第三十話 勾引かし
残酷描写あり。
痛いの苦手な方はご注意下さい。
師走は感情移入しすぎて耳から出血しました。
なので、感情移入しやすい方もご注意下さい。
膝に祖母の日記を開き出窓に座り込んで外を覗き込むと、泣きそうにぐずついた午後の空の色が見えた。
今夜は星は見えないわね、と残念に思いながら落ち込んだ時に口にする歌を口ずさむ。
「それは何の歌でしょうか? 懐かしい気が致しますね」
薔珠がお茶を出窓の脇に置いて訊ねてくる。
呟く歌が耳に入ったらしい。
鼻先にふわりと爽やかな柑橘系の香りが届いて、落ち込んでいる心を少し浮上させてくれる。
「日本語ではない古い歌よ。虹の向こうの魔法の国のお話の歌なの。祖母と母が好きで、子守唄がわりに聞いて育ったわ」
きっと祖母は和訳から気に入ったのではないだろうか。
「……皇子も知っているそうだから、どなたか身近にいた日本の方が、教えたのかもしれないわね」
「皇妃殿下ではないでしょうか。殿下の生みの母君ですが、現在は國皇陛下のお妃となられ、皇女殿下をお生みになられておられます」
「えっ、そうだったの? 初めて聞いたわ」
生みの母親の話は聞いたが、彼女のその後は聞いていなかった。娘だという人も、皇女という立場が同じなら一度くらいは話をしてみたい。
……帰れるかも、という現状で会わせて貰えないのだから、会わせる気自体がないのだろうけど。
ちょっと残念な気持ちでいると、慌てたような眞苑が書斎に飛び込んできた。
「薔珠さま、真道さまがお見えです」
「弟が? 申し訳ないがお役目中ゆえと、帰しては頂けないか」
「そう申し上げましたが、……火急に姉君さまの件でと……」
「……姫君、少々席を外すご許可を頂けますでしょうか?」
少し考えた薔珠はすぐに切り替え、こちらへ礼を取ってくるので、一も二もなく頷く。
「ええ、早く行ってあげて」
「大変ご無礼を申しますが、姫君には応接室までお出まし願えないでしょうか。真道はおそらく控えの間にて待機しています。なるべく近くにて護衛をさせて頂けますか」
「私もいる。何人も姫のお側へは寄らせぬ」
シャイマの言葉に薔珠は考えるように黙ったが、一瞬後には「では頼む」と言い置き書斎を出て行った。
祖母の日記を書斎机の上に置いて、薔珠に請われた通り応接室へと移動する。
「二人に謝らなきゃ。左手の“番の花”を、昨夜皇子に確認させて貰ったわ」
「そうなのですか? 結果は?」
「うんともすんとも反応なし。誰がこの手首に花を刻んだのか、そっちのが謎よ」
「………殿下ではなかったと?」
「そう。……皇子に拘ってたのは、わたしの願望ね。二人には怪我までさせてしまってごめんなさい。でも二人が頑張ってくれて、凄く嬉しかった。本当にお友達になれたようで」
自分でも照れてはにかんでしまう。
「……私達は家でも軍でも居場所を探す不器用な人間です。ここに存在してはいけないような気が、ずっとしていました。けれど、貴女のお傍でそれを感じることはありません。むしろ居心地が良くて、それを享受していいのかと戸惑う程。……不思議な感覚です、自分が受け入れられるというのは」
シャイマは心底不思議だという風に、微かに首を傾げた。
「おそらく殿下も同じ感覚を持ったと思うのですが、……難しいですね」
複雑そうに呟くのは海夜が皇子に拒絶され傷ついたことを、シャイマも一緒に嘆いてくれているからだ。
素気ない口振りだが、温かい心根の彼女にも心に決めた人がいるから、より気持ちに寄り添ってくれる。
「……人の心って、難しい。皇子が婚約者の方を忘れられないように、わたしも皇子を忘れることはできないと思うもの。……殆ど初恋なの」
「……初々しいと思ってはおりましたが、そうでしたか。私は九つでした、初恋は」
「幼いって、自分でもわかってるわ」
初恋年齢のあまりの違いに恥ずかしくなる。
その反応に少し笑ったシャイマは、耳打ちするように歩み寄った。
悪戯に薄青い瞳が輝いている。
「私も、その初恋の方が“櫻”です。國皇陛下ですが」
「!??」
シャイマの簡単な告白に、失礼ながら物凄く驚いて身を仰け反ってしまう。
だって歳の差も、……少々難ありな性格も。
「っ、え、あ……、そ、そう……」
「仰りたいことはわかります。殿下には悪趣味の極地と言われました。放っておけと思いましたが」
「それはそうね。そんなこと言われる筋合いないわ。自分だって相当なものなのに」
「全く。ひどい親子です」
頷き合って笑う。
「子供の頃初めてお目にかかった時に、この髪を褒められました。“懐かしく、美しい”と」
「“懐かしい”?」
「陛下の母君がこの髪色であったそうです。平群には時々、このような髪色の子が生まれます。貴種の血が色濃い証拠だそうですが、前の女皇陛下が弑し奉られた件以来、我が家ではそれは疎まれるものだったので。幼心に美しいと言われたことは、胸を撃ち抜かれたようでした」
簡単に悲しいことを口にして、だがすぐに幸せそうな、こそばゆいような表情になってシャイマは微笑んだ。
シャイマの出身公爵家は、祖母と共に生き残った黄花・サディルの貴種女性、花梨姫の家だ。紆余曲折で女皇に即位したというその女性にも、沢山の葛藤があっただろう。
「姫もこの髪色を“懐かしい“と仰って下さいましたね」
桜の木を見た時につい興奮して口走ったことを、シャイマはしっかり記憶しているらしい。
「この恋に未来はなくとも、それはそれでいいのです。陛下をお守りできれば。同じようにこの髪を嫌悪なさらなかった姫が、ここに残りたいと仰るのであれば、私はひたすらお支えするだけです」
胸に手を当て目を伏せるシャイマに、泣き尽くしたと思った涙が浮かんで慌てて俯く。
「泣かないで下さい、姫」
「………ありがとう、シャイマ。…………シャイマ?」
心配そうに覗き込んでくるシャイマの顔が、ぎくりと音がしたように強張った。
そうして突然、紙より白く染まる。同時に大量の血が彼女の口から溢れた。
「っ……、っシャイマっ!!」
あまりのことに悲鳴が上がり支えようと伸ばした手を、シャイマ自身が拒絶する。
「っ、……いけませ……っ、お逃げ、……くだ、っ姫……っ!」
ぼこり、と歪な音をさせてシャイマの小柄な体から、血まみれの白い腕が伸びた。目の前の惨事に動くこともできず、その血まみれの手に腕を掴まれる。
侍女達が上げた大きな悲鳴が、部屋内に響き渡った。
何事かと、控えの間にいた薔珠と真道の姉弟が応接室に飛び込み、惨状に二人揃って立ち竦む。だがすぐに、薔珠は腰の剣を抜き払い立て直した。
「姫君、そこから離れて!!」
駆け寄ってこようとした薔珠が、見えない壁のようなもので弾き返されている。
バキン、ボコボコと、およそ人間の体から聞こえる筈のない何かを砕く音と共に、シャイマの腹部を破って現れた顔は真っ赤に染まってニタリと笑った。
「久シブリダネ、オ嬢チャン」
服を脱ぎ捨てるようにシャイマの体からズルリと起き上がったのは、見覚えのある精霊だった。
転移門の精霊。
あの一本角の、赤鬼。
赤い鬼そのままに、シャイマの血で真っ赤に染めた全身のまま、彼女は恐怖と衝撃で震える海夜を抱きしめた。
「サア、行コウカ。待チ人ガイルンダヨ」
「……ゃぁっ! ……シャイマっっ!!」
目を見開き、仰向けに倒れたシャイマの体は真っ赤に染まり無惨だった。
彼女に手を伸ばそうとして、そこに掛かっていた鈴の鎖がブツリと断ち切られる。
清かな音をたてて床に落ちるのを見たのが最後、視界は真っ黒に染まった。
※
両手の拘束具は完全に自由を奪うように固定され、万が一にも逃亡できないように鎖で繋がっている。
シャイマの惨劇を止める事もできず、気づいたら海夜は今こんな状態。
石畳の冷たい床に転がされていたので、左の肩が痺れたように冷えていた。粗末に積まれた煉瓦の壁も隙間風が入り込み、室温は震えるほど低い。中世の牢屋か何かのようだ。
こんな裾丈では逃げることなんてできない。それなのに足にまで枷を嵌められ、どこまで用意周到なのか。
あの転移門で顔見知った精霊はシャイマの血に濡れたまま、監視をするように目の前の椅子に座って見下ろしている。
そもそもこの精霊はあの場から動けない呪がかかっていると聞いたのに、なぜ自由に出歩いているのか。
「呪ヲ掛ケタ者ノ子孫ガ、呪ヲ解イタカラダヨ。掛ケルノハ難シクトモ、解クノハ簡単ダカラネ。貴種デナクトモ」
内心の疑問をあっさりと読んで、精霊は答えた。
「飽イテシマッテネ。計画ニ乗ルコトデ希ミヲ叶エルト言ウカラ乗ッタンダ。オ嬢チャンニハ気ノ毒ダケド」
「……何の話? どうしてシャイマにあんな……」
「アア、アノ子? 来イト呼バレテ行ッテミタラ、アノ子ノ中ダッタ。慣レナイ者ガ彼見石ヲ使ウトアアイウ事故ガアルカラ、気ヲツケテ欲シイネ」
ぬらぬらと髪先から滴る血液を軽く払いながら呟いている。
……ひのみいし?
要するに不可抗力だと言いたいの? 人をあんな風に傷つけておいて。
「怒ッテハ嫌ダナ。コレヲ企テタノハ私ジャナインダ。君ノ守護者ハ優秀ダカラ手早ク済マスト言ッテイタノニ、マダココニ来ラレナイクライニハ愚図ナ亜種ノ計画ダヨ」
亜種……、人間の計画。
「ン? 来タヨウダ」
ばんっと鋭い音を立て、海夜の視界には入らない後方の扉が開いた。
外へ直接繋がる扉ではないのか、何人か廊下のような場所を走る足音がして再び扉が閉められる。
一人、乱暴な足取りで海夜の元へとやって来た。「これか。本物か?」と、椅子に腰掛けたままの精霊に確認している。
「本物ダ。私ノ仕事ヲ疑ウノカイ?」
心外だと言うように赤い精霊は蹲る海夜を流し見た。
ふん、とその人物は鼻を鳴らし、どうでも良さそうに一言命じる。
「立たせろ。確認する」
「信用ナイカ。マァ、当然ダロウナ」
苦笑して立ち上がる赤い精霊にビクッと竦むが、それを気にかける者などここにはいない。
精霊が人差し指で宙をひと掻きすると、それに応えるように、手の拘束具の鎖が音を立てて勢いよく天井に突き刺さった。その鎖の動きのままに、無理やり浮き上がるように立たせられる。
「……っ!」
急な宙吊りに、引っ張られた肩が痛い。
爪先が着くか着かないかで浮かせられているのは、自身の全体重を腕で支えている状態だ。
当然拘束具は重さの為に手に食い込み、無理な重力がかかる肩には大きな負担だった。
(……ちょっとした、拷問……っ)
苦痛の為に顔を顰めていると、目の前に誰かが立った。
「目を開けろ。本物か確認する」
……そうか。
黄花・サディルの貴種かどうか、この瞳が証明することになるのか。ならばこのまま目を閉じていれば、何も行動に出ないということもあり得る。
だったら絶対に開けてやらない、と強く瞑ったのが相手の癪に障ったらしい。
ばつんっと、耳の奥で音が弾けた。
同時に無理な力が掛かった左肩に、今まで味わったことのない激痛が走る。
右の頬を容赦のない力で張られたのだと気づくのに時間がかかったのは、悲鳴も出ない程突然の衝撃だったからだ。
「……ぁっ……!!」
「目を開けろと言った。逆らってもいいことはないぞ」
男だろうと思われる人物は冷淡に言う。
その声がおかしな具合に反響して聞こえた。
どうやら殴られた時に右耳の鼓膜が破れたらしい。
(……わたしが貴種だったからいいものの、亜種の女の人だったら頬骨とか首の骨とか、傷つけちゃう力だったんじゃないの……)
痛かった。かなり痛かった。
あまりの痛みに生理的な涙が浮かぶのを感じるが、男は顎を捕らえて瞳を覗き込んで来る。
「確かに琥珀だな。確認した」
ずるい。覆面だ。
せめて顔を見てやろうと目を開けたのに、大した情報を得られない。
右目を斜めに走る歪な傷跡ぐらいしか、特徴的な目印はなかった。
「亜種ハ馬鹿ダナ。コンナ特殊ナ貴種、向コウ千年ハ生マレナイ。宝ノ持腐レッテイウンダッケナ?」
「今の世に貴種が存在する方が不幸だ」
「勝手ダヨ、全ク。自分達ガ全知全能ニデモナッタツモリカイ? 手痛クシッペ返シヲ喰ラウガイイサ」
「痴れた口を」
貴種の存在は不幸……? 何を言ってるの……?
「ホラホラ、コノ子ハ受肉者ダヨ。イクラ彼見石デ四方囲ッテ精霊ノ侵入ヲ遮断シテモ、本物ノ精霊使イニ敵ウ筈モナイ。受肉シタ精霊ニ勝テル者ガコノ場ニイルノカ?」
自分でも訳のわからない内側の渦巻く何かに、赤い精霊が気づいて嗤う。
それを聞いて覆面の人物は舌打ちした。腰ベルトの袋の中から、赤と緑に染まった拳大の石を取り出している。
色味からして不気味だが、それが内側から光っているように見えることが何より不吉だった。
男は人差し指大の小さなナイフを、物を置くような素振りで海夜の左鎖骨の下に打ち込む。
「…………っ!」
「これでも声を上げないか。頑迷な。だから貴種はおぞましい」
酷いことを言われている。
けれど耳に入らない程左肩の激痛が激しい。
「私カラ見タラドチラモ変ワラナイ。貴種ノ方ガ我ラニ近イト感ジルダケダ」
「煩い。さっさと己の分を成せ」
「威勢ガイイナ。モウソコニ来テイルノニ。モタモタシテイルカラダ。逃ゲナクテイイノカ?」
石を目の前に差し出されて、赤い精霊は小さく嗤った。
精霊の言葉に、盛大に舌打ちし慌て出す男を揶揄するように。
そして精霊は海夜へと憐れむような、優しい眼差しを向ける。
「ゴメンネオ嬢チャン。私ハ飽イテシマッタ。罪ヲ償ウ事ニ。モウ一ツ罪ヲ犯スクライ、ドウッテ事ハナイクライニネ。ドウセモウ戻レナイ。愛シタアノ子モモウイナイ。絶望セズニ生キタダケ、褒メテオクレ」
そう言いながら、彼女はナイフから滴る海夜の血をひとすくい人差し指に取り舐めた。
「アア困ッタネ。コンナニ美味シイトハ」
恍惚と笑って、赤い精霊は赤緑色の石に手を置いた。
途端にその身体が折り畳まれるように、石に吸収される。受肉しているだけに、バキバキと骨や組織が収縮する音と血液が辺りに飛び散り、酷いスプラッタホラーの現場になった。
「よ、よし。これで……」
見届けたと呟いて、男はそれを置こうとしたが、ぶちりと何かが千切れる音がしてその動きが止まる。
石を手にしていた右手首から下が、石を握ったまま千切れていた。
大量に噴き出す血液に男は悲鳴を上げ、すぐに腰ベルトで手首を縛り青い顔でその場から走り去った。
怖ろしい現場に取り残された。
何かが始まるのがわかる。
すぐそこに置かれた石に目が吸い寄せられて離せない。
赤と緑が渦を巻き渾然と混ざるその石に、記憶の奥底を揺さぶられた。
吹雪のように桜の花びらが舞っているのが見える気がする。
血が飛び散り、怒声が耳の奥を貫く。
兄が倒れ、その片目から出血が止まらない。
泣きながら縋り付く自分に、誰かが言った。
“おれの目をやる。こいつは生きて、おまえの傍に居なきゃいけないだろう”
誰か。
誰……だれ?
やっと会えたと言ってた。ずっと会ってみたかったと。
陽に透ける、綺麗な黄緑色が優しく揺れる。
その緑が、大好きだった。
置かれた石を中心に、強い風のような力の波紋が円く駆け抜けていく。大きな鼓動が辺りに響き渡る。
この感覚に覚えがあった。
一ヶ月前、これに襲われた。
いいや、もっと前。
ずっと前にも、この石を見たことがある。
「マタ会エタナ、皇女」
金切り声のような嗄れ声で話しかけて来たのは、石の上に陽炎のように揺らめく、砂色の髪の人物。
朱金と緑の混じった琥珀の瞳が、その髪の奥で禍々しく光っている。
––––––天馬。
四百年も昔の、怨みの塊となった黄花・サディルの先祖。
どうしてそんなに怨みを抱いているのか、同族の何に絶望しているのか。
「馬鹿ナ精霊ガ我ガ身ニ力ヲ与エタヨウダ。要ラヌ世話ダガ、コノ巡リ合ワセノ為ナラバ褒メテヤッテモイイ」
耳まで裂けているような、凶悪な牙を沢山並べた口が笑みの形に歪む。
ここには身を遮る物なんて何もない。
おまけに海夜は宙吊りで、両手両足が拘束されている。なす術なく殺されるのは目に見えている。
この国に来た理由がそういうことなら、仕方がないのか?
……なんて、物分かり良く納得できない。
身体の底から震える。
天馬の手が大きく伸びて、海夜を飲み込もうとその手の平に大きな口を開けている。
ああ死ぬのかしら、とその手を見つめて無感動に考えた時、文字通り扉を蹴破り壊して勢いよく駆け込んで来た人物に目がいった。
片刃の剣を片手に、珍しく肩で荒く息をしたキアリズ皇子だ。
部屋の中の惨状には目もくれず、真っ直ぐ天馬を見て状況を察したようだった。
息も継がず、激昂したように天馬へ向けて剣を繰り出す。
「……こ、のっ、天馬ぁっ!!」
「嫌ニナル、守護者メ。オ前サエイナケレバ我ガ宿願叶ウモノヲ」
「それはこちらの台詞だ! おまえの妄執のお陰で、どれだけの人間が不幸になったと思っている!!」
天馬がいくつもの腕を皇子に向けて捻り出すのを、全て避けて斬り落とし、皇子はベルトの後ろから薄い鏃のような物を立て続けに放った。
それは過たず天馬の眉間に刺さるが、びくともせずに天馬は笑っている。
「不幸ニナッタナラ願ッタリダ。黄花・サディル全テ葬リ尽クシテヤルヨ!」
「おまえの代の怨みを子孫に持ち越すな。おまえを殺した黄花・サディルはとっくにいないんだ!」
「俺ガ殺サレタグライデ怨ムモノカ! 俺ジャナイ、俺ジャナイ、俺ジャナイ……!! 彼女ヲ返シテ……!!」
顔を覆って苦しむように体を捻りながら、天馬は再び腕を伸ばす。
それを斬り落として、皇子は天馬を袈裟懸けに真っ二つに斬った。
体が裂けても尚蠢く奇怪な存在に、悲鳴も出せず息を飲む。
皇子は自身へ降り注ぐ細かい髪の毛の針を払いながら、天馬の足元の石に勢いよく剣を突き立てた。直後、床を突き上げた氷の刃が石を粉々に砕いた。
ばさっ、と音を立てて天馬の姿が空気中に霧散する。
はあ、と大きく息をついて立ち上がり、振り向いた皇子は荒く乱れた呼吸をしている。こんなに焦った姿を見たのは初めてだった。
「……額の所、血が出てるわ」
近づいてくる顔を見て指摘すると、海夜の暢気さが頭にきたのか皇子は大きく舌打ちした。
「人のことを言っている場合か。怪我は」
こちらの顔を検分して宙吊り状態を降ろそうとした皇子は、鋭く息を飲んだ。
海夜の左肩の位置がおかしいことに気づいたようだ。
「……腕をそのまま上げていろ。絶対に下げるな」
言い含めるように低く静かに囁かれるが、下げたくても激痛で下げられない。
天井から吊るしている鎖を皇子の剣が切ったが、その衝撃が伝わってくることすら辛い。声も上げられない。
足の傷と枷のせいで、うまく着地できずに転びそうになった。皇子が受け止めてくれるが、ひたすら痛くて辛い。
痛み逃しの為に何度も長く息をついて、何とか落ち着かせる。
だが今度はその呼吸音が破れた鼓膜に響く。
何をやっても痛くて満身創痍。
でも痛みを感じるだけマシだ。あの赤い精霊も、……シャイマも。
「……シャイマ、は、どうなった、の……」
息も絶え絶えに質問すると、皇子は何のことかと眉間を寄せた。
「平群大尉がどうした」
「……精霊が、シャイマの中、から……」
声を発する度に音が耳の中で反響するのと、肩の痛みで声を出すことすら辛くなってくる。
海夜の言葉にすぐさま誰かと連絡を取る皇子に、今更ながら疑問が湧く。
「……あなたは、どうして……、わたしを……見つけられたの」
「黄が来た。身実を落としていっただろう。気配を追えなくなるかと焦ったが、……鏡を黄が追った。それで何とか間に合った。……いや、間に合ってはいないな……」
自嘲気味に呟いて皇子は荒く息をつく海夜に、申し訳なさそうに視線を向けてくる。
どうしてそんな顔をするの? わたしは生きているし、こうして意識だってピンピンしてる。
元気とはいかなくても、五体満足なのに。
「……ありがとう、いつも。助けてくれて、……感謝しているわ。今回も、その前も……」
きっと、そのずっと前から。
忘れてしまっている記憶の中に、この人はきっと関わっている。
記憶の断片の中に見え隠れする、緑の瞳。
その一部を、兄に譲った人がいる。
それが誰なのか。
確信を得られるのは、この二日後のことだった。
お読みいただきありがとうございます♪
ブックマーク等大変嬉しいです。
ありがとうございます。




