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僕は月のお姫さまの隣でその手を握る  作者: 市川甲斐
2 予知夢
18/50

(8)

 暗い空が大きく広がっている。


 そこは自分がいる場所が不安定に思えるほどの暗闇だ。ただ、目の前の空には数えきれないほどの星が輝き、その中心にある大きな満月。


(満月——)


 銀色に輝く大きな月は、淡々と地上に光をもたらしている。静かな、空気の音さえも聞こえてきそうな感じがした。それを正面に見ながら自分は立っている。


 その時、突然、後ろから体を押さえつけられたような気がした。


(——!)


 声が出せない。口を何かで塞がれているように言葉が出ない。そう思っている間に、体を押さえつけられたまま、腕を後手にされて手首を縛られていく。暗闇の中で何人かの人間が動いている感じがしたが、その姿は確認できない。


 その時、目の前に急に光が現れたように視界が明るくなった。


「早くしろ! そいつを外に連れて行け」


 暗闇から誰かが言うと、遥人の視界が何かで覆われて失われる。そして、無理やり両腕を掴まれて歩かされていく。しばらく歩くと、車のエンジンをかける音とドアを開ける音がした。


「ほら。ここに乗るんだよ!」


 乱暴に言う男の声がして、バンの荷台のような平らな場所に乗せられると、すぐにドアが閉まる音が聞こえ、車がガタガタと揺れながら動き出した。



******



 ハッとして、遥人は目が覚めて起き上がった。体中が汗をかいていて、ハアハアと息が上がっている。周りを見ると、薄暗い休憩室の中に、誰かのいびきが響いている。スマホの時計を見ると朝の6時だ。


(さっきのは……夢、か)


 思わず自分の手首を見つめる。そこには何も跡は残っていない。だが、夢の中で感じた縛られたような体の痛みが、不思議なほど強く思い出される。


 胸もドキドキしていた。昨日、夜空に出ていた大きな月を見たからだろうか。自分が拘束され、どこかに運ばれるような夢。


(どうしたんだろう。僕は……)


 気分転換しようと、休憩室を出て、そのまま大浴場に向かい、汗をかいた体を流していく。そこで窓の外の空が明るくなっていくのを見ると、ようやく目が覚めて、頭もスッキリとしてきた。


 スーパー銭湯から出て近くのコンビニに立ち寄り、お握りとパンを買って朝食にした。腹を満たしてからハンドルを握り、昨日来た道を戻って行く。甲府市内を抜けると、真っすぐに山を上がる道になる。その先の山麓にある畑や山林の中を横断していく農道には、交通量もほとんどない。昨日は暗くてよく見えなかったが、広がっている畑には何かの作物が植えられている場所もある一方で、はた目にも草が伸び放題となっている場所もかなり目についた。辺りに見える人家の数もまばらで、朝早い時間帯だったこともあるが、ほとんど人の気配がない。


 昨日の展望台に着いたのは朝7時を過ぎていた。車を降りると、昨日と同じように強い風が顔に当たる。ちょうど東の空から太陽が昇り始め、その方向の山の稜線が輝いている。その反対に、西の空にはまだうっすらと丸い月が掛かっていた。


 太陽の光が少しずつ辺り一面を照らしていく。するとその光を受けて、辺りの向日葵が、その鮮やかな色を輝かせ始めた。


(綺麗だ——)


 純粋にそう思った。山間の村であるにも関わらず、山の中腹にあるためなのか、街中よりも空が格段に大きく広がっている。正面の南アルプスの山々だけでなく、右手には青く輝く八ヶ岳があり、そして左手には遠くに富士山の姿も見える。太陽の光が強くなるにつれて、それらの山々に囲まれた空が、次第に青さを取り戻していく。


(やっぱり、ここなんだ——)


 自分が夢で見た風景は、その場所に違いないと確信した。ただ、そこには白いワンピースを着た彼女の姿はない。そもそも一体、どうしてこの場所のことを夢に見たのだろう。


 遥人はしばらくその向日葵畑の辺りを歩き回り、写真を何枚か撮った。そして、駐車場に戻った時、ちょうど1台の軽トラックが入ってきた。車から降りたのは老人で、荷台から箒や塵取りを降ろしている。老人は自動販売機の隣に置かれた空き缶のゴミ箱を開けて、その中身を取り出そうとしていたが、量が多いのか、なかなか取り出せないようだ。遥人はそこに近づいた。


「大丈夫ですか?」


 彼は老人に声を掛けると、そのゴミ袋を引き上げた。そこまで袋は重くなかったが、どこかに引っかかっていたのかもしれない。


「ああ、悪かったなあ。ありがとう」


 老人はそう言って頭を下げた。70歳くらいのお爺さんだろうか。白髪頭を手で撫でている。


「いやはや。最近、力も無くなってきたのかのう。不甲斐ない限りじゃ」


「いえ……朝からご苦労様です」


「あんた、観光かい?」


「ええ。この村の向日葵が綺麗だと聞いて来たんです」


「この村は、日照時間が日本一じゃからなあ。向日葵も元気に咲くわい」


 はっはっは、と老人は大声で笑う。


「そう言えば、ここ以外にも向日葵がたくさん咲いている場所はあるんですか」


「そうさなあ……向日葵は毎年植える場所を少しずつ変えるからな。しかし、毎年沢山植えているのは、この展望台の辺りじゃろうなあ」


 そこまで言って、老人は思い出したように、「お礼にコーヒーでもどうだ」と言って、自動販売機に硬貨を入れた。遥人は「結構です」と言ったが、老人が何でもいいから、と言って待っているので、有難くブラックの缶コーヒーのボタンを押した。老人が取り出し口に手を入れ、そこにある缶コーヒーを拾い上げて遥人に差し出した。


「本当に、ありがとうよ」


 老人はそう言って、缶コーヒーを受け取った遥人の腕をポンと叩いた。その時だった。


 キイン——


 一瞬、強い耳鳴りが聞こえた。頭の奥まで響くようなその音に、遥人は思わず頭を手で押さえて目を閉じる。


 ゆっくりと目を開けると、不思議なことに向日葵の畑の脇に立っていた。背中の方から風が吹いて、サラサラと向日葵の葉が擦れ合う音が聞こえる。思わず周りを見回すと、振り返った10メートルほど離れた先に、こちらに背を向けて白いワンピースを着た女性が立っていた。その前に黄色い向日葵の花がいくつも並び、風に揺れている。


 前に夢で見た、あの時の風景だ。


「あっ……あの」


 遥人は思わずその背中に声を掛けた。しかし、彼女は振り向かない。


「君は、誰?」


 彼女は答えない。遥人は一歩前に踏み出す。そして、少しずつ彼女に近づいていく。彼女の長い黒髪は目の前で風になびいている。


「君は——」


 遥人はそう言って、その細い肩から伸びている左手に触れた。その瞬間、強い光が急に辺りに広がり、世界が真っ白になっていく。


「誰——」


 再び声に出して顔を上げると、自動販売機が目の前にあった。


「どうした?」


 後ろから声が聞こえた。ハッとして振り返る。先ほど話をしていた老人が、いつの間にか既に軽トラックに乗っていた。遥人はまだぼんやりとしていたが、彼の顔を見てようやく現実に戻った気がした。


「そうそう。あんた、観光なら、真月神社に行ってみるといい。あの地図の上の方に、鳥居のマークがあるだろう?」


 遥人は老人が示した方を見た。そこには、村内の観光地図の看板があり、その地図の上の辺りに、神社のマークがあった。


「そこは、由緒ある、縁結びの神社なんじゃよ」


「縁結び……?」


「あんたみたいな格好良い男には必要ないかもしれないがな」


 老人はそこでハッハッハと大声で笑った。そして、「じゃあな」と手を挙げて、軽トラで走り去ってしまった。


 さっきの光景は何だったのだろうか。前に母の占いで見た時と同じように思えたが、もっとはっきりと彼女の姿が見えた気がする。それに、柔らかな手を握ったような感覚があったのだが、あと一歩のところでやはり顔は見えなかった。もう一度、展望台から向日葵畑を見渡すが、もちろんそこに人影はない。


 不思議に思いながらしばらくそこに立っていたが、それ以上の収穫は無かったので、さっきの老人に言われた地図の前に戻ってきた。この展望台も含めて、村内の主な観光地は写真付きでそこに示されているが、ただ神社のマークが小さく書かれたその場所には、神社の名称も含めて特に何の説明もない。


(由緒ある神社の割に、観光向けじゃないのか)


 縁結びのご利益があるのだったら、しっかり説明を書いておけば観光客も集まりそうな気もする。不思議に思ったが、地元の人が言うくらいだから、意外に穴場なのかもしれない。折角なので行ってみようと思った。


 遥人はもう一度空を見上げる。眩しく降り注ぎ始めた太陽の日差しの向こうで、円い月の白い色が次第に薄くなっていく。

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