零か百か
「そうか――僕は、そんなにも落ち込んでいるように見えたか」
シャルは、まるで他人事のように淡々とした口調で言った。しかし、その目線は自身の足元へ落とされているし、表情筋はいつも以上に動きが鈍い。トリスは困った様子で眉尻を下げると、一拍したのち苦笑いを浮かべて頷いた。
「言っても仕方がないと、分かってはいるんだが……ハーフ特有の目線と切り口で、君の意見を聞かせて欲しい」
「え? あっ、は、はい! 私なんかがエド先輩のお力になれるなら、喜んで!」
「今僕の抱える葛藤、ひとつひとつを懇切丁寧に説明していると、膨大な時間がかかる。だから、端的に尋ねたい。僕は他人の為に生きるべきか――自分の為に生きるべきか、どちらだろうか」
どうせ、じぃじ以外の出す答えは決まり切っている。「自分の為に生きるべき」だ。それでも問わずにいられなかったのは、言いようのない不安を、少しでも誤魔化したかったからだろうか。
周りはいつだって、神造エルフを全肯定してしまう。シャルの為かその他の為かなんて問い、当然シャルを優先すべきだと答えるだろう。それが覆る時は、シャル自身が「僕は自分ではなく、他人の為に生きるべきだと思っている」と告げた時だけだ。
トリスは、小さな両手をグッと握りしめ、真剣な眼差しでシャルを見上げていた。しかし、問いかけられるや否や大きな目を瞬かせて、更にはこてんと小首を傾げている。その訝しげな表情は不可解極まりないと言いたげで、シャルの問いを――いや、彼が問うている意図そのものが、理解できていないようだった。
エルフの養成学校を首席で卒業したトリスだ、決して察しの悪い方ではない。むしろ、感性が独特で空気の読めない者も多いエルフ族の中で、ヒトとのハーフたる彼女は、目に見えぬ行間まで読み取ろうとする癖がある。新卒の彼女と円滑なコミュニケーションを図ろうと、シャルが髪型を「覚えやすくて良い」と言えば「そ、それは、私と付き合うって事ですか!?!?」とぶっ飛んだ返事をするくらいだ。シャルはいまだに、あの日トリスの中で「覚えやすくて良い」の何がどうなって、交際にまで発展してしまったのか理解できていない。
「えっと……どちらって、別に、選ぶ必要なくないですか……?」
「………………何?」
「あ、いや! エド先輩は真剣に悩んでらっしゃるのに、ごめんなさい! でも、その――両方で、良いと思うんです」
「両方……は、両立できない。いや……両立、できる?」
シャルは、口元に手を当てて思案した。言われてみれば確かに、どうして零か百と決めつけていたのだろうか。昨日、懊悩するダニエラに向かって「どうして変わるのが、僕だけだと思い込んでいるんだ」と言ったばかりなのに。
「多分ですけれど、先輩は今ご自分の『個性』についてお悩みなんですよね? 生命として創り出された経緯と、いずれ訪れる孤独に対する不安の、板挟みになっておられる?」
トリスは今度、反対方向へ首を傾げた。長いおさげが遅れて揺れて、シャルはその動きを目で追いながら「ああ」と相槌を打った。
「全く理解できない訳ではありません。何せ、私達ハーフの誕生も自然ではないし、単なる創造物に過ぎませんから。とは言え――ハーフエルフは、創造主に対する忠誠心がない。先輩がお祖父様に対して抱くような、敬愛の心もありません。創造時にそのような設定は与えられていないし、創造するだけして打ち捨てられたハーフには、肉親の愛情も与えられないから」
至極自分勝手な理由で、品種配合されただけ――それがハーフエルフの成り立ちだ。創造主たる肉親を恨みこそすれ、敬愛するなどあり得ない。同じ創られた存在でも、神造エルフとして誰からも愛されて、他の何よりもじぃじを愛するように設定されたシャルとは違う。
「設定だと言うなら仕方ありませんよね、抗える訳がありません。でも――時の流れは止められないから、お祖父様は絶対に、エド先輩を置いて亡くなります。そう言う風に創っておいてソレって、凄く無責任だと思うんですよね……だから別に、先輩が生きやすいように設定を弄るくらい、許容されて当然でしょう?」
「……じぃじが許さなかったら、僕はそれに従ってしまう」
「どうして、許されないとお考えですか?」
「じぃじが欲したのは……十億ポイント使ってまで創りたかったのは、完璧な孫だから。この『個性』を失えば、その時点でじぃじの孫では居られなくなる気がして」
トリスは瞳を閉じると腕組みをして、うんうんと何度も頷いた。
「私、先輩は完璧なままで良いと思うんです」
「……どういう意味だ?」
「先ほども言いましたよね、選ぶ必要がないって。無理に『個性』を潰して、お祖父様との繋がりまで断たなくても良いでしょう? その上で、生き辛い部分だけ削るんです。具体的にどこをどう削るかは、先輩の意思によりますけれど」
「僕の意思――か」
シャルは、頑なに「普通にならなければならない」と思っていた。まるで強迫観念のようなものだ。じぃじが居なくなった後の世界を考えた結果、とにかく普通になるのが最適解だと信じ切っていた。
例えそれで、この世に産まれた意味を失っても。誰からも認識されない――観測されない透明な存在になったとしても。
「……思いのほか、有意義な時間だった」
ただ不安を紛らわせたかっただけなのに、やはりハーフの思考や視点は面白いものだ。シャルが微かな笑みを浮かべると、トリスは頬を薔薇色に染めて俯いた。そうして、口早に「それでは、報告書も渡したので、また明日……!」と別れの挨拶を口にする。
しかし、ワタワタと慌てた様子で背を向けたトリスの腕を、シャルが掴んで引き留めた。トリスはこれでもかと目を丸めて振り返り、真っ赤な顔でパクパクと口を開閉している。まるで、恋愛小説の一節にありそうな局面であった。




