第十三話 転移門の精霊
“駅舎”と呼ばれているのだから、移動する為の乗り物に乗る場所だと思っていた。
実際この大きな建物の大半は、都市間を移動する高速鉄道の為の物なのだそうだ。
鉄道があるんだ、と意外に思ったが、大量に人を移動させる手段なんて、どこの世界もそれ程大差ないのかもしれない。
多くの人でごった返す正面の駅入り口を通り過ぎ、馬車が停まったのは仰々しいレリーフが刻まれた、大きな二枚扉の前だった。
見上げる程立派、と表現できるその佇まいは、外国のお城か教会のような荘厳な雰囲気だ。
建物の向こう側では人が移動する為の熱気とエネルギーが感じられて、忙しない動力が満ちていたのに、ここは逆だった。
静謐で穏やか。
移動する為というより、ここに居る為の力を強く感じる。
馬車を降りて扉の前に立って、内側に引っ張られる感覚に奇妙だと思った。
それとは別に、渦に巻き込まれ、吸い込まれるようなイメージも身体を取り巻く。
不思議、と思って首を傾げていると、扉を開けた皇子たちに呼ばれて我に返る。
馬車と馬を引き取って行く警備隊員たちに頭を下げ、引きずる足で合流すると、静謐だと感じたそのままの空間が扉の中に広がっていた。
「あの扉の奥が転移室だ」
扉が閉められると薄暗かった内部の天井近くを、真っ白い明かりが奥に向かって走って行った。
それを目で追いかけると、皇子の言った通り二枚扉が見える。
鏡のように光る石の床に靴音を響かせ扉前に辿り着くと、それは内側にゆっくりと開いた。人がいるとは思わず、慌てて外套のフードを被る。馬車に乗る前に、散々皇子や皆から瞳を人に見せるなと言われたからだ。
けれど現れたのは、明らかに人外の気配を纏った女性だった。
血のような真っ赤な瞳に朱色の髪、着ている服といえば、タイトシルエットのロングドレス。サイドスリットが太腿の際どい所まで入って、いやに妖艶な精霊だった。
精霊だとわかるのは髪の生え際にちょこんと生えた、小さく真っ赤な角のせいだ。そうでなければ、こんな色気の強い女性は人間にしか見えないだろう。
それぐらい、彼女の気配は濃い。
そこでようやく気づく。
後ろから付いてきていた美津里と天地を見ると、天地は平然としているものの、美津里は驚いたように何度も瞬きを繰り返している。
やはり、この赤い彼女は受肉しているらしい。実体のある姿が美津里の目にも見えているのだ。
「オヤ、珍シク貴種ノ気配ダト思ッテ出迎エテミレバ、オ前カ。久シイネ、黄花ノ。転移門ヲ使ウトハ、何ノ心境ノ変化カ」
「皇都に戻るだけだ。怪我人がいるから、最短で帰都する」
「ホウ、怪我人」
皇子の言葉に芝居がかったように大仰に驚いて見せて、精霊は皇子の向こう側から覗き込むようにこちらを見た。
「コレモマタ珍シイ。貴種ノ来訪者カ。長ク生キテキタガ、初メテ見タナ」
貴種の来訪者。
わたしのこと?
物珍しげに眺めてくる精霊だったが、こちらもここまで妖艶な色気のある人物を見たのは、精霊であれ人間であれ初めてだ。
ついフードの下から不躾に眺めてしまい、精霊に嗤われた。
「コノ子ハコワイ物知ラズダネ。コノ身ヲココマデ無遠慮ニ眺メル者モ珍シイ」
「ごめんなさい、失礼なことをしてしまって」
精霊に指摘されて慌てて俯くが、今度はスリットから覗く蠱惑的な脚線美が目に入り首を傾げた。
きれいな脚。
だがよく視ると太腿から足首まで、みっちりと文様が刻まれている。
まるで絡みつく枷のようにも視えるそれは、海夜の知識の範囲ではタトゥーと呼ばれるものに似ている。それなのに、タトゥーのような自己主張の為のものには視えなかった。
「気ニシナクテ良イヨ。私ハ見ラレルノハ好キナノデネ」
「おねえさまは、受肉なさっていらっしゃるの? 苦しくはない?」
頭に浮かんだ疑問をそのまま素直に口にすると、皇子以外の皆が、ぎょっとしたように息を詰めた。
「フム? コノ子ハ少シ、頭ノ螺子ガ緩イノカナ?」
面白がるように、今度はしっかりと顔を覗き込んでくる。
ひどい言われよう。けれど遠回しに訊いた所で煙に巻かれそうだったので、直接訊いてみた。
「ソウダヨ。オネエサマハ受肉ナサッテイラッシャルンダヨ。何百年モコノママダ。今更苦痛ヲ感ジル繊細サハナイネ」
「繊細さ」
「コノ肉ノ器ハ割ト気ニ入ッテイルンダヨ。人間ノ男ドモハ簡単ダカラネ」
そう言って見事にくびれた腰に片手を当てて、この場の男性達に流し目をくれている。
丸みを帯びた凹凸の激しい体つきは、確かに普通の男性の目には毒だろうと思わせられた。
けれど、この場の男性達はそれぞれ「既婚者ですので」と口を揃える者達と、無感情に「気色悪い」と吐き捨てる面々しかおらず、精霊はそれも面白そうに眺めている。
「オ嬢チャンハ女ノ子ダカラ、特別ニ男ニナッテアゲテモイイヨ」
そう言うと赤い精霊は指を小さく鳴らした。
足元から炎が舐めるように精霊の体の線を這い上がり、頭のてっぺんまで炎がたどり着く頃には、がらりと雰囲気の違う男性がそこに立っている。
赤い目と朱色の髪はそのまま、軍服のようなかっちりとした衣服に変わったその人物は、しかし確かに、先程まで目の前にいた女性の精霊と同一人物だった。
こんなこともできるんだ、と目を瞬かせて「凄い……」と感動すると、精霊はオヤ、と苦笑する。
「思ッテイタ反応ト違ウネ、オ嬢チャン。人間ノ女カラ見テ、平均的ニ好マシイ見タ目デハナイカナ、コノ肉ハ?」
肉。
……言い方って、大事。
「そうですね、十分素敵だと思います。好みの問題じゃないでしょうか」
「ソウカ、コノ肉ハオ嬢チャンノ好ミデハナイトイウ事カ」
「いい加減にしろ。さっさと移動の準備に入れ。おまえの役割だろう」
暢気な会話に苛ついたように、皇子が割って入る。面倒そうにこちらを見下ろすのは、呆れてでもいるようだった。
「精霊と見ると、何にでも懐くのはやめろ。これは罪人だぞ」
懐く。
懐いたつもりはなかったのにそう見えた?
いや、それよりも皇子の言葉の方が重要だった。耳を疑う言葉に驚き聞き直してしまう。
「罪人?」
「ソウダヨ、私ハ咎人ダヨ。私ヲ受肉サセタ人ガ欲シクテ、解放者ヲ殺シチャッタ。デモ、ソレハ許サレナイ事ナンダ。ダカラ封ジラレテ、ズットココニイルンダヨ」
身を屈めて顔を近づけられ、蛇のような縦長い瞳孔の赤い瞳が、目の前でニタリと歪む。
それが恐ろしかったわけじゃない。
ただ、彼の言葉に今朝の夢の光景が脳裏を過ぎり、大きく心臓が鳴った。
(解放者を殺す。……殺す? 自分を苦しみから解放する人なのに?)
「無駄口は好かない。さっさと仕事をしろ」
動揺する海夜を他所に皇子が重ねて命じると、赤い精霊は一瞬で女性の姿に戻り踵を返した。
「ハイハイ。ホントニ黄花ノハ可愛クナイナ。貴種ナラ場ガ安定シナクトモ移動デキル。オ前トコノオ嬢チャンダケナラ、私ノ場ナンテ必要ナカロウニ。皆、中央ニ集マッテ」
色々突っ込みたいことを赤い精霊が口走っている。
けれど、有無を言わさず皇子に腕を引かれて、質問は胸にしまっておくことになった。
代わりに皇子に訊いてみようかと口を開きかけた所で、先手を打つように皇子が口を開いた。
「ここは亜種が精霊の力を借りて、長距離を移動するための場所だ。無償で精霊を縛り付けておくことはできないため、人間に対して罪を犯した精霊の、償いの場として機能させている。ある程度の力がなければ、自分以外の物質の移動などできないが、受肉してあれだけ会話が出来る存在なら、一体でこの程度の人数は目的地に送れる。大人数の移動となれば、数体分の力を使うことになるが」
(精霊の力を借りて移動? 鉄道があるのに?)
驚いた表情が口程にものを言ったのか、何も質問していないのに皇子は重ねて答えてくれた。
「鉄道では色々制約がかかる、人間用の移動手段だ。各国、そういう者達で国は運営されているだろう」
(ああ。王さまとか、大統領とか、首相とかそういう人たちのことね)
頭にVIPという言葉が浮かんで、成程と納得する。
でも、そんな国の重要人物に、罪人だという精霊が関わっていいのだろうか。
「償いの場で人間に危害を加えられないよう、呪がかけられている。自由に発言はできても、ここから出ていくことはできない」
「………あなた、心が読めるの、もしかして?」
「おまえの表情が読み易いだけだ」
考えることに正確な答えを貰っておいて何だが、ちょっと怖いと思ってしまった。異世界の皇子さまだし、そういうこともできたりするのだろうか。
けれど皇子は、海夜が単純なのだと返してくる。
立派な石柱が、丸く配置された中央に皆が立つのを、赤い精霊が観察している。全員が石柱の丸い内側に入ったのを確認して、彼女は指をパチンと鳴らした。
その音に誘われたように、一本目の石柱の上に真っ赤な炎が現れた。暫くすると、二本目の石柱にも同じように炎が現れる。
石柱は全部で二十本。同じように炎が灯るらしい。
石柱の間に立つ赤い精霊の足には、やっぱりタトゥーのような文様が見える。
黒くも赤くもない、透明な蔦のような。
おそらくあれが、この地に縛り付ける“呪”というもの。自由に歩く権利を、あの赤い精霊から剥奪している、目に見えない鎖。
だから外の扉前に立った時、ここにいるための強制力を感じたのか。
引き寄せられる、強い力。人間に対して罪を犯した精霊を、縛るためのもの。
じゃあ、あの渦に巻き込まれるような吸引力はなんだったんだろう。
疑問に思っても、もう質問する時間もない。
石柱に灯っていく真っ赤な炎を見ていると、鬼灯みたいだとぼんやり思った。
海夜が住んでいた所は山奥だったから、道端に時折生える鬼灯を、夏の終わりに幼馴染二人と見つけることが子供の頃楽しかった。中学生の頃、美鈴が例のマニア知識で、鬼の灯って書くんだよ、と教えてくれて綺麗だと思ったことを思い出す。
この炎を生み出している、あの赤い精霊の角を見てそんなことを思い出し、ちょっと懐かしくなった。
赤鬼だと思い至り、某子供向け番組の童謡に、赤鬼と青鬼が出てくる歌があったことも同時に思い出す。
妙に耳に残ったサビの部分の歌詞が、正確に思い出せない。
「……もうすぐ皇都に移動するんだが。緊張でもしているのか、その顔は」
皇子に指摘されて、あれ、そんなに顔に出ていただろうかと思った。
「あの精霊のツノを見ていると、日本の童謡を思い出すの。赤鬼と青鬼が出てくる歌なのだけど、どっちのツノが一本だったか、思い出せなくてもどかしいの」
「…………おまえ、会話が噛み合わないと言われないか」
(……言われる。特に親しい幼馴染たちに)
呆れたように指摘する皇子の言葉に、内心で大きく肯定しながらほんのちょっと感傷的になる。気になったことがすぐに調べられないこの環境は、やっぱりちょっと寂しい。
いつか帰れるのだろうか。
その道を探すためにも、今は皇都へ向かわねばならない。
気を引き締めた時、最後の石柱に炎が灯った。
「デハナ。オ元気デ」
赤い精霊の挨拶が頭の中に直接響いた直後、渦を巻くような赤と黒の世界に引きずり込まれる。
あ、と思った時にはもう、自分の足元の床も消え、意識ごと渦の中に巻き込まれていた。
ほんの瞬きの一瞬だった。
ジャンプして着地をするような、それだけの時間。
すぐに足が床に着く感覚があった。
…………感覚は、ある。
が。
(……っ、目……目が、回って……っ)
転移門の扉前に立った時に感じた、あの渦に巻きこまれるイメージはこれだったのか。
馬車でさえ酔わずに済んだのにこんな一瞬の、それこそ瞬間移動とかいう瞬く間の時間で、こんなに酷い眩暈の様な状態になるとは思わなかった。
「––––––––?」
傍で誰かが声を掛けてきた気がする。
でも耳の中で反響して、音としか捉えられない。何と言っているのか。
手を取られたのを感じる。
もしかして移動するとかそういうこと?
(………待って待って、無理無理、今動いたら……っ)
「……おいっ!」
導かれて一歩を踏み出した瞬間、海夜の視界は暗転した。
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