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【三章連載中!】花びら姫の恋  作者: 師走 瑠璃
【第一章】花びら姫の恋
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第九話 異世界


 大きな窓辺に座り込んで空を眺める、黒髪の小さな少年の背を、海夜は横になった視点で眺めていた。

 ああ、これは夢。

 そう確信できるのは、少年にこちらを向いてほしくて持ち上げた自分の手が、柔らかく小さく幼かったからだ。


 “どうしたの? 痛い?”


 振り向いてくれたことが嬉しくて、気を引きたくてこくりと頷く。

 本当に顔が痛いから、うそじゃないもんと自分に言い訳をして。

 陽光に透けて、少年の瞳の緑が同情するように揺れた。


 “かわいそうに。治ったとしても、跡がのこっちゃうぐらいの怪我なんだ。痛くないわけがないよ“


 優しく髪を撫でてくれる手が嬉しくて、うふふ、と笑った。


 “だいじょうぶだよ。大人はみんな女の子のかおに傷がって大さわぎしているけど、大きくなったら僕がお嫁さんにするから! しんぱいないよ“


 ほんとう? ほんとうに? およめさんにしてくれる? ずっといっしょにいてくれる?


 “うん、本当だ。やくそくだよ“


 にっこり笑ってこちらの左手を取る。

 自分の左手首とこちらの左手首を擦り合わせるようにくっつけると、少年は目を閉じた。


 “〈番の花〉“


 少年が幼い声で唱えるように呟いた言葉が力をもち、くっつけあっていた手首から薄紅色の光が洩れた。

 びっくりして慌てて手首を見ると、五枚の花びらを持つ花の図形が手首の内側で光っていた。痛くも痒くもないけれど、不思議な光景に見惚れる。


 “櫻っていうんだって。花を見たことはないけど、恋人を追いかけるみたいに花びらが散るんだよ、って聞いたんだ。番の花はもともとべつの花のことだったけど、今ではこの櫻が番の花なんだって“


 ? つが……? なぁに?


 “番の花だよ。結婚のやくそくをしたしょうこ。おんなじ図形をもつ人どうしが手首をくっつけると、花がうきあがるんだ。それで、この人がやくそくした人だっていう、しょうめいになるんだって”


 一生懸命説明してくれるけれど、聞いている自分は半分も理解できない。

 難しいことはわからないけれど、この手首の絵がある限り、少年とは離れなくて済むのだと思い安心した。


 “僕たち、櫻になったんだよ”


 そうなのね、お花になったのね、とよく考えずに口にした。

 嬉しそうに笑った少年の笑顔が優しくて、一緒に笑った。





 ––––––これは何の記憶?


 記憶を夢で見ていると無意識に自覚して、海夜は目を開ける。

 幸せな気持ちに胸が痛くなった。この国に来て、こんなに切なくなる夢を見るのは初めてだ。

 “番の花”という言葉に、美津里との昨日の会話を思い出す。


 (ああ、だからこんな夢を見たのね)


 “櫻”はこの国の風習らしいのに、知っている自分が不思議だった。

 あの小さな男の子は誰だろう、顔の怪我って何のことだろう、と疑問に思うそばからその疑問自体が淡雪のように消えていく。

 疑問を感じたことも曖昧になり、“櫻“の約束を交わした、という記憶だけが残って起き上がった。

 寝台の天蓋カーテンの隙間から部屋を伺うとまだ薄暗い。

 柱時計と思しき物は、針の位置から朝も早い時間だろうと思われた。窓辺のカーテンの隙間から入る光は、確かにまだ夜の名残を引きずった薄明の光だ。

 けれど、もう眠れる気はしなかった。

 少し痛む足を庇いながら寝台を降り、水差しの水を口にした時、鳥の鳴き声の中に微かに違う音が聞こえることに気づく。

 耳を澄ませてみると、何かが空気を切る音だった。

 裾の長い寝巻きの上にショールを羽織り、カーテンの隙間から外を覗いて音の正体を探る。

 中庭らしきレンガ敷きの小さな広場と、それを囲む庭園が見えた。

 その広場で、一人剣を振るっている人物が確認できる。

 二階からの遠目だが、ぬばたまの黒髪を束ねたあの長身は、おそらくキアリズ皇子だ。


 (……こんな朝早くから……)


 昨日は美津里が海夜の回復を報告した後も何の音沙汰もなく、就寝前にほんの少し、扉から覗く程度という忙しさで様子を見にきた。

 親戚とはいえ知り合ったばかりの他人同士。おまけに出張中で超多忙だろう皇子さまだ。

 まあ、こんなものよね、と思った。

 心配されていた訳ではない。当たり前なのに少し落胆する自分に気づいてげんなりした。


 この国で唯一血が繋がっている。


 そんな事実に、心のどこかで頼っていたのかもしれない。

 心が勝手に期待している。

 “結婚“なんて単語をチラつかせた相手に、冷たいと感じてしまうのだ。

 じゃあ優しくされたいのかと自分に問えば、否、と返ってくる。期待しても仕方がないと。自分でも自分の心を把握できない。

 ただ不安で心細くて、他の感情があまり揺れ動かないのも原因かもしれない。


 (でも“結婚“って唐突すぎて引くし、どんな考えでそんな結論になったのかは知りたい気がする)


 見回すと、窓の外のテラスに庭園へ降りる階段が備わっているのが確認できた。

 肩のショールをしっかり巻いて外へ出ると、早朝の冴えた空気に包まれて気分がスッキリする。

 そうして降りた階段の先には、朝露を浴びた花々が陽の光を待ち侘びて今にも綻びそうにかんばせを持ち上げている。よく手入れされているらしく、花々の香りに混ざって土のいい香りが鼻先をくすぐった。

 ざあっと音を立てて風が吹き抜け、虹色の翅を持った小さな精霊達が空高くに舞い上げられていく。

 二度、三度と同じことが繰り返され、儚い存在達が空の中に消えていく光景は美しかった。


 (しゃぼん玉みたい……)


 ぼんやりと精霊達を見送っていると、庭園が切れたレンガ敷きの広場のすぐそこに、皇子が立っているのが低木の間から見えた。

 海夜と同じように空を仰ぎ、精霊を見送っている。

 それも束の間だった。

 空に向けていた隻眼を、ゆっくりこちらに向けてくる。どうやら海夜がここにいることに、気づいていたらしい。


 「早いな。素振りの音で起こしたか?」


 抜き身のままだった片刃の剣を鞘に納めながら、訊ねる声は静かで落ち着いていた。


 「昨日沢山寝たから目が覚めちゃったの。あなたこそ、早いのね」

 「おれはこれが定時だ」


 さらりと超人的なことを言う皇子に驚いて、その顔をまじまじと見てしまう。

 だって、昨夜海夜の様子を見に来てくれたのは、さほど早い時間ではなかった。きっとあの後だって仕事をしていたのだろう。

 昼間はあちこち飛び回っていて執務室にいなかったと美津里から聞いたし、出張中とはいえこんなに忙しいものだろうか。

 (この人ちゃんと寝てるの?) と疑いの視線を向けると、逆に疑問の目が返る。


 「身体はもういいのか」


 まさかの気遣う言葉。

 期待しない、とついさっき切り捨てただけに、カウンターを食らったようにびっくりする。


 「…………お陰さまで。熱も下がって、すっきりしてるわ」


 びっくりした分、返事が遅れたのが誤魔化したと捉えられたのか、皇子はこちらに近づいて間近に顔を覗き込んできた。


 (近い。近いんですけど)


 「……まぁ、昨夜よりは顔色も良いか。だが全快ではないだろう。ひどい高熱だったぞ」


 (この人のパーソナルスペース、どうなってるの?)


 疑問に感じる程の近さで顔色を確認されて、動くに動けない。

 急に逃げ出しても失礼な気がするし、かといってこの距離は平静でいられる距離でもない。

 内心でぎゃあぁ、と悲鳴を上げていた海夜は、近づいてきた時と同じ軽さで離れた皇子に内心で胸を撫で下ろす。

 そうして場に落ちた一瞬の沈黙を、先に拾ったのは皇子だった。


 「……悪かった」


 唐突に謝られて耳を疑う。


 (え? 謝った? 聞き間違い?? 

 ていうか、何に対して謝ったの? 顔が近すぎたこと??)


 謝ってほしいと思うことは沢山あるけれどどれだろう、と盛大に心の声が顔に出ていたのだろう。

 海夜の眉間の皺をチラリと見て、皇子は軽く息をついた。


 「体調を崩していたことに気づいてやれなくて」


 (あ、それのこと)


 思い当たった色々な出来事ではなかったことに、肩すかしのような気分になる。


 「あなたが謝ることじゃないと思うわ。わたし自身が自分の体調に気づけていなかったし。それにあなた、体調悪いのか訊いてくれたじゃない」

 「結局倒れるまで気づいてはやれなかった。もう少し早く休ませるべきだった」

 「……でもわたしが鈍くて気づけていなかっただけで、遅かれ早かれ倒れていたと思うのだけど」

 「環境が激変した上、悪鬼に襲われたり自分の出自を知ったり、賊の件もある。心労が重なっていたことは予測できた。周囲が気遣うべきだったと言っている」

 「………あなた、意外と真面目なのね」


 融通が利かないというか。

 何を言っても否定する皇子に呆れた心境で呟くと、彼は少々考えるように首を傾げた。

 

 「そうだな……おまえに関しては、そうなるだろうな」

 「……え」

 

 何だか特別だと言われているような物言いに、頬が熱くなる。

 心臓がどきりと大きく音を立てた気がして、ショールを掻き合わせる手にじわりと汗が滲む。


 「……違うな。皇家の血筋に関しては、曲げられないこともある、と言うべきか」


 海夜の反応など全く気づきもせず、自身の言葉に疑問を持つように首を傾げ、すぐに否定している。

 あっさり手の平を返されて、強く眉が寄ってしまった。


 (この人……、わざと?)


 ほんの一瞬、ときめきを覚えた気がしたのも綺麗さっぱり消失した。


 (ときめき? 違う、錯覚よ)


 自分の心の動揺を冷静に訂正して、海夜は気を取り直すように「どういうこと?」と尋ねた。

 どうせ訊いても、まともに答えてくれないのだろうけれど。


 「“皇家の守護者”という役目がこの国にはある。何をおいても皇家を丸ごと無条件で守護し、盛り立て、見守っていくという役目だ。おれはその役目を拝している。今現在、この国で本当の意味での皇族はおまえ一人だ。だから、おまえの守護はおれが担っている」


 とう々と語り出した皇子に驚いて、ポカンとしてしまった。

 厨二病的な内容にも驚いたが、何より皇子に驚いた。


 「なんだ」


 口を開けたまま間抜け面で皇子を凝視したものだから、皇子の方も不審そうにこちらを見てくる。


 「……質問に答えてくれたの、初めてだったから……」


 まさか、素直に答えてくれるとは思わなかった。


 「貴種の話を美津里殿から聞いたんだろう。そろそろ頃合いだから話すだけだ」

 「わたしが慣れてきたから?」

 「慣れたようには見えない。だが美津里殿の言う通り、貴種の女だという自覚がないことは恐ろしい」


 ? 

 貴種の性別が関係あるの?


 「そもそも、皇族がわたし一人ってどういうこと? あなたは? あなたのご家族は? あなたはわたしの親戚だって言っていたでしょう?」

 「そうだ。おれは一番近い親戚だ。他の者達も皇家の血筋はしっかり引いている。その出自も間違いなく皇族と呼べるものだ。だが、現在の皇家の中で貴種であるのは、おれとおれの父、そして父の弟である叔父の三人だけだ」


 ひと息にそこまで説明されて、理解するのに数秒かかる。何とか頭が追いついた時、疑問に思ったのは三人だけという言葉だった。


 「……他のご家族は? ご兄弟とか、いるんでしょう?」

 「弟と妹が一人ずついる。叔父の所には息子が二人と、娘が三人。父方の従兄弟というやつだ」

 「全員、貴種じゃないの?」

 「違う」

 「…………どうして?」


 これだけ血の繋がりのある一族がいながら違う種の人類だなんて、そんなことあるのだろうか。

 何が貴種と亜種という人類を分けているのか。


 「貴種は、貴種の女からしか生まれないからだ」


 貴種は、貴種の女からしか––––––。


 一瞬、頭が空白になった。

 祖母は五十年以上前、この国の皇女で貴種だった。それが日本に来て、祖父との間に一人娘の母を産んだ。母は兄と自分を産んで……。

 ……美津里が言っていた、自覚がなければ身を守ることも出来ないというのは、貴種の女性として、という意味も含まれていたのか。


 「……あなた、母親は日本人だって、言っていたじゃない……」

 「それは代理で産んだ生みの母親だ。血の繋がりはない。おれの遺伝子上の母親はおまえの祖母、夜花の双子の姉の海花みかだ」


 ……どういうことだろう。生みの母。遺伝子上の母。お祖母ちゃんの、双子の姉?

 ……つまり、母とこの皇子は従兄弟同士。自分と兄とは、また従兄弟。はとこという繋がり。

 混乱する。混乱するけれど、細かいことまで考えられる頭の中の余裕がない。

 一切合切照らし合わせても、やはり貴種なんて存在は聞いたこともないし、自分がそれに当てはまるなんて、祖母から聞かされた記憶もない。

 じゃあ、祖母が話さなかった理由は何だろう。

 祖母は四年前、祖父の後を追うようにこの世を去った。故郷の話なんて、一切口にしないまま。

 それはたぶん、もう二度と帰れないと悟っていたからだ。

 ここが簡単に帰れる場所ではないと、知っていたから。


 じゃあここは。

 ここは一体。


 「……ここは、どこなの……」


 初めて会った時ぶつけた質問を、もう一度くり返す。きっと今度は答えてくれる。

 そう確信して。


 「………日本という国は、この世界にはない」


 静かに紡がれた言葉は、残酷な響きだった。


 「ここはおまえが暮らしていた世界とは、別の場所だ。異世界というのが、しっくりくるか」


 皇子の容赦のない言葉に、海夜は力が抜けてその場にへたり込んだ––––––。




 ※※※



 そういえば、祖母から寝物語で聞かされた、うっすらとした記憶の向こうのおとぎ話があった気がする。



 その昔、貴種王家きしゅおうけと呼ばれる支配層が世界に君臨したことがあったらしい。


 それはまだ、貴種と亜種の人口比率が逆転する前の話。

 貴種王家が当たり前の世界の潮流の中で、この国も建国された。


 しかし、貴種は貴種の女性からしか生まれない、という事実に世界が気づいたのは、もっとずっと後のことだった。

 その頃には多くの貴種王家が断絶し、伝統的に女系で皇位を継承してきたこの黄國おうこくと、いくつかの国しか貴種王家を残す国は存在しなかった。


 そこから亜種同士の貴種争奪戦が始まる。


 世界のエネルギーを一手に担う貴光石の鉱脈は精霊が守っており、貴種の管理の元でなければ手に入れることができなかったからだ。

 亜種の貴種への執着は、国同士を巻き込む騒乱へと発展していった。

 貴種が数を減らした背景には、そんな事情もあったという。




 それは、海夜の住んでいた日本と同じ世界のおとぎ話ではなく、全く別の世界線の歴史の話だったのだ。




お読みいただきありがとうございます♪


ブックマーク等大変嬉しいです。

ありがとうございます。

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