第二話 境目の邂逅
大改稿後、1000文字ほど加筆しています。
改稿前の二万文字以上のエピソード(大体四話分くらい)を五千文字に集約したくて、字数を減らすことに拘っていたら内容の説明不足もいいところでした。
ごめんなさい。
読みやすくなっていたらいいな。
大陸の東方、北から南にかけて横たわる国の名を黄國という。
北方には急峻な山脈が背骨のように連なり、国土全体を覆う広く深い森林と、一本の大河に支えられた豊かな大地が広がる。
高い山々から雨水によって削り出された肥沃な土は大河に運ばれ、支流の筋に乗り海へと流れ込む。そうして山の養分をたっぷりと蓄えた栄養豊富な土は海を富ませ、大陸の東部一帯の海岸線を有する黄國は、豊富な海の幸と深い森林による山の恵みを同時に味わうことができる、国際的にも人気の観光地でもあった。
建国から千年以上と歴史も古く、趣深い街並みや遺跡も数多い。そして、建国当時からの統治者一族が未だに統治を続けているという、世界的にも稀少な国でもある。
現在、國皇の座にあるのは、初代を含めた史上三人目となる男皇であり、その皇の子に娘が一人、息子が二人。
後継者は未だ指名されず、空席のままである。
※
秋の夜空に、皇家を象徴する春の星が輝いた。その名を鳥星という。
後に公式に黄國の史書に記録されたその現象は、人間とは種を異にする精霊と呼ばれる生物の仕業だったらしい。
三日前のその日のことを、海夜はよく覚えていない。
それが自分に関わる出来事と言われても、やっぱりどこか他人事だった。
海夜は日本のごく普通の高校生だ。名前は平尾海夜。
四月に十八歳になってめでたく成人したけれど、まだまだ子供と大人のあわいにいる。
大学受験を控え、三日前のあの日も自習後の帰宅途中だった。暗がりの路地に差し掛かったところを、背後から突然何者かに口を塞がれ、声も上げられず路地裏に引きずり込まれた。たぶん、暴漢か何かだったのだろう。大きな影と耳元にかかる荒い呼吸に怯えながら、口を塞ぐ手に思い切り噛みついて逃げようとしたけれど、恐怖で動けずにいたら逆上した暴漢の振り上げた拳が目の前に迫った。
けれど、覚えているのはそこまでだ。
目が覚めたらここに居た。この、言葉も通じない全く見知らぬ土地に。
『海夜、これも選別してくれる?』
若い女性に話しかけられて顔を上げる。
透明な小石が山盛りで入った小箱を持った彼女は、いま現在海夜を保護してくれている人物だ。
真夜中の山中で意識なく倒れていたという海夜を保護してくれたのは、若い医師夫婦だった。外科医の旦那さんの弟が見つけてくれたらしい。右足のふくらはぎに大きな怪我をしていた海夜を、弟は医師である兄夫婦に託したのだそうだ。
この女性はその医師夫婦の奥さまで、内科医の美津里。
クセ気味の黒髪を一本の三つ編みにして胸の下に垂らし、グレー味の強い青い瞳は意志が強そうだ。彫りが深くて色白な美形だけれど、纏う雰囲気はエキゾチックで姉御肌だった。
この国に来てから悪夢ばかり見て、早朝に目覚めてしまう海夜に付き合ってくれる、面倒見のいい人だ。
今もまだ外は朝靄で薄暗く、早朝の肌寒さもあるのに彼女は人好きのする笑顔を見せた。
『家業を手伝えない嫁なりに頑張りたいけど、どの石に何があるんだか私にはさっぱり。海夜が手伝ってくれて助かるわ』
知らない言葉と知らない風習。
でもこうして優しく気遣ってくれる人達に支えられて、何とかこのわけのわからない状況の中でも冷静さを失わずにいる。
海夜にはわからない言葉で話しながら、美津里は苦笑して隣りに座った。
外国に誘拐されたらしく、通じない言葉のせいで家にも連絡できない。スマートフォンも鞄も無くしてしまった。
でも焦りがないのは優しく接してくれる人達がいる事と、この国が漢字圏の国だと早々に気づけたからだ。
独自言語を使用しながら、漢語語彙を取り入れた漢字圏の国にいる、らしい。会話の詳細はわからないけれど、漢字の筆談で説明してくれるので、大体内容を把握できる。
『うーん、やっぱり全部同じに見えるわ。何が違うの? 精霊が宿ってるって』
小石を摘んで灯りに透かしながら、美津里が唸る。それを横から覗き込んで、思わず笑みが浮かんだ。小石にへばりつく小さな体が、美津里の指に擦り寄っている。
紙に大体の意味の漢字を書きながら、言葉にもしてみる。
「美津里さんの指を撫でています。綺麗な人だって」
海夜の目に見えて美津里に見えないもの。
それは精霊、と呼ばれる生き物。らしい。
気づいたのは、ここで初めて目が覚めた時だった。視界の端に入る何かを目で追いかけたら、小さな人間を捉えた。困惑して混乱していたら、美津里の夫の医師である天地と、その弟の空地が説明してくれた。
精霊と呼ばれる存在が共存していること。それらが見える人間と見えない人間がいること。協力し合うことはあっても干渉はせず、協力を要請できる人間も見える側の一部であること、など。
奇怪だがそんなあやふやな存在にあっという間に馴染んで、癒されてもいる自分に苦笑する。遊ぼうとねだって髪や指に絡んだりされると、可愛くて撫でくり回してしまう。
日本ではこんな経験なんて一切なかった。第六感的なものは縁のない普通の人間だ。スピリチュアルな世界もよくわからない。
それなのに、なぜこの国ではそんな存在が見えるのか不思議だった。
(空気が違うとか? 確かに空間がキラキラしてるとは思う……、けど……うーん、謎)
精霊が見えるだけの状態では騒ぎに巻き込まれる可能性もあるので、“大占“と呼ばれる巫女のような女性の元で、一旦お世話になることになった。都合よく天地達兄弟の母親なのだそうだ。
大占は精霊と人間との橋渡しのような存在で、精霊との協力を要請し人々からの尊敬も集める人物だ。この家に精霊が多いのはそんな理由もあるらしい。
迷子は行政で保護される決まりだが、現在起きている大きな事件のせいで取り扱いが停止していて、精霊に対処できる大占家で暫く預かる事になった、と説明された。
海夜はちょっと、精霊が見えすぎているらしい。
目に刺さる、と虹色の閃光に目を細めていたら、それ見なくていいやつ、と天地に指摘された。
精霊を見る人々でも、無意識に見ない選択をする精霊まで見ていると言われた。
ただ居候するだけでは申し訳ないので、なるべく大占である天地兄弟の母の手伝いを率先してするようにしている。今はその一環で、美津里と共に精霊が宿る小石の選別をしていた。精霊のことで相談に来る人々に、お守りとして渡すのだそうだ。
小石を大雑把に机の上に広げながら、美津里は海夜の書いた紙片を覗いて、呆れたように苦笑した。
『綺麗って顔のこと? そうね、光栄だけど、貴女に言われるとちょっと複雑だわ。振り返られる自分の容姿の自覚ある?』
揶揄うような美津里の笑みと、筆談に目を走らせて曖昧に笑う。
色々言われる自分の顔立ちの自覚はある。それは大抵は好意的な視線だが、妬みと嫉妬を激しく受けたこともある容姿への自覚で、家族からは客観視して受け流せと教えられた。
髪も瞳も色素が薄くて、初対面の人間にはハーフかと問われることも多い。それぐらい、日本人的な容姿からはかけ離れているらしいのだ。
陽に透けると金色に見える緩く癖のある髪は猫毛で絡まりやすく、少しの湿気で広がって、長く伸ばしてアレンジした方が扱いやすい。そんな髪質なのに、高校入学直後にボブにしてしまって、そこまで短くした自分に我ながらびっくり仰天した。
雨の日が大変なのでまた伸ばして二年半経つが、元の長さへはもう少し足りない。
おまけに。
『何よりその琥珀の瞳は、本当に目を惹く綺麗な色よ』
覗き込むように美津里が指摘してくる海夜の瞳。
ギリギリ日本人といえる色だった黄土色の瞳が変色した事に気づいたのは、着替えのために鏡を覗いた時だった。
元々珍しがられる黄色味の強い黄土色だったけれど、それが明度をぐんと上げた、金色や蜂蜜色のような明るい琥珀色に変色していたのだ。
鏡を見て、何これぇぇ! と内心で叫んだ。現実逃避したくなった。青ざめたのが自分でもわかった。
(訳のわからない足の怪我と目の変色……、ほんとに受け入れ難い)
純日本人の筈なのにこの色素の薄さは、母も兄も同じような色合いなので遺伝だろう。だから周囲に何を言われても、努めて気にしないようにしてきた。
いじめっ子の男の子達に金髪だと髪を引っ張られても、意地悪な女の子達に日本人に見えないと陰口を叩かれても、大人達に目立つ赤毛だねと眉を顰められても。
そんな子供時代のある時、海夜の髪を引っ張って泣かせた近所のガキ大将に、兄が大喧嘩で勝ってから容姿に対する陰口は表面上聞かなくなった。
だがそれ以来、同年代の子供達に遠巻きにされて過ごした過去がある。二人の幼馴染がいなかったら暗黒の子供時代だっただろう。
(まあでも、髪色は変わらなくて良かった)
幼馴染二人に会話が噛み合わない、と呆れられる思考回路で内心頷き、摘んでいた小石を別の小箱に入れる。
『義姉さん、海夜、それが終わったら朝食にしようって、母さんが』
扉のノック音の後、顔を出した人物に「おはようございます」と朝の挨拶をする。
幼い印象の笑顔で挨拶を返す青年は、美津里たち医師夫婦の弟でこの屋敷の女主人、大占の次男の空地だ。海夜を山中で最初に見つけて、保護してくれた人物でもあった。
コーヒー色の濃い髪色と焦げ茶色の瞳は、日本人の顔立ちと通じるものがあって親しみが湧く。
『早朝の軍の行動制限令で朝の相談者さんがいないから、一日の準備が余裕だね。この間また強盗団の被害があったみたいだし、軍はその対応で忙しいのかな。早く捕まるといいけど』
『ここ、国境沿いだしねぇ。無頼者には国境関係ないし、隣国に逃げ込まれれば手は出しにくいし。国境警備隊には頑張って貰わないと。いくら税関あっても、治安の不安で旅行者が近寄らなくなったら困る人達もいるでしょう』
小箱を覗いて話しかけてくる空地に軽く答える美津里は、まだ小石に意識がいっている。
『鳥星みたいな星のことも、原因分かってないよね。天体が自分勝手に動き出すとかあるのかな』
『強盗は人事を尽くせば何とかなるとしても、天体はどうにもねぇ。でも国境警備隊本陣も強盗団の事件のせいで立ち入り制限じゃ、この子の今後に関わるわ。“来訪者”は国の機関で保護するのが規則だし、……祖父さまはこの子の顔見て飛び出してったっきり、全然連絡ないし』
視線で海夜のことを話しているとわかるが、ヒアリングは全くできない。
漢語語彙と日本語と似た発音のために耳馴染みは楽だが、そもそも文法を知らないのだから理解できないのは当然なのだけれど。
『信川里さま、いきなり皇都に行くって出てったきりだもんね。そろそろ着いて連絡来るんじゃない?』
『体力の限界で皇宮を退官したのに、医者の不養生してなきゃいいけど。何の説明もなく出掛けるんだもの。……まぁ、何に思い当たって慌てたかは、何となく察してるけど』
ぶつぶつと呟いている美津里は、海夜に笑顔を見せて立ち上がった。
『朝食ですって。鎮痛剤も天地に調合し直して貰いましょう。一旦うちに行くことになるけど。ほらほら、空地も海夜に見惚れてないで手を貸してあげて』
『そっ、そういうんじゃないよ……っ』
筆談で説明されたそれは、海夜の足の怪我のためと思われた。
昨夜の悪夢で飛び起きてから、貰った鎮痛剤の効きがあまり芳しくないのだ。
空地の手を借りて立ち上がりかけた時、美津里の元に一本の連絡があることに気づく。
『やだ困るわ、天地が今から出掛けちゃうみたい』
腕時計のような小さな機械を覗き込んで、美津里が慌てている。
筆談によると早朝の行動制限令の中、天地が外の急患に呼ばれてしまったらしい。医師不在解消のため、美津里が急遽診療所に戻るので海夜も同行することになった。
美津里達の診療所は住居と一体型で、大占家とは大通りを挟んだ目と鼻の先だ。この足の怪我のため、美津里が付き添いで天地の実家に泊まり込んでくれていたのだ。
急いで朝食を済ませ外に出ると、霧もなくなり辺りは随分明るくなっていた。早朝特有の白い青空がある。
『あら、霧も晴れてるわ。制限令があるから出歩く人もいないけど、一応フード被ってね』
困ったように言いながら、美津里は足の怪我を心配して支えてくれる。
怪我のこともあるが、目立つ顔立ちのため外を歩くことはなるべく控えるように言われていた。けれど今回は仕方がない。外出する時は必ず顔を隠す外套のフードを被るようにも言い含められ、まるで隠されているようだと感じなくもない。迷子だからだろうか。
診療所の表玄関前に到着した時、いくつも鍵が下がるホルダーから鍵を探す美津里の横を、怯えたように小さな精霊達が悲鳴を上げて流れて行くことに気づいた。
首を傾げて目を上げると、美津里の向こうにゆらりと大きな影がある。
驚いて悲鳴が上る口元を、後ろから大きな手で押さえ込まれた。見ると美津里も羽交締めにされ、口を押さえつけられている。
『っ、……っ海夜……っ!!』
『動くなよっ? ちぃとばかし人質になって貰いてぇんだ、声上げたら承知しねぇぞ』
暴漢だとすぐに気づく。
荒々しい息遣いと鼻につく鉄錆臭は、どうやら怪我をしているらしい。だから診療所に来たのか。
数日前の嫌な記憶が蘇る。あの時は怖くて萎縮し、されるがままだった。でも今は、同じように被害に遭っている人が目の前にいる。
その時思い出したのは、兄から教わった護身術だ。
危険を考えるより先に体が動いた。
口を押さえられたまま体を丸めてしゃがみ込み、力を込めて相手のつま先を踏みつけた。踵で思い切り脛を蹴り上げ、太い腕が緩んだ隙に急いで身をよじって逃げ出す。震える体と恐怖で荒い呼吸を吐きながら振り返ると、痛みに呻いて相手が蹲るのが見えた。
万が一にと、武道を嗜む兄に護身術を教わっておいて良かった。
(ありがとう、お兄ちゃん……っ!)
感謝の言葉を心の中で呟いて、一瞬気を抜いた時だった。
目の前に迫った拳に気づくのが遅れた。咄嗟に避けたが避け切れない。
音を立てて顳顬に拳が当たり、目の前に火花が散る。
「………っ!!」
『なんだ、この女ァっ!!』
『海夜ッッ!!!』
野太い男の怒声と美津里の悲鳴が上がり、自分が地面に倒れ込んだことを自覚する。
そういえば、この護身術は逃げることが目的で相手を撃退するものではないから、拘束が解けたら一目散に逃げろと兄が何度も言っていたことを思い出す。
(失敗しちゃった……)
今の一連の動きで、縫って貰ってあるふくらはぎの傷が開いたらしい。傷が大きく脈打って激痛が首の辺りまで駆け上がり、脈打つごとに出血していくのもわかる。
顳顬に当たった拳も強烈で、脳震盪でも起こしたのか視野が狭まっていく。
『海夜っ、しっかりして!』
美津里が青い顔で、拘束している男の腕から逃れようと暴れて頬を張られるのが見えた。
倒れ伏した地面から何とか顔を上げて、「やめて、美津里さんにひどい事しないでっ」と声を張り上げる。
その時ゆらりと見えたのは、またしても大きな影だ。脛の痛みから回復したらしい、海夜を拘束していた男が目の前に立ち塞がっていた。
顳顬の痛みを堪えて見上げると、その手にあるナイフが高々と振り上げられ、今まさに振り下ろされようとしている。
ああ、死ぬのかしら、とスローモーションを見る心地で何もできずに呆然となるしかない。
その時だった。
黒い何かが、ナイフを振り上げた男を横から勢いよく蹴り倒したのが見えたのは。
大きな体の男が、音を立てて地面に沈む。
見えたのは、黒。
黒く煌く黒曜石。
黒と緑の印象の、……生き物……?
そこで、ふつりと意識が途切れた。
次に目が覚めたら、日本の自分の部屋のお布団の中でありますように––––––。
そんな風に考えて意識は闇に沈んでいった。
※
––––––という所まで思い出して、今はここ。
寝かされていたのは大占家の、海夜にあてがわれた客室だった。
目の前で腕を組んで立つ、日本語を話す黒髪隻眼の青年を見上げて、はっと思い当たる。
彼はたぶん、意識をなくす前に見た黒い生き物……。
「………あっ、あの鴉みたいなひと」
「鴉?」
海夜の微妙な喩えに微妙に首を傾げたその青年と、これから複雑な話に巻き込まれていくのだとは、この時全く思いもせずにいた。
お読みいただきありがとうございます♪
ブックマーク等大変嬉しいです。
ありがとうございます!