1-1 征夷大将軍・大野はるか
「裕司。ちょっと,はるかちゃんの様子見てきてくれる?」
母にそう言われたのが,すべての始まりだった。
「はるかがどうしたの?」
「はるかちゃんね,裕司と別の高校になっちゃったでしょ? それで,学校で友達も出来なくて,いじめられたかなんかで,不登校になって引き篭もっちゃってるっていうのよ。
だから,お母さん,裕司に様子を見てきてくれるよう頼んでくださいって,お願いされちゃったのよ」
「なんで僕が?」
「だって裕司,はるかちゃんとは仲の良い幼馴染でしょ?」
母の言うことは,特に間違いとは言えない。
はるか,フルネームで書くと大野はるか。「はるか」の名前に漢字はなく,平仮名で「はるか」と書くのが正式な名前である。
僕の隣家に住んでいる,僕と同い年の女の子で,僕の家とは昔から家族ぐるみの付き合いだったので,僕にとっても,はるかは家族のような存在だった。
幼稚園,小学校,中学校ともに同じで,同じクラスになることも多かった。違うクラスになっても,向こうの方から訪ねてくることが多かったので,確かに『仲の良い幼馴染』と言って良い関係である。
ただし,中学で僕の成績はそこそこ良く,上から2番目の公立高校に入学したのに対し,成績が下位クラスだったはるかは,かなり悪い噂が立っている,底辺の公立高校にしか入学できなかった。全く寂しくないと言ったら嘘になるけど,義務教育の中学と違い,高校は学業の偏差値順に分けられるのが日本人の常だ。
中学生の頃から,僕ははるかの成績不振を何度も聞かされており,たぶん高校は別になるだろうと予期していたので,今更思うところはない。
・・・ちなみに,僕のフルネームは村上裕司。あまり間違えられることはないけど,読みは「むらかみ ゆうじ」である。
「はるかに何があったか分からないけど,僕が行ったところでどうにもならないんじゃない?」
「裕司,結構冷たいわねえ。はるかちゃんは,裕司のいう事なら大体聞くじゃない。だから,向こうも裕司にお願いしてるんじゃないの。隣なんだから,ちょっと行ってあげなさい」
こうして僕は,母の命令ではるかの様子を見に行くことになってしまった。
母は,はるかは僕の言う事なら大体聞くなどと言っていたが,僕にはそうは思えない。中学時代,はるかは僕と同じ高校に行きたいと言うので,それならもっとまじめに勉強しろと何度も注意したのだが,全然ダメだった。
はるかは,見た目こそ悪くないが,昔から勉強も運動も苦手で,同い年であるにもかかわらず,僕としては出来の悪い妹みたいな存在だった。高校に入ったら別の学校になるだろうと予期していたので,中学時代から,はるかとは精神的に距離を置くようにしていた。
「あら裕司君,わざわざ来てもらって御免なさいね。はるかの様子を見てあげて頂戴」
「お邪魔します」
大野家に通された僕は,はるかの部屋に向かった。
昔から家族ぐるみの付き合いなので,当然はるかの両親とも顔なじみである。はるかの部屋にも,何度も行ったことがあるので,特に緊張するようなことはない。
「はるか,入るよ」
「ええっ!? ・・・ちょっと待ってて,ゆうじ」
家族のような存在とはいえ,一応相手は年頃の女の子なので,入る前にドアをノックした。どうやら,僕をすぐには入れられない状態だったらしく,何かバタバタしているような音が聞こえる。
待つこと数分。ようやく「ゆうじ,入っていいよ」との許可が出たので,僕ははるかの部屋に入ることにした。
はるかの部屋は,若干散らかっている。部屋を片付けようとしたわけではないらしい。昔から,はるかはちょっとずぼらな所があり,整理整頓はあまり得意ではない。たぶん,僕に見せられるような服装ではなかったのだろう。
「はるか,学校に行ってないんだって?」
「だって,あんなところ行きたくないもん」
「じゃあ,家で何してるの?」
「狩りやってる」
はるかの言う『狩り』とは,もちろんリアルの狩猟ではなく,某ネトゲのことである。
はるかは,以前からモンスターを狩るタイプのオンラインゲームが好きで,侍の格好をした男キャラを作るのが常だった。僕は最近,はるかと同じゲームをやっていないので,ゲームの名称までは把握していない。
ちなみに,はるかの服装は,Tシャツと短パンのみ。こんな格好で僕を部屋に入れるということは,はるかも僕のことを男だと思っていないのだろう。
「はるか,ゲームばかりやってないで,ちゃんと勉強もしないと」
「ゆうじ,勉強したからって,一体何になるのよ」
はるかが反論してきた。もっとも,はるかは僕の方を向かず,ゲーム機で狩りゲーをやりながら喋っているので,どんな表情をしているかは分からない。
「はるかが,勉強苦手ってことは分かってるけど,最低限のことくらいは勉強しておかないと,仕事にも就けないし,自立して生きていけないよ」
「・・・勉強できなくったって,狩りはできるもん」
一体,このダメっ子をどうやって説得すればいいんだろう。それが分かれば苦労しない。
僕も,出来ればはるかを見捨てたくはなかったので,中学時代からあの手この手を考え付いては試してみたが,どれも駄目だった。
・・・はるかは,昔から侍が好きで,戦国武将を使ったバトルゲームも好きだった。戦国武将の話をすれば,ひょっとしたらはるかも,話を聞く気になるかも知れない。今までこの方法を試したことはなかったので,僕はダメ元で,戦国武将の話をすることにした。
「あの徳川家康だって,小さい頃からちゃんと勉強したから,天下を取れたんだよ」
「・・・とくがわいえやすって,誰?」
侍好きのくせに,徳川家康のことも知らないのか。それ以前に,徳川家康の名前すら知らないというのは,日本人としてどうかと思うぞ。
「はるかは,侍好きなのに,戦国武将のことを何も知らないの?」
「本多忠勝と,真田幸村なら知ってる。ゲームに出て来たから」
・・・何という偏った知識レベルだ。おそらく,知っているのは名前と格好だけで,実際にどんな活躍をした人なのかという知識や,本名は『幸村』ではなくて『信繁』だとか,そんなレベルのことはまず確実に知らないだろう。
「徳川家康はね,本多忠勝の主君だった人だよ。若い頃は人質の身分でしかなかったけど,頑張って勉強して次第に偉くなって,最後は征夷大将軍になり天下を統一して,乱れていた世の中を正した凄い人なんだよ」
「せいたいしょうぐんって,何?」
「せいたいしょうぐんではなくて,せいい大将軍。侍の中では,一番偉い身分なんだよ」
「・・・その,せいいたいしょうぐんになれば,乱れた世の中を正せるの?」
「征夷大将軍になりさえすればいいってわけじゃないけど,天下に号令をかけて,乱れた世の中を正すには,当時では征夷大将軍の位に就くことが必要だったんだよ」
「・・・そうなんだ」
はるかは,その後数分間黙り込んでゲームを続けていたが,切りの良いところでゲームを切り上げ,ゲーム機のスイッチを切った。
そして,おもむろに僕の方を向いて,立ち上がって僕に向かいこう宣言した。
「ゆうじ,分かった。あたし,せいいたいしょうぐんになる!
そして,乱れた世の中を正して見せる!」
「はあ?」
「・・・だから,ゆうじ・・・手伝って」
はるかは,少し頬を赤らめながらも,僕に向かってそう呟いた。
これが,(自称)征夷大将軍,大野はるかの誕生だった。
(続く)