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僕は月のお姫さまの隣でその手を握る  作者: 市川甲斐
1 向日葵畑
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(4)

 その日の夜勤のコンビニバイトに入る前に、遥人は久々に実家の母に電話した。5コールくらい鳴らすと「はい」と応答があった。


「久しぶり」


『珍しいね。どうした?』


「お盆だけど、12日には家に帰れると思うよ」


 はいはい、と電話から答えが返って来る。


『じゃあ、その日は店の手伝いを頼むよ。13日からは休む予定だけど』


 母の依頼に「分かった」と答える。母は千子の街で小さな居酒屋をやっている。父は漁師だったが、遥人が幼い頃に漁船の事故で亡くなっていて記憶にはない。店自体も唯奈の家の寿司屋とは違って、繁盛店と言えるものではなく、地元の漁師や中年女性のたまり場のような場所で、総じて客層も良くない。その上、彼女は趣味で占いをやっていて、どこでそれを聞きつけるのか、それ目当てで遠くからやって来る怪しげな客もいる。


『こっちに帰るのもいいけどさ。折角の夏休みなんだから、どこかに遊びに行ったらいいのに。……あ、そうだ。前に会った、あの元気のいい女の子とはどうなった?』


 母が言ったのは友恵のことだ。彼女が犬ヶ崎で海に入りびしょ濡れになった時、母に近くの店がないか聞いたところ、すぐに自分の服をそこに持ってきてくれた。その服を返す時に、友恵が丁寧な手書きの手紙を添えたらしく、以来、母は友恵をとても気に入っていた。彼女はこういう仕事柄のためなのか、息子の女性関係についても積極的に詮索してくる。


「だから……。あの子は、ほぼずっとバイトだって言ってたよ」


『あんたが誘えばいいんじゃないの。たぶん、それを待ってると思うなあ。しっかりしなさいよね』


 まるで怒られているような言い方で、やや気持ちが萎えてくる。ともかく実家に帰ることは伝えたので、「はいはい」と適当に応えて電話を切った。



******



 夜9時半過ぎに、遥人は車のエンジンをかけた。車は先輩から格安で譲ってもらった白色の軽自動車だ。この辺りの地域は、元々は雑木林であったが、かつて東京にあった大学をここに移転するのに合わせて、関係する研究機関の整備とともに計画的に街づくりがなされてきたらしい。東西と南北の大通りを中心にして道路が整然と整備されていることもあって、住民の主な移動手段は自家用車であり、そのため公共交通機関がほとんど整備されていない。そういった状況のため、多くの学生は、中古車を買うか、親や先輩から古い車を譲って貰うなどして、自分の車を持っていた。


 バイト先のコンビニは、車で10分ほどの場所にある。大学に掲示されていたアルバイトの募集情報を見て申し込んだ先で、始めてからもう1年になる。自宅アパートから徒歩や自転車ですぐに行けるアルバイトの募集も沢山あったのだが、学生のアパート街に近い場所だと、知り合いに会いすぎて面倒になるような気がしたので、敢えて少し離れたそこに決めたのだった。


「お疲れ様です」


 そう言いながら店内に入っていく。「お疲れ様」と中年の男性がレジの中から応える前を通って、事務室でTシャツの上に店の制服を着て、頭に紙製の帽子を乗せた。その日は店長と2人でのシフトの日だった。夜勤は夜10時から翌朝6時までの勤務時間で、来店客数は少ないものの、防犯上の観点もあって常に2人以上での勤務となる。


「もう試験は終わったのかい?」


「ええ。今日終わりました」


 尋ねてきた店長に答える。店長は50代前半でサラリーマンを早期退職してその店をフランチャイズで始めた男性だ。夜勤では、通常の接客よりも、商品の補充・入れ替えや掃除作業が主な仕事になる。初めの頃はとにかく起きていることが大変だと思っていたが、体を動かしていれば意外に眠くなることもない。接客自体も少なく、自分のペースで仕事が進められるため、慣れればさほど大変でもない。


 仕事が一段落し、事務室でしばらく雑誌を読んで休憩している時だった。


「猪野君もお盆くらいは帰省するんだろう?」


 店長が発注の画面を見ながら話しかけてきた。


「ええ。その予定にしています」


「猪野君くらいの年の両親ならまだ若いからいいけど、お盆くらいは、ゆっくり帰省した方がいいよ。今年もお盆前後のシフトは俺と息子でやるから」


 店長ははそう言いながら商品の注文を進めていく。店長には父が亡くなっていることは話していないが、言えば尚更のこと帰省を促されるだろう。遥人は「分かりました」と素直に同意する。


 アルバイト間で共有しているシフト表をスマホで確認する。店長が言う通り、お盆の辺りは店長とその息子が連続して入っている。店員のほとんどが学生バイトだが、長期で休みを取るという話は今のところ誰からも聞いておらず、夏休み中も通常のシフトで進みそうだ。むしろ、夏休みなら普段より働きたいという学生もいるだろうから、交替要員も問題ないだろう。


(どこかに、行こうかな)


 友恵の姿が急に頭に浮かび、ドキッとして慌てて雑誌に視線を落とした。

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