第三十三話 たった一枚の
書きたかった場面が書けました。
達成感。
特別な十六歳で、特別な出会いをちゃんとしていた。
でも実らなかった。
海夜は人魚姫の立場だったのだ。
そうして十六歳で人生に絶望して、自分に暗示をかけてしまった。
それもとんでもなく強力な、それまで生きてきた全てを膜に包んでしまうくらいの。
「我ながらなんて極端な……」
自室のベッドに腰掛けて顔を覆う。
「あ? 極端? 知ってたけどそんなん」
「よせ。傷口に塩塗るな」
眺めていた本棚から振り向いたのは、幼馴染の女子で藤森美鈴。
ボブカットが似合う大人っぽい顔立ちの美鈴は、性格もさばけていて物言いもハッキリしている。
対して、三人の中で唯一の男子の芦田貴一は、やはり大人びた性格で美鈴の遠慮のない発言に言い返しはするけれど、本気で腹を立てることは年に数回ぐらいだと心の広いことを言っていた。
「どんだけ言いたいこと我慢してきたか、この二年半。アンタ、すっとボケんのにも程があるでしょ」
「それは海夜のせいじゃねぇだろ。武尊が催眠暗示とかいうのかけてかなきゃ、海夜もここまで極端になんなかっただろうし」
それはどうだろう。
置いて行かれたという現実に物凄く傷ついて、同じように自分に暗示をかけていた可能性が高い。
それぐらい、一生に一度といえる恋だった。
「それに、あいつが極悪非道なのは海夜のこの姿見りゃわかんだろ」
肩の固定器具と耳のガーゼを見て、貴一は拳を握る。
日本に帰ったのは一昨日。まだシャイマの夢を見るし傷も痛い。天地の鎮痛剤がどれだけ効果が高かったのか、身をもって知った。
でもこれが日本での日常だ。治りが早い体質で良かった。
「囮だっけ? アイツがねえ…。海夜をそんな風に扱うなんて、どうしちゃったの。三影は止めなかったわけ?」
「……どうかしら? 三影くんが知らない筈ないから、……この話やめない? わたし、受験の準備、追いつくかどうかの瀬戸際なのに」
三影が知らない筈がない。
だって薔珠達が海夜の侍衛官に抜擢された時、上手いこと考えるな、と武尊に感心していた。
でももう関係がない。
あれは過去のことで、もう黄國へ行くことはないのだから。
考えなければいけないのは、目の前に迫っている大学受験のこと。
「まあ現実的に考えればそうだけど。志望ランク下げるしかないんじゃないの」
「……いい機会だから家を出てみようかと思っているの。地元の大学志望だったけど……、拘ることもないし」
家から離れたら何か大事なものも失う気がしていた。
封じた記憶に縛られて、あの桜並木から離れたくないと思っていた。
「ソレもありかもだけど。ホントにあんたは、もうあっちに行く気はないの?」
手に取っていた本を本棚に戻して、美鈴はこちらに向き直った。
貴一も海夜の勉強机の椅子に逆向きに座りながら、こちらを窺うように顔を向ける。
「行く気って言われても……、子供の頃も今回も行こうと思って行った訳じゃないし……」
もごもごと言い訳のように口の中で呟くと、美鈴は「わかんないじゃん」と軽く否定した。
「あんたの親父が何者かって話じゃん。ヒョイヒョイあっちこっちの異世界渡り歩いて、こないだ貰った土産、食えんのかって思ったし。要らんわ、あんなモン。そういう人間だか何だかわかんない生物の娘でしょ、あんた」
「おい、言い方。生物って。すげぇ気持ちわかるけど」
海夜が継父だと思っていた天降は、子供の頃に行方不明になっていた実父と同一人物だった。
祖母を日本に送り届けた父は、そのまま影ながら祖母の警護に当たっていた。遠い親戚にあたるから、と言っていたが、結局母と恋に落ち家族を成した。
それは空間を渡る一族のルール違反であり、外見を変えて家族に近づくな、という罰を受けていたのだという。
しかし特殊な血筋である妻子を放っておくこともできず、遠くから力になっていたら今度は寿命を奪われたらしい。
数十年と経たず消える身ならば、と開き直って家族の傍にいることにしたと笑っていた。
空間管理の一族は黄花・サディルの初代である、黄花の女性時代の伴侶の出身一族だ。
その人との間の娘が次代を継ぎ、黄國の歴史を作って来た。
つまり海夜と兄は、その二代目の女皇と同じ血筋を継いだことになる。
「向こうで人間より精霊に近いって嫌なこと言われたけど、その通りだったのが凄く居た堪れない……」
「今更じゃん。だから、そういうのが普通の世界の方が馴染むでしょ」
「天降のおっさんの能力って遺伝なん? 海夜は縁があるからあっちに引き寄せられたんだろ? でも和兄も血筋あっちで縁もある筈なのに、行くことないの何で?」
それは海夜だって知りたい。
「和兄は能ある鷹だからなー。遺伝なら、もうその界渡りとかいうのマスターしてそう。でもやんないんじゃない? 出来てもやんないってタイプだし。性格ワル」
美鈴が嫌そうに言うのを、実の妹として海夜も頷いてしまう。
武尊とは別の意味で性格が悪いのが兄だ。
天地と似ていると思うのは、たぶん天地も出来ることの方が多いのに、気の進まないことはやらないタイプだから。兄より嫌味はないけれど。
「そう思うとさ、海夜にも出来ると思うんだよね」
「えぇ? 無理だと思うわ。……もう行きたくないし」
二人の視線から逃げるように俯くと「何かあった?」と軽い調子で訊いてくる。
内に溜め込んで我慢してしまうから、二人はいつもこんな風に軽く、言えないことも聞き出してくれる。
「……おなじ人に二回もフラれて、もう一度会いに行ける程、鋼の心臓じゃないの……」
しかも、その傷心の時に大事な友人が殺された。怖気付かない方がおかしい。
「マジか。もうやらかしてたか。即行動すんなよ、お前。タイミング考えて言ったのか?」
「……考えなかったです……」
衝動的に告白しました……。
貴一の呆れたような言葉に小さくなるしかない。
「何回も告ってはお前にフラれてる奴、オレ知ってる。そいつに聞かせてやりたい」
「あたしも知ってるー。聞かせてやりたーい」
「うぅ、ごめんなさい……」
自分の気持ちを晒け出すのは、勇気も気力も体力も要るのだと勉強になった。
「恋愛なんて絶対しないって頑なだったのに、記憶真っ新で結局また同じ奴に惚れてんじゃ、もうしょうがないじゃん。諦めなよ」
「……だって、無理だって。はっきり言われたのよ。受け入れられないって」
「頑固な奴。色々知ってるくせに、クソ意地悪いな」
ちっと舌打ちする美鈴に首を傾げる。
色々? とは?
「和兄とアンタがこんなくっそ田舎で馴染めない理由ってさ、異世界の皇族として育成されたからじゃん? 特にアンタは、きさいがねとして手塩にかけた自慢の孫だって、夜花ばあちゃん鼻高々だったよ?」
“きさいがね”。
またこの単語だ。
「黄も同じことを言っていたけれど、それってなぁに?」
「そういや、海夜には言ってないって夜花ばあちゃん言ってたな。話していいのか?」
「きいちゃんも知ってる話なの?」
「今話さないでどうすんの。“きさいがね”ってさ、后がね。お妃さま候補。そうなる為に育てられた女の子のことって言ってたよ。そんで、武尊も知ってるよ。あたし教えたし」
「––––––……え?」
思わず聞き返す。
聞き間違いかと思った。
急いで自分のスマホで調べてみると、確かに“后がね”という言葉が存在している。混乱して固まった海夜に、美鈴と貴一は笑った。
「アンタ四歳ぐらいの時に向こうに行ってんじゃん? そこで会った男の子のお嫁さんになるって、ずっと言ってた。その子の目が琥珀色だって知って、海夜の教育を始めたって夜花ばあちゃん、子どもの頃話してくれたよ」
「和兄も知ってるよ。オレ達セットで海夜の話聞かされたからな。武尊に会った時、コイツかよ、マジかよやめとけよって思ったもんだけど」
それは確かに、そう思う。と貴一の言葉に心から頷く。
「あたしは皆んなで共通の秘密持てて、ちょっと嬉しかった。それを上回ってアンタの精霊騒ぎは大変だったけど、中々ない子供時代を経験させて貰ったと思ってる」
「まぁ楽しかったよな。お姫さま守る騎士役なんて、リアルで経験できないし。親の転勤でこんな田舎来て、兄貴は腐ってたけどオレは退屈知らずで面白かったな。マジで、いい子供時代送らせて貰った」
二人とも楽しそうに話しているけれど、子供の頃の海夜の周囲は本当に大変だった。
知らずに呼び寄せた精霊達がいじめっ子の仕打ちに反応して受肉しかけたり、仕返しをしてしまったり。
海夜は化け物だの魔女だのと言われては、隠れて泣いていた。それをいつも見つけて迎えに来てくれていた兄と、この幼馴染二人には感謝してもしきれない。
けれど、海夜の知らない話が背景にあったのだと知って、驚いてもいる。
「……何でお祖母ちゃん、わたしには話してくれなかったの?」
「お稽古事大変だし、日常でも厳しく躾けてたし、きさいがねの話して重荷背負わせるのやめよって思ったらしいよ。それに、それ所じゃなかったじゃん、アンタ。アイツら酷かったもん。今でも覚えてるよ、あたし」
「ああ、蛙な」
「ミミズも。蜘蛛も。蛇連れて来てたこともあったな。咬まれろって思ったらホントに咬まれてやんの、ザマァ。こないだ駅でアイツらにバッタリ会ってさー、おかしいの。アイツら後悔してんだってさ。今じゃ眩しくって話しかけることも躊躇うって言ってたわ」
「オレも中学上がってすぐ呼び出された。美少女すぎて話しかけらんないから、仲介しろって。色気付いてんなクソ野郎って言っといた。海夜が別嬪なのは、ちっさい頃からわかってたじゃねぇか。そういう子に蛙けしかけたクセにな」
親戚の近い年齢同士の軋轢もあっただろうが、海夜と兄に纏わりつく怪異に、子供なりに身を守ることを考えたのだろう。
結果が山で見つけられる生物なのは今なら笑い草だが、あの頃はそれだけの敵意を向けられることがこわかった。
「………二人とも、どうして仲良くしてくれたの? みんなこわがって、近寄らない子が殆どだったのに」
「その質問、何度目だよ」
「ホント。何回も言ってんじゃん。アンタのことが好きだからだって」
言葉を聞いた途端、涙があふれた。
「っ、……無理だって、言われたの……。受け入れられないって。……あの人のお嫁さんになる為に頑張って来たんだって知っても、やっぱり未来なんてないんだわって、思い知るだけなのよ……」
「バカだなぁ。恋してる時に未来なんて考えなくていーよ。浮かれときなよ。未来なんてなくていいんだって突っ走って、ようやく手に入るもんじゃん、恋って」
……未来なんて、なくてもいい……?
“この恋に未来はなくとも、それはそれでいいのです。陛下をお守りできれば”
耳奥に、喪ってしまった大事な友人の言葉が蘇る。
彼女は誇らしく、幸せそうだった。自分の恋が、実ることはないと思っていても。
“同じようにこの髪を嫌悪なさらなかった姫が、ここに残りたいと仰るのであれば、私はひたすらお支えするだけです”
「……シャイマ……」
……残りたかった。
誰が許さなくても慕わしい人達に二度と会えなくても、たった一人、武尊が残っていいと言ってくれたら、何を置いても海夜はあそこに残っただろう。
けれど、その唯一の人が、海夜を追い返したのだ。
“さっさと帰れ。二度と来るな”
心臓を抉られる言葉を、思い出したくないのに何度も反芻してしまう。
もしもまた黄國に行けたら、きっとあの冷たい言葉を何度も聞くことになる。
それに耐えられるだろうか。
そう内心で自問した時、首元でぷつっと小さな音がした。何かが切れた音だ。
軽い金属音と共に膝の上に転がり落ちて来たのは、黄金の装飾枠も美しい皇家の守護者の一つ、鏡だった。
「あれ、どうして……。鎖が傷んじゃってたかしら……」
慌てて拾い上げてどこも壊れていないか確認すると、今まで気づいていなかったことに気づいた。
厚みなんてそれ程ないのに、小さな蝶番が下に付いている。首に掛けているだけでは丁度死角になっていて見えていなかった。
この鏡はロケットペンダントのように、開く構造だったらしい。
そういえば、三影が鈴も鏡も中身には貴光石があるのだと言っていた。
鈴は中の舌がそうなのだろうが、鏡は二枚合わせのどちらかが貴光石なのか。
……でもどう見ても、装飾枠で囲われたツルツルとした表面が古い石に見える。
石に古いも何もないけれど、鈍く光って鏡に見えなくもない。だから鏡と呼ばれているのか。
元は鏡じゃないのかもしれない。
(じゃあ、このロケットの構造って、何かを入れる為のもの?)
何気なくそんな風に考えて、指を掛けた。
軽い感触が返って、何の抵抗もなく黄金の蝶番が微かな金属音を立てて開く。
“これをやる”
ふわりと甘い桜の香りが流れた気がして、目を瞠った。
開いたペンダントヘッドの中に、ピンクの花びらが一枚、大事に納められている。
そこだけ時が止まったように、あの春の日の思い出があった。
たった一枚の、きらきらと輝く花びら。
“来年もおまえがこの桜を見られるように”
そう願いを込めて、武尊が手渡してくれた花びらだ。
––––––そうだ、あの時自覚した。
真っ直ぐ武尊に、恋をしていると。
ぶわ、と足元に何かが拡がる気配がした。
「……っ」
「やった、開いたじゃん! やっぱ遺伝なんだね、おっさんの能力!」
冷たい空気に息を飲んだ海夜とは対照的に、美鈴は嬉しそうに声を上げた。
足元に一昨日見たばかりの真っ黒い穴が拡がっている。
どうして……? 会いたいと、強く願ったからだろうか。
「ほんとに行くのか? またひどいこと言われるぜ?」
恐る恐るその穴に手を翳しながら、貴一は心配そうに言う。
「……言われると思うわ……。でも、十六歳のわたしも今のわたしも、まだ全部を伝えきれてない。武尊はいつも勝手で、一人で決めちゃうんだもの。……これが最後。これでダメなら、諦めもつくかもしれない……」
でも、武尊は“諦められない”と言った。
あの言葉の意味をちゃんと説明して貰わなければ、納得なんていかない。
初恋に終止符を打てない。
「正直、こんな怪我させた武尊には業腹だし、二度と行くなって言いたいけどなぁ」
「納得いってないの見え見えの顔で受験っつってもね。人生賭けるなら、先にそっちやり切ってこい!」
「……またフラれると思うわ。ううん、フラれる。言い切れる。そうしたら慰めてね……?」
情けなく笑うと、二人も笑った。
「四歳と十六歳と今回と、三度目の正直通り越してんだから何回砕けても一緒でしょ。後悔なくやり切ってやり切って、それでも泣いて帰ってきたら骨は拾ってやるよ」
「オレは慰めてやるから、安心して行ってこい」
どこまでも二人らしくて笑ってしまう。
ずぶ、と穴の中に足が沈むのを感じた。
「あっ、海夜スマホ忘れないでよ! 向こうの美形、いっぱい撮ってきて!」
「え? 武尊?」
「違う。アンタにとっての美形じゃなくて、あたしにとっての美形!」
「えぇ……、わたしの知ってる範囲だと、既婚者しかいない……」
「いいじゃん、むしろそれ!」
「やめろ、それどころじゃねえだろ!」
ギャアギャア、と旅立ちとしては締まらない会話をする中で、突如部屋の扉が開いた。
「おいー、おまえらうっせー。オレバイト帰りで疲れてんだから、もちっと静かに……」
言いながら顔を出したのは兄の和夜だ。
部屋の中で今まさに起こっている出来事に一瞬で顔色を変える。
「海夜っ!! おまっ、ふざけんな!!」
「きゃぁっ、ごめんなさい、お兄ちゃん!!」
腕を掴まれて咄嗟に謝ると、同じように兄の足が黒い穴の中に沈んだ。
……これはまずい。
もしかしなくとも、兄も移動できてしまうのか。
「おー、行ってらっしゃーい、二人とも〜。お土産楽しみにしてる〜!」
「うっわ、動画撮るか!」
暢気な海夜の幼馴染二人に、兄は怒りのままに怒鳴った。
「覚えとけっ、馬鹿二人っ!! 母さんに海夜と二人ですぐ帰るっつっとけっ!!!」
そのままずぶり、と二人で頭まで穴に吸い込まれて逃げ場もない。
まずい人も一緒に行くことになったのだとは、海夜にもしっかりとわかっていた。
お読みいただきありがとうございます♪
ブックマーク等大変嬉しいです。
ありがとうございます。




