく開け放つと、中はもぬけの殻だった。
既に診察が終わった後だったか。
小さく舌打ちするがいや、と思う。
部屋の中には確かに人の気配がある。
ならば奥の小部屋か、と診察を兼ねた小さな治療室の扉を開けた所で、その手をふわりと掴まれた。
「––––––つかまえた」
細くて柔い手が少し震えながら、こちらの手を封じるように指を絡めてきた。
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