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【三章連載中!】花びら姫の恋  作者: 師走 瑠璃
【第一章】花びら姫の恋
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第十一話 琥珀

 

 どうしよう。

 とっても困った。

 道に人が落ちている。

 何これ、と道端に倒れている少年を見下ろし、数舜考えてから傍らにしゃがみ込む。

 困ったと思ったのは、この道が我が家の私道だからだ。つまり、家族以外は用事のある人間以外通らない道。

 とりあえず顔を覗き込んでみる。

 そしてびっくりする。


 (き……っれいな顔……っ)


 眠り姫、という単語が浮かぶくらい秀麗な顔をしている。

 もしかして男子ではなく女子なのだろうか。

 閉じられた長いまつ毛が、頬に落とす影がいやに濃い。

 いや、骨張って筋肉質な体型を見ても身長を見ても女子ではない。

 女子ではないけれど、たぶん女子より綺麗な顔立ちをしている。肌もツルツルだ。ずるい。

 とりあえず、まだ春浅い山奥。こんな屋外で寝ていたら風邪を引く。


 「あの……ねぇ、起きて」


 意識があるのか確認しようと、肩に手を伸ばす。

 その手を勢いよく掴まれた。

 突然過ぎて小さく悲鳴が出る。足が滑って尻餅をつきそうになったが、掴まれた手を強く引っ張られて腰を支えられた。


 「…………っ」


 間近で顔を覗き込まれて息を詰める。

 綺麗な顔だと思ったあの少年が、転びそうになった腰を支えてくれていた。

 ありがたいのだけれど、近い。

 とにかく近い。

 これはアレだ。

 キスができる距離とかいう……。


 「……やっと会えたな」


 ため息のような声で囁かれた言葉は、以前から海夜を知っているかのようだった。

 そうして秀麗な顔が嬉しそうに綻んだ時、混乱しながらも胸を突かれる。


 こみ上げる感情を何というのか、名を知っているようで未だ知らず。



 きらきら光る思い出は、胸の奥に沈んだまま、泥のような眠りを貪っている––––––。



 ※※※



 聞き覚えのある声が聞こえる。

 耳心地いい低音。感情のない平坦な。


 「やはり、まだ本調子ではないのか?」


 でも何だか心配の色がある。その声に惹かれて薄ら目を開けると、ぼんやりと人影が目に入った。

 目を開けて驚いたのは、座ったままうたた寝をしていたからだ。

 いつの間に、と背筋を正す。


 「起きたか。診察の時間だ」


 話しかけられ顔を上げると、隻眼が目の前にあった。

 内心でひっと息を詰める。

 もうちょっと離れて欲しい。色々思い出すから。


 「……いつ来たの?」

 「先程だ。診察に立ち合うと言っておいただろう」


 朝見た時より髪が短い。ざんばらだったから、整えたのかもしれない。

 気を取り直すと、室内に医師夫婦と空地の姿が見えた。

 美津里が笑顔で手を振ってくれる。

 慌てて立ち上がろうとして手を貸してくれる皇子のさりげなさに、女性軍人達の熱い視線を思い出した。


 (モテる筈よね、この顔でこういう行動……)


 あまり近づきすぎないように、気をつけなければ。

 気を引き締めて皆に向き直る。


 「天地さん空地さん、わざわざお越し頂いてありがとうございます」

 「俺もまた会えて嬉しいよ。倒れたと聞いたけど、顔色は悪くないね。良かった」


 天地が爽やかな笑顔で挨拶してくれる。コーヒー色の濃い髪色に、茶色の瞳。

 二十代後半の彼は医師という職業も相まって、頼れるお兄さんという雰囲気だ。


 「母が余計なことを言ったようで申し訳ない。一言謝罪したいと弟が煩くてね」

 「そうなんだ。本当にごめん、うちの母焦ってて」

 

 (? 何のこと?)


 首を傾げかけて、美津里にも謝罪されたことを思い出した。


 「お嫁さんて話ですか? 気にしていませんけど」

 「うんまあ、君はね。でも、君にはこれから立場があるから」


 軽い返事にちょっと苦笑した天地は、海夜の隣りにちらりと視線を投げる。


 「大占家はどこも継承者不足だから、血縁者じゃない人間が屋敷にいると、色々勘繰られるんだよ。それを知ってのああいう発言は、母の配慮不足だ。君自身が気にしなくても、周囲に迷惑をかけるからね」

 「?? はい?」


 本人の意思は関係ないということ?

 理解できるようなできないような。

 やっぱりよくわからなくて、今度は首をはっきり傾げると、隣りで黙って聞いていた皇子が口を開いた。


 「––––––皇族としての立場を言っている。どこに耳目があるかわからないと」

 

 平坦に無感情な声で説明され、目を瞬いて見上げるが、無表情すぎて何のことなのかさっぱりわからない。


 「大占家の人間か訊かれたけれど、違うってちゃんと言ったわ」

 「そういう問題じゃない」

 「じゃあどういう問題??」


 察しが悪い海夜に、皇子は浅くため息をついた。そうして呆れた様子だが、しっかり目を合わされる。

 

 『皇子の妻としての問題だ。痛くもない腹を探られたいのか』


 唐突に日本語で説明されて、腑に落ちたと同時に気づく。

 偽装とはいえ結婚相手が有名人だと、自分一人の行動もスキャンダルという部類に結びついてしまうらしい、ということに。

 

 「えぇ……、そういうものなの?」

 「人の耳目は、色が付けば一瞬で広まる」

 

 (こわっ)

 

 拘りなく、神妙に頷いた皇子に笑顔が引き攣る。


 「まぁ、地方都市の大占家程度が相手じゃ、より大きな情報で上書きされるし、気にしないスタンスで正解だね」

 「大きな情報?」


 天地が付け足した言葉に首を傾げると、皇子は話を変えるように腕を組んで兄弟を見た。

 

 「大占は血筋主義の世襲だと聞くが、あなた方にその気はなさそうだな」

 「私は医師ですし、弟も向かないと言い切っていまして。やりもせずに何言ってんだ、とは思いますが」

 「兄さんのが向いた資質なのに、勝手に医者になるから」

 「俺は要らないこと言って相談者さんに嫌われるから、根本が向いてないよ」


 軽口のようなやり取りに何だか和んで、ちょっとだけ笑ってしまった。


 「天地さんて、うちの兄に似てます。肩に力の入らない感じとか」


 (できることも、敢えてやらない所とか)


 後半は笑顔で黙っておくが、天地はにっこりと笑った。


 「お兄さん? 似てるの? それは光栄だな。そうだ、医師といえば、殿下に申し上げなければならないことが」

 

 自分で話を振っておきながら、興味なさそうに兄弟のやり取りを眺めていた皇子に、天地は思い出したように言った。

 

 「聞こう。こちらも、海夜の怪我の状態を確認しようと思っていた」


 無表情のまま応じる皇子に、天地と美津里は頷き合い、二人揃って皇子を見る。


 「昨夕、祖父の信川里より指示がありました。両殿下と共に皇都に移り、皇宮医療室へ入るようにと」

 「貴種さまの診察もできるよう研鑽して参りましたので、医長の指示は妥当であると考えております。殿下方のご許可を頂ければですが」

 

 二人が口にした内容を耳にして、海夜は何度も瞬く。

 それは要するに、医師夫婦であるこの二人が海夜の付き添いとして、共に皇都に来てくれるということだろうか。

 正直嬉しい。魔窟だといわれる場所へ飛び込むには、一人きりでは少々勇気がいる。

 無表情のままの皇子を窺い、どう出るのかと固唾を飲む。

 ややあって、皇子は一つ頷いた。


 「それは考えていた。信川里が去った現在の医療室は、貴種を診るには不安がある。彼の孫と弟子ならば推薦するに足るだろう。海夜の安定した体調からも推し量れる」


 皇子が全てを言い終わる前に、海夜は二人の元へ駆け寄っていた。

 嬉しくて、美津里の手を取り馬鹿みたいに笑いかける。


 「ありがとうございます、美津里さん、天地さんっ。凄く嬉しい」


 けれど一緒に笑う美津里の奥で、複雑そうな空地に目がいく。

 そうだった。家族の考えもある筈なのに、簡単に喜んではいけなかった。


 「……あの、大占さまは何て……?」

 「昨夜兄さんから聞かされて、好きにしろってふて寝してる。好き勝手生きてるよ、この兄は。何かやらかしたら、遠慮なく放り出していいからね?」


 空地は投げやりに言った後、気遣わしげな目を海夜に向けてくる。

 それにまた笑うと「お前が言うのおかしくない?」、と天地は空々しく笑った。

 

 「話というのはそれだけか」


 場の空気など読む気もなく皇子が確認すると、天地はもう一つと首を振った。


 「彼女の足の怪我について、医長と意見交換したのですが––––……」


 この足の怪我が何かあるのだろうか。 

 天地が言い差した、その時だった。

 突如けたたましく警戒警報が鳴り響いた。

 耳を塞ぎたくなる不快な音に、美津里と共に身を竦める。


 《侵入者あり。総員警戒態勢をとれ。繰り返す。侵入者あり、総員警戒態勢をとれ》


 (侵入者?)

 

 警報と共に流れる館内放送に、体が勝手に緊張する。

 すぐに反応して動いたのは皇子だった。扉前を守っていた虎に、鋭く命じている。


 「虎、探ってこい」

 「承知」


 素早く出ていく虎を見送ることなく、彼はすぐに海夜へ振り向いた。

 

 「ここは軍施設だ。緊急事態は想定内だが、おまえの存在を知られる訳にはいかない。おれの指示なしに動くな。同席者皆にも同じことを言っておく」


 冷静に言い含められ、またしても有無を言わさず抱き上げられる。窓からも扉からも距離のある中央の長椅子に降ろされ、緊急事態に握り締めた両手が震えるのを、軽く片手で包んで解してくれる。

 優しいのか意地悪なのか、本当によくわからない。


 「扉を封じる。内外、この部屋に干渉することはできない。安心しろ」


 そう言って皇子が扉の鍵に軽く触れた時、扉を形作る木の精霊がこちらにウィンクしたのが見えた。

 その後すぐに、扉の外からノックされる。


 「上将、虎がご報告致します」

 「ご苦労。部屋を封じた。そのまま報告しろ」

 「は。侵入者の捕縛が成ったこと、現在確認される侵入者は二名、いずれも隠密兵であったことをご報告致します。狙われたのは檻舎内、強盗団頭目の独房です」


 静かに機械的に報告される内容に、皇子は小さく舌打ちしている。

 部屋内に満ちる緊張と不安に、皆で背筋を寒くすることしかできなかった。

 


 ※



 (どうしてこうなるの……)


 寝台に座り込んで、海夜は何度目かのため息を飲み込んだ。

 すでにとっぷりと日も暮れた夜。皇都へ移動予定だったはずの午後は、とっくに過ぎていた。

 昼間耳にした“隠密兵”という存在は、海夜の感覚では忍者やスパイ、そういう類らしい。

 その存在に“仕事“を命じた人物の一人が見つかったとかで、昼前に皇子は駆り出されて行った。

 「本件の本丸なので渡りに船でした」と教えてくれた虎の顔は、笑えないものを見たように引き攣っていた。これ以降皇子に逆らう気は起きないのでは、とも洩らしていて、海夜では想像つかないような出来事があったようだった。

 ……一体、何をしたんだろう。

 そうして移動は翌日に延期になったが、物申したい出来事は突然やってくる。



 “姫君を保護している場所での暗殺未遂騒ぎなど、皇子にとっては逆鱗です……。めても聞きませんので、姫君にはご迷惑でしょうが、ご容赦下さい……”



 (本当に迷惑です……)


 虎の、心底困った顔を思い出しながら、海夜は迷惑な存在を見て、今度こそため息をついた。

 夜も更けた寝室の長椅子に、積まれた書類と共に皇子が座っている。

 扉の外ではなく室内の長椅子に。

 海夜のため息に顔を上げた皇子は、やはり平坦なままの声で告げる。


 「もう休め。明日の朝には出るぞ」

 「休める訳ないわ。同じ部屋では寝られないって言った筈だけど」


 皇子だって、当たり前だと言ったくせに。


 「そちらには近づかない。扉も開けてある。応接室には美津里殿が待機している。何が不満だ」

 「わたしの中の、あなたの信用度の問題よ。突然キスするわ、お風呂についてくる気だわ、おまけに一緒の寝室って、何の冗談なの」


 指折り数えて再び腹が立ってくる。

 そう、この男はあろうことか、入浴にまで付いて来ようとしたのだ。

 慌てて虎が止めて、美津里に託してようやく引き下がった。

 何を考えているのか。らしくもなく、引っ叩いてやりたいと本気で思った。

 昼間の隠密兵は、強盗団の頭目の口封じの為に放たれたらしい。まだ仲間が潜んでいる可能性がある以上、海夜を一人にはできないという理由で、この男はこうして長椅子で仕事をしているわけだが、そうだとしても。


 (常識で考えてよ……)


 「入浴中は無防備だろう。護衛対象に欲情はしない。安心しろ」

 「……っ、どうして、そういう……っ」

 

 何てことを軽く言うのか。

 顔が熱くなる、悔しい。こんなデリカシーのない人の言葉に、動揺したくないのに。

 海夜のうぶな反応に、皇子は納得するように書類に目を落としたまま頷いている。


 「………あぁ、色々初めてなんだったな」

 「それ以上言ったら本気で殴るわ」


 決意を見せるように拳を固めると、皇子は喉の奥で笑い、書類に集中するように黙り込んだ。

 本当に意地が悪い。

 意地が悪くて、性格が悪くて、根性も悪い。

 けれどこんな風に身を張ってくれるし、仕事への姿勢は見ての通り誠実だ。

 最低な人だと思っても、こんな姿を見せられると、つい絆される。


 「……そうじゃなくて。ここではあなたがちゃんと休まらないんじゃない? 自分の部屋で、しっかり眠った方がいいでしょう? 護衛ならこの鈴の子がいるし」

 「黄の今の能力では伝令が限界だ。厳重警備のある軍施設内で暗殺未遂など、醜聞にも程がある。裏を返せば、それだけの力量の者を手配できる人間が、黒幕にいるということだ。おまえの存在が知れれば、あっという間に国外に連れ出されるぞ」

 「……何、それ」

 「それだけ貴種の女は貴重なんだ。特に貴種皇家の女は。まずは皇都におまえを連れていくそとが優先だ」


 何だか怖いことを言っている。

 国外って、……誘拐とか?


 「……脅かさないで」

 「事実だ。亜種にも琥珀の瞳は存在するが、貴種の琥珀瞳は黄花・サディルだとすぐ知れる。血筋を公言したくなければ、目隠しでもしていた方がいい」


 目隠しなんて……、そんなに目立つの?

 日本では少し色素が薄い程度の瞳が、こちらではそんな扱いなんて驚く以外ない。

 ああ、でも。


 「そう……、だからあなた、眼帯してるのね」


 何気なく呟いた言葉に、皇子が眉根を寄せた。


 「どういう意味だ」

 「え? そっちの隠している目、見えているのでしょう? どうして隠しているのか不思議だったけど、そっちが琥珀色なら凄く納得」

 

 思った以上の鋭い反応に、少々びっくりしながら言葉を重ねる。

 その辺の革の切れ端のようなぞんざいな眼帯なのに、小さな穴がいくつか開いていて、覗き穴みたいだと思った。そう思って皇子を観察していたら、片目が見えない人の動き方ではなかった。両目問題なく見えているなら、眼帯は違和感がありすぎる。

 考えていたことを素直に口に出したら、皇子は手にしていた書類を脇に寄せて立ち上がった。


 「ぼんやりしている割に、人をよく見ているな。少し感心した」


 眼帯に指を掛けこちらに近寄ってくるものだから、ちょっと待って、と思う。


 「こっちには来ないって言ってなかったっ?」

 「すぐに済む」


 及び腰で逃げようとする海夜の腕を捕まえて、皇子はひと息に眼帯を外してみせた。


 「考えてみたら、偽装とはいえ妻になる者に、この目を見せないのはおかしな話だったな」


 トーンの落ちた室内灯の柔らかな灯りの中で、晒された瞳が濡れたように金色に光った。

 海夜と同じ、濃い琥珀色の瞳。

 左の黒曜石の瞳との対比がはっきりと目を引く、左右異色の瞳。

 その神秘的な色合いが嵌まる顔に、思わず見惚れたことを自覚する。


 「………綺麗な顔」


 胸にすとんと落ちた感想をそのまま口にすると、皇子は一瞬気の抜けた表情になったが、すぐに呆れて苦笑した。


 「瞳を見せたのに、感想が顔か」

 「はっ、そういえばそうね」


 素顔が目の前にあったものだから、そっちに気を取られた。眼帯のない状態で顔を見たのは、初めてだったから。


 「目の色も含めて綺麗って言ったの。こういう言い方は変かもしれないけれど、似合ってるんだもの」

 「似合う? 大抵の人間はこの瞳に注意がいって、こちらの話を聞こうとしない」


 この造作の顔にこの色合いが入っていれば、大抵は見惚れると思う。とは、悔しいから口には出さないけれど。


 「だがおまえは驚かないな。左右異色の予想もついていたようだし。日本にはこういう目の者が多いのか」

 「え、まさか。基本的に両目一緒の筈よ。そういう人も実際いるらしいけど」


 たぶん、驚かなかったのは幼馴染の美鈴みすずがマニア気質で、ゲームやアニメや漫画の人物にハマる度に海夜を巻き込むからだ。

 何人かはこんな風に左右異色の瞳をしていたから、そういうのもありなんだろうと思っていた程度で気にしたこともない。


 (……そうかこの人、ゲームとかアニメの人物みたいなんだわ)


 ふと思いついた自分の考えに、内心で大きく納得した。

 けれど自分の腕を掴む、皇子の指先に意識がいく。


 (……いや、でも手があったかくて大きくて骨張ってゴツゴツしてるし、ゲームの人物は綺麗って思うだけでリアルに男の人だと感じることはないけどっ)


 腕を掴まれたままだという現実に気づいて、一気に混乱して狼狽えた。色々な思考が高速で巡る。


 「大丈夫か。真っ赤だぞ」


 ふっ、といきなり視界の中に皇子が顔を寄せてくるものだから、びっくりして息を飲んだ。

 眼帯のない素顔がどれ程の破壊力か、わかっていないのだろうかこの男。


 (これはゲームキャラ、これはゲームキャラ)

 

 内心で唱えながら、皇子の近すぎる顔を掴まれていない方の手で押し退ける。


 「……おい」


 呆れたような皇子の怒りの声が落ちてくるが、「近いのよ」と無視する。女子に簡単に近づけると思われたら大間違いだ。

 眼帯を外したまま皇子は腕を組んだ。


 「この瞳に違和感を感じるか」

 「? どうして? それがあなたの持つものなら、そういうものなんでしょう?」

 「……そうか」


 皇子の含みのある言い方に首を傾げた。


 「何か言われるの? だから隠しているの?」

 「黄花・サディルである事を宣伝したい訳ではないから、琥珀の瞳の方を隠しているだけだ。左右異色というだけで毛嫌いする者も中にはいる」

 「え、どうなのそれ。あなたの人となりを知っててもそうなの? だって、左右異色の目なんて、猫にもいるのよ」

 「………猫」


 (はっ、もしかして、猫っていう動物自体がこの世界に存在しない?)


 そう思った時、またしても皇子が吹き出した。


 「……はっ。……おれは猫か」

 「え、ちがっ、猫は喩えで……っ」


 慌てて取り繕おうとするが、そこで思い出す。


 「そういえば左右異色の目のこと、オッドアイっていうのよ。猫でもちょっと、格好良く聞こえるでしょ?」

 「……ふっ、はは。完全に猫扱いだな」


 (違う、そうじゃない)


 とは、もう訂正することもできず、猫はこの世界にもいるのねと、とりあえず学習した。

 ひとしきり笑って気が済んだのか、皇子は軽い身のこなしで海夜から離れた。その軽さに、海夜は思い出したことがあった。


 「今度こそ休め。邪魔したな」

 「……あのね、キアリズ皇子」

 「なんだ」

 「……物理的に、だけど……、あんまり近くで話さないで。……だって結婚って、偽装でしょう? いずれあなたと本当に結婚する人が可哀想だわ。家に帰る気でいる人間が将来の旦那さまの近くに居て、あんな風に顔を近づけて話しているなんて」


 昼間からぼんやりと気になっていたことを、この際告げておく。

 こういう立場の人に、将来を考えた相手がいない筈がない。本人が考えていなくても、候補の女性たちはたくさんいる筈だ。

 その人たちが今の海夜の立ち位置を見て、傷つかない筈がない。少なくとも自分だったら嫌だと感じる。

 そう思ったから、言葉にした。


 「……ふぅん?」


 けれど気のない返事をして、彼は眼帯をくるりと指で回した。


 「––––––わざとだったら?」


 一言残して背を向け、再び書類を手にしている。海夜の反応など全く気にせずに。


 (何よ、それ)


 心臓が耳障りな程鳴るのが邪魔だった。

 金色に光る瞳が、深い黒曜石色の瞳が、怖い程真摯に、こちらを見たことに気づかないふりをする。


 「………もう休むわ。おやすみなさい」

 「ああ、おやすみ」


 やはり、全く気のない返事。

 天蓋のカーテンを下ろし、布団の中に潜り込んで目を強く閉じる。

 無関心に見えて真摯で、意地悪なのに実は優しいとか、あの諸々のスペックでそれはやりすぎだ。普通に異性に興味のある人間には、さぞ魅力的だろう。

 でも自分にそういう感情があるのかと問えば、実は答えは薄い。

 恋愛に全く興味がない訳じゃない。

 けれど、高校入学直後に事故に遭って記憶障害を起こしてから、自分の身に異変が起こった。異性への興味が消失したのだ。

 元々恋愛に大きな興味はなかった。

 けれどそれが、一層薄くなった。ノート一冊分の厚みが、和紙数枚にまで減った感覚だ。特段不便がないので焦りもないのだけれど。

 記憶障害の原因の事故は、家族から何度説明されても朧な記憶に溶けて、自分の中に定着しない。

 それこそが記憶障害だと言われるのだが、不都合を感じないので放ったらかしだ。

 でも家族が歯に物が挟まった言い回しで気を遣ってくるのが、時々ひどく鬱陶しい。


 このままでいいの。

 変化なんていらない。

 たゆたうように流されて、静かに時を重ねたい。

 穏やかな水の中で目を閉じ耳を塞いでいれば、何も感じなくて済むから。

 感じなければ見なくて済む。


 こわいものを––––––––。




お読みいただきありがとうございます♪


ブックマーク等大変嬉しいです。

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