第一話 序 たとえばあなたが誰でも(挿絵あり)
初投稿作です。
プロローグは唐突なプロポーズから。
強い風が体に叩きつけてきた。
浮くような感覚に飛ばされないよう、側に立つ人物の袖を握り込む。その手を相手が握り返してくれて安心した。
同時に奇妙な感覚も覚える。
これと同じことを、前に経験している……?
「もう来るなよ」
“もう会わない“
ひどい惜別の言葉に、もっとひどい心を抉る言葉が耳の奥で重なる。
「ここでのこと、全て忘れて一切思い出すな」
“だから、全部持っていって、全部置いていく“
ぶっきらぼうに放たれる言葉の刃の数々に、どれだけ心折られてきたか。
横暴。冷淡。意地悪。性格悪すぎ。
何度も思ったし、何度も口にした。
そのたび鼻で笑われるか軽くあしらわれるかのどちらかで、悔しくて悔しくて、どうして悔しいのか深く考えることもなかった。
なかったのに、どうして。
どうして胸が痛いの。どうしてこんなに切なくなるの。
「––––––おまえはそっちで、幸せになれ」
“おまえはここで、幸せに––––––”
(馬鹿じゃないの、ふざけないで)
ふいに湧いた怒りに、ピンぼけしていた記憶の焦点がぴたりと合った。
(思い出した。
あの時もわたしは怒ったのよ。
あんまり身勝手で、的外れなことを言うから)
幸せになれなんて陳腐すぎる。
そんなの他人に決められることじゃない。どこに居たって、それを決めるのはわたし自身。他者に測れるものじゃない。
そんな簡単な言葉に逃げないで。
わたしを、放棄しないで。
「ーーー」
踵を返そうとしていたその背に呼びかける。
渾身の想いを込めて、文字を綴るように声を放つ。
「…………!」
驚いて振り向いた姿が、強風の中に見えた。
思わずのように伸ばそうとする手も、辛うじて見えた気がする。
そうして世界は全ての音と光を飲み込んで、ぶつりと何もかもを遮断してしまった。
※※※
それは、鮮やかな色彩だった。
極彩色の光る球体が、視界いっぱいにふよふよと漂っている。
多種多様な色が混在しているのにそれぞれが美しい存在感を保ち、大小に淡く輝きながらさざなみのように微かに笑っている。
足裏に触れる地面は感じられず、夢の中のような微睡と浮遊感があった。極彩色の光の球たちと自分の境界も曖昧になる。
色とりどりに自分も染まっていくような、そんな不思議な空間に海夜は佇んでいた。
指で一つ光球をつついてみようと手を持ち上げて疑問が湧く。
––––––––これ、何かしら?
首を傾げた時、流れるように白い物が目の前を通り過ぎて行った。
顔を上げると、薄紅の小さな花びらが朧に光りながらいくつも風に流れる光景が目に入る。あれだけ賑やかだった色の洪水は消え、今は静かに風に舞う花びらの中に立っている。
この光景には見覚えがあった。
自身の存在も頼りなく感じる濃い墨染めの闇の中、空から落ちてくる白を眺める。
天を仰ぎ、降る花弁を迎えるように受け止める。
雪みたい、と感傷的な気持ちで手の平に落ちた一枚を、押し潰されそうな虚無感と共に握り込む。
これは夢。
時々見る、浅い夢。
何があるわけでも、何かが起こるわけでもない。音もなく淡々と舞う花びらの中、救いようもない絶望感と喪失感を抱えて立ち尽くしている、ただそれだけの夢。
絶望が胸を占めて静かに降り積もる花びらの中に、沈んで溶けて消えてしまえればいいのにと何度も思った。
この浅い夢を見ているということは、目覚めも近い。
そう思った時、奇妙な気配を感じて背後を振り返った。途端、背筋が凍るような鋭い圧迫感に体が固まる。
墨染めの世界の中に、更に濃い闇が数歩先にあった。
悪意の凝りのような円い闇。
大きいのか小さいのか、厚いのか薄いのか判然としない。
ただそれが、とんでもなく重く固く、途方もない質量の危険なものであると本能的に察知したのは、その闇がニタリと獲物を定めるように笑ったのがみえたからだ。
その笑みのあまりの邪悪さと纏わりつく悪意に、縫い止められたように動けなくなる。
––––––––こわい。
腹の底からの恐怖で歯の根が合わないほど震えているのを自覚した時、空間を震わせ引き裂くような、甲高い悲鳴が耳の奥を貫いた。
身体が跳ねた衝撃で目が覚めた。
寒いような暑いような汗を額に感じて海夜は驚く。
夢を見て冷や汗をかくなんて経験がない。
疲れた心地で起き上がり水でも飲もうと首を巡らせた時、背後から声を掛けられた。
『目が覚めたか』
無感情で平坦な低い声と、日本語とは違う言語。
外国語で話しかけられるのは、自分の現在の境遇から予想内だったけれど、この声には覚えがない。
(……誰……?)
振り向いた先に立つ一人の青年に首を傾げる。
隙なく立つ均整の取れた長身。
ぬばたまの、なんて今どきじゃない形容もぴったりハマる絹糸のようなきれいな黒髪。光を弾く程艶やかなのに、無造作に一つに束ねて背に流している。
印象的なのはそれだけじゃない。
黒曜石のような真っ黒い瞳は、右眼を黒革の眼帯で覆っている。
それは秀麗すぎて人形じみた造作のかんばせに、唯一の点を落としたようだった。
こんな人物、見覚えがなさすぎて首を傾げるしかない。
「どなた……?」
問いかければ片眉を上げる。
「……皇都へ行くのに、言語の壁は危険だな。どうにかするが……、身を守る術は一つでも多く持て」
急に海夜にもわかる言葉が青年の口から飛び出て、驚きのあまり目を見開いた。
(日本語……っ? 話せる人がいたのっ? どうしよう、訊きたいことが沢山ある。ここがどこか、どういう状況か)
海夜の焦る心を読んだように隻眼の青年は無表情に無感情に、気持ちに急ブレーキをかける言葉を浴びせた。
「だから、おれとは結婚して貰うことになる」
(…………?
…………………………???)
言葉の通じる人がいるとわかって、急に湧いた希望に心が明るくなったのに、彼が言い放った言葉は意味がわからない。
言葉が通じてもこんなことってあるんだ、とある意味感心した。
この人がどこの誰であったとしても、出会って秒で求婚なんて碌でもないと、後で思い返しても海夜には最悪の出会いでしかなかった。
お読みいただきありがとうございます♪
ブックマーク等大変嬉しいです。
ありがとうございます!