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僕は月のお姫さまの隣でその手を握る  作者: 市川甲斐
1 向日葵畑
9/50

(8)

 翌日は、母の希望で、アウトレットモールに行こうということになった。そこは大学とこの家の中間地点にあたる場所になるが、意外と行ったことが無かった。お盆休み中ということもあってモール内には人が溢れていたが、母も店の準備があって普段はゆっくりと買い物もできないので、久々の買い物を楽しんでいるようだった。


 遅めの食事を終えて、再びモール内をしばらく歩き回ってから、そこを出たのは午後もかなり過ぎてからだった。千子の街に入ったのは夕方近くになったが、家に帰る途中で、母が急に「犬ヶ崎に行こうか」と言ってきた。家に戻っても何もする予定も無かったので、母の言うとおりそこに車を走らせていく。


 夕暮れの犬ヶ崎灯台は、その近くに並ぶ土産物店なども店じまいをしているところで、お盆中とはいえ、数人の観光客が残っているだけだった。タイルを敷いた路面を通って灯台の隣の小さな駐車場に車を停める。岬の突端に作られた白い大きな灯台の周りは海に囲まれている。既に灯台への入館時刻は過ぎているので、外の崖の上に設置されている手すりの前に母と2人で並んだ。


「ここは、意外と久しぶりだねえ」


 母が手すりを握って、海からの風を受けながら言った。遥人自身もここに来たのは、この前、友恵がこの近くの海に入ってびしょ濡れになった時以来だ。


「この前、友恵の着替えを持ってきてもらった時は、ありがとう。今度実家に帰るってあの子に言ったら、母さんによくお礼を言っておくように言われたよ」


「あら。あんな服しかなかったけど、喜んでもらえたなら良かったわ」


 母は海の方を見つめたまま応える。


「あの子……きっと、いい子だよ」


 母の声を聞いて、その方を向く。


「手書きの手紙でさ。自分の母親が亡くなっていること、私の服を借りて母の優しさを思い出したってことを書いていてね。普段のあの子がどんな子かは知らないけど、自分の本当の気持ちを伝えている気がした」


 波が打ち寄せる音が聞こえている。この岬の東側は、広大な太平洋に面しているので、美しい日の出を見ることができるスポットであるが、日の入りでは、ただ空がオレンジになり、濃い藍色になり、それがやがて暗闇に変わるだけだ。今、空ではちょうどそのオレンジ色と藍色が、間に入った水色を挟んで拮抗していて、その背景の中に三日月が輝き始めていた。


「普段もいい子だよ。友恵は。裏表がない、正直な人間だと思う」


「フフッ……あんたにはもったいないわね」


 母がそう言うのを聞いて、遥人は思わず母を振り向いて何か言おうとした。しかし、母は真っすぐに前を向いて黙っている。どこか声を掛けづらかった。それで遥人も海の方を向き、潮風が顔に強く当たるのを心地よく感じていると、しばらくして、母は「あのさ」と口を開いた。


「生きていくってさ。楽しいことも、辛いこともたくさんあるんだよ。そういう様々な記憶の蓄積が、その人間を作り上げているんだと思う」


「え……?」


 思わず驚いて母の顔を見つめた。突然話し始めたその内容よりも、その声音が普段と違うような気がしたのだ。


「楽しいことだけの人生なんてあり得ない。灰色の記憶があるからこそ、人間は本当に他人に優しくなれる。そして、そういう記憶を乗り越えるために、誰かの存在が必要なんだよ。自分を支えてくれる誰か。自分が支えたい誰か。そういう人を、大事にしないとね」


 それは友恵のことなのか、遥人のことなのか。母はそれだけ言って黙ってしまった。真っすぐに海の方を見ている母の姿を見て、思わず声をかける。


「母さんには……」


 えっ、と母がこちらを振り向く。パーマを当てた母のショートの髪が風に揺れている。


「母さんには……そういう人がいるの?」


 そう尋ねると、母はしばらくの間、海の方を見つめて黙っていた。そして、明るい声ではっきりと答えた。


「もちろん。その1人は、お前だよ」

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