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【三章連載中!】花びら姫の恋  作者: 師走 瑠璃
【第一章】花びら姫の恋
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第二十二話 初めて会った来訪者に嫌われてました…


 美しいひだが幾重にも重なり、色鮮やかなビーズが刺繍された豪奢なガウンの姉妹は、本人たちも豪奢な顔立ちだった。

 四道の姉で上は那珠なじゅ、下は璃珠りじゅ

 成程、髪は赤茶で目は青灰色。四道とそっくりだ。

 宮中に慣れている年上の女性たちは、歌うように明るい声で会話の華を咲かせた。


 「やっぱり、わたくしたちは中途半端に身分が高すぎますのよ!」

 「そう、だから結婚相手なんて簡単にはみつからないの。殿下方か公爵閣下ぐらい。困りますわ」


 ……内容はどこの世界も変わらないんだなぁ、と苦笑する、女子の恋愛の愚痴。

 仕事の話になると皇子に放り出され、海夜は今、一番苦手な席にいる。

 湖に近寄るな、余計なことを話すなと三影をお目付役にされたけれど、会話に参加できる気はしない。笑って相槌を打つだけ。

 貴族のご令嬢は厳格に育てられ、結婚まで婚約者以外の異性とは口もきかない。

 そんなイメージだったけれど、この国では自由恋愛を大らかに楽しむらしい。どこの誰と恋愛関係にあるとかアプローチ中とか、そんな話が簡単に出てくる。

 ただ結婚は家同士の問題で面倒だが、貴族と庶民が縁を結ぶことも、現在では珍しくもないようだ。

 その中で公爵令嬢としての苦悩を姉妹が語り出した。

 “殿下”である三影は、ガゼボのベンチに座った海夜の隣に立ち、深くため息をつく。


 「ないでしょ。昔の仕打ち、忘れてないよ」

 「狭量な。キアリズ殿下も“鬱陶しい”の一言。貴方たち兄弟何様ですの」


 姉の那珠に詰られて、三影は鼻で嗤った。


 「皇子サマだけど? そんなに結婚したいなら他国の王族狙いなよ。黄花・サディルなら大喜びで受け入れてくれるよ」

 「そうよねぇ、それが一番ですわよねぇ」

 「血筋ばかり由緒正しくても、こういう時は足を引っ張りますわ」


 手の中のワイングラスを回しながら、那珠は常々思っている口振りで呟いて、ハッと口を噤んだ。

 花の香りのお茶を口に運ぶ海夜を、気まずそうに見るが海夜は笑って流す。

 由緒正しい血筋、と言われてもよくわかっていないから。


 「……えぇと、海夜さまは以前いた場所に、恋仲だった方などいらっしゃいませんの?」


 璃珠が姉の失態をカバーするように質問してきた内容は、海夜には予想の範囲だった。でも三影には予想外だったのか、飲んでいたホットワインを咽せている。

 皇子との噂はこの場の女性たちの耳にも入っている筈だ。それなのに、この質問には何の意図があるのだろう。

 素直に「居りません」と答えると、待ってましたと皆身を乗り出してくる。


 「ええっ? いないなんて、何故ですの」

 「海夜さまなら引く手数多でしょう?」

 「本当はいらっしゃるのに、隠しておいでではない?」

 「まあ! なぜ隠す必要がおありなのかしら?」

 「隠さなければならない理由でも?」


 怒涛の質問が降り注ぎ呆気に取られた。

 ご令嬢方の中で、話が出来上がっている。

 つまり、皇子との噂の真偽を確かめたい、というのが本音らしい。

 目だけで三影を窺うと、同じことに思い至ったのか眉間を寄せている。

 この場の女性たち、そして向こうに居る男性たちも。

 皇子の味方ではあるけれど、海夜の味方という訳ではない。

 それは当然だ。

 三影のように、海夜と個人的な繋がりがある訳ではないのだから。

 キアリズ皇子というフィルターを通して、海夜という人間を観察している。



 “海夜、人は人を〈見る〉けれど真ん中も大事。敵味方はその後の話よ。片寄らずにいることの方が難しいのだから“



 いじめられっ子で過ごした子供時代、祖母がよくそんな風に言っていた。

 味方を探すことも大事。でも自分一人でできることもある。そうすれば、いずれ助けてくれる人もいると。

 そう。いつまでもいじめられていた訳ではないし、やり返す術も身につけてきた。


 (長年のいじめられっ子のスキルは、伊達じゃないわ)


 そんなことを思いながら注目している女性たちに、にっこりと笑顔を向けた。

 

 「隠し事があるつもりはありませんが、そのように見えるのでしたら光栄です」


 “そんなに恋人がいるように見えます?”


 言葉の外でそんな風に訊ねて笑顔を見せる。

 否定も肯定もせず、柔軟に。

 どう捉えても構いませんよと返すと、女性たちは見るからに怯んだ。

 これが宮中での頓知ね、と実践して納得する。言葉の鎧という奴か。


 「そうだわ、海夜さまは来訪者でいらっしゃいますわね。あちらに去年来たばかりの来訪者がいるんですのよ。会ってみます?」


 旗色が悪いと感じたのか、璃珠は慌てて話題を変えた。そしてそれは、海夜には効果大の誘導だった。


 「来訪者? 日本人がいらっしゃるんですか? 会いたいです。わたしから行っても構わない?」

 「待ってねえさん。それは別の機会にって兄貴が……」


 待ちきれなくて立ち上がると、三影が慌てて追いかけてくる。

 今ここにいる同郷の人間に会ってはいけない理由がわからなくて、三影の言葉は耳を素通りする。

 案内の女性に付いて歩き出すと、先程まで痛みの薄かった足の傷が、鈍く痛み出していることに気づいた。

 歩きすぎたのか。

 わからないけれど、気が急いていて意識できなかった。


 「その方女性ですか、男性ですか?」

 「まだ少女です。昨年来訪したばかりで、子供のいない子爵夫妻の養女になったばかりの方ですわ」


 ガゼボの広場の隅、湖に落ちそうな程ギリギリの縁で、その少女は植え込みの影から晩餐会に参加する人々を眺めていた。


 「危ないわ、こっちに来て」


 問答無用で少女の手を引くと、引きずり出されるように少女は水縁から離れた。


 「詩織しおりさん、ご両親はどうなさったの?」


 案内してくれた女性の声に顔を上げたのは、まだ幼さ残る顔立ちの中学生ぐらいの女の子だった。

 真っ青なガウンがよく似合う可愛らしい顔立ちに、小さくアレンジして背に流した黒髪ストレート。


 「義父は、仕事の、話に、行きました。義母は、そちらに、行ったと、思ってました」


 たどたどしい話し方なのは、まだこちらの言語を上手く操ることができないからだろう。

 そう思うと海夜の環境は恵まれ過ぎていて、申し訳なさを感じる。


 「まぁ、ではすれ違ったのね。貴女はこんな隅でどうなさったの?」

 「……お話は、苦手なので。人を、見てました」


 ほわりと頬を染めて俯くのは、お目当ての人がいて、その人を見ていたということらしい。

 可愛い……。

 ほわん、と癒されて微笑ましくなる。


 「あの、この方々は……?」

 

 こちらを見て、詩織と呼ばれた少女は戸惑い気味に可愛らしく小首を傾げた。


 「来訪者がいらっしゃると聞いて、わたしが連れてきて貰いました。平尾海夜といいます。一週間前にこちらに落ちてきたばかりなの」

 「え、日本語……? 違う? どっち?」

 「あ、そうね。この子と話す間だけ通訳やめて貰えないかしら」

 「黄をつついてみればいいよ。聞いてると思うよ」


 海夜は精霊の通訳でこちらの言葉を話しているから、日本語と重なって聞き苦しい筈だ。

 三影に左手の手袋の下の鈴を示されて、そんな簡単なことなんだと驚く。

 言われた通りにつついてみると、小さく澄んだ音が耳に届いた。


 『三影くんは日本語わかる?』

 『わかるよ。兄貴と同じぐらいには』


 返ってきた流暢な日本語に驚くが、そういえばキアリズ皇子の日本語の堪能っぷりを考えれば、同じ皇子の三影も推して量れる。


 『これで自由にお話しできる?』

 

 詩織という少女に確認すれば、とてもとても戸惑いながら微かに頷いてくれた。

 よかった。通じる言葉であれば、彼女も緊張せずに済む筈だ。

 そう思って胸を撫で下ろした時、詩織はこちらに不審な目を向けた。


 『さっきキアリズ殿下と一緒にいた人? ここに来てまだ一週間て。何でそんな短期間で皇宮に来て、そんなカッコでここに立ってんの』


 (ん?)


 首を傾げてしまうのは、何だかたっぷりと棘のある言葉だったからだ。

 詩織の瞳の中には、戸惑う程敵意が見える。

 初めて会った同郷の人間に、こんな目を向けられる覚えもないのに。

 そうして詩織は、唐突に自分の希望を語り出した。


 『……あたし、主人公にも悪役令嬢の手先にもなりたくないのよね』

 『……あくやく……?』

 『なるなら今は悪役令嬢っしょ。だってここ、マジ乙女ゲーの世界だし。うまいこと貴族の養女にもなれたし、自分磨いて推しゲット。じゃなきゃ、こんな現実受け入れらんない。でも予定外は転生してないことよね〜。一から自分磨かなきゃなんないのはめんどい』


 ………………。

 …………えぇと?


 熟考してみても、彼女が放った言葉は変わらない。

 思考停止状態になった海夜の横で、三影が感心したように笑った。


 『また強烈な個性が来たなー。きみ、誰に口きいてるかわかってる?』

 『さあ? 正体不明だからいじめてやんなさいって来てたけど、興味なかったんだよね。でも殿下の態度見てるとムカつくじゃん。何あの子って、ここの女子皆思ってるよ。悪役令嬢みたいのはもういるから、なら王道の主人公でいいやって思って、この晩餐会楽しみにしてたのに、主人公みたいのちゃっかりくっついてるし。がーっかり!』


 溜め込んでいた分を吐き出すように、はっきり言い捨てた詩織は急に笑顔になった。

 

 『え、もしかしてびっくりしてる? おんなじ日本から来てるから、受け入れて貰えると思ってた? おめでたいね、お姉さん。苦労せずにここに来てる人なんて、歓迎する日本人いないよ』

 『きみ、何歳?』

 『えー、十六。花の女子高生になる予定だったのに』

 『そっかぁ。俺が知ってる十六歳の女子高生はもっと思慮深かったよ。ちょっと幼いね。想像力、育てようか』

 『はぁ? 何言ってんの。想像力あるから悪役令嬢になりたいって言ってんのに』

 

 返ってきた言葉には三影も空笑いしかできないようだが、海夜はようやく思考の金縛りが解けた。

 いじめてやんなさいって来てるって、一体?


 『その“いじめ“の指令は、どなたからきているもの?』

 『知ってどうすんの? 殿下に泣きつくの。いじめられてるって? まんま主人公の行動だね』

 『……あなたがしたいこと、見つかるといいと思うわ。せっかく縁あってここに来たのだから。拗ねないで、前を見て。視野を狭くしないで、先を見て』

 『……っはぁ? 意味わかんないっ』

 『突然押しかけてごめんなさい。またお会いしたいわ』

 『あたしはもう嫌。あんたみたいないい子ちゃん、反吐が出る』


 反吐。

 物語以外で初めて聞いた悪辣な言葉だ。

 でもそんな言葉を使ってしまう程、彼女は現実を受け入れきれなくて傷ついている。

 来訪者の真実げんじつに傷ついたのは海夜も同じだが、たぶんそれ以上に。

 悲しいが、嫌がる両手を無理やり取って笑いかける。


 『……いいことが、ありますように』

 

 そう添えて離れようとした時、詩織は最後の足掻きを見せた。

 自身のガウンのスカートをたくし上げて、これ見よがしの片足を海夜が進む先に出したのだ。

 タイミングの悪い足掛けに、こんなことは子供の頃には日常で慣れた身だから苦笑が出る。

 誰かを害することなんて考えたこともしたこともない、普通の少女の精一杯の反抗だ。引っかかってあげたい気もする。

 けれど、衆目がある中でそれをしてしまうのは皇子たちの権威に関わるし、何より彼女を窮地に追い込む。

 だから海夜はその足を軽く避けた。

 ……避けた、つもりだった。

 着地した地面が視界の中でぐにゃりと歪んだのは、その時だった。

 予想外のことに自分でも驚く。

 そういえば身体が熱くて、ふらふらと目眩のような浮遊感もあった。


 (んん……? 何これ)


 痛み出した傷のせいで踏ん張りがきかず湖の方に数歩よろけた時、その湖の中から突如強い力で腕を掴まれた。抵抗できずに引きずられる。

 湖からはまだ距離があったのに、あっという間に地面から足が離れた。

 その事実に青ざめる。


 (っぎゃああぁ、いやいや、待って。

 これは!!)


 『……っ、ねえさんっ!!』


 激しい水音と共に、身を切る冷たさが襲う。

 

 (このまま沈んだら、皇子に物凄く怒られるんですけどっ!)


 水を吸って重くなるガウンに、悪態をつくことしかできなかった。




 ※



 

 警備の不備に決着をつけ虎が主人と合流した時には、既に皇女のお披露目は終わっていた。

 小さな広場に集まった人々は、落ち着きなく騒めいている。


 「驚きましたね、あのご令嬢。この衆人の中で、あんな打てば響くやり取りができるとは予想外でしたよ」

 「無駄口を叩いていないで仕事の話をしろ。殴られたいか」

 「殴られたくはありませんが、無駄口は叩きたいですね」

 「歯を食いしばれ」

 「いや顔は。せめてボディに」


 四道伯と面倒そうに言葉を交わす主人は、無表情のままその鳩尾に拳を入れようとして、羽咋公の四男のオズに止められている。


 「おやめ下さい、四道伯」

 「私に振るのは間違いだよ。殴ろうとしているのは殿下なのに」

 「貴方が口を閉じればいいのです」

 「四人分の信頼がある私が口を閉じるのか?」

 

 何やら四道伯は上機嫌だった。オズの方も普段より明るい顔をしている。

 それとは真逆に主人は不機嫌だ。


 「虎、それを寄越せ」


 無言で四道伯に拳を入れた主人が振り返る。

 後ろに控えていた虎はその光景に苦笑したが、主人の不機嫌な声にハッとした。

 主人が乞う資料の束とデータを渡すと、彼は悶絶している四道伯の目の前に差し出し、「仕事だ。期限は守れ」と容赦がない。

 代わりにそれを受け取ったオズは、資料を捲り眉間を寄せる。


 「四道伯の能力外のものに見受けます。こちらも。行政に関するものは私にお任せ下されば」

 「四道にも真道にも立場を明確にして貰う必要が迫った。やれ」

 「えぇっ、自分もですか!?」


 兄の介抱をしていた少年が、悲鳴のような声を上げた。


 「おまえは士官学校の授業もあるが、寝る暇は与えてある。励め」


 免除はしないとの言外の命令に、彼は更に悲鳴を上げる。


 「人脈を駆使しろ。真道は武芸にばかり力を入れず、頭も鍛えろ」


 あまりな言いように少々気の毒になるが、彼と同い年の時に主人は彼らの父の善道公から御大将ぎょだいしょうを引き継いだ。

 真っ当な意見ではある。


 「……執務を他人に任せることのなかった貴方が、どういう風の吹き回しで? 理由をお聞きしても?」


 何とか復活した四道伯が息を整え、鳩尾をさすりながら立ち上がる。

 隣で真道もオズも頷いているので、皆不思議なのだろう。無理もない。

 少し沈黙した主人は、深々息をつき腕を組んだ。


 「––––––地方視察で捕縛した者どもから、情報が少しずつ出始めた。彼見石ひのみいしの裏の流通ルートが明らかになりつつある。追わせていた窺見うかみからの報告も昨夜遅く入った。尻尾の先は見え難いが、この国に戻ったそうだぞ。とぐろでも巻いているのかもな」

 「……笑えませんね」

 「準戦略物資の密輸に自国内部が関わっているなど、何の茶番だ」


 静かな声で主人は吐き捨てる。


 「国内の情勢も慌ただしいが、隣国がきな臭い。このタイミングで皇女への婚姻申し入れだ。あの阿呆王子、彼見石の密輸に関わっている上、何の冗談だ」

 「っ……それは、初耳ですが……っ」


 聞き流したかったようにオズが唸るのを、四道伯がずり落ちそうになった片眼鏡モノクルを直しながら「同じく」と空笑う。


 「そもそもどちらの皇女ですか? 現皇家ですか、旧皇家ですか」

 「現でしょう、どう考えても。我が国においてでさえ出自を伏せられているご令嬢に、どうやって婚姻を申し込まれるんです?」

 「だとしたら、それもどうなんだ?」


 四道伯の疑問にオズが常識の範囲内で答えているが、四道伯にはそれも疑問らしい。二人で主人の顔を伺う。

 思考に沈み、主人は答えなかった。


 「……まあ、どちらの皇女も我が国の宝です。殊に、旧のかたには是非とも殿下とのご縁組みを実現させて頂かねば」

 「……ならば文句を言わずに渡した仕事をやれ」

 「………へっ? ……まさか、我々への無茶振りは、その、…………そういうことですか?」

 「国内外こう騒がしくては、あの危なっかしいのを一人にする時間は少しでも少ない方がいい。護衛が足りなさすぎる」

 「………はぁ、これは明日は槍でも降りそうな……」

 「こうなったからには指一本触れさせず、髪一筋も損なわせるわけにはいかない」


 気を取り直すように話題を変えた四道伯は、主人が素直に肯定するとは思ってもみなかったのだろう。

 唖然と口を開けて、こぼれ落ちんばかりに目を見開いている。


 「めでたいことですが、姉は大騒ぎしそうだ」

 「鬱陶しい。柱にでも縛り付けておけ」

 「……それを実際子供の頃にやって、祖父殿に大目玉を喰らったのは貴方でしょう」

 「次は皇宮の柱に縛り付ける」

 「それは姉の名誉に関わりますので、ご容赦下さい」

 「皆の笑い者にならなければ分からぬ者には妥当な仕置きだ」

 「きつ……っ」


 主人なら本気でやるということは、この場の者はよく心得ていた。

 そして主人への執着を隠しもしない善道公の長女、那珠のやりそうなことも想像はつく。

 それぞれが胸中で同じことを考えただろう時、少々離れた湖側で大きな声と水音が響いた。

 同時にざわりと人々が騒めく。


 「何事でしょう」


 オズが警戒するように呟くが、虎は微妙に胸騒ぎがした。


 「……嫌な予感がするな」


 同じように感じたらしい主人のボヤキに、つい大きく頷いてしまう。

 確認の為に足を向けた主人に場所を空けるように、集まっていた人波が割れる。

 青いガウンの少女が力が抜けたように座り込み、その傍で真っ青になった女性たちと湖面を覗き込む第二皇子の姿があった。


 「三影、何事だ」

 「兄貴! ねえさんが湖に落ちた!!」


 外れてほしかった予想通りの答えに、主人は冷静に湖面を覗き込む。


 「……全く。湖に近づくなと言っておいた筈だが」

 「ねえさんは言いつけ守ってたよ! 理由なら、そこの女どもに聞いてよ!」


 弾劾するように三影は座り込む少女と、その周囲で狼狽も露わに立ち竦む女性たちを指差す。

 主人の投げた一瞥に、全員がビクッと身体を竦ませたのが何よりの答えだった。


 「虎、三影。騒ぎが父の耳に入らぬよう、この場の者全て留めろ。––––結果がどうあれ、この騒ぎに関わっている者は、覚悟しておくことだ」


 そう言って、自身の外套と長剣を外す。その行動にぎょっとするのは四道伯だ。


 「まさか、殿下自ら捜しに行かれるおつもりですかっ? おやめ下さい、別の者に行かせます」

 「そう深くない。それでも岸から姿が見えない。精霊の仕業に他ならないが、他の者が行けるのか?」

 「貴種に関わる精霊事ならば、ご令嬢でも自力で上がられるでしょうっ?」

 「着慣れぬ重い服に足の怪我で、無茶を言う」

 「……は、怪我……?」


 初耳という顔で四道伯は眉間を寄せた。

 無理もない。

 足に負担がかかる拝謁の時でも、怪我の存在など微塵も感じさせずに皇女は行動していた。

 その後も皇子二人ががっちりと護衛していた為、怪我に気づく者は皆無だっただろう。何より天地と美津里の尽力もあって、痛みが可能な限り抑えられていた功績が大きい。

 皇宮内において、些細な弱みがどんな災いに転じるかわかったものではない。

 出自を伏せてあるとはいえ、公式の場には違いないこの晩餐会を、成功させようと皆が努力している。

 皇女自身も、それをよく理解して動いていた。

 それを台無しにしようとしたこの場の者への静かな怒りが、主人の中に透けて見えて虎はゾッと身震いしたくなる。

 触らぬ神以外の何者でもない。


 「……それでも敢えてお止め致します。厳しいことを申しますが、現状の天秤は貴方に傾くのです。ご令嬢は必ず見つけ出しますので、貴方はここにお留まり下さい」


 誰も言えないならと、四道伯が決然と言い放つのを主人は完全に無視し、湖に向けて左手を伸ばす。


 「らい

 「殿下っ! お聞き下さい!」

 「貴様ら貴族連中の」


 声を大きくした四道伯に、主人は右目の眼帯を外してヒタと視線を定めた。

 虹色の湖面の光を吸収する、琥珀の瞳は昏く獰猛だった。


 「海夜に関する発言の、何を信用しろという」


 湖に伸ばした左手から、パズルのピースが解けるように主人は消えた。




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