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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゾンビがはびこる世界でなんやかんやする話

パンデミック・ビフォア

作者: まさみ

挿絵(By みてみん)

世界はパンデミックした。これはその前夜の話。


第一印象はお日様みたいな女。まぬけっぽい擬音で表現するならぽわぽわ。

「はじめましてよろしくお願いします、千堂日日奈(せんどうひびな)です。百瀬御影(ももせみかげ)さん、ですよね?お会いできて嬉しいです!」

「あー……どうも」

「握手していただけますか!」

「いちいち語尾に感嘆符付けんのやめてくれ、徹夜明けの鼓膜に響く」

はきはき自己紹介する日日奈を睨む御影。目の下には睡眠不足の代償のどす黒い隈ができている。

御影は某大手製薬会社の研究室に勤務している。そこに新卒でやってきたのが日日奈だ。有名大学の薬学部を首席で卒業した才媛でらしくキラキラしていた。

日日奈はリケジョのイメージを裏切る女だった。

腰まであるふんわりウェーブの茶髪、ぱっちりした鳶色の瞳、健康的な薄ピンクに染まる肌。150センチにも届かない小柄な体格と相まって手乗りハムスターのような愛くるしさがある。男の庇護欲をくすぐるタイプの可憐な美少女だ。ガサツで男勝り、アラフォーお局ポジの御影とは何から何まで正反対。

「ていうか髪」

「え?」

「ラボじゃ結うのが規則だから。聞いてないの、シャーレに毛髪混入したらまずいでしょ」

「あっ、すいません速攻結ってきます!」

御影の突っ慳貪な指摘に慌てて頭を下げる。なんだコイツとぶっちゃけあきれた。本当に名門大を首席で卒業してるの?まずそこが疑問。

名は体を現すが如く御影はコミュ障陰キャで通ってる。学生時代から友人なんていた試しがない。勉強だけはよくできたからトントン拍子で難関の大学に合格し、希望通りに製薬会社の開発部門に配属された。

ところがどっこい、ここが結構な男社会だった。ジェンダーフリーが叫ばれて久しいにもかかわらず開発部門の男女比は偏っていて、女は御影と日日奈の二人しかいない。

だからだろうか、日日奈は御影に懐いていた。

「ねー日日奈ちゃんランチいかない?おごるよ」

「お前ずるいぞ、千堂さんは俺と食べるんだから!」

「すいません、百瀬先輩と食べるんで!」

昼休みになるやいなや、同僚の誘いを断ってすっとんでくる日日奈を栄養ドリンク一気飲みで牽制する。

「悪い。飯なら終わったわ」

「ええ~~栄養ドリンクイッキは昼食のうちに入りませんよ!」

「補給できんだからかまわねーだろ」

眉八の字で嘆く日日奈をそっけなくあしらい、茶褐色の空き瓶を屑籠に投入する。

その後もめげずにアタックし続ける日日奈を、御影は一本満足バーやゼリー飲料で口を糊してフリ続けた。

ところがである。

翌日昼休みになると同時に御影に接近した日日奈は、ファンシーなピンクのハンカチ包みを掲げてのたまった。

「じゃん!」

「……何これ?」

「迷惑かもって思ったんだけど作ってきちゃいました、先輩お昼食べてないからおにぎり二個とサラダです。魔法瓶にはコンソメスープも入ってますよ~」

「存在自体が女子力アピールかよ。頼んでねーよ、下げろ」

「せっかく作ってきたんだから一口食べません?あーん」

「エナジードリンクで足りてる」

ごきゅごきゅエナジードリンクを一気飲みし空き缶を屑籠にポイすれば、日日奈はわかりやすくしょげ返る。

御影からすればいい迷惑だ。何度断っても日日奈はてんでこりずに弁当を作ってきては、親切ごかして押し付けようとする。御影がパスすれば大人しく引っ込めるものの、いじめてるみたいで気分が悪い。実際同僚には「日日奈ちゃん可哀想」「御影さん鬼だな」と陰口を叩かれる始末だ。

御影は食に興味がない。研究以外には時間も手間も極力割かないスタイルで徹底している。睡眠時間は一日平均2時間、私生活を削って研究に費やしてるというのに……

さらに御影に追い討ちをかけたのは、日日奈に実力が伴っていた単純な事実だ。

「すげーな日日奈ちゃん、またネイチャーに論文載ったんだって?」

「アメリカの大企業のスカウト蹴ってこっち来たんだろ?もったいねえよなー、年収比較になんねーのに」

「こっちに神様がいるんだって」

数日後、休憩所でコーヒーを飲んでたら普段日日奈をちやほやしてる同僚たちの噂話が聞こえた。

同僚の一人が妙な顔をする。

「神?暗喩?」

「しらね。それ位尊敬してる人って意味じゃね、日日奈ちゃんちょっと不思議系だかんなー。そこがまたいいんだけど」

「わかるわかる、始終ギスってる御影先輩と違って癒しだわー」

比較対象に私をだすんじゃねーぞおい許可とられてねーぞ。心の中で突っ込む。

「御影先輩もそろそろヤバいよな、瀬戸際ってか」

「若くて可愛い新人入ってプレッシャーじゃねェの?おまけに自分より出来がいい」

「お局さまポジは辛いよな~。十年位前までは病院と提携して難病の新薬開発したりもてはやされてたのに」

「四十手前で独身未婚だろ?研究一筋に捧げてきたのに後輩に先越されるとか悲惨じゃね」

うるせえよばか、てめえらが勝手に持ち上げて落としてるだけじゃねえか。心の中で吐き捨て、握り潰した紙コップを屑籠に叩き込む。

御影には嫌われ者の自覚がある。

彼女はいわゆる「可愛くない女」に分類されるタイプで、男に媚びて世間を渡る才能に欠けていた。

ぱさぱさの黒髪ショートヘア、野暮ったい黒縁メガネの奥の陰険な一重はキツイ印象を与える。痩せぎすな体躯はスレンダーといえば聞こえはいいが、女性的魅力に乏しい。好きな物は煙草とコーヒーとエナジードリンク、一日の平均睡眠時間は3時間。不健康と不摂生のかたまりで顔色は常に青白い。

白衣のポケットに手を突っ込んでむしゃくしゃ歩いてたら、噂の日日奈が角を横切り、更衣室に消えていった。

ちょうどいい、明日から弁当持ってくんなって言い聞かせてやる。

御影は日日奈を尾行した。そーっとドアを開けて更衣室を覗き込んだ御影は、次の瞬間後悔した。

「げっ!?」

日日奈のロッカーに祭壇ができていた。

上の仕切りに飾られているのはあらゆる角度から隠し撮りされた御影の写真で、アンティークな額にはめられている。似たような写真は他にも無数にあり、ロッカーの内壁や扉の裏側に貼り付けられていた。

今しも日日奈が白衣のポケットから取り出したのは栄養ドリンクの空き瓶……御影が飲んで捨てたものだ。

嫌な予感に襲われて固唾を呑む御影の視線の先、日日奈は陶然として瓶に頬ずりする。それから上の仕切りに安置した。同じ瓶は10本以上コレクションされている。

御影は引いた。ドン引きだ。心の中できもと呟き、気配を殺してドアから遠ざかる。


後輩がロッカーを祭壇に改造してた。

そこに自分が祭られていた。ていうか拝まれていた。

あなたならどうする?


御影は無視の一手。

上司にチクろうかとも考えた。しかしチクった所でどうなる?相手が男なら話はまだ簡単だった、しかし同性で後輩となると難しい。さらに御影にはロッカーを勝手に覗いてしまった負い目がある。それを言い出したら隠し撮りもギリギリアウトで犯罪なのだが……


「ていうかなんで偶像化してんだ意味わからん、新興宗教御影教の教祖になった覚えねーぞ、名前からしてぜってえ邪教じゃん。写真はどうやって撮った?スマホ?音鳴るだろ?いや、鳴らねえように改造できたっけ……直球ど真ん中剛速球で違法じゃん絶対」


あの日から千堂日日奈は百瀬御影にとってクレイジーモンスターとなった。

日日奈はレズなのか?

御影に恋愛感情や性欲を抱いてるのか?

それさえわからん。

でも空き瓶に頬ずりしてたし、見てない所では間接キスとかやらかしてるのかもわからん。


「ああああ゛―――――――――っ!」


日日奈の唇が空き瓶に触れる瞬間を妄想し、頭をかきむしって机に突っ伏す。

深夜、研究棟に居残っているのは御影ただ一人。彼女は毎日遅く帰る上寝泊まりすることも多いのだ。

「くそ~くだらねえことやってる場合じゃねえ……」

手探りで写真立てを引き寄せる。そこに嵌められていたのはパジャマの子どもたちと若い御影の写真。子どもたちは明るい笑顔で、最前列中央の御影も照れ笑いをしていた。

虚ろな顔に生気が戻り、我知らず笑みが浮かぶ。

「よっしゃ!」

御影には譲れない目標がある。

頬を叩いて喝を入れ、栄養ドリンクとエナジードリンクをちゃんぽんした謎ドリンクを一気飲み。再び顕微鏡を覗く。

その後も日日奈は御影に付き纏い続けた。

「先輩~お昼ごはんは」

「いらね」

「シャーレの菌培養しときましたよ、元気に繁殖してます」

「あっそ」

「先パ」

無視無視無視あるのみ。御影が冷たくすると日日奈は面白いようにしょげた。

ある時主任に呼ばれてお叱りを受けた。

「百瀬くん、私の気のせいだったらすまないが……最近千堂くんへの態度がおかしくないかね」

「いえ?至ってノーマルです」

「ならいいんだけどねえ、職場の子たちがあることないこと噂してるんだ。君が千堂くんの功績をねたんでいやがらせをしてるとか」

「あ゛?」

脳天から素っ頓狂な声を出す御影に主任が引く。

「私じゃないよ?同僚が言ってるんだからね?」

「いやいや違いますって。そりゃー千堂が私より若くて可愛くてオツムが花畑(バータケ)なのは認めますけど、研究成果をやっかんでるとかないです絶対」

「とりあえず大人げない無視はやめてフツーに接してあげてね、千堂くんは我が社の有望株なんだから。皆で大事に育てていこうよ、ね?」

「はあ……」

主任に小言を頂戴した昼下がり、御影は研究棟の中庭でたそがれていた。

「いたいた先輩。光合成ですか、珍しいですね」

「植物人間か私は」

「それちょっとセンシティブなネタです」

日日奈がにこにこ笑い、自然体の滑らかさで隣に滑り込んできた。座っていいとは一言も許可してない。きちんと手を合わせていただきますを言い、コンパクトな弁当箱のふたを開け、プラスチック箸で卵焼きを摘まむ日日奈を眺めるうちに、脳の奥で既視感が膨れ上がっていく。

「なあ。どっかで会ったか?」

箸の先端が止まる。日日奈が向き直る。御影は居心地悪さと気まずさにもぞ付く。

「あー……勘違いだったら忘れてくれ」

「あってますよ」

「え?」

「先輩は私の神様なんで」

またかよ。浮世離れした言い訳にしらけて吐き捨てる。

「毎度弁当突き返されて哀しくねェの?」

「お供えものと同じです。尊く崇高な気持ちを捧げてるんです。それにほら、神様も食べてる所は(ちょく)で見せないじゃないですか?神様にあげたお供えものが実際消えちゃうとこなんて見ないですよね、アレは鯛のお頭の霊体を召し上げてるのかもしれません」

「笑える。神様の燃料はエナジードリンクだぞ」

意地悪く茶化してやれば、日日奈は箸の先端を咥えてほくそえむ。

「今度買ってきますね」


優しくしろというから優しくしてやった。それだけだ。

なのに日日奈は憎たらしいほど幸せそうで、お弁当がだめならこれだけでもと、水筒に入れた手作りスムージーを差し入れしてきた。異物は混入してなかった。多分。

ロッカーの祭壇にさえ目を瞑るなら日日奈の不愉快さは我慢できないこともない。なにせ御影は40に手が届こうかといういい大人で、日日奈はハタチをちょっと出た小娘にすぎないのだ。


なのに何故


「何でだよ!」


御影は荒れていた。デスクに積まれた書類とタブレットを薙ぎ払い、日日奈を睨み付ける。


「えっと……」

日比奈の笑顔が引き攣る。無理もない、コイツは御影が怒ってる理由さえわからない。そんな奴に怒っても不毛だと理性が制すも、一度堰を切った感情は止まらない。

「私が十年前に開発した薬。アンタがもっと優れたの発明したんだって?今度のは副作用なくて、体の小さい子どもにも負担をかけないんでしょ」

「副作用はでないはずです。一次抗体のマウス(ホスト)の実験がすんで、無事治験を終えたら記者会見するって会社の偉い人が」

「私は時代遅れか。役立たずで用済みか」

「違います、先輩が素晴らしい見本を示してくれたからベースをいじって」

「あの薬をこえるのは、私でなきゃだめなんだよ」

十年前、御影はある難病の新薬を開発した。それにより症状は改善されたが、一方で発熱や嘔吐などの副作用も伴い、小児科の子どもたちは辛い思いをしたのだ。


御影が作った薬のせいで

「でも、支えだった」

あの薬が十年間、針のむしろの御影を支えてくれた。


「過去の私より今のほうが優れてるって、証明したかったんだよ」

崇めるに値しない女で幻滅したろ?


日日奈は卑怯な手なんて使ってない。ただ単に御影より賢くて、閃きに恵まれてて、御影が回り道してる間に最短ルートでゴールしただけ。

誰もいない夜の研究棟。先輩に最初に、と前置きして後輩が教えてくれたのは知りたくもなかった情報。

日日奈はまだ涙目で言い募る。

「幻滅なんてしてません、実際会った百瀬先輩はやっぱり素敵な人でした」

「気持ち悪いんだよ!」

机を殴り付け怒鳴る御影。日日奈が固まる。

「神様じゃねえよ、ただの人間の女だよ!若くて才能ある後輩をやっかんであせってた、40前には悲願を達成してえって無茶な残業重ねたよ!私が治験に立ち会ったガキどもが成人して親になって万に一の確率で子どもに遺伝する前に完璧な薬を作り上げたかった、それが生き甲斐だったんだ!なのにロッカーに祭壇作って崇めるようなイカレ女に負けちまった!」

「見たんですか?」

日々奈がショックを受ける。

「御影教は解散だ!」

ブチギレて吠えまくる御影を慰める言葉を持たず、日日奈が踵を返す。

御影の足元を脱走したマウスが駆け抜けた。日日奈が実験に使った一匹?

ここにいるぞと教えてやろうか迷い、結局やめる。

マウス一匹脱走した位でアイツの成功は揺るがない。

御影はタブレットを起動し辞表を書き上げた。千堂日日奈の研究をサポートした良き仲間として記者会見に同席するのはごめんだ、想像だけで反吐が出る。


この判断が誤りだった。


「もっと早く教えてくれたらパンデミックしないですんだのに」

「お前がケージの戸締りきちんとしねえのが悪いんだろ」

はじまりは一匹のネズミ。

コイツがケージを脱走し、研究員を噛んだ。

その研究員がゾンビ第一号。

日日奈が立てた仮説によると、彼女が発明した薬はネズミの体内で突然変異を起こし人間を生きる屍に貶めた。

「それってあのネズミが特別なのか、お前の薬がもともとやばかったのかどっちだ」

「後者であってほしいです」

「逆じゃねェの?」

並んで壁にもたれた日日奈は少し迷ってから口にする。

「……私の薬に欠陥があったら先輩の薬が劣ることにはなりませんから」

「まだそんな」

御影はあきれる。

研究所でゾンビパンデミックが発生したのち、御影と日日奈は研究室にたてこもった。ちょうど昼休みで他の研究員は出払っていた。

あれから半日、二人は密室で孤立している。

御影は机の引き出しをあさり栄養ドリンクの在庫を掴み取る。片方を日日奈にやり、残りを飲む。

「喉渇いたろ」

「間接キスなら申し分ないんですけど」

「そっちは『済み』じゃね?」

日日奈は膝を抱える。

「安心してください。片付けましたんで」

「……あ、そ」

安堵と落胆を同時に覚えてしまったのが解せない。無愛想な相槌を打って正面を睨めば、日日奈が寂しげに微笑んだ。

「まだ思い出しません?先輩が言ったんですよ、ちゃんと食べなきゃもたないって。だから毎日お弁当作ってきたのに」

「私が?」

まるで心当たりがない。いや、待て。

「こうもいいました。神様はどこにいるのって聞いたら、顕微鏡の中にいるって」

待て待て、お前はまさか。

空の栄養ドリンクを持って顔を上げた御影は、換気口から響く呻き声と落下した影に凍り付く。

「ひ……!」

ゾンビが這っていた。換気口から侵入したのだ。

「ウゥーーーーアァーーーーーー」

「主任……」

白目をひん剥いて床でのたうっているのは変わり果てた主任だった。

成人男性は到底通れない幅でも、痛覚の死んだゾンビゆえ肩関節を外せば関係ない。

ゾンビがこちらを見る。

臭い口から涎がたれる。

「先輩!」

日日奈に身を挺して庇われ、机上の写真立てを巻き添えに倒れた御影は、集合写真に一人の少女を発見する。

幼い頃の日日奈がいた。

青いパジャマを着て隅っこで笑ってる。

記憶が甦る。治験の際に訪れた大学病院、難病で入院中の少女。毎日祈っても全然よくならない、神様なんてどこにもいないと嘆く彼女に御影は諭したのだ。


『神様は顕微鏡の中にいるんだよ』


御影の新薬により回復した少女。


「御影さんは神様なんです!」


名前も忘れていた十年前の少女が、顕微鏡を両手で振りかざしゾンビの頭を打ち砕く。


思い出す。


『この名前嫌いなの。ずっとベッドの上でお日様なんてろくに浴びてないのに、二個も入ってる』


彼女はベッドを跨ぐ簡易テーブルに祭壇を作ってた。漫画と児童書を重ねた台の上にぬいぐるみをおいた、ハンドメイドの祭壇。

ぬいぐるみに向かい手を組み、一日も早い回復と退院を祈るのが自作の宗教にかぶれた少女の習慣だった。


「あの頃は……って今もですけど、祭壇作りがマイムーブで。朝起きたら奇跡の力で健康体になってるとかは現実味薄いからちょっぴりグレード下げて、すごいお医者さんが何にでも効く特効薬を持って来てくれないかなって祈ってたら、ある日本当になったんです」


治験の視察に赴いた際、病室にいた子と小一時間話しただけ。

なのにこの子はちゃんと覚えていて会いにきた。


子どもの成長は早い。

ずっとふっくらして健康的になってたし、メイクも完璧だったから見抜けなかった。


「ぅああ、ああ~~~」

頭蓋骨の陥没し、灰色の脳漿を垂れ流す主任のたゾンビが日日奈に掴みかかる。白衣を掴んでずり下ろそうとする。

「先輩、いなくなる時言ったじゃないですか。完璧じゃなくてごめんな、お前が大人になるまでにもっとすごい薬を持ってくるって」


だから手伝いにきたんです。

神様の助手になりたかったんです。

でも先輩頑固だから絶対手伝わせてくれなくて、何か力になりたいって組成を組み直してたら正解がわかって、偶然できちゃったんです。


「どうして言わなかったんだよ!」

「言ったら好きになってくれました?」

「少なくとも嫌わなかったよ!」

「覚えられてなかったら恥ずかしいし、なんか……重いじゃないですか、そういうの。初恋とか一目惚れみたいで、それひきずって追いかけてきちゃうなんて。だったら神様を本気で崇めてる痛い子扱いの方がマシです」

振り上げて振り下ろし、息を切らしてゾンビを叩き潰す。可愛い顔に返り血が飛び、手がどす黒く濡れていく。

「せっかく延命してもらったのに、上手に使えなくてごめんなさい」

日日奈は泣きじゃくっていた。メイクが溶け崩れて酷い顔。

「先輩に喜んでっ、もらいたくてっ、こんな事になるなんて、思わなくてっ、マウスの解剖で慣れてるけどグロいのキモいし苦手なのに、みんな感染するっ、ごめんなさいっ」

日日奈はただ御影に尽くしたかったのに。

「全部私のせい、です。先輩は悪くない」


お日様を浴びれて嬉しかった。

晴れた青空の下をおもいきり走り回れた。

昼下がりの中庭で、好きな人の隣で、病院食じゃないご飯を食べれた。


全部叶わぬ夢だったから、叶えてくれた人を喜ばせたくて。

写真立てのガラス片が床に散らばる。日日奈の背後、再びゾンビが立ち上がる。


御影は即断した。

無言で写真立てを引っ掴み、角でゾンビの片目を突き刺す。

「そこは共犯にしろ」

ゾンビの接近にまるで気付かずにいた日日奈がぽかんとしてる。

間抜けな顔に子ども時代の面影が重なる。

「もとはと言えば私が最初から完璧な薬を作っときゃよかったんだ。尻拭いさせちまったな」

「……らしくないですよ」

「ただの人間で女で先輩だ。いっちょ前に僻みもするさ」

経験値が低すぎて、恋とストックホルム症候群の区別が付かない。

日日奈を見ていると胸が苦しくなって、なんだかとてもいじらしくなって、顕微鏡を繰り返し振り下ろした華奢な手を掴んで明るい所に連れ出したくなるのは。

「私、感染してます。近付かないでください、じき発症します」

「そうかよ」

日日奈の顎を掴んで強引にキスをする。

「唾液でも伝染るよな。私と心中できるんだから喜べよ」

「な、な、な」

どのみち逃げ場はない。

ドアの外にはゾンビの大群が殺到し、換気口にもアーウーと団子状に詰まってる。  

よしんば奇跡が起きて外に出れても地獄が広がっているのは想像に難くなく、パニックが静まったところで日日奈が世界に憎まれる運命は変えがたい。


十年前、私が助けたこの子が。

私が助けた小さい女の子が、大きくなって世界を滅ぼす。


「こちとら旦那も子どもも持たず研究に身を捧げてきたんだ。ところが十年費やした肝心の新薬はご破算、親はくたばり40手前で友達恋人もいねえ。ふと顕微鏡から顔を上げて見回してみりゃ、命がけで守りてェもんがさっぱりねえ。絶対地獄に行くお前を除いて」


恋と宗教は盲目だ。

自分の場合は同情と取り違えた庇護欲に駆り立てられているだけかもしれない。


でも、それでも。

歳月をくべた献身は、報いられなければいけない。


御影は日日奈の顔を手挟み、至近距離から潤んだ目の奥を覗き込む。


「ストーカーですよ」

「うん」

震える唇がか細い声を紡ぐ。

御影は頷く。

「ロッカーに祭壇作って拝んだ」

「うん」

「先輩が飲んで捨てたドリンクの瓶集めてました」

「うん」

「盗撮もしてました。シャッター音しないように携帯いじって」

「やべえな」

どちらからともなく吹きだす。場違いに朗らかな笑い声が荒廃したラボに満ちていく。

躁的な笑い声が止むのを待ち、今にも崩れそうな何かを辛うじて堪える笑顔で日々奈は言った。

「顕微鏡の中じゃありませんでした。顕微鏡を覗いてる、先輩の横顔に神様がいました。顕微鏡じゃなくて、こっちを向いてほしかったんです」

振り向いてほしくて。

「論文、全部読みました。先輩に追い付きたくていっぱい勉強しました。うざがられてるのわかってたけどそばにいられるのが嬉しくて、おいてもらえるだけで幸せで、なのにもっとたくさん欲しがっちゃった」

大粒の涙をためて瞬き、狂信にまで高じてしまった一途な想いを伝える。

「好きです」

世界がパンデミックした、今なら言える。

目の前の御影はそれに答えず切なげに笑い、日々奈を抱きしめる。

「天国に連れてってやれなくて悪い」

「私には地獄が上等です」

ドアを破りゾンビの群れがなだれこむ。この人が神様じゃなくてよかったと日々奈は思った。

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