第7話 欲しいのはやさしさじゃない
「ん?・・・」
「・・・・」
「何だよぉ~」
「・・・・」
「俺の顔に何かついてんのか?」
「えへっ、何も・・・」
「じゃあ何だ?」
「ふふっ・・・いいじゃない!」
「何がいいんだ?」
「何でもいいじゃない!」
「ふんっ、お前はさ・・・俺をおちょくってんのか?」
「あはっ、おちょくってなんかいないよ~」
「だったら何なんだ?・・・ん?」
「だってぇ~・・・こうしてるだけで幸せなんだもぉ~ん!」
・・・・・・・・
2泊3日の出張明けの金曜日・・・
目の前に山積みされた書類を、俺はうんざりした気分で目を通していく。
朝のオフィス内の慌ただしさも今は耳に入らない。
そんな中、デスクの傍らでコツコツと軽やかに響くヒールの音が止まった。
俺は視界に入ったその人影に見つめる書類から顔を上げた。
「課長・・・」
「ん?・・・」
目の前には、憮然とした顔つきながらも平静な作り笑顔を装う祥子が立っている。
「先日営業本部から来週の会議の議題が社内メールで回覧されてるのご存知でした?」
「うん?いや、まだ見てないが・・・」
「部長が坂城課長が出張から帰られたら必ず目を通すようにと言っておられました」
「そうか・・・ありがとう」
「はい。それから・・・」
・・・・・
・・・・・
祥子は俺の不在中の連絡事項を業務口調で淡々と述べ、そして軽く会釈をした。
自分のデスクへと戻るどこかヨソヨソしい祥子を眺めながら、会議の日程を確認するために俺は背広の胸ポケットにしまった手帳へと手を伸ばした。
取り出した手帳から零れる落ちる薄ピンクのメモ用紙・・・
“水曜日逢えないんだからおねだりをひとつしてもいい?”
祥 子
(出張前日に祥子から渡されたメモだ。ドタバタにかまけて、すっかり忘れてたよ。ははぁ~ん・・・少しヨソヨソしい態度は俺が何も言わないからか?クスッ)
そう想像するだけで可笑しくなった。
俺はそのメモ用紙を拾い上げ、すぐさま走り書きをする。
“姫のお望みのままに!”
「あっ、そうそう村上君・・・ちょっと!」
俺は席に着こうとしている祥子を呼び止めた。
「はい何でしょうか?」
彼女は座りかけた椅子をデスクへと戻し、再び俺の方へとやってくる。
「すまないけどさ、この書類を確認しておいてくれないか?」
俺は平然としたすまし顔の彼女に、少し苦笑いを浮かべながら走り書きをしたメモを書類に挿み手渡した。
「はい、わかりました」
あくまで他人行儀に書類を受け取る祥子・・・
薄ピンクのメモ用紙に気づいたのか、彼女の目元は急にやわらかく解れ瞳を細めてゆく。
きっと待っていたんだろう・・・嬉しそうに唇をかみ締める仕草が何とも可愛い。
(女心って単純だなぁ~・・・)
俺はと言えば、そんな彼女の満足そうな表情を確認し終えると、逆に何事もなかったように白々しくもデスク脇のノートパソコンへと手を伸ばした。
・・・・・・・・・
「はぁ~ん?」
「えへっ・・・」
祥子は不愉快そうに眉を顰めていた俺を、上目で恥ずかしそうに見つめながら舌を出し照れている。
俺はと言えば、そんな彼女の不可思議な仕草に意味もわからないまま次第に口元が緩んでゆく。
「何なんだ。こうしてるだけって?」
「こうしてるだけよ」
「・・・・」
「・・・・」
祥子は満面に笑みを浮かべながらテーブルに頬杖をついたまま俺を見つめている。
俺はその視線があまりにもストレート過ぎて、何だか恥ずかしくて仕方がない。
思わず照れ隠しに新聞を広げ、視線を逸らすかのように見入るフリをする。
土曜日の昼下がり・・・
坂道にこじんまりと佇むカフェテラス
心地よく晴れた空・・・
深い秋の匂いを少しずつ漂わせながら吹き抜けてゆく風―――
そんな風に色づく季節を計っているかのように葉をやさしく揺らしながら射し込む木洩れ陽・・・
視界の遠く先には波間に眩しく照り返す蒼い海が広がる。
出張帰り後の疲れを癒すための休日・・・
家族には書類整理のための仕事だと偽り、
傍目から見れば優雅なひとときを・・・
まどろむ昼下がりの時間を・・・
そんな空間の中でしばし祥子の『おねだり』として刻んでゆく。
「おまえはさ、悪趣味だぞ!」
「どうして?・・・」
「どうしてって・・・さっきから何も喋らず人の顔をジロジロ覗きこんでさぁ~失礼だろうが?」
読むつもりも無く広げた新聞なんて読めるわけがない。
俺はすぐさま新聞を閉じ、少々苛立ちを覚えた顔つきで祥子を睨みつけた。
「そうなの?嫌なの?・・・」
彼女はそんな俺の表情をくみとることもなく、ただ眩しいような笑顔を浮かべたまま見つめ続ける。
俺は段々と彼女の意味のわからぬ行為に、どう対応していいのかわからなくなってきた。
「あのなぁ・・・」
「あはっ、だって嬉しいんだもん!」
「わけわからん奴だな、お前って!」
「わからない奴でもいいんだも~~っん!」
祥子の悪戯っぽい笑顔が更に嬉しそうに弾ける。
俺は返す言葉も探せず、それ以上その行為を諌める気力が失せてしまった。
「ふんっ、勝手にしろ!」
「えへっ・・・じゃあ勝手に見ていよう~っと!」
「ふんっ・・・」
俺と祥子が、水曜日の夜以外にふたりだけの時間を流すことは珍しい・・・
いや珍しいというより、こんな土曜日の昼下がりに堂々と人目につく場所へと出向くこと自体初めてだろう。
この行為は一種のおろかで無謀な冒険なのかも知れない。
何百万人もの幾多の人間が生息している街・・・
毎日毎日・・・何万人、何十万人もの数え切れぬ人並みが雑踏に呑み込まれる繁華街・・・
そんな街角のほんの片隅で・・・
顔見知りの誰かに出くわす確率なんて皆無に等しい。
無機質に歩く通勤経路でもない。
まして愛想笑いを振り撒く自宅近所でもあるまいし・・・
誰に出会うことがあろうか・・・
誰憚ることがあろうか・・・
俺は自分自身にそう言い聞かせた。
そんな自分もまた思慮浅く滑稽に思えるのだが、そう思いでもしなければ流すことの叶わぬ時間のように感じられた。
「えへっ、恭介にはさ、きっとわからないよ・・・」
「何がさ?・・・」
「わたしのこんなにも嬉しい気持ちがさ・・・」
祥子はどこか憂いをおびたような薄ら笑みを浮かべていた。
その笑みが意味することが何なのか、俺には何となくわかっていた。
わかってはいたが、今はそれを言葉にするより笑って惚けることの方がよりBETTERな選択のように思えた。
「そんなのわからねぇ~よ!」
「あはっ、ちょっと拗ねてる?」
祥子はそんな俺の想いを見透かしてるのか、小首を少し右に傾げ上目使いでそろっと覗き込む。
そんな彼女が愛しく思えてならない。
「ふんっ、バカにしやがって・・・」
俺は他人目を気にすることも無く、いつもの癖のように祥子のオデコを人差し指で軽く突いてやる。
「あはっ、でもね・・・」
「ん?・・・」
「わたしが嬉しいのはね・・・」
「うん・・・」
「いつだって、どんな時だって・・・」
「・・・・」
「あなたがわたしに応えようとしてくれるそのやさしい気持ちだけじゃなくてね・・・」
「・・・・」
「あなたがね・・・」
「・・・・」
「あなたが・・・今わたしの目の前にいることが・・・」
祥子はそこまで言葉にすると、何かを噛み締めるかのように窓辺のテラスへと視線を移した。
そしてやさしい笑みの中で静かに瞳を伏せた。
その閉じられた瞳から零れる涙の粒が昼下がりの陽光を浴びて薄っすらと煌いている。
俺はそんな彼女に対し言葉を失い、ただじっと見守るしか術がなかった。
「ただ、それだけが・・・」
「・・・・」
「ただ、それだけのことが嬉しいの・・・たまらなく・・・」