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【三章連載中!】花びら姫の恋  作者: 師走 瑠璃
【第一章】花びら姫の恋
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第十話 期待したくない




 事実を聞いてへたり込んだ海夜の前に、皇子が片膝をつく。


 「異世界って……」


 どうしてそんな所に来てしまったのか。

 そんなものがあること自体、考えたこともないのに。


 「この国には年に五〜六人、多い時で十人程度、異界にある日本という国から迷い込む人間がいる。我々はそれを“来訪者”と呼ぶが、それらの人々は何かしらこちらに縁があるらしい。おまえの場合は、祖母がこの国の住人だった。それで引き寄せられたんだろう」


 何の感情もなく淡々と語られるのが、今はありがたい。平坦な声は感情的にならずに済む。


 「……帰れるの」

 「帰った者はほぼいない。だが一つだけ、日本へ行く方法があることはある」


 皇子のその言葉に勢いよく顔を上げる。


 「おまえの祖母はその方法で日本に渡った」

 「どうすればいいのっ!?」


 皇子の言葉に食い気味で飛びつくが、彼は動じずに言葉を続けた。


 「こちらとあちらを隔てる扉がある。その扉が開くのを待つしかない」

 「いつ開くのっ?」

 「間隔としては五十年に一度だ」

 「……五十年。……次に開くのはいつなのか、知っているっ?」

 「………二年前に一度開いている。次に開くのは、四十八年後だ」

 「…………よん、じゅうはち」


 眩暈がした。

 普通に過ごしていれば、まだ寿命の範囲内といえるだろうか。

 けれど今の自分では一年後のことだってうまく想像つかないのに、四十八年後だなんて。

 実質、帰れないのと同然だった。


 「あまり深刻になるな。他にも方法はある」


 立ち上がって膝の土を払いながら皇子は軽く言う。

 帰った人はほぼいない、と言っていたのに。


 「来訪者が扉を使って日本に帰っても、結局またこちらに迷い込む。逆に、元々こちらの者が日本に留まることはできない。だが夜花はその通例を破り、日本で生涯を送った。それを実現させた存在がいる。そいつを動かすしかない」


 どこまでも平坦に、感情的でもないが深刻になることもない皇子に、海夜の波立っていた気持ちも落ち着きを取り戻していった。

 立ち上がろうとすると手を貸してくれる。


 「結果がどうあれ、一時的におまえはこの国で過ごすことになる。その間のおまえの身の安全は、おれの役目と立場からすると第一の優先事項だということだ」

 

 役目と立場––––––。

 “皇家の守護者“とかいう役目と、“親戚の皇子“という立場……?

 じゃあ全て義務なのだろうか。彼の行動原理が、その二点に拠っているのならば。


 そこに意志は。

 感情は?


 薄明だった空気が、宿舎の間から射した朝陽に一気に色づく。

 眩しさに目を細めると、皇子が踵を返すのが見えて海夜は慌てて問いかけた。


 「あなたは?」


 質問の意味を図りかねるように、疑問の浮かぶ目で皇子は振り返る。


 「あなたの意志はそこにあるの? わたしの安全を優先することで、あなたが不利益を被ることもあるでしょう?」

 「不利益?」


 海夜がモヤモヤしている問題は、お互いに簡単に決めていいことではないはずだ。

 緊張するけれど、きちんと確認しなければ。

 覚悟を決めるように、ごくりと喉を鳴らす。


 「“結婚“って、わたしの身の安全とかいうのと、繋がっていることなの?」

 

 ひと息に言葉にする。

 それを聞いた彼は一瞬だけ目を瞠り、すぐに無表情に戻った。冷淡ともいえる感情のない顔に、こちらの背筋も冷たくなる。


 「……それをおれの不利益だと考えるのか」


 確認するような問いかけだった。

 無表情なのに、肌に刺さる空気に嫌味が込められている。……ような気がする。


 「……どの立場で言っているかにもよると思うわ」


 (……失敗だったかも、この質問)


 何となく機嫌を損ねたような。

 腰の剣に添えられた指が、とんとん、と柄を弾く。それは猫がしっぽで不機嫌を表す行動とよく似ていた。

 たぶん海夜自身が納得できていないから自己投影なのだろうが、それでもあの手の動きは気になる。


 「どの立場であってもおれに不利益は少ない。むしろメリットの方が大きいだろう、お互いにな」

 「……義務的に“結婚“を振りかざすあなたと、わたしみたいな庶民じゃ“結婚”に対する意味も価値観も違うわ。どうしてお互いになんて言えるの?」


 “結婚“に対してメリット、なんて言ってしまえる神経に腹が立つ。

 こっちはまだ恋もしたことがない初心者なのよ! と理不尽な怒りが湧く。

 すると皇子は、奇妙なものを見るように腕を組んだ。


 「“意味と価値観“。そんなものを擦り合わせていたら、結婚する人間が極端に減るんじゃないか」


 冷血。横暴。性格悪い。

 罵詈雑言が口から飛び出そうになるのを、ぐっと堪える。


 「……わたしは子供だけど、“結婚“への憧れは人並みにあるのよっ」


 引っ掛かっているのはそこだ。

 皇子はずっと義務的で、感情に起因する言葉がない。

 鼻息荒く抗議すると、彼はようやく理解したと頷いた。


 「そういうことか。“結婚“というのは表面上だ。おまえの憧れる“結婚“とやらを、汚すつもりはない」


 軽い軽ーい言葉に、盛大に眉間を寄せてしまう。


 (はあぁっ?? 表面上っ???)


 「表向き夫婦になれってこと? お互いの人生は縛るのに?」

 「おまえの身も、おれの皇家内での立場も守られる。皇宮は魔窟だ。身一つで飛び込んで無事でいられると思うな。第一皇子の妃という立場は盾の一つになる。……家に帰りたいんだろう、海夜」


 唐突に、確認するように落とされた言葉に、海夜の臨戦態勢だった気持ちがグッと立ち止まる。息を詰めてしまったのは、簡単に見破られただろう。

 周囲を困らせると思って口にしなかった望みを、はっきりと形にされて心臓が痛い程脈打った。

 声が詰まって返事もできないのを、皇子はどう見たのか。

 

 「………その道を見つけるまでの、身の安全を確保する一つの手段だと思っておれを利用しろ。おれは皇家の為に存在している」


 (……この人……)


 素っ気ない口ぶりなのに、堪えるように口を引き結ぶ海夜から目を逸らさず、皇子は穏やかに諭すように言葉を重ねる。

 声が詰まって喉が痛い。“手段”として“利用”なんて、自分のことを投げやりに差し出すような言葉にも胸が痛む。

 大きく息を吸い込むと、思いがけず涙が零れた。

 どうして涙が……?

 でも、心細くて麻痺していた心に、この時何かが芽生えたのは確かだった。

 勝手に出る涙を止めようがなくて、そういえばここに来てから初めて涙が出たことに気がつく。

 あれだけ優しく気を遣われていたのに、まだ我慢していたのかと驚くが、そうか。

 自分は泣くほど、家に帰りたかったのか。

 涙のきっかけを作った張本人は、相変わらず無表情のままそこに立っている。

 泣いている子を慰める気もない朴念仁。

 でも、慰められても正直困る。

 だからこれでいいわと、海夜はスッキリした気分で顔を上げた。


 「……わかったわ。そう言ってくれるなら、それに乗る。……結婚って好きな人とするものだと思ってたけど、こんな結婚もあるのね」

 「縛る気はない。恋愛も自由にしろ」


 付け足された言葉に涙を拭いながら笑った。


 「そんな常識外れできないわ。結婚っていう形を取る以上、あなたの不利益にならないようにそれなりに頑張ってみる。あ、でも」


 止まらない涙に困りながら、冗談のつもりで一言付け加えた。


 「色々制限はあるけど。同じ部屋で寝ることはできないし」


 それを聞いた皇子の反応に、涙が引っ込んだ。

 眉間に皺が寄ったのは確かだったが、今までのような不機嫌な反応ではなく、一瞬の動揺が顔に表れた気がしたのだ。

 「当たり前だ」と素っ気なく流す彼に、意外すぎる一面を見た気がした。こういう反応もするんだ、とちょっと面白くなる。

 だからつい、好奇心で思いついたことを口にした。

 そして、直後に後悔した。


 「わたし、男の人の長髪って苦手だからそこは残念だけど、あなた似合ってるから……」

 

 気にならないわ。


 そう続く筈だった言葉は、最後まで言えなかった。

 皇子がおもむろに腰の短刀を引き抜き、躊躇いなく自身の髪を、結っている紐の根本から切り落としたからだ。

 突然すぎる行動に声が出ない。

 軽くなった頭を確認するように振って、彼は前髪をかき上げた。


 「これでいいか」

 

 ざんばらながら短髪になった皇子が、切り落とした髪を手に、海夜に視線を流す。

 行動も驚いたがその視線が強すぎて、その場に縫い付けられたように動けない。

 「な、何してるのっ?」と、間抜けに訊ねてしまう。


 「それなりに頑張ると言ってくれた花嫁への敬意だが。不愉快な見た目よりはいいだろう?」


 当然のように答える彼に、海夜は青ざめた。


 (この人……、極端!)


 軽口でここまで後悔することになるとは思わなかった。

 もうしない……。もう絶対に、この皇子を試すようなことはしない。


 「不愉快だなんて言ってないわ。似合ってるから気にならないって言いたくて……ああ、綺麗な黒髪、勿体ない……」


 尻尾のような髪の名残にため息が出る。

 海夜が憧れてやまない、黒髪ストレート。

 平尾家は皆色素の薄い系統なので、小さな頃から風に靡く黒髪に憧れてきた。

 海夜の個人的な憧れだが、それを惜しげもなく切り落とす、彼の執着のなさが残念すぎる。


 「別に未練はないんだが。そんなに惜しまれるとは思わなかったな」

 「自分が持っているものの価値を知らないから、そんなことができるのよ……。わたしにはとっても羨ましい髪質なのに……」


 彼の手の中の名残にそっと触れて、やっぱり羨ましい手触りだったと思う。

 海夜のため息混じりの言葉に、皇子は面白そうに反応した。


 「“持っているものの価値を知らない“か。中々興味深いことを言う。自分の価値を知る者が、世の中どれ程存在するか」

 「さあ……。知っていればとっても生き易くて、そしてつまらないんじゃない?」


 髪の名残をいじるのをやめて皇子を見ると、面白そうな目をしたまま彼は先を促した。


 「というと?」

 「価値を知るって大事だけど、枠を決めてしまいかねないもの。枠の中って楽かもしれないけれど、挑戦することも躊躇っちゃう気がするわ。あなたはわたしが髪を褒めていても、こんなにあっさり切ってしまっていた?」

 「状況次第だな。おまえがそんなに気に入っていたなら、考えたかもしれない」

 「……髪が短くなることで、モテ指数が上がる未来を、捨ててしまうことになっても?」


 海夜の不穏な言い振りに、皇子は訝しげに眉を顰めた。


 「“モテ指数“?」

 「あなた、この髪でまた女性に騒がれると思うわ」


 質問をさっくり切り捨てると、その言葉を反芻するように皇子は少し考え込んだ。

 そして返る、一拍置いてからの反応に、海夜の方が度肝を抜かれる。


 「……っふ、は……っ」


 堪えきれないように、小さく吹き出したのだ。


 (………笑った!?)


 鉄面皮で愛想のない彼が、心底おかしそうに肩を揺らして笑っている。


 「……確かに、価値を知らないかもな」


 あけぴろげに笑った訳ではない。

 けれど感情を表に出した態度に、今までの落差で海夜の方が焦る。


 「……はぁ、……久々に笑った……。おまえと話すのは、結構楽しいな」

 「け、結構って、上からね。失礼だわ」

 「そうか。混じり気なく楽しいよ」


 海夜の遠慮のない苦情にも、更に面白そうに口の端を上げて彼は訂正した。

 何となく心臓が大きめに鳴っている気がして、気が散る。


 「午後には皇都に発つ予定だが、その前に診察を受けるんだろう? それはおれも立ち会う。天地殿への礼と訊きたいことがある」

 

 おかしそうにしていた態度はすっかり消え、皇子は元の無表情に戻っていた。


 「忙しいのではないの?」

 「雑務は完了した。頭目の尋問は皇都でもできる」


 出張中の仕事は、終わらせたということだろうか。


 「部屋に戻れ。まだ無理はするな。体調次第では皇都への出発も遅らせる」

 「……あの、キアリズ皇子」


 踵を返した彼を呼び止めると、踏み出しかけていた足を止めて、彼は振り返った。


 「倒れた時に迷惑かけてごめんなさい……。それと、一晩付き添ってくれたって聞いて、……ありがとう、その……あなたの方こそ無理しないで」


 素直にきちんと礼を伝えられたことに安堵して、緊張していた頬が緩んだ。

 この話を聞いた時は戸惑ったが、正面から話した皇子はまともで、最悪だった印象も薄らぐ。

 心からの礼が言えたのは、海夜自身のそういう心境の変化も大きかった。 


 だから油断した。


 お礼が言えた、と胸を撫で下ろした時、ふと朝陽を遮る影に気づいて顔を上げた。

 次の瞬間に唇で鳴った、チュッという音に、んん? と首を傾げた。

 パチリ、と瞬くと、目の前という至近距離にある、漆黒の瞳と目が合った。

 顎に添えられた指と、この距離。

 さっきの音と、この距離が物語ること––––––。

 思考が指先まで到達した瞬間、全身に火がついたような熱さが駆け巡った。


 「っっっな……っ! ……ふっ、ふふ、フリなんでしょうっ!?」


 (夫婦というのは!)

 

 言外の叫びに、やらかした目の前の男はあっさりと頷いた。


 「フリだな」


 簡単に冷静に答えた彼に、イラッと怒りが湧く。


 「じゃあ、今のは何っ!!」


 追求するのも恥ずかしい。免疫がないだけに尚更。

 怒れる海夜からさっさと離れた皇子は、ちょっと考える素振りで首を傾げながら、軽く軽く言い放った。


 「かわいかったから」


 (………はああぁぁっっ?)


 悪気なく答えた彼に、どういう神経をしているんだと盛大に眉根が寄る。

 この人は衝動でそういうことをする人なのだろうか。

 動物なの!?


 「かわいいと思ったら、誰にでもキスするのっ、あなた!」

 「まさか」


 心外だというように眉を上げて、皇子は腕を組んだ。


 「状況によるだろう」


 つまり状況が許して、好みの相手ならキスする、と––––––。

 真面目かも、なんて思った自分はなんて世間知らずのお馬鹿だったんだろう。

 目の前のこの男は、たぶん数多くの女性を誑かしてきた、自分が最も苦手とするタイプの、かっるい軽ーい男だ。

 さぞかし経験豊富で、ちょっとパーソナルスペースを侵されて抵抗を感じるようなお堅い女は、青臭い小娘に見えることだろう。 

 拗ねたような気持ちを、ムカムカする怒りで目隠しして顎を逸らす。


 「わ……っ、わたしは自慢じゃないけど、初めてなんです! そういうことは、本当に好きな人としかしたくないの!」


 余計なことを言った。

 という自覚はなかった。あまりの怒りで。


 「……初めて? ……おまえ、いくつだ?」

 「十八ですけどっ、年齢としは関係ないでしょうっ?」

 「……そうか。気の毒に」

 「どういう意味でっ!?」


 無表情で言われると尚腹立たしい。

 

 「とにかく、いくら結婚っていっても嘘なんだから、こういうことはもうしないで! わ、わ、わたし、これでも結婚の約束をした人がいるので!」


 見栄を張った。

 という自覚はしっかりあった。でも口が止まらなかった。


 「……口づけも未経験で結婚の約束」

 

 皇子の小馬鹿にしたような確認に、(そうよね、おかしいと思うわよね!)と自分でも内心で突っ込んでいるが、結婚の約束は本物だ。

 ……たぶん。

 子供の頃の、曖昧な記憶だけれど。


 「その相手は日本にいるのか」

 「え。……ええと……」

 

 突っ込んで欲しくない所を突っ込んでくる辺り、やっぱり根性が悪い。


 「あなたに関係ないでしょうっ? とにかく、わたしはその子のことが好きなので」


 動揺が諸々言葉の端々に表れて、その“子“と言ったことに皇子が首を傾げたが、気づかないふりをする。


 「だからわたし、本当に好きな人と結婚することを、諦めていないから!」

 「それは重畳。さっさと帰り道が見つかるよう願うんだな」


 やっぱり意地悪だ。

 ちょっと見直したのに。まともな人なのかも、と思い直したのに。

 勘違いだった。

 気を許しそうになった自分に後悔した時、宿舎内に大きなベルが鳴り渡った。


 「起床のベルだ。歩哨の交代時間だな」


 皇子が宿舎を見上げて呟くのを耳にして、随分長く話し込んでしまっていたことに気づく。美津里も起き出してくるだろう。


 「いけない、戻らなきゃ」


 部屋へ戻ろうと、慌てて動いて足の傷に響く。

 ずっきーん、と背中まで上ってきた痛みに、息を飲んで無言で耐えていると、皇子がため息をついた。


 「いい加減、自分が怪我人であるという自覚をしろ」

 「自覚はしてるわ……。忘れてしまうだけで」

 「……それは自覚がないと同義だろう」


 海夜の答えに更に呆れて、皇子は左手を取った。


 「支えてやる」


 そう言って、こちらの歩調に合わせて腰を支えてくれるものだから、本当に嫌になる。

 優しいのか意地悪なのか、はっきりしてほしい。どういう人なのか、わからなくて混乱するから。

 だって、人間くさくてこわいんだもの。

 人形のような冷血ぶりを、できることなら最後まで貫いてほしい。

 でないと、昨夜のように無意識に期待してしまう。

 だからつい、浮かんだ考えに皇子の左手首を見つめた。

 あの花は、誰の手首に浮き上がるのかと。

 あの夢の中の男の子と皇子の共通点なんて、黒髪ぐらいしかないのに。

 バルコニー下の階段まで支えて、離れる彼の手袋を、思わず指先で留めてしまった。


 「まだ何かあるのか」


 不思議そうな声に我にかえる。

 無意識だった。考えてみれば手首同士をくっつけるなんて、キスを交わすのと同じぐらい恥ずかしい。

 慌てて手を離し首を振る。

 そうして、庭園の向こうに去っていく皇子を見送り、ため息を飲み込んだ。


 ここに来た事はないのに、どうして“櫻“の風習を知っているのか。

 自分の中に自分の知らない何かがある。

 まずは自分を疑ってみなければならない。

 でなければ、きっとずっと期待してしまう。


 期待したくないのに。



 ※



 「皇子、やりすぎです」

 「何がだ」


 日課の剣の鍛錬後の主人を迎えに出た虎は、そこに意外な人物を見つけ、人払いのためにも遠くから二人を見守っていた。

 結果、一部始終を見届けてしまった訳だが、主人の振る舞いの中には、皇女に敬遠されても文句は言えない所業があった。


 「姫君にあれは、少々酷ですよ」


 どう見ても皇女は無垢なままだ。

 異性に不慣れな相手に理不尽な真似をするのは、主人らしくないし虎も納得できない。


 「もっとひどくした方が良かったか」

 「そんなことは言っていません。あれでは貴方が嫌われるだけです」

 「それでいいんだが。里心がついても困る」


 やはり、わざとか。

 やれやれとついたため息が気に障ったのか、彼は小さく舌打ちした。


 「文句があるならおまえが対応しろ」

 「私は既婚者ですよ」

 「ありがたき幸せとは言わんのか」


 嫌味を言われるが慣れたものだ。


 「とにかく、人目は気になさって下さい。噂はお耳に入っていると思いますが、一昨日の件も先程も。姫君の出自に気づいている者は、まだおりませんが早晩気づかれます。あの瞳で気づかれない方がおかしいでしょう。ここの者達は元は皇都の住人ですよ。皇都の話題に飛びつく傾向にあるものを、わざわざ餌を与えてどうなさるおつもりで……」

 「長ったらしく煩い。噂にしたければすればいい。むしろ利用してやるだけだ」

 「……あまり賛成できません。貴方が守護者を自称するのならば、姫君のお心まで気遣われるべきでは」

 「鬱陶しい」

 「貴方のお考えと、姫君がここに来てしまったことは、別であると考えますので」


 こちらの忠言を切り捨てた主人に、更に踏み込んで発言すると嫌そうに睨みつけてくる。

 こうして表情があること自体が珍しい。

 ここ数日は主人の人間らしい変化が見えて、虎としては嬉しい限りだ。

 何年も自身の変化を望まなかった彼が、髪を切った。

 特に切ることを勧めはしなかったが、それを躊躇わず選択した主人は、自身の微妙な変化に気づいているだろうか。


 「天地殿が海夜の診察に来る筈だが、予定の調整は利くか。診察に立ち会う」

 「頭目たち幹部の皇都移送に関して確認が。その後でしたら調整が利きますが、気になることでも?」

 「足の怪我の現状を聞く。ただの傷の割に落ち着かない。貴種の治癒能力から考えれば、少々異常だ」


 確かに。開いてしまった傷を縫い直したと聞いたが、貴種の治癒能力ならば最初の治療で落ち着くのが普通だ。

 皇女に関して神経を尖らせる主人が、それを気にかけるのは当然だった。




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