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僕は月のお姫さまの隣でその手を握る  作者: 市川甲斐
1 向日葵畑
8/50

(7)

 夕方まで寝ていた割に、その日の慣れない居酒屋の仕事に疲れたのか、すぐに寝てしまい、起きたら朝7時になっていた。リビングに行くと、1着の紺色の縦縞の入ったスーツと白いYシャツ、それにネクタイがハンガーにかけてあった。これが父のスーツだろうか。大体の目算で自分と同じくらいのサイズのような気がした。遥人はハンガーごとスーツを自分の部屋に持っていき、そこで着替えてみた。ズボンの長さは少し大きめだが概ね違和感もなく、上着のサイズもほぼ合っていた。それを着て、階下に降りると、味噌汁の良い香りがしてきた。


「あら!」


 母は遥人を見て声を上げた。じっとこちらを見つめて、手元の動きが止まっている。


「どうしたの? これって、父さんのスーツだよね? 大体サイズも合ってるみたいだけど」


「え……ええ。そうね。うん、良かった。汚れると困るから、早く着替えてきて」


 母はそれだけ言って、遥人から視線をそらすと、また手元を動かし始めた。


(どうしたんだろう——)


 母が何かに驚いたように見えた。それは父の在りし日の姿を思い出したのかもしれないとふと思った。もう10数年前に父は亡くなっているはずだが、その姿を母はまだ忘れられないのかもしれない。そう思った遥人は、黙って2階に行き、別の私服に着替えてスーツをハンガーに戻した。


 ご飯を食べ終わると、早速、母は写真屋のお爺さんに電話していた。お盆中で本当は休みのようだったが、喜んで対応してくれるという。母も自分の着物を押し入れの奥から引き出していた。母の着物は、紺色を基調にして金色のラインが入っている。母は昔、いわゆる芸者のようなことをしていたことがあるらしく、着物の着付けはお手の物だ。ただ、髪の毛だけは例のヘアサロンの店主に電話してお願いしていた。


 母の準備が終わった午後3時頃に、写真屋のお爺さんがやってきた。お爺さんはもう70歳を超えていると思うが現役で、遥人の姿を見て「お父さんと良く似てるなあ」と言った。彼は機材を慣れた手つきで準備すると、「どこで撮りますか」と尋ねてきた。


「もちろん、この店の前」


 母は決めていたらしく、人通りのない店の前に立つと、店の暖簾(のれん)が入るように2人で並んだ。何枚かお爺さんがシャッターを切り、フラッシュが眩しく光る。その後、お爺さんの提案もあって、折角だからと店内でも何枚か撮影した。


「じゃ、盆明けには持ってきますよ」


 お爺さんは言うと、機材をカバンに上手にしまった。遥人は、荷物を持っていこうと申し出たが、「わしゃ、少なくとも90歳まで現役でいるつもりだから、まだまだ大丈夫」と丁重に断わられてしまった。



 

 写真撮影が終わると、自宅では一応お盆の準備を始めた。13日から16日まではこの店も休業だ。家には仏壇がなく、普段は父の位牌はリビングの端の出窓に置かれているが、お盆の間はそれをリビングの小さなテーブルの上に置き、そこに供え物を置いて過ごすことがこの家の恒例だ。


 遥人は父の写真を見たことがない。父は写真が嫌いだったらしい。遥人がまだ幼稚園に入ったばかりの頃に亡くなったと聞いているので、もちろん父の記憶もない。話し好きな母も、自分から父の話をほとんどしない。しかし、普段、位牌を窓際に置いているのは、父が海の事故で亡くなったので、いつでもお日様の光で暖かく居られるようにという意図があるという話だけは聞いたことがあった。

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