第54話(逃亡、そして)・3
「私が……」
涙は止まらなかった。
勇気は陽が沈んでしまっている水平線の向こう側を睨んでいた。
見える訳のない向こう側を。
まるで、自分の未来のように。
黒い景色だった。
崖の足場は、いつ崩れてもおかしくはない。
崖の先端に立ち、吹く風は非常に冷たく。
勇気の心臓を凍らせてしまいそうに荒ぶ。
月は見当たらない。
だから黒い空。
星もない。
雲に隠れてしまっているのか。
だから暗い空。
森は眠る。
見渡す限りは木の先端の集まった濃緑ばかり。
勇気が見下ろす下には、魔物も眠っているか。
獲物を探してさ迷っているのだろう。
ウオオーン、と。
狼に似た咆哮が聞こえる事がある。
少しずつ安心してきた勇気。
誰も追いかけては来ない。
今はたった一人。
一人であるから……気が楽になれる。
「う……」
しかしそれも束の間の事。
勇気を過去と想像が襲うのだった。
「うう……!」
対面したもう一人の『私』の残像。
そして今頃はきっと。
天神によって何もかもが暴露されているという事と。
「う、ううう……!」
せっかく乾いた涙の跡の上から。
新たな涙が生産されていく。
嗚咽にも支配され。
頭の中はガンガンと打ち響き。
気分は優れず。
最悪なままで時間は冷ややかに過ぎていく。
私が殺した。
私が皆を巻き込んだ。
一人で芝居をしていたみたいで恥ずかしい。
勇気の狭くなった頭の中は。
その様々な感情がいっぱいだった。
崖の上から、下界の森を見下ろした……。
(何処行くの……?)
心で話しかけた。
(ねえ、何処行くの……?)
誰も居ない相手に。
(ねえ……)
風が当たる。
厳しいとも思わない風が。
勇気の体が揺れた。
前方へ――そこは底闇。
ふ、と。
意識も真っ逆さまへ落ちようとした。
しかし。
「バカ野郎!」
勇気の腕は引っ張られた。
かなりの強さだった。
勢い余って転がる勇気に……罵声が飛ぶ。
「何考えてんだ! 飛び降りて、死ぬ気かバカ野郎がッ!」
憎しみすらこもった激しい怒りで。
追いかけてきたセナ。
が、転がる勇気の腕を乱暴に掴み上げ。
引っ張り起こしていた。
「痛い!」
そして、「放して!」と。
腕を引きちぎっても構わないくらいに抵抗したが。
セナの力の方が上だった。
手は絶対に離される事はなく。
「落ち着け!」
セナは勇気を睨み威圧する。
普段なら、恐れおののくだろう。
ひるむだろう。
たじろいで、大人しくなってしまうのに違いない。
だが、今の勇気に怖いものはないように感じられた。
セナの怒りさえ、軽く見えるほどに。
気が動転してしまっている。
それはセナの目から見ても明らかで。
どうしようもなかった。
セナは天神から全てを聞いてきた。
勇気が始め、2人に分かれた事を。
世界を破壊しようと企み動かしていた真の支配者は。
救世主、勇気の……『心』だった事を――。
セナは初めて勇気の片割れを目撃してからは。
薄々と感じていたのかもしれない。
だが、まさかと。
自分もまた、疑いを晴らそうとはしなかった。
しようと思わなかった。
そんな少しだけの罪悪感がセナにあった。
もっと早くに聞いてやればと後悔して。
それは、今の勇気を。
見れば見るほど大きく膨らんで――。
「落ち着け……」
セナは勇気を抱き締めてあげた。
何処までも暴れ狂おうとしていた勇気だったが。
次第にそれは小さくなり無抵抗になっていった。
最後は諦め、はあ、と。
セナの胸内で息を吐く。
「落ち着いて……」
2つの腕は勇気の背中にしっかりと回し。
ベルトを締めるようにギュウと渾身の力を込めた。
それが精一杯にできる事だとセナは思った。
と同時に。
この手の中の少女は何と小さな事かと。
思い知る事にもなる。
これまで、同じように。
勇気はたかだか小さな存在にしかすぎないと何度でも思ってきた。
まだ13歳でもある……。
セナは昔、監獄で育った。
今にして思えば、幸運だったと思う事もできる。
親に見捨てられた子供など数えきれないぐらい居る。
生き延びられなかった子供も多く居る事だろう。
たった一切れのパンに出会う事さえ困難な状況の中で。
セナは監獄という名で『保護』されていた。
まさに幸運。
おかげで死なずにすんでいる。
健康で、真っ当な精神で自分の足で歩く事ができる。
……出所したての頃は。
目的もなくブラブラと道を探して迷子になっていた。
目的を探す事が目的なんだと時々に笑いながら。
皆が迷う。道がないからだ。
道は自分で作らなければならない。
それを、現実は教えてくれる。
厳しさと、騙さない誇りを持って。
現実は……嘘をつかない。
「よく頑張ったよな……お前。凄いよ……」
心の底からセナは。
勇気という壊れやすい人間を大事に思った。
壊れやすいと言ったが。
壊れないし屈しない。
いつでも真っ直ぐだったと過去を振り返る。
時々は、壊れかける。
逃げようとする。
足掻く。
苦しむ。
わがままを言う。
そんなものは当たり前の事だ。
何故なら人間、人間、なのだから。
でもちゃんと真っ直ぐ、真実まで辿り着いたではないか。
セナは褒め称える。
……少し身を離し勇気の顔を見るようにした。
勇気は酷い顔をしている。
絶望にこっ酷く打ちひしがれた可哀想な顔を。
セナはわかっている。
いつかも言った……。
『本音』をさらす事が、いかに大変なのかを。
セナは思うままに身を任せる事にした。
口唇に触れる。
覆っていた雲は、薄くなり途切れて。
大きな月は朧げではなく。
隙間から顔を覗かせている。
2人の重なった影は伸びて。
時は、瞬く間に過ぎていった。
軽いキス。
しかし長い。
月は光で2人に祝福を照らしている……
……
勇気の中で何かが溶け出していっていた。
だから涙が出るのかなと。
……勇気はそんな事を思う。
セナが作り出した空間は、温かだった。
抱き締めてくれて、諭してくれる。
落ち着けと……勇気にも理解できるように。
足りない言葉の代わりにキスを贈る。
勇気には、充分に理解できた事だった。
初めて自分を労わる言葉を見つけ出す。
御苦労さま――
自分の中にいつまでも滞在していたしこりは。
溶け出してなくなっていった……。
時は経過する。
崖の上の2人は。
互いを見守っていた。
「未来に絶望してるなら、一つ未来をやろう」
セナが後で思いつきを口に出す。
「え? 何? 未来?」
勇気は顔を上げて。
目をパチクリさせた。
セナはクスクスとおかしそうに笑ってはいたが。
目つきは真剣に満を持して言う。
「青龍の事が片付いたら……こっちで一緒に暮らそうか。勇気」
《第55話へ続く》
【あとがき(PC版より)】
色々と忘れそうになる(泣)。
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