やって来た答え
現在、エリア内で冒険者が活動している訳ではないし、今から原状回復の仕事をする訳でもない。しかし――現状、ただでさえ利用者が激減しているものの――万が一にも、祖父との会話を邪魔されたくなかったのだろう。シャルは「収納」倉庫から抜け出すなり、迷わずに「時間停止」の魔法を発動した。
これで、少なくともヒト族の来訪者はやって来ない。辺りに生息するモンスターも動きを止める。ただし、シャルの魔法のせいで冒険者がエリア内へ入れないとくれば、恐らくタイムカードの実働時間は減算されてしまうだろう。
ダンジョンとは、神々がヒト族の成長を促すために創り出した場所だ。その成長を私用で妨害しているのだから、なんらかの罰則があってもおかしくはない。
「……ルー」
エドゥアルト以外には許していない愛称を呼ばれて、シャルの目が煌めく。ほとんど生気が感じられないと言っても過言ではないほど白い頬にも、じんわりと朱が差した。素直に再会を喜んでいる場合ではない。叱責されると覚悟して出て来たはずだった。しかし、祖父の声が思いのほか優しかったので、決心が揺らいだのかも知れない。
街と違って舗装されていない床は歩行しづらいだろうに、エドゥアルトは杖を鳴らしながらゆっくりと近づいて来る。この半年間――外の世界で数えれば、およそ九十年もの時間が経った。その間シャルは、何度じぃじに会いたいと思ったか。
数少ない休日。それを、どこぞの少年エルフが数か月に渡り潰しに来て、身も心も疲弊していた時。ぶっ飛んだ思考回路を持つどこぞの新人に振り回されて、正解の見えないダンジョン改革を始めた時。彼の、シャルをモノにしてやろうという気概と執着に、恐れを抱いた時。目に見えない圧力と情熱に苛まれた時。どこまでも無邪気にシャルの特性を揶揄してくる、底意地の悪さに辟易した時など――。
――おかしい。どれも直近の事で、ほとんど同一人物による悩みが原因だった。
そして、実際にダンジョンの改革を始めてからは、全く予測もつかない事態の連続で。暴走し続ける部下に、まさかのヒト攫い騒動まで。相も変わらず受け続けているストーカー被害。職場内セクハラ。
シャルは何度、じぃじに弱音を吐きたいと思った事だろうか。そして、何度「ロロ一人だけがまともで、僕は日々ギリギリ救われている」と明るい報告を――※明暗については、あくまでもシャル比較――したいと思ったか。
すぐ傍まで歩み寄って来たエドゥアルトが両腕を広げた瞬間、シャルは部下が見ている事も忘れて、彼に擦り寄った。痛むであろう足へ負荷を掛けないよう、体重だけは掛けずに。愛するじぃじの肩口に額を押さえつけて、まるで猫が縄張りを主張するかのように擦りつける。
例え、神々がじぃじを愛するように造ったとしても。そういう風に造られただけの存在だと理解していても、やはりこの、愛という呪縛からは逃れられない。生意気にも、彼の願いに反抗するような手紙を書いてしまったが、あんなもの――そこまで考えたシャルは、はたと動きを止めた。
「………………じぃじ。今日は……その、どうして」
アティの件に決まっている。ヒト族ファーストのエドゥアルトが、ヒト族以外の事が原因で「美しくない」と忌避する魔法を解禁するはずがない。つまり彼は、まだシャルの送った手紙を目にしていないはずだ。街でクレアシオンの不穏な噂を耳にして、慌てて飛んで来た。そのはずだ。そうでなければいけない。
なんなら、これから毎日じぃじ宅のポスト前に待機して、あの手紙が届いた瞬間焼き捨てるくらいの事をしなければならない。
何故、あんな手紙を送っても許されると――理解してもらえると思ったのだろうか。あまりにもじぃじと会えなさ過ぎて、寂寥感から頭がおかしくなっていたとしか思えない。
こうして実際に会ってみれば、やはり敬愛を越えて崇拝するじぃじに反抗したのは、大変な間違いだったと胸を張って言える。できればなかった事にしたい。最早、シャルルエドゥの人生で一番の黒歴史と言っても過言ではない。
だから頼む、どうかアティの件で厳しく叱責してくれ。シャルは、そんな祈りにも似た思いをもって、エドゥアルトの顔を覗き見た。
すると、彼は目尻を垂れさせて微笑んだ。近くで見れば笑い皺の目立つ顔をしていて、普段エドゥアルトがどれほど表情豊かな人物であるか――どのような感情を抱く事が多い人生だったか、分かるというものだ。
「ルー……お前、ついに反抗期を迎えたようだな?」
ニタリと、見ようによっては人の悪い笑みを浮かべながら紡がれた言葉。シャルは途端に青ざめると、低く呻いた。
「――ち、違う……違うんだ。じぃじ、あの手紙は誤解で、僕は」
「ああ、ワシは何も言っていないのに、自ら手紙と言ってしまった。そうなるともう、言い逃れできないぞ」
「ウッ、いや……僕が書いた、ものでは……なくて」
「なんだ、いつの間にかワシに嘘まで吐けるようになったのか? なるほど、こうして親元を離れて行くものなんだな……まあ、ワシはお前の親ではなく、爺だが」
反抗を責めるどころか感心、むしろ感慨に耽っている様子のエドゥアルトに、シャルは目を瞬かせた。それほど高くない身長の割に大きな手がシャルの頭を撫でて、彼は益々混乱する。
「……じぃじ」
「ここまでどうやって来たのかという問いなら、考えるまでもないだろう? 手紙を見て、居ても立っても居られなくなったんだよ。お前の反抗期を祝いに来たんだ……「次元移動」で」
「でも」
「そもそも、今のワシには、徒歩移動も馬車移動も苦行に他ならないからな」
まさかの痛風の後押し。ある意味『追い風』とも言える。
いとも簡単に信条を曲げたじぃじに、シャルは「ヒト族ではなく自分のために」と喜んで良いものか、「我が身可愛さに信条を曲げるくらいなら、魚卵と麦酒は今後控えて欲しい」と苦言を呈するべきか、本気で悩んだのであった。




