第一歩を踏み出したとしたら
新しく就職した職場は、
人間関係が良好、と聞いていたが本当だった。
私と同年代20~30歳代の同僚が多く、元気に溢れている。
ここはリハビリ専門の病院であり、看護師は主に患者の回復過程を支え、退院の支援をする。
以前働いていた急性期病院とは違い、状態の悪い患者が臨時で入院してくる、といったことが一切ない。
以前の職場では、臨時入院の嵐で、退勤時間をすぎても入院を取らされることが度々あった。
4~5時間の残業は当たり前であり、手当も十分にもらえなかった。
しかも重症な患者が多く、生命を守ることへのプレッシャーもあり、精神的負担が大きかった。
しかし、現在の職場は、重症な患者はいない。すでに前医で治療が終わっており、リハビリ目的で転院してきた患者たちだからだ。
そしてなんと、定時で職場から帰宅することができる。
涙が出るほど嬉しいが、その反面、こんなんで良いのかと、罪悪感を感じてしまう。
仕事が終わっても疲労はさほどなく、夕食の買い出しに行くことが出来る。
ワンパターンの食事が、バラエティ豊かになり始めている。
以前はレシピを調べる時間すら惜しんだのだ。
今はゆっくりとレシピを見て、買い出しにいき、彼に振る舞うことすらできるようになった。
食事を食べたら、絵画をする。
洗い物は彼氏の役割だ。部屋が汚れていれば掃除機だって、かける時間は十分にある。
トランペットやギターも気が向けばやる。
仕事後にこんなに色んなことが出来ると思っていなかった。
こんな日がくると思っていなかった。
やりたいことを全て出来ている。
ここは天国かもしれない。
どうして早く、以前の職場をやめなかったのだろう。
5年間も、抑うつ状態になりながら、働き続け、得られたものは何だったのだろう。
もちろん、急性期病院では多くのことを学んだ。
消化器疾患、膠原病、神経難病、脳血管疾患、さらには救命処置についても。
看護研究もたくさんやってきた。論文を出し、発表講演も。
あの時は本当によく働いていた。
今も、残された人たちは、頑張っているのだろうか。
私は、あの職場から逃げてしまったのだろうか。
残された仲間たちには、きっと恨まれているだろう。
私は罪を犯してしまったのだろうか。
幸せになってしまって、良かったのだろうか。
近頃はそんな思いが胸をよぎる。
心が痛い。
だが、私は今、幸せなのである。
そして、私はまだ、第一歩を踏み始めたばかりなのだ。
これからやりたいことをたくさんやっていく。
そう思うと、力がみなぎってくる。
まずは、自分の作品を出展してみたい。
できれば、私は、芸術家になりたいのだ。
***
以上は、現在の職場をやめた後のことを想像してみた結果だが、
なかなか幸せそうである。
本気でやめることを検討した方がいいかもしれない。
今日は夜勤明けだ。
午前11時に帰宅。今回は20時間ほど勤務していた計算になる。
今日もまあ、いつも通り、激務だった。
帰宅してから、風呂に入る力はなくそのままベッドへ。
仕事の夢をみながら、心電図モニターのアラームやナースコールの幻聴を聞き流す。
就職するまで、
看護師という仕事がこんなにもハードで体力を必要とするものとは思っていなかった。
就職先にもよるが、私は相当「ブラック」な病院に勤めてしまったらしい。
まだ「無理がきく」はずなので、続けているが。
急性期病院に就職して5年目となり、チームのサブリーダーに任命された。
来年度はおそらくトップリーダーとなる。
今仕事をやめれば職場には多大な迷惑がかかってしまう。
それほど、現在の職場には必要とされているはずなのだが、
いくら褒められようと、もてはやされようと、居場所を認められようと、
心が安らがないのは何故だろうか。
この場所を去りたい気持ちが年々増してきている。
幸せになりたい。そのためには仲間を見捨てなければならないのだろうか。
仲間を見捨てることで得た幸せは本当に幸せなのか。
それについてもじっくり考えていきたい。