第十六話 三影
國皇が急遽決めたという食事会は、皇宮内を上へ下への大騒ぎに導いたらしい。
夜会などは数ヶ月前から準備するのが普通なのに、急すぎる上、出席者の顔ぶれも普通ではない為、準備する側の負担は計り知れない。
そしてそれは、海夜自身にも降りかかった。
衣装選びから始まり、装飾品、ヘアメイク、靴のデザイン、果ては爪の色まで選びに選ばれて、夕方には疲労困憊でぐったりしてしまった。
フォーマルに着飾ることに馴染みがないので、どういう気持ちでいればいいのか。
昼間着ていたガウンは、皇子の目の前で腕を広げて回っても見せたけれど、首を傾げられて「着替えたのか。転ぶなよ」という反応。
可もなく不可もなく。
侍女二人には鬼気迫る勢いで、明日は早起きして肌磨きをする為、早めの就寝を促された。
でもこれから皇子と会うと言うと、顔を見合わせ満足そうに微笑み合う。
「仲が良ろしいのは大変結構でございます。ですが、程々に」
「いえ、仲とかそういうのではなく」
「寝不足がお肌には一番の負担でございます。姫さまにはお世継ぎの問題も絡んで参りますが、ここは明日に備えてお休み頂くのが最優先でございます」
「……お世……」
眞苑の真剣な言葉に、盛大に絶句した。
本当に本気で、皇子との約束がそういうものだと信じているらしい。
(夜に会うと、色々勘繰られるのね……)
自分の顔が赤いのか青いのか判断できないまま、魂が抜けたように説明する気力を削がれていると、軽い笑い声が背後から聞こえた。
驚き振り向くと、白いローブにフードを被った細身の人物が、扉前に立っている。
海夜の警戒する様子に、「ごめんなさい」と慌てて謝罪してきた。
「守衛に無理を言って通して貰いました。怪しい者ではないです」
そう言いながらフードを取った人物は、まだ年若い面立ちをしていた。
背中に流した長い真っ直ぐな黒髪に、綺麗な黄緑色の瞳。薄くて明るい緑色は、ペリドットを思い起こさせる色だった。
「ま、まぁ、三影さま! こんなお時間まで、お勤めお疲れ様でございます」
白玖音が慌てて礼を取ると、幼さの残る顔立ちながら威厳ありげに頷いている。
「貴女たち、主人を困らせることを大きな声で言うのはダメでしょ。これって内密なんだから」
「ですが、主人の身嗜みに気を遣い整えることも、侍女の大事な仕事ですわ」
「大丈夫。私も同席するから、夜遅い時間にはならないよ」
「え、そうなんですか?」
海夜は軽く驚き瞬く。
色々話を聞かせて貰えると思っていたが、他に同席する人物がいるとは聞いていなかった。
するとその人物は、両手を重ねて胸に当て深くお辞儀をした。その礼の形は、祖母が墓参りや神棚に向けて行っていた形と同じだ。宗派の違いからくるものだと思っていたけれど、祖母の行動には故郷に根ざしたものがあったようだ。
「申し遅れました。大神殿にて祝のお役目を頂戴しております、三影と申します。皇女さまにはご機嫌麗しく」
「平尾海夜です。よろしくお願いします。三影くんのお辞儀は、祖母を思い出して懐かしくなりました。この国の作法だったんですね」
嬉しくて和んだ気分でそう言うと、三影と侍女たちは驚いた顔で凝視してくる。
(……何かおかしな事を言った……?)
三人の驚きの視線にたじろぎ、笑みも引っ込んだ。
「………私が男だと、よくおわかりになりましたね」
「三影さまは線が細くていらっしゃるので、私も初めてお目にかかった時は、何て美少女なのかしらと思いましたのに」
皆の思いもよらない反応に焦っていた海夜は、意外な言葉に首を傾げる。
白玖音が驚いて三影に同意しているが、何を言われているのか理解できると、我ながら不思議体験のような気分だ。
そういえば、三影の肌が綺麗で目元の甘さが際立つ顔立ちは、男子には見えにくい。ゆったりしたローブを着ているので、体つきだって判別できないのに、どうして自分は性別がわかったのだろう。
「そっかぁ、バレちゃったかあ。性別判明する瞬間が一番面白いのに、残念」
疑問符だらけの海夜を気にせず、三影は悪戯がバレた子供のようにぺろっと小さく舌を出した。
「流石だなぁ。その調子で兄貴のこと、振り回してる?」
(……はい? 兄貴、とは?)
びっくりまなこのまま固まった海夜を横に置いて、三影は再び礼を取った。今度は貴公子然とした、片手を後ろに置いた形で。
「改めて、第二皇子の三影です。兄貴っていうのは、第一皇子やってるあの無愛想な人のことだね。これからよろしく、義姉さん」
(!!??)
衝撃で大きく疑問符を浮かべた海夜に吹き出して、可愛らしく小首を傾げた姿はコケティッシュな美少女そのものだった。
(第二……皇子っ? この子が本当に? 兄だというあの皇子と雰囲気が違いすぎない??
どうすればあの無愛想な人の弟に、こんな人懐っこい笑顔の男の子が生まれて来るの??)
物凄く失礼なことを考えた時、来訪を告げるベルが鳴り、現れたのはその第一皇子だった。
室内の顔ぶれに片眉を上げる。
「先におれの方に顔を出せと言っておいた筈だが、三影」
「あれ、そうだっけ? いつ皇女サマに会わせてくれるのかなって、そっちのが気になってちゃんと聞いてなかった」
「ふざけるなら追い出す」
「それ、困るの自分だよ? こんな時間に皇女と逢瀬って、ヤバい奴ら焚きつけるよね?」
「勝手に勘違いしていればいいだろう」
「兄貴は良くてもね」
兄弟のやり取りは新鮮だった。
皇子が虎以外の人間と、軽口をきいている。虎以外にも心を開いた会話相手がいるということに、ちょっと驚いた。
感心して眺めていると、皇子がこちらに目を向けた。
「何か言われたか」
「何それ」
三影の抗議の言葉と全く同じことを思ったけれど、言葉にはせずに首を振る。
「丁寧に挨拶しただけだよーだ。兄貴が心配するようなことは、なーんにも言ってませんよーだ」
舌を出して子供のように言い返す三影を睨みつけ、彼は疲れたように息をついた。
「母親は違うが、二つ下の弟だ。普段は神殿で、精霊についての監督官を務めている」
母親が違う、おとうと。二つ下の。
普段は、神殿で……。
皇子の言葉を噛み砕くように反芻していた耳の奥に、声が聞こえた気がした。
“……腹違いの“
ぼんやりと膜がかかった言葉が、意味もなく耳の奥で反響する。
え、と思う間もなく目の前が真っ暗になり、薄桃色の花びらが舞う光景が、視界いっぱいに広がった。
雪のように絶え間なく降り積もる足元に、影を落としたようなべっとりと重い赤い池。
夢だ。いつもの。
どうして。
目は覚めているのに。
はっきり足元の絨毯の感触もわかるのに、今この景色の中には自分一人。
(いいえ、本当に目は覚めている?)
今立っているこの暗闇が夢だという確証もないのに、どうして夢だと断言できるのか。
もしかしたら自分は、この花びらが降る中を、出口を探して彷徨っているのかもしれない。
そうして束の間、違う時間を過ごす自分を夢に見ているのかも––––––。
「海夜?」
耳に届いた声が、すとんと胸の奥に落ちる。
瞬きをひとつ、ゆっくり行うと景色が変わっている。
(違う。こっちが現実。夢なんかじゃない)
そんな当たり前のことに安堵する。
手放しかけた糸の端を手繰り寄せるように、そうっと息をついて顔を上げた。
急に黙り込んだ海夜を心配して、皆がこちらに注目している。それに気づいて、慌てて笑顔を作る。
「ごめんなさい。ちょっと、ぼうっとしていたみたい」
海夜の笑顔に安心したような空気が流れて、三影が当然だと声を上げた。
「皇都に着いて、すぐに倒れたでしょう? 精霊に慣れてなければそうもなるよ。座ろう、ねえさん」
「なんだその呼び方は」
「親愛表現だよ〜」
キアリズ皇子の呆れた言葉に、三影は軽く返して海夜の手を取った。
流れるようにエスコートされて、長椅子にふわりと座らされる。
「父上と会ったんだって? 大丈夫だった? 俺たちが言うのもなんだけど、あの人子供っぽい所あるから、嫌な思いしなかった?」
向かいの長椅子に座りながら、三影が心配そうに尋ねてきた。
一人掛けの椅子に座り込んだキアリズ皇子をちらりと見るが、黙って白玖音の淹れてくれたお茶を口に運んでいる。國皇訪問の件に関して、何か言うつもりはないらしい。
「突然のご訪問だったからちょっと驚いたけれど、嫌な思いはしていないわ。色々気付かされた部分も多かったし、お会いできて良かった」
意地悪を言われたけれど、どこかの誰かと違ってすぐに謝罪してくれたし、引きずるほどの嫌悪はない。
むしろ、目を背けていることに、正面から向き合えと背中を押された感がある。
(………? でも、目を背けるって何から? 皇家の色々?)
ふと、無意識に浮かんだ自分の考えに内心で首を傾げる。
皇子に指摘された、自分で自分にかけている暗示とかいうものだろうか。それとも夢の中で何度も感じる、兄と自分の身の危険か。
自分でも訳のわからない、焦りのような感覚を疑問に思った時浅いため息が聞こえた。
「……あの言い分にそう言えるのは立派だな」
皮肉っぽく言うのはキアリズ皇子だ。
海夜への皮肉というより、父親へ向けた……いや、何か違うものへ向けた皮肉のように聞こえる。
「兄貴から見てそんな感じかぁ……やっぱり。ごめんね、ねえさん。大体想像つくから謝っとく」
「……わたしに継承権を返すとか、結婚相手を探せとかそういうこと? 想像がつくって」
「やっぱり言ったんだ。いい加減諦めなって」
呆れたように空笑いした三影の、含みのある言い方に首を傾げた。
“いい加減“?
何度も挑戦したような言い振りに小さな引っ掛かりを覚えた時、皇子がカチリと音を立ててカップをソーサーに戻した。
「夜花の話だったか」
唐突に話の本題を持ってきたことに驚くが、これこそ聞かなくてはと思っていた話だ。
皇子が話す気になったのなら、機会は逃せない。
「ええ。話してくれるの?」
居住いを正して問いかけると、肘掛けに頬杖をついて気怠そうにしたまま、隅に控えた侍女たちに視線を送る。
すると、二人は昼間と同じように応接室を出て行ってしまった。
「どうして? 人払いするような話なの?」
「皇家に関しての外聞の悪い話が含まれる。高位侍女たちが外に洩らすとは思わないが、関係のない者に大っぴらに聞かせる話でもない」
「………祖母が何かしたの」
「夜花はむしろ犠牲者だ」
そう言って暫く考えるように黙り込むと、皇子は大きく息をついた。
「五十二年前、夜花が日本に渡ったということは承知だな?」
「ええ、その理由を知りたいの。それに、双子のお姉さまだという方のお話も、関係があるのなら聞いておきたいわ」
「夜花は命の危険があって、日本に避難した。亡命したんだ」
「……皇女だったから? 命の危険って……、革命でもあったみたい。でも、それだけで異世界である日本に逃げるなんて、そんなことあるの?」
亡命、なんて。
命からがら逃げ出した場所が異世界の未知の国だなんて、若かった祖母はどう考えていたのだろう。
普通に考えれば、亡命するとしても同じ世界線上の、自分が頼れる国なのではないだろうか。
「異世界に逃げなければならない、余程の理由があったということだ。五十二年前、この国は未曾有の大悪に見舞われた。その年は、ちょうどこの国の五十年に一度の大祭の年で、皇家の一族ほぼ全てがこの皇都に集う年だったそうだ」
「……それ、日本への扉が開く年と同じ年? その時と同じ時に、お祭りがあるの? 間隔まで一緒で? ……偶然?」
五十年、という聞き覚えある時間に首を傾げると、皇子は投げやりに目を逸らした。
「さぁな。大祭は建国の祖だと云われる黄花を、皇家が一族総出で祀るものだ。黄花の妻は日本人で建国を支えたと伝わる人物だから、偶然よりは必然に近いんじゃないか。多分に恣意的だが」
その話は、皇都に向かう馬車の中で天地が話してくれた。
来訪者と呼ばれる日本人が、この国で大事に保護される理由の一つとして。
「黄花は現代の貴種よりも原種に近い貴種だったから寿命も長くて、建国してからの治世は百年近くあったんだよ。男女の性も精霊みたいに使い分けてたらしい。建国時は男性だったけど、その前は女性として生きていたんだって。女性の時にもうけた娘が次代を継いでる。そこから黄國の女系継承の伝統が始まってるんだ」
兄の顔をチラチラと確認しながら、三影が補足する。
女性から男性になる?
先祖が雌雄同体って、どう受け止めればいいの? カタツムリか何かなの?
(そういえば、昼間会った赤い精霊も女性から男性に変化してたっけ。でも、ご先祖がそれをやってたって言われると微妙……)
精霊の不思議は何となく受け止められるのに、貴種の不思議は受け止めきれない。
それは、自分もその貴種だといわれる人間だからだろうか。
「黄花が原種に近かった為に、黄花・サディルは他家より貴種としての特性が強く出やすい。他にもいくつか原種に近い貴種の一族が存在し、婚姻を結ぶことで濃い貴種の血筋を保って来たそうだ。それをやめて久しいが、亜種との混血が進んだ現代であってもまだ特異だ」
海夜が思考に沈んでいても、皇子は言葉を止めなかった、
聞き逃したら二度と話してはくれない気がして、もう一度背筋を正す。
「だが、そうして保ってきたものが災いした。四百年前、黄花・サディルの直系に強大な能力を有する精霊使いが生まれたんだ。建国以来、二人目の男皇となる直系男子がそれだ」
直系男子……。
「……それって國皇陛下が仰っていたことと、何か繋がるの?」
「何? あの人何か言ったの?」
鋭く聞き咎めたのは三影だ。
眦を強く引き上げて海夜を見る瞳は、警戒が宿っている。少々圧倒されながら口を開く。
「……黄花・サディルの直系男子は、必要ないって……」
「あいつ、ホントむかつくっ!」
突然激昂した異母弟を、皇子は目線だけで制した。
「それに関して別に異論はない。能力が高すぎても迷惑だというのはわかる」
「そこはもっと怒りなよ! 両親が貴種なら能力高い精霊使いが生まれる可能性、高いって分かってた筈だよ! 黄花・サディルなんだから!」
「––––三影、喚くなら追い出す。おまえがどうしてもと言うから、同席を許した」
皇子の静かな叱責に目に見えて落ち込み、項垂れた三影は言葉を噤んで座り直す。
空気の変化に目を瞬かせることしかできない海夜を見て、皇子は自嘲じみた微かな笑みを見せた。
「家族の内情を聞かせるつもりはなかった。聞き流していい」
それができるならとっくにしている。でも、訊いてもどうせ答えないんでしょう?
胸の内に湧き上がる理不尽さに、胃の辺りを掴まれる気がしながら小首を傾げる。
気になる。物凄く気になる。
……気になるけれど、まずは祖母のことを聞かなければ。
「あなたが嫌だと思うことは訊かないわ。祖母がなぜ日本に行ったのかは教えて」
とっても気になるけれど、大人ぶってそんな風に言えば、室内の空気は少し和らいだ。
「先程の二人目の男皇だが。記録に残る名は“天馬”という。そいつがある時、とち狂った。初期は善政を布いていたようだが、やがて臣下の亜種といがみ合うようになり、果ては精霊を引き連れて大虐殺だ。おまけに妹だか姉だかに懸想して、近親相姦をやらかした挙句、自分の手駒の精霊に喰われて最期を迎えた。記録を読むだけでもえげつない」
わぁ……。
またしても先祖について、とんでもない話を聞いてしまった。
食傷気味な気分になりながら、先を促すように皇子を見る。
皇子の方も乗り気で話している訳ではないのだろう。無表情に磨きがかかったように見える。
「これがどの程度の真実味がある話なのかは知らん。記録は所詮、勝者の側で作られる。悪徳の限りを尽くしたと伝わる人物であっても、真実はその当時、側にいた者にしか判断できない。だから記録上の話とだけ言っておく。だがここからは五十二年前、実際に経験した者から聞いた話だ」
一度言葉を切った皇子は、また考えを巡らすように黙り込んだ。
そして深く息をつくと、静かにゆっくり感情を殺した声音で話し始めた。
「直系男子が忌避される最大の理由は、四百年前の天馬が手に負えない男だったからだ。だが五十二年前の大祭を経た現在はそれだけではない。恨みを飲んで弑された天馬が五十二年前、悪鬼と成り果て黄泉がえり、皇都に集まっていた皇家を皆殺しにした」
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