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僕は月のお姫さまの隣でその手を握る  作者: 市川甲斐
1 向日葵畑
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(5)

 学園祭実行委員会は、3年生の委員長と副委員長を中心に、各種の役割に応じた部署が組織されている。イベント企画、大学側との調整、宣伝活動、必要な機材設備の調達、学生が出店する模擬店対応、それに必要資金の管理など、それぞれの部署のトップである「部長」は2年生が務める。今年、遥人は模擬店に関して、配置計画や学生との調整を行う「模擬部長」を担当していた。


 実行委員の活動は、学園祭の準備期間に入る5月頃から始まり、企画の内容は7月までに決める。細かい準備は、夏休み後半の9月頃から一気に進めて11月の当日を迎えるようなスケジュールだ。大体、何をするのかを決めるのが重要で、後はそれに従って進めるだけなので、当日まで常時忙しい訳でもない。今年は既に、メンバーの1人が紫峰大学出身で、最近人気の出てきたバンドのライブをメイン企画とすることが決まっていた。その他には例年どおり、学生が出店する模擬店や、部活・サークルによる展示・発表などが予定されている。


 実行委員会はただ学園祭を準備するだけではない。総数百名を優に超える委員たちは、基本的にイベント事が好きな学生が多い。しかも、学園祭が終われば翌春までの約半年間の休眠期間は何もない。だから、その休眠期間や委員の仕事の合間には、「夜中に東京にラーメンを食べに行く」とか、「海まで花火をやりにいく」といった各種イベントが随時行われる。大体は直前の思いつき、そしてもちろん出欠も自由なこともあって、実行委員としての活動よりもそういうイベントだけ参加する「幽霊委員」も多い。しかし、そういう機会を通じて、委員同士は仲良くなり、中には付き合い始める委員もかなりいる。


 その日は、夏休み初めの恒例企画として「夏コン」が開催される日だった。単に夏休みのコンパという意味だが、夏休みを楽しく過ごすための景気づけにもなっていて、例年多くの委員が集まるイベントだ。遥人は行くつもりは無かったが、先輩に誘われて半ば強制的に参加させられた。その日は30名程の男女が集まっていて、いわゆる「幽霊委員」である名前の知らない学生も何人も来ているようだ。


「よう、遥人」


 大森先輩が隣に座ってきた。大森は、実行委員会の副委員長を務め、誰にでも積極的な3年生だ。先輩・後輩に関わらず様々な人に気遣いができ、持ち前の明るい性格もあって男女ともに人気で、実行委員以外にも交友関係が広い。今日、遥人を誘ったのも大森だ。


「最近どうだ? 楽しくやってるか」


 大森が思わせぶりに言ってきた。こういう質問は男女を問わずコンパでは必ず聞かれる。要するに異性関係の質問だ。好きな異性がいるか、その相手とうまくいきそうか、いつ告白するか、などの状況を聞いて行くのだ。


「まあ……」


「友恵とはどうなんだ?」


「ハア……そうですね」


「なんだよ、それ。あいつはもう吹っ切れてるぞ。あんなに髪をバッサリと切ったんだからな。あとはお前次第だろ」


「そう……ですよね」


 2年生の実行委員は30名程。そのうち半分くらいは既に彼氏・彼女持ちだ。友恵は今年の春くらいまで3年生の先輩と付き合っていた筈だが、噂では最近別れ、その時に、セミロングくらいに伸ばしていた髪をショートにまで切ったらしい。少し離れた場所に座って、相変わらず何人かで楽しそうに話をしている友恵の方に視線を向ける。


「ほら。あっちに行って話して来いよ」


 大森に促され、友恵がいるグループの近くにビールジョッキを持って移動する。友恵は先輩・後輩の数人と楽しそうに話をしていた。遥人がそっとそのグループの端に座ると、友恵はアルコールで赤くなった顔をチラッと向ける。すると、友恵の隣にいた女性の先輩が、遥人に気づいた。


「あら、噂をすれば遥人が来たじゃない。じゃ、乾杯しよう」


 先輩は思わせぶりに遥人と友恵を見て「乾杯」と叫んだ。友恵も「カンパーイ」と上機嫌で大声をあげた。




 居酒屋を出ると、生ぬるい風が顔を撫でた。遥人自身はそれほどアルコールに強くないので、今は生ぬるい風でも心地よく感じるような気がする。コンパが終わり、店の外で皆がまだガヤガヤと話している中、隣に友恵がやってきた。


「一緒に帰ろうよ」


 友恵はそう声をかけると、「じゃ、失礼します」と大声を上げて皆に挨拶する。皆の目が友恵とその隣の遥人に注目するのが分かった。「おお!」という歓声が聞こえる中、遥人は友恵に促されるようにして歩いて行く。その場所からは、友恵や遥人が住んでいるアパートの方向は同じで、歩けば10分くらいだろう。


「今日の夜も暑いね」


 友恵は言いながら遥人のTシャツから伸びる細い腕にそっと体を寄せた。彼女の腕から伝わる体温が、直に遥人の腕に伝わってくる。その感触に一瞬ドキッとしたが、遥人はそれに気づかれないように前を向いて歩いて行く。


「酔ってるから、特に暑いよね」


「ハハ……だよね」


 友恵は笑いながらも、遥人の腕をしっかり掴んでいる。街灯の少ない学生のアパート街をしばらく歩いていくと、どこかの部屋から飲んで騒いでいるような、ハハハ、という笑い声が聞こえてきた。


「夏休みなんだから、私もどこかに遊びに行きたいなあ!」


 かなり酔っているのか、友恵は大声で叫ぶように言った。


「馬鹿……声、大きいよ」


「いいじゃん。ただの願望よ。そして幸せに過ごしてる人達への腹いせ」


 ハハハ、と友恵は笑った。さあっと意外に冷たい風が吹いてきて、腕を掴む友恵が一層遥人にしがみつく。


「そういえば、お盆は実家に帰るんでしょう? 私がお礼を言ってたって、お母さんによく伝えておいてよ。この前、犬ヶ崎で海に入った時には、本当にお世話になったから」


「それはいいけど……。あの時は無茶しすぎだったよな」


「お母さん……優しかったわ」


 普段の彼女の声とは違った感じの声に、思わずドキッとして友恵の顔を振り向いた。彼女は真っすぐに前を見ている。


「ウチさ……お母さんが死んでから、本当はずっと寂しかったの。でも、妹たちもいるから必死になっててさ。だからこの前、遥人のお母さんの優しさが、何か凄く懐かしい感じがしたし、単純に嬉しかった」


「い、いや……あの母は、結構いい加減だぞ。夜の居酒屋で普段から柄の悪いおじさんやおばさんの相手を平気でしているから。それに、1人暮らしだから生活だって滅茶苦茶だし、何か怪しい占いみたいなこともするし」


「ああ、そうらしいね。お母さんからの手紙にも書いてあった」


「は? 母さんから手紙が来たの?」


「うん。私の未来を占ってみた、って」


「なっ……何、それ」


「聞きたい? 私の未来」


 そう言うと、友恵は急に立ち止まって遥人の方を見た。遥人も隣で立ち止まる。


「あなたは良いお母さんになれますね、って。そして、その隣にいる人はね……」


 そこで言葉を止めて、真面目な顔で友恵は見つめてきた。胸がドキドキと高鳴っていく。


「ウチ、好きよ……」


 必死に見つめる友恵の前で息を呑む。暗闇で沈黙が流れていく。


「遥人は……どうなん?」


 やや方言交じりに直接的に尋ねられて、一気にアルコールが抜けていくような感じがした。彼女の可愛い笑顔、明るい性格、他人への思いやり。そして何より、自分への好意。


 ただ、どこかでそれをストレートに受け入れることができない自分がいる。それはきっと、自分自身の問題なのだ。どう答えて良いか分からずに黙っていると、友恵はフフっと笑って、遥人の薄い胸板にそっと体を寄せてきた。彼女の体温に驚いて体がビクッとなる。


「ごめん……。大丈夫。答えは、また聞かせて」


 友恵はそれだけ言うと、あっという間に遥人から離れて走っていく。気づけばもう彼女のアパートの目の前に来ていた。「じゃあね」と一方的に手を振って、友恵は部屋のドアを開けてその向こうに消えた。

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